謝罪
シルバーは小夜の手首を掴んだが、小夜は振り向いてはくれなかった。
小夜の肌はやけに冷たかった。
「待ってくれ。」
『話したくないんでしょう。
ご飯だって食べに来なかった癖に。』
「違う、時間を忘れていただけだ。」
夕食に顔を出さなかったのを小夜と話したくなかったからだと思われたくない。
小夜程の力があればシルバーを振り払う事など簡単な筈だが、小夜はそうしようとしない。
それに小夜はシルバーの分の食事を持ってきてくれた。
シルバーと話したいという小夜の気持ちの表れだ。
「俺を見てくれないか。」
『…。』
「小夜。」
優しく名前を呼ばれると、小夜の中に何かが溢れるように込み上げた。
するとシルバーが小夜の頬に手を伸ばし、そっと自分の方へと顔を向けさせた。
小夜が無表情ながらも瞳に涙を溜めているのを見たシルバーは、胸がぐっと締め付けられるのを感じた。
小夜はまだシルバーと視線を合わせようとしない。
「悪かった。
あんな事…本当は思っていない。」
―――シゲルの処へ行けばいいだろ!!
思っている訳がない。
思える訳がない。
「妬いただけなんだ。」
小夜が一度だけ瞬きをして反応し、涙が一筋零れた。
シルバーが頬に当てていた手の指でそれを撫でるように拭うと、小夜はシルバーの目をそっと見た。
「お前が辛い時に、本当にごめん。
許して欲しい。」
小夜が無表情を崩し、何かを堪えるような表情をした。
そしてほんの少しの躊躇いを持ちながら、シルバーに身体を寄せた。
シルバーは震える小夜の身体をぎゅっと抱き締めた。
二人の身長差は余りない筈だが、この時シルバーには小夜がとても小さく感じた。
小夜はシルバーの肩を弱々しく掴み、乾いた声で言った。
『ごめんね。』
「…?」
シルバーは小夜の頭をゆっくりと撫でながら言葉の続きを待った。
小夜の髪は艶があり、ほんのり甘い香りがする。
『シルバーよりもシゲルの方が私を分かってるみたいな言い方しちゃったから…怒ったよね。』
「お前には怒っていない。
俺が怒ったのは俺自身に対してだ。」
嫉妬するだけならまだしも、小夜を傷付けるような台詞を吐いてしまった。
嫉妬しているだけなのだと言えなかった稚拙な自分に腹が立った。
「それにお前が言う事は間違っていないかもしれない。」
『え?』
小夜はシルバーの肩口に頬を寄せたまま瞳を見開いた。
シルバーは自分自身を嘲笑った。
「俺はお前の事を知っているつもりなだけで、本当は……。」
『馬鹿言わないで。』
小夜はシルバーの肩を押して顔を上げ、驚きの表情で見下ろしてくるシルバーの頬を両手で包んだ。
小夜は眉を寄せ、ぎゅっと唇を噛んでいる。
『私がシルバーの傍で安心出来るのは、シルバーが私を分かってくれてるからなの。』
シルバーが小夜を理解しているからこそ、共にいられる今がある。
小夜はシルバーの目を見つめて必死に訴えた。
『ねぇ、私に好きって言ってくれたのは誰?』
他の人間を愛していた私に、貴方は自分の気持ちを貫いた。
様々な葛藤があった筈なのに、それでも好きだと真っ直ぐに伝えてくれた。
『あの時、支えてくれたのは誰?』
彼が亡くなって哀しみに明け暮れていた時、泣いていた私の傍には貴方がいた。
精神的ダメージの影響で能力が制限された私に温もりを与えてくれた。
一番近くにいて欲しいのは貴方だと我儘を言った私を支えてくれた。
『私が……私が好きなのは誰?』
小夜の瞳から涙が次々と零れ落ちた。
シルバーは時間が止まったかのように言葉を失っていたが、堰を切ったように込み上げる愛しさを感じた。
『本当にごめんなさい…。
もうあんな事言わないから、何度でも謝るから……だからシルバーもそんな――!』
台詞を遮ったのはシルバーの唇だった。
シルバーに両手首を掴まれ、引き寄せられた勢いで唇を塞がれた。
小夜が瞳を閉じないまま唇は離れ、シルバーは悲痛な笑みを浮かべた。
「俺の方が謝らないといけないってのに、何お前が謝ってんだよ。」
『うぅ、ごめんなさい、だって…。』
「謝るなって言ってるだろ。」
『でも私だって悪かったもの。』
小夜からの謝罪の言葉も欲しいと思っていたシルバーは、小夜が自分も悪かったと言ったのを否定しなかった。
シルバーの方が酷な発言をしたとはいえ、昨日の小夜の言葉でシルバーが傷付いたのは確かなのだ。
「まぁとりあえず。」
『?』
シルバーは小夜の腰に片腕を回し、首を僅かに傾けて小夜の顔を覗き込んだ。
小夜の頬は涙で濡れている。
「仲直りだな。」
『うん。』
シルバーは小夜の頬に滑らせた手で涙の筋を拭い、小夜にもう一度口付けた。
今度は瞳を閉じた小夜だが、口付けの角度を変えようとしたシルバーが突然喉でクッと笑った。
甘い口付けの時間を期待していた小夜は思わずぽかんとした。
『…へ?』
「お前、シチュー食べただろ。」
小夜は顔が一気に熱くなった。
それを見たシルバーは面白可笑しそうに笑った。
「シチューの味がする。」
小夜は此処を訪れる前にシチューを一気食いしたのを思い出し、慌ててシルバーの肩を押した。
だがシルバーが小夜を抱き寄せる腕の力を込めた。
『ちょ…っ!』
「面白いから続けさせろ。」
『やだ、恥ずかしいってば!』
小夜は迫ってくるシルバーの唇に思わず顔を背けたが、シルバーが小夜の顎を掴んで自分に向けた。
シルバーは傲然と口角を上げている。
何とかしてシルバーの気を逸らしたい小夜は慌てて言った。
『そ、そうだ、折角持ってきたんだからシチュー食べてよ。』
「先にお前を戴く。」
『な!』
小夜が怯んだ瞬間、シルバーの口付けが落ちた。
仲直りの口付けがシチューの味だとは。
ムードのぶち壊しだ。
小夜はシチューを掻き込んできた事を痛切に後悔した。
何だか笑えてきてしまい、二人は小さく笑い合いながらお互いの唇に触れたり離れたりを繰り返した。
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