過信


―――別れよう。


小夜の台詞にシルバーは目を見開き、何も答えなかった。
小夜は身体を震わせ、その瞳からは涙が零れ落ちている。
シルバーは状況を整理すべく、深く息を吐いた。

「大体の予想はつく。」

シルバーがベッドに腰を下ろすと、小夜は肩をビクッと震わせた。
自分でも驚く程に、シルバーは冷静だった。

「血飛沫は俺の物だったか。」

『っ…?!』

「別れよう、だと?

それで俺がはい分かりましたと簡単に納得するとでも?」

シルバーは小夜に再び手を伸ばした。
今回は振り払われる事なく、小夜の頬に添えられた。
その温かさが小夜の胸を締め付ける。

『……お願い、シルバー。

シルバーの為なの。』

「断る。」

するとノックもなしに扉が勢いよく開き、ポケモンたちが遅れて顔を出した。
鏡の破片が散らばる部屋に、先頭にいるエーフィとオーダイルが目を丸くした。
ポケモンたち全員が入ると、誰かが破片を踏んでしまう。
先頭にいる二匹は背後のポケモンたちから早く部屋に入るようにと急かされても、一歩踏み出すのを躊躇ってしまう。

“如何して小夜が泣いてるの…?”

エーフィは呟くように言葉を零した。
その背後にはバクフーンたちの姿がある。
シルバーは目を細め、抑揚のない声で言った。

「来るな。

俺と小夜だけで話す。」

“でも…!”

「隣の部屋に戻らずに庭へ出ていろ、全員だ。」

途端に厳しくなったシルバーの声は本気だ。
小夜は何も言わず、俯いたまま震えている。
これはただ事ではない。
だからこそこの場に留まりたかったが、オーダイルがポケモンたちを催促した。

“皆行こう、御主人の言う通りにするんだ。”

“でもオーダイル…!”

“二人に任せよう。”

エーフィは納得のいかない表情をしながらも渋々頷き、オーダイルが扉を閉めた。
静かになった部屋で、シルバーは小夜を見つめた。

「お前の予知夢の中で、俺は死んだのか?」

『分から…ない。』

「そうか。」

血飛沫が見えた処で予知夢から覚めてしまった。
シルバーは至って冷静だった。
今なら銀髪の彼の気持ちが分かる。
もし仮に死ぬとしても、小夜の為なら本望だ。

『お願い、もう…別れ…よう。』

「断る。」

小夜は瞳をぎゅっと瞑り、突如念力を発動した。
シルバーが目を見開いた時には、自分のリュックから果物用のナイフが飛び出していた。
小夜がそれを右手で掴んで自分の首元に刃を当てた。
一筋の赤い血が不気味に伝う。
シルバーは反射的に立ち上がるが、安易に小夜を止めようとするのは危険だ。
小夜は刃を一層食い込ませるだろう。

「っ…やめろ、小夜。」

『シルバーが死ぬかもしれないのなら、私が先に死ぬ。』

シルバーは痛い程に唇を噛んだ。
涙を零しながらもシルバーを睨む小夜は、肩が小刻みに震えていた。
沈黙が部屋を支配し、それは二人にとって妙に長く感じられた。
静かに響いたのはシルバーの声だった。

「……分かった、お前とは別れる。」

小夜は紫の瞳を見開き、自らの呼吸が止まったかのように錯覚した。
シルバーは小夜の瞳を見ないまま、小夜に背を向け、単調に言葉を続けた。

「荷物を纏めて明日に此処を発つ。

今日だけは俺のポケモンたちに別れを惜しむ時間をやってくれ。」

シルバーが行ってしまう。
本当に、本当に行ってしまう。
無意識にベッドから降りて手を伸ばし、シルバーの服の裾を掴んだ。
その瞬間、素早く振り返ったシルバーは小夜の左手首を掴み、更にナイフごと右手を掴んだ。
不意を打たれた小夜は勢いのままベッドに押し倒された。

『……っ…シルバー…。』

刃はシルバーの左掌を貫通し、その取っ手部分が小夜の指の間を抜けてベッドに沈んでいる。
小夜の指を傷付けないように、シルバーは刃を奥まで貫通させていた。

「捕まえた。」

激痛に顔を顰めながらも、シルバーは口角を上げていた。
小夜はただシルバーを見つめるしか出来なかった。
シルバーの血は徐々にベッドに染み込み、拡がっていく。

「俺は死なない。」

『如何して…そう言い切れるの…?』

「あいつからお前を託されたからだ。」


―――もし私に何かあった時、君は小夜を守れますか?


「お前を遺して死んだりしない。

あいつが死んだ時と同じ哀しみをお前に突き付けたりしない。」

あいつなら同じ事を言うだろう。
お前は小夜を遺して死ぬな、と。

『でも私はシルバーを…。』

殺してしまうかもしれないのに。
何故別れたいと思わないのだろうか。
振り回されるのはうんざりだとは思わないのだろうか。

「俺が嫌いか?」

『……そんな訳ない。』

「なら、もう別れようだなんて言うな。」

小夜は瞳を固く瞑り、一度だけしっかりと頷いた。
するとシルバーが小さく呻き声を上げ、身体を起こした。
出血が止まらない左手からナイフを思い切って引き抜き、ベッド脇に力なく投げ捨てた。
小夜が納得した事で一先ず安心したが、一気に痛みが襲った。

「…っ…。」

小夜は途端に起き上がり、シルバーの左手に両手を翳した。
青く優しい光が現れ、シルバーの傷口を急速に癒していく。

『もう、馬鹿なんだから…!』

シルバーの傷を早く治療しなかった自分も馬鹿だ。
小夜が首元にナイフの刃を当てるのを掌に突き刺してまで制したシルバーも馬鹿だ。
傷と痛みが完全に消えると、シルバーは肩の力を抜いた。
癒しの波導の能力には驚かされるばかりだ。

「悪いな…。」

起き上がった際に肘まで血が伝い、両手も真っ赤だ。
白いベッドも赤く染まってしまい、洗濯が大仕事になるだろう。

「お前も首元の傷を消せ。」

『うん。』

小夜は自分の首元に手を当て、再び癒しの波導を使用した。
浅い傷口が簡単に塞がると、シルバーに抱き着き、シルバーの両手は置き場に迷った。

『抱き締めて。』

「手の血が……って、おい…!」

小夜の念力によってシルバーの両腕が小夜の背に回された。
小夜の寝間着に血がべっとりと付着してしまった。
シルバーは文句を言おうと口を開こうとしたが、先に小夜が呟いた。

『怖いよ、もしかしたら私が…シルバーを…』

「何となく予想していた結果だ。」

『予想…?』

「俺ならお前を止めようとするだろうからな。」

小夜がロケット団員をナイフで刺そうとするのを見たなら、確実に止めに入る。
たとえそれが危険だと分かっていたとしても。

「俺は死なない。

訳の分からない自信だがな。」





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