3.



 あの後、私は逃げた。
 彼の質問に答えることも、拒絶することもなく。
 力を込めて引いた手はかんたんに振りほどけて、呆気にとられそうになった私を動かしたのは、彼の目だった。
 彼の目はとろりと優しくて、靴を拾い上げて昇降口を飛び出しざまに見た顔は、とても切なげで、もう何をどう言い表せばいいのか分からない。
 ただひとつ言えるのは、その日から彼は私に事あるごとに構うようになった。

「ご飯食べよう」

 例の彼女との別れ方が別れ方だったから、クラスメイトからの視線は好奇に満ち溢れていたし、ご本人と学校ですれ違った時には恨みがましい目で見られたりもして、随分こちらも居心地が悪くなったけれど、幸い友達はいつも通りに振舞ってくれていた。
 それなのにそんなふうに誘ってくるのは一体どういうことなのか。
「昨日のことが嘘のように」なんてことはなく、あのとろりとした目で時折見つめて、いろいろと予定を持って私のところへ来る。
 そんなことが数週間続いて、私はあの日の質問に時折記憶の中で揺さぶられながら、黙って彼に付き合った。

「ねえ」

 不満げな声が上がったのはバレンタインデーを過ぎたある日だった。

「チョコ貰ってないんだけど」

 放課後。今度は偶然ではなくて、帰る約束を取り付けられた昇降口。
 神妙な面持ちの彼が発した言葉に思わず「ははっ」とどこかのネズミのキャラクターみたいな笑い声が口から飛び出した。



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