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すぐには答えられなかった。
真っすぐで虚ろな彼女の澄んだ瞳の前で、嘘を言ってもしょうがないとは思ってる。
だけど……。ああ。
僕はきっと彼女を恐れてる。
僕の答えによっては彼女は彼女ではなくなって、僕の知らない顔で襲い掛かってくるんじゃないだろうか?
そうなったら僕はどうなるんだろう?
どうすればいいんだろう?
彼女は、どうなるんだろう。
また永い時の中を、誰にも気づかれないままに過ごして、ずっとあのベランダの花が枯れるのを待ち続けるんだろうか?
たった独りで。
「君が好きだからじゃない?」
そこまで考えて納得した。
僕は、僕の次の言葉を待って見上げてくる彼女に、単純な答えを差し出す。
僕の視線は、彼女の唇の奥に釘付けになって動かない。
だけど気持ちは穏やかだった。
牙でも生えて、喉笛をかみちぎるだろうか?
だけど彼女はなんとなく、そんな場合でも楽に僕を殺してくれそうだ。
漠然と、そう思って。
だけど今度は彼女が黙ってしまった。
笑顔はとうに引っ込んで、表情が読めなくなってる。
半開きだった唇も閉じてしまって、ゼンマイが止まった時計のように動かなくなって、身じろぎもしない。
いつしか夕日も山の向こうに沈んで、赤から白へ、白から黒へと空は移り変わっていた。
「わ、たしはきらいよ」
長い沈黙を静かに裂いて、彼女はノイズ混じりにそう言った。
僕の時が止まる。
けれど彼女の唇は次の言葉を紡いでいた。
「カズミ、はウソをついて、る。そんなカズミが、だいきらい。ただのこう、きしんで、ここへきているだけの、くせに」
「ちが……っ」
「ウソ。かわいそうな、ひとが、ユウレイ、になってここにいるから、たまたまカズミが、わたしがみえるから、ひまつぶしと、はなし、のネタに、きているだけでしょ――私ガ何モシナイト思ッて」
何も聞いてくれない。
そして、ノイズだらけだった彼女の言葉は最後、嫌にはっきりとしていた。
僕は誤解を解くことも出来ないまま、彼女がゆらりと立ち上がる。
ふいに上向いたまま近づいた彼女の顔に、咄嗟に身を引くと、ぐりんと彼女は身を翻して、立ち尽くした僕と向き合った。
「……。でていってちょうだい」
彼女が言う。
「もうこないで」
どんどんその姿を、闇に溶け込ませて。
そうして、濁りのない冷ややかな声で、言い残した。
――次にきたら、そのときは、ころしてやるから。
冷たい風が、開け放された窓から強く吹き込む。
空では星屑の海の中に丸い月がひとつ、浮かんでいた。
アノヒトの花を、照らして。
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