喧嘩
シルバーは小夜と喧嘩してから部屋に戻るなり、紙に滑らせるシャーペンの芯をボキボキ折ったりと不機嫌全開だった。
だが論文と向き合っている内にようやく落ち着きを取り戻した。
夕食の時間になり、何時もオーキド博士やケンジ、そして小夜と食事をする二階の部屋へ向かう。
オーキド博士とケンジは何かと忙しく、時間が合わない事が多々ある。
その為、シルバーは小夜やポケモンたちと食事をする事が殆どだ。
階段を降りるシルバーの後方には、手持ちポケモン四匹とゴーストがついてきている。
シルバーは小夜の泣き顔を思い出して顔を顰めた。
―――暫くは話したくないと言っておけ。
ボーマンダに言い放った台詞は小夜に伝わっているだろう。
食事室で顔を合わせたら、どのような反応をされるだろうか。
目も合わせて貰えない気がする。
“御主人、小夜と喧嘩したのかな…?”
オーダイルの呟きに、マニューラが真っ先に反応した。
“間違いない。”
“痴話喧嘩だ。”
続けてクロバットがそう言うと、コイルが浮遊しながら心配そうに言った。
“只の痴話喧嘩ならいいけど…。”
“心配ないさ、コイル。”
真横を飛ぶクロバットにそう言われ、コイルはゆっくり頷いた。
すると最も後方にいたゴーストが階段で動きを止め、それに気付いたオーダイルが立ち止まった。
“ゴースト、如何したの?”
“俺のせいかも…俺があんな話をしたから…。”
小夜はゴーストの通訳をするや否や、何も言わずにシルバーの部屋を出ていってしまった。
それからシルバーが小夜を追い掛けたが、その時に何かあったのかもしれない。
ポケモンたちの脚音が止まった事に気付いたシルバーが振り返り、階段の数段上にいるポケモンたちを見上げた。
「如何した?」
陽気に変顔を披露していたゴーストが本気で泣きそうになっているのを見たシルバーは、ポケットに両手を突っ込んだ。
「自分のせいだと思っているのか?」
“だって俺が…。”
「お前のせいじゃない。
これは俺と小夜の問題だ。」
喧嘩の内容はゴーストとは無関係だ。
発端はシルバーの些細な嫉妬なのだ。
「すぐに解決するさ、…………多分。」
間を取って付け足された単語に、ポケモンたちは只の痴話喧嘩ではないと確信した。
今日中に解決すればいいのだが。
喧嘩の内容も気になるが、シルバーが話してくれるとは思えない。
オーダイルと仲良しコンビであるバクフーンから話を聴けるかもしれない。
「行くぜ。」
シルバーは踵を返し、再度歩き始めた。
共に食事室へ向かうのが当然のように接してくれるシルバーやポケモンたちに、ゴーストは喜びを感じながらも不安が過った。
食事室に到着すると、其処に小夜はいなかった。
だが猛烈に睨み付けてくるエーフィが待ち構えており、皿を洗っていたバクフーンが困惑した表情で振り向いた。
水が苦手なバクフーンは勿論ゴム手袋をしており、何故かピンクの水玉模様の三角巾を頭に巻いている。
当然ながらボーマンダとスイクンの姿はない。
エーフィの睨みから激怒しているのが伝わり、シルバーは思わず後退りそうになった。
“二人共お馬鹿なんだから!!”
―――ゴン!
「いてっ!」
エーフィの念力で高速で飛んできたのは一本の菜箸で、シルバーの額にその先端が直撃した。
渇いた音を立てて落下した赤色の菜箸は鈍痛を額に残し、シルバーは思わず其処を片手で押さえた。
すかさずエーフィの怒号が飛ぶ。
“こんな時に喧嘩してる場合?!!
もし小夜が予知夢を見たら如何するの!!!
あんたが支えてあげなきゃ駄目でしょ!!!”
エスパータイプであるエーフィの怒りが原因なのか、テーブルや食器ラックが小刻みに震動している。
その余りの威圧感にシルバーは固唾を呑み、背後のポケモンたちは身体が硬直している。
バクフーンは水を止めるのも忘れて冷や汗を掻き、完全に閉口している。
だがシルバーにはエーフィが何を言っているのかが全く分からない。
“小夜にも言ったけど、さっさと仲直りしなさい!!”
―――ドッ!
「う…っ!」
落下していた菜箸が次にシルバーの鳩尾へと攻撃を食らわせた。
見た目に相応しくなくかなりの攻撃力だ。
シルバーが痛みに堪えている隙に、エーフィはシルバーの脚元をすり抜けて部屋から去っていった。
まるで嵐のようだったが、一行の緊張は一先ず解けた。
嵐の余韻が残っているバクフーンが、シルバーやポケモンたちの食事を黙々と準備し始めた。
シルバーはバクフーンが洗っていた食器を見て、小夜が先に食事を終えたのだと悟った。
本当で顔を合わせない気だ。
それ以降、シルバーが小夜と顔を合わせる事はなく、就寝前の口付けもないままその日が終わった。
手持ちポケモン四匹とゴーストと共に部屋で眠る。
小夜が隣の部屋にいると思うと、やるせない気持ちで胸が痛んだ。
だが、逢おうとは思わなかった。
冷静になる時間が欲しいし、小夜もそう思っている筈だ。
中々寝付けないまま、何時の間にか眠りに誘われていた。
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