其々の葛藤

ネンドールは小夜とシルバーの様子を外から窺ったかと思うと、ハガネールが住処とする岩場の前までテレポートした。
岩場にはポケモンたちによって掘られた沢山の穴が開いていて、地下は空洞状態だ。
其処に沢山のポケモンたちが居を構えている。
広い岩場には背高草の林と菱形金網のフェンスが隣接していて、時折木々が風に揺られる音が聴こえていた。

ネンドールは主人である小夜とシルバーというあの少年が仲睦まじい事は以前から認識していた。
あの二人の様子を見ていると、関係が一歩前進したのだとすぐに悟った。
ああやってお互いを大切に想う目をしながら会話しているのを見ていると、経験した事のないどす黒い感情が無意識に心を支配した。
逃げるようにして此処までテレポートしたが、まるで思考が何処かへ飛んでいってしまったような脱力感に襲われた。
ただひたすら風に吹かれながら茫然とした。
そんな姿をディグダの群れに不審に思われても、イシツブテに不思議そうな目で見られても、如何でもよかった。

どれくらいの時間浮遊していたかなんて、全く分からなかった。
地表が揺れるのを感じたネンドールはふと我に返り、一つの大きな穴から長年の付き合いであるハガネールが現れるのを見た。
巨体が完全に地表に姿を現すと、雲間から注ぐ月明りに照らされて長い影が伸びた。
ハガネールがよく見ると、ネンドールの無表情の中に何時もと違うものがあるような気がした。

“ネンドール、如何かしたのか。”

地下でイシツブテたちからネンドールが外にいると知らされたハガネールは、静かに声を掛けた。
ネンドールは目が沢山あるにも関わらず、ハガネールとは一切視線を合わせようとしない。
ずっと黙ったままなのかと思われたネンドールだが、風に消えてしまいそうな声音で呟いた。

“分かっているんだ、分かって……。”

“ネンドール?”

ネンドールの呟きはハガネールの耳には届かなかった。
様子が可笑しいネンドールをじっと見守っていると、先程よりも気持ちを落ち着かせたネンドールが細々と尋ねた。

“あの二人を如何思う?”

“小夜とあの少年か?”

ハガネールは質問の意図が分からなかった。
何故、そのような事を尋ねるのだろうか。

“私は訳が分からなくなった。”

“…?”

ハガネールは至って冷静を保っている。
その様子がネンドールの感情を異様に掻き立て、再度平常心を失った。

“バショウを忘れたかのような小夜を許せない…!”

普段から寡黙なネンドールが珍しく声を荒げても、ハガネールはただじっと見つめてくるだけだ。
ネンドールは堰を切ったように言葉を続けた。

“彼が亡くなってから時は過ぎた。

それでも彼が心から愛した彼女は、ずっと彼だけを愛していると思っていたのに。

きっと彼を忘れてしまったんだ。”

ネンドールは自分の中にある二つの感情と葛藤していた。
小夜には笑っていて欲しい。
今日小夜に抱き締めて貰った時は素直に嬉しかったし、能力が戻って元気そうな姿を見て安心した。
それなのに、如何して彼が小夜の隣にいないのかと苦しくなる。
小夜を救ったのは彼の筈なのに。
自分が小夜の手持ちになると決意した時から、小夜が彼以外の人間を愛する未来が訪れるのを分かっていた筈なのに。
混乱するネンドールを前に、ハガネールは首をゆっくりと左右に振った。

“お前は間違っている。

小夜はバショウを忘れたりしない。

私たちがバショウを忘れないようにな。

お前も分かっている筈だ。”

ネンドールは動揺で目を揺らした。
ハガネールの言葉がすとんと胸に落ちていく。

“バショウが望んだのは何だ?

何の為に死んだ?

よく聴け、ネンドール。”

ハガネールはネンドールの知らない彼の過去を物静かに語り始めた。
彼がニューアイランドの研究所で小夜の面倒を看ていた時よりも前から、ハガネールは彼をずっと見てきた。
小夜に出逢う前の彼は、人生に何の光も見出せずにいた。
まだ若いながらもポケモンに対して冷酷な考え方を持ち、ロケット団員として漠然と生きていた。
十歳の時にロケット団に入団した彼がそれ以前に何をしていたのかは知らない。
当時イワークだったハガネールは、入団祝いとしてロケット団からバショウに寄贈されたポケモンだった。
彼からは淡々とした態度で接せられていた。
可愛がられる訳でもなく、可愛がられない訳でもない。
彼の唯一の手持ちポケモンとして、ただ忠実に命令を遂行するだけだ。
列記とした主従関係で、それ以外の何でもなかった。
だが、常に無感情な彼を嫌いだと思った事はなく、寧ろ何の目的もないまま生きる彼を可哀想だとさえ思っていた。
彼は各地をスパイとして駆け回り、伝説のポケモンを捕獲する為の計画に携わっていた。
何時しかハッキングやプログラミングといった情報分野の抜きん出た能力を買われ、十五歳足らずで幹部へと昇進した。
そんな時、あの研究所に侵入して機密情報をロケット団へと漏洩させるという重要な任務を請け負った。
それが彼の人生の転機となる。
小夜と出逢ったのだ。
愛情というものを覚えた彼は小夜の存在を人生の糧とし、何としても守り抜きたいと思うようになった。
小夜と別れてから六年間、来る日も来る日も小夜を想い続け、小夜の為だけに行動していた。
あの冷酷無慈悲な人間性からは信じられない変化だった。

“小夜はバショウにとって唯一の光だった。”

彼は小夜に出逢わなければ、人生に絶望したままだっただろう。
ボールの中から聴いていたが、彼が小夜へ贈った言葉の中で印象的だったものがある。


―――貴方は私の全てです。


彼は小夜を心から愛していた。
ロケット団から小夜を解放するのは、自分にしか出来ないのだと分かっていた。
自分の命が散ってしまうかもしれないと小夜に忠告されながらも、最期まで小夜の為に尽くした。
それ程までに愛していたのだ。

“バショウは最後に何を望んだ?

言ってみろ。”

ネンドールは彼が死ぬ数日前に彼と会話したのを思い出した。
深夜、森の奥深くにあるロケット団基地の外れで、二匹はモンスターボールから放たれた。
そして、随分と温厚になった彼が口元を緩めて言った。


―――私は小夜の為に生きると誓いました。

この身が如何なろうと、後悔はありません。

貴方たちにも分かって欲しいのです。

私が望むのは…―――


“……小夜の幸せ。”

ずっと黙り込んでいたネンドールが小さくそう言うと、ハガネールは深く頷いた。
ハガネールも当初は長年の主人を失った哀しみにもがき苦しんでいたが、時が経った今は彼の遺志を尊重するようになった。
小夜が幸せなら、きっと向こうにいる彼も満足だろう。
小夜も気付いた筈だ。
自分が幸せでなければならないのだと。
ハガネールは再度口を閉ざしたネンドールに言った。

“バショウではない人間と小夜が結ばれたのを見ているのは、最初は辛いかもしれない。”

まるで自分にも言い聴かせるような言い方に、ネンドールは目を見開いた。

“だがそれでも、小夜が哀しみに明け暮れているのを見ているよりはずっとましだ。

もしそうだとバショウが哀しむと思わないか?”

ネンドールは気付かなかった。
ハガネールも口にしないだけで葛藤していたのだ。
その気持ちをネンドールよりも断然早く割り切り、現在は彼の最期の望みを理解し、小夜の幸せを祈っている。
ハガネールは言葉を続けた。

“最も苦しかったのは小夜だろう。

亡くなったバショウを愛していながらも、あの少年に惹かれたのだから。”

“………。”

沈黙が岩場を支配した。
ネンドールは深く黙り込み、何も理解していなかった自分を心の中で戒めた。
葛藤していたのは自分だけではなかった。
皆が其々に葛藤があり、それを乗り越える為に必死なのだ。
そう考えると、きっとあの赤髪の少年にも葛藤があった筈だ。
違う人間を愛している少女に恋をした少年は、彼が亡くなってから様々な事を悩んだに違いない。


―――ガサ…


長い長い沈黙を破り、遠方にあった背高草が不自然に揺れた。
ビクリと反応した二匹が其処へ視線を向けると、暗闇の中から紫を纏った少女が姿を現した。

『ごめん……聴いてた。』

小夜との距離は十数mあったが、聴力の優秀な小夜は聴き取ってしまったようだ。
紫の透き通った瞳で視線を泳がせながら、何かに堪えているような表情をしていた。
先程シルバーの物となった部屋で感知した気配は間違ってはいなかった。
憎悪や嫉妬、そして哀情の入り混じった苦痛の気配だった。

『ネンドールと話そうと思って、それで…。』

小夜はネンドールを追いかけてきたようだ。
ハガネールは不安に思いながらも口を開いた。

“何処から聴いていた?”

『最初から。』

小夜はニューアイランドの研究所で彼と出逢う前の彼の過去を初めて耳にした。
その話を聴いていると、ネンドールはこの六年の間に彼の手持ちになったと推測される。

『考えてはいたの。

私がシルバーと一緒にいる事は、二匹の目に如何映るのかって。

でも怖くて訊けなかった。』

もし否定されたら一体如何すればいいのか、そんな時の事は考えたくなかった。
正直に自分の気持ちを白状する小夜に、ネンドールは罪悪感が込み上げた。

“小夜、私は…。”

『いいの。

当たり前の感情だと思うから。』

小夜は苦しげながらも微笑んでみせた。
それを見た二匹は胸が苦しくなり、いたたまれない気持ちになった。

『ネンドールが私を許せなくてもいい。

でもね、覚えておいて欲しい。

私はシルバーが好きで、凄く大切なの。

それでも……今でもバショウの事を――』

“待て。”

ネンドールに台詞を遮られ、小夜は言葉を呑み込んだ。
ハガネールはネンドールが一体何を言おうとしているのか、身体を強張らせながらも続きを待った。

“言わなくていい。

分かっているから。”

『…。』

“それ以上言えば、辛くなるだろうから。”

小夜は俯いたかと思うと、手の甲で口元を抑え、熱く込み上げるものを必死に我慢した。
やはり、今日は泣きそうになる日だった。
ネンドールは浮遊しながら小夜の元へ寄っていくと、小夜に視線の高さを合わせた。

“すまない、小夜。

私の事は許さなくていい。”

『怒ってなんかないもの。』

“本当か?”

『本当よ。』

小夜は涙を瞳にいっぱい溜めながらも、零さないようにぐっと耐えていた。
それを見たネンドールが一つの目から涙を零した。

『如何してネンドールが泣くの?』

“分からない。”

ハガネールはネンドールが涙を見せるのを初めて目にした。
余り感情を表に出さないのはバショウ譲りだが、今日は制御出来ないようだ。

『ありがとう。』

“何故礼を言う?”

『分からない。』

小夜とネンドールはお互いの目を見て表情を緩めると、小夜がふふっと笑った。
小夜の感謝の意味は、自分の前で感情を曝け出してくれた事への気持ちだった。
和解した様子を見て安心していたハガネールと小夜の視線が合った。
小夜は目元を腕でごしごしと拭い、穏やかに微笑んでみせた。
それを見たハガネールは、彼の為にもこの笑顔を絶やしてはならないと強く思った。




page 1/3

[ backtop ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -