初めての感情

生徒会の仕事が終わると、不二と俺は其々の部室のロッカーを借りてジャージに着替えた。
お互いにレギュラージャージだった。
不二も既にレギュラーの座を手にしていたのだ。

「待たせたな。」

不二は既に門の前で待っていた。
俺を待たせない為に急いで着替えたのだろうか。
不二は俺を見つけると、無垢な微笑みを向けた。

『それじゃあ行きましょうか。』

不二はテニスコートのある公園を知っているらしく、穴場だという。
もう夜の7時を過ぎているし、テニスコートはきっと空いているだろう。

『お兄ちゃんは何時も部活ではどんな感じなんですか?』

「そうだな……落ち着いていて、物腰が柔らかい。」

『何時もにこにこしてますしね。』

隣同士で歩きながら、不二は笑っていた。
しかし、それは何処かぎこちない。
前々からそうだが、不二は俺との会話の時に限って、妙に身体が硬くなっているように思う。
生徒会に所属する3年生の男子には普通に接しているというのに。
それに、生徒会室では何時も俺から離れた席に座る。
俺は嫌われているのか、もしくな苦手意識を持たれているのかもしれない。
それでも試合を申し込んだのは、日本の女子ジュニアテニス界の頂点に立つ不二の実力を体感したかったからだ。
それに、もう少し不二と話してみたいという不思議な興味があった。

「逆に聞くが、お前の兄は家でどのように過ごしている?」

『朝に弱いんですよ。

でもにこにこしてます。』

「怒ったりもしないのか。」

『はい、滅多に。』

話すのが得意ではない俺が上手く話せている。
不二の前では自然と話せるのだ。
それを不二は分かる筈もない。

『着きましたよ。』

テニスをするにしては少ない外灯だが、充分だろう。
木々に深く囲まれた公園は人通りが少なく、確かに穴場だ。
土で出来ているクレイコートは雑草もなく整備されている。
コート自体が試合に支障をきたす事はなさそうだ。
俺たちはペンキ塗りの長椅子にテニスバッグを降ろし、中からラケットを取り出した。
俺は持参しているボールを3つ手に取った。

「3つしかないが…。」

『充分です。』

試合開始時のサーブ権は不二に譲った。
ボールの内の2つを不二に渡し、1つは俺がポケットに入れた。
何故かボールを渡す時、不二は身体を硬くして素早く背を向けた。

『っ…!』

こうやって接近する度にこの反応だ。
もしかすると、俺に対する拒絶反応なのかもしれない。
胸に燻る何かを振り払い、コートに立った。
その間に不二は白の柔らかそうなシュシュで髪を纏め、高めに結い上げた。
普段は見せない髪型をする不二に、不意に心臓が一度だけ大きく鳴った。
この不思議な感情は何だろうか。
不二は生徒会長である俺との試合に緊張しているようで、ラケットを胸に抱えて俯いていた。

「もう夜遅い。

4ゲーム先取制で構わないか?」

『は、はい。』

不二もコートに入り、ベースラインに立った。
あんなに緊張していたら、試合になるだろうか。
その心配は一気に掻き消された。
ボールを地面に二度バウンドさせた不二は、ゆっくりと顔を上げ、俺の目を見た。
先程とは別人のように切り替わり、完全に試合の顔になっていた。
全日本女子ジュニアの優勝者の風格が溢れ出ている。
その真剣な目に捉えられ、俺の身が引き締まった。

『言っておきますけど。』

ぎこちなかった時とは全く違う声。
自らのテニスの腕に対して自信に溢れた声。

『負ける気はありませんよ。』

「望むところだ。」

あの表情は兄の不二周助に似ているように感じた。
試合の時に見せる別の顔。
鋭くなる目付き。
相手が女子だとはいえ、簡単には勝たせて貰えなさそうだ。
不二がボールを高々と投げ、試合が始まった。





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