羨望-3
小夜は自室へと戻った。
庭を上空から定期的に巡回しているボーマンダが此処へ戻ってくるのだ。
身体の大きなボーマンダは改装してある此処のガラス窓からしか入れない。
小夜はレースのカーテンを開け、ボーマンダが何時でも帰って来られるようにと解錠した。
―――コンコン
シルバーの部屋よりも広い其処にノック音が響いた。
『シルバーでしょう?
どうぞ。』
小夜が言った通り、扉から顔を出したのはシルバーだった。
シルバーは無表情の小夜を見て顔を顰めた。
「小夜。」
小夜はシルバーに先程のゴーストの発言を既に通訳している。
無表情で通訳し終えた途端、そのまま何も言わずに此処へと戻ってしまった。
「何を考えている?」
『如何して?』
「お前が無表情の時は大体何かを考えている時だ。」
『…。』
小夜はシルバーから視線を外し、蒼々としている空を窓から見上げた。
『シゲルがポケモンを厳選してるとは思えない。』
「何故そう思う?」
『シゲルはそんな人じゃない。』
小夜がこの研究所から旅立つまでの六年間、シゲルは庭のポケモンたちに食事を与える小夜を朝早くから手伝っていた。
世界的に有名なオーキド博士の孫として恥ずかしくないようにと常に努力していた。
それにゴーストの言う通り、要領も良くて天才肌だ。
『厳選してるんじゃない。
色々なポケモンを育ててみたかっただけよ。』
小夜は外を眺めたまま、抑揚のない声でそう言った。
捕獲するのが同じ種類のポケモンであっても、育てる過程でどのような違いがあるのかを見極めたかっただけだ。
そうである自信が小夜にはあった。
「本当にそうだろうか。」
『何よ、それ。』
小夜は無表情のまま振り返り、シルバーを見つめた。
だがシルバーは睨まれているようにしか思えなかった。
『私は六年間分のシゲルを知ってる。』
ポケモンマスターという夢を持つシゲルが努力しているのをよく知っている。
『私の能力の事だって一切口外しなかった。』
「それは分かっている。」
『博士やサトシと同じで、此処に籠るしかなかった私の為に色々考えてくれた。』
淡々としながらも説得するかのように話す小夜を見ていると、シルバーの中に黒い感情が芽生え始めた。
「ならお前はポケモンを沢山捕まえて比較するかのように育てる事が、ポケモンマスターに繋がると思うのか?」
『比較だなんて…。』
「俺はシゲルがポケモンを厳選しているとしか思えない。
ポケモンマスターという夢を持つなら尚更だ。」
『違う!』
小夜は声を張り上げ、感情的になった。
予知夢を見てから冷静を欠いてしまっている事は、小夜自身が最も実感していた。
小夜のその声を合図に、シルバーの中にあった何かが弾けた。
「さっきからシゲルシゲルって……何だよ。」
シルバーの声色が低くなり、小夜は瞳を細めた。
シルバーが小夜に近寄り、その両肩を乱暴に掴んで窓に押し付けた。
窓がガタガタと揺れる音がする。
「お前の口からその名前が出る度に虫唾が走る!」
『な、にを言ってるの…?』
何故シルバーが怒っているのか、小夜は訳が分からなくなった。
今このタイミングはシルバーが怒るタイミングだろうか。
それにその理由が小夜の口からシゲルの名が出る事であり、それが余計に小夜を混乱させた。
「……腹が立つ。」
シルバーは小夜の顎を掴んでぐっと持ち上げた。
間近で見た小夜の紫の瞳は動揺に染まっている。
シルバーは小夜がシゲルを恋愛対象として見ていない事を十分に承知している筈だった。
見上げてくる透き通った瞳は、シルバーが好きだと言っているのに。
『如何して…?
私はただ…!』
幼馴染みであるシゲルの事を必死に伝えただけなのに。
こんなにもシルバーが好きなのに。
それをシルバーも知っている筈なのに。
『何よ……。』
小夜の瞳に涙が一杯に溢れ出した。
そして今度こそシルバーを睨んだ。
『分からず屋!』
小夜はシルバーの胸を突き飛ばした。
後方に数歩ふらついたシルバーは唇をぐっと噛んだ。
『シゲルはシルバーよりもずっと長く私と一緒にいる!!』
「!」
小夜はシルバーの目が見開かれて動揺するのを見逃さなかった。
『シゲルは私の事を分かってくれるし、私だってシゲルの事を分かってる!』
こんな事を言いたい訳ではないのに、口がコントロールを失ったかのように止まらない。
涙の滲む視界に、シルバーが哀しそうな表情をするのが見える。
後悔しても遅い。
「ならシゲルの処へ行けばいいだろ!!」
『っ、馬鹿!!』
小夜はシルバーの横を駆け抜け、部屋から勢いよく出ていった。
場に相応しくない程に優美な小夜の涙がシルバーの頬に触れた。
虚無感に支配されたシルバーは頬を拭わないまま俯き、拳をぎゅっと握った。
「……何だよ。」
これはただの嫉妬だ。
小夜はシゲルの事を分かっていると言いながらも、シゲルに好意を寄せられている事を知らない。
それがまたシルバーを苛立たせた。
「!」
ふと顔を上げると、ボーマンダが此方に向かって飛んでいるのが見えた。
やっと頬を拭ってから、内開きの窓を引いて全開にすると、其処からボーマンダが入ってきた。
シルバーの赤髪が冷たい風に揺れた。
“あれ、小夜は?”
普段迎えてくれる小夜の姿を探すが、何処にもいない。
此処にいるのは消沈した様子のシルバーだけだ。
「あの野郎ならさっき出ていった。」
“あの野郎って…。”
ボーマンダは眉を寄せた。
シルバーが小夜に対して怒っているのは明確だった。
「暫くは話したくないと言っておけ。」
ボーマンダが眉尻を下げるが、シルバーは見向きもせずに部屋を去った。
何の関係もないボーマンダに八つ当たりしてしまった事に自己嫌悪を感じる。
隣にある自分の部屋の扉を不機嫌に開け放つと、賑やかに談笑していたポケモンたちの声がぴたりと止まった。
シルバーはそれを無視し、作業用の机の椅子に乱暴に腰を下ろした。
論文を纏めた書類を手に取るが、全く頭に入らなかった。
小夜の涙が心の中に鮮烈に残って消えなかった。
2015.2.27
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