接触
「あ、オーダイル。」
廊下で分厚い本を積み上げて運んでいたオーダイルは、主人とは別の声に振り返った。
其処にいた博士はオーキド博士とは種類が違う温厚さがある。
「ごはんだから、シルバー君を呼んできて貰えるかな?」
“はーい。”
ウツギ博士にマウスの件を謝罪したのは昨日の話だ。
昨日の間にダイゴがオーキド研究所から去り、シルバーもポケモンたちもほっとした。
シルバーが使用している研究室の前に到着したオーダイルは、両手が塞がっている為、肘で不器用にノックした。
上手くノック音が鳴らないまま扉を開けると、新しいマウスを慣れた手付きで使用する主人がいた。
“御主人ー。”
「サンキュ。」
シルバーはパソコン画面から視線を外し、オーダイルが差し出した本を預かった。
するとオーダイルが首からぶら下げているリングノートを捲った。
リングに挟んでいたペンで空いているページに字を書いた。
ごはんのじかんだよ
「もうそんな時間か。」
左手首のポケナビは19時前を表示している。
シルバーは席を立ち、部屋の窓を開けた。
片手で空に向かって短く指笛を吹いた。
数秒待つと、海岸の方角からラティオスが現れた。
「夕食だ、皆を呼んでくれ。」
“分かった。”
ラティオスは旋回し、海岸へと向かった。
シルバーのポケモンたちは人のいない海岸で修行をしているが、オーダイルは基本的に主人と一緒に行動している。
シルバーとオーダイルが食事室に向かうと、ベランダの向こうでポケモンたちにポケモンフードを与えている助手の姿が見えた。
この研究所で働くたった一人の研究者で、住み込みで働く眼鏡の助手だ。
シルバーが此処でオーダイルを盗んだ当時から働いているが、現在のシルバーを悪く思っていない。
まるで過去のシルバーと現在のシルバーを別の人のように思っていた。
「ほーら、君たちもごはんだよ。」
シルバーのポケモンたちの皿にもポケモンフードを気前良く盛る姿は、ポケモン好きを窺わせる。
オーダイルは慌てて網戸を開け、外に飛び出した。
“俺もー!”
「君の分もちゃんとあるよ。」
シルバーの視線に気付いた眼鏡の助手はシルバーに手を振った。
目を瞬かせたシルバーは少し困惑しながらも笑顔を見せ、軽く会釈をした。
すると背後からウツギ博士の声がした。
「シルバー君、来たんだね。」
「はい。」
ウツギ博士はカレーの盛られた器を両手で危うげに持っている。
ドジという言葉が似合うウツギ博士ならひっくり返しかねない。
シルバーは若干血の気が引いたが、夕食の準備の手伝いを始めた。
既に置き場所を覚えたカトラリーケースを棚の引き出しから出し、ダイニングテーブルに置いた。
冷蔵庫から麦茶の入ったピッチャーを出し、ウツギ博士が用意したグラスに注いだ。
ふとした時、左手首のキーストーンが目に入った。
七色に煌めく不思議な石はダイゴからオーキド博士に渡った物だった。
―――キーストーンとメガストーンをくれた人の記憶を簡単に消したくないの。
ダイゴはこれらの貴重な石を所持し、更にオーキド博士に渡した。
デボンコーポレーションという一流企業の御曹司であるからこそなせる業だ。
オーキド博士なら解読可能だと信じたとしても、これらの石を渡したのは随分と大胆だと言える。
「シルバー君?」
「!」
ピッチャーを持ったまま静止していたシルバーは、はっと顔を上げた。
眼鏡の助手が何時の間にか部屋に戻り、椅子に座ろうとしていた。
「如何かした?」
「…いえ。」
シルバーは向かいの席に座ると、氷の入ったグラスの麦茶を飲んだ。
真夏の気温にバテそうになる心と身体に沁みる。
「君のポケモンたちは可愛いね。」
「ありがとうございます。」
網戸越しに見るポケモンたちは賑やかだ。
逸早く食べ終えたマニューラがラティオスのポケモンフードに手を出そうとしたが、オーダイルに首根っこを掴まれて阻止されている。
ウツギ博士が隣接している部屋のキッチンから出てきた時、眼鏡の助手は言った。
「此処の研究所出身のポケモンが進化して立派になっているのを見ると、誇らしくなるよ。
君のオーダイルが字を書けると聞いた時はびっくりしたなぁ。」
「半年以上練習していました。」
当時はペンの持ち方すらままならなかったが、毎日コツコツと努力していた。
オーキド研究所にあるシルバーの研究室には、オーダイルの漢字ドリルや自由帳が沢山ある。
この研究所に来てからも首にリングノートをぶら下げ、ウツギ博士たちとコミュニケーションを取っている。
「オーダイルがこんな風に俺の傍にいてくれるようになるとは思っていませんでした。」
シルバーがオーダイルに柔らかな視線を送る中、ウツギ博士と眼鏡の助手は目を合わせて微笑んだ。
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