アノヒトの花
どうして花を咲かせてるの?
「咲かせてなんてないわ。咲いているの」
勝手に咲いたの?
「薔薇はいきなり咲いたりしないわ」
じゃあ、どうして咲いたの?
「……さあ」
小学生の頃に通いつめた彼女の居場所では、毎日のように僕は彼女に問い続けていた。
今とは違い、まるで生きている人間みたいに、はきはきと答えて、表情もくるくると変える彼女に、僕は親戚の姉にでも接しているかのような感覚すら覚え始めていて……。
気づけば、彼女に対してある意味無遠慮になっていた。
今なら分かる。
『何故花は咲いたのか?』
その問いを投げ掛けた時、彼女は困ったような顔をしていたと思い込んでいたけど、それは違ったんだ。
「きょう、も来たのね。カズミ」
日が沈む間際。
ベランダがある側の外壁が赤く染まって、一際薔薇が色濃くなる時間。
僕は廃墟になったマンションの階段下に自転車を置き、例の部屋の敷居を跨いだ。
今日は彼女は、居間の中心にしゃがみ込んでいて、僕の方を見向きもしないでそう口にして、じっと畳の一部を凝視していた。
僕もつられてそこを見れば、何かがぶちまけられたように黒く染まった、ボロボロの畳がそこにあるだけ。
いや、正確に言えばそのボロさは、年月の為ではなくて、何かが引っ掻いたような跡と、何かが突き立てられたような跡とでめちゃくちゃにされていたものだった。
それが、大きなシミの両側に幾つもある。
「最近いつもそれ見てるよね」
未だしゃがんだままの彼女の背中に近寄って、ひょいっと畳を覗いて言うと、微かに彼女が頷いた。
「わたしのあかしなの」
「証?」
「わたし、が、生きた、あかし」
彼女の表情は伺えない。
だけど、言葉のひとつひとつにノイズが入る。
彼女の感情が高ぶると、決まってこうなるんだ。
何故か。
それを僕は、まだ聞けずにいる。
「……君って生きてる頃、どんなだったんだろうね」
なんとなく沸いた疑問をそのまま口にすると、彼女が顔を上げ、僕を見た。
「どうしてそんなこときになるの」
「だって、死んでる君にしか会ったことないから。生きてる時ってきっと、今よりずっと綺麗なんでしょ?」
彼女は黙り込んだ。
なんだか口説き文句みたいになったけど、正直な気持ちなんだからしょうがない。
人形みたいにぴくりとも動かない彼女の表情を見つめ続けていると、上向いたままで彼女は、少しだけ口を開いた。
「……今、カズミ、生意気よね」
「え?」
「ずっときてくれなかったくせに」
開いた唇がまた閉じる。
だけど、無表情ではなかった。
責めるような台詞とは対照的に、微かに唇をしならせて、優しい目をしたのだ。
こんな彼女を見るのはいつぶりだろう。
呆気にとられていると、彼女はそのままの顔で続けた。
「カズミは小さ、かったわね。初めて、会ってからしばらく、ずっと、ここへ来てくれていた。けれど長、い間。何時からか……もう、私は、時間なんて分からない、から。感じないから。曖昧だけれど、何年も、来て、くれなかったでしょう。どうしていま、きてくれるの」
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