5.


 呟いてからすぐに、切る前に言えばよかったと思って、同時に、言わなくてよかったと思い直した。

 きっと、今はいいんだろう。
 このまま誤魔化していいんだ。
 よく分からない不安を、わたしが抱えていることは十分わかった。
 ただ、それと向き合うだけの勇気は、今のわたしの手持ちには殆どない。
 明日のわたしか、そのまた先のわたしが、持っているんだろう。

 ざーっと日常の記憶が、香りまでもを再現して、わたしの頭に蘇る。


 気づかないで。
 ほっとかないで、触らないで。
 寂しい。

 ひねくれた感情が、ちいさく過去の景色に広がる。
 だけど、重苦しさはない。
 だだっ広い草原の真ん中にいるような、そんな清々しさがある。

 わたしはそっと口元を緩めると、ゆっくりと立ち上がって、自室を出た。







「なあー、咲いた?」


 日が沈みはじめるまで、あと少し。
 そんな頃に、わたしはまたいつもの電車の中で、いつか聞いたようなセリフを耳にした。


「んー、うん」

 向かい側のシート席には、いつかの猿人。
 てっきり馬鹿笑いかなにかを返すと思っていると、相手はあっさりこう口にした。
 問いかけた本人はぽかんとして、間を空ける。


「……。どうだった?」

「渇いた、水ちょうだい、つってた」


 素っ気ないような色を振りまいて、それでもそっと尋ねる。
 相手はそれでもすっと答えた。
 そして、例の如くわたしがこっそりと一瞥すると、やはりいつかのように、わしゃわしゃと髪の毛を弄り回していて、さらに意外にも話を続ける。


「なんかさー、たぶん人肌恋しかったんだって。ヤラシー意味じゃなくて、なんかさ、わかる? 人肌恋しいカンジ」

「……」


 黙り込んだその人に、彼女は決まり悪そうに手を止めると、またわしゃわしゃ始める。


「いや、やっぱやらしかったのかも。満たされないーっとかいう」

「この後、一緒になんか食べねえ?」

「へ!?」


 急な申し出に驚いたのは、本人だけじゃない。
 わたしは漁りすぎて、挙動不審になりかけた自分の行動をゆるゆるとやめて、車窓の外を見ることにする。
 彼女は言った。

「ウチのキューティクルが寂しがってるから、なんか食べよう。それぞれ自腹で」


 ふざけたような申し出に、相手は以前のバカ笑いも引っ込めて、小さく返した。


 ツキミズ草。
 心の底の声を汲み上げて、ほろりと零すちいはな草花。
 あれからこころなしか、外は眩しくて、息をしやすくなった。
 きっかけのそれはもう、市場に出回ることはなくなりそうで、寂しいようなそうじゃないような、複雑な気分でニュースを毎日目にする。

 だけど、うん。
 わたしはきっとそうならなくても、もうその不思議な草花に、お目にかかることはない。



 さようなら。

 今日も空は、きれいに燃えている。
 そしてこの空の下、また咲いているんだろう。

 さようなら。
 ああ、さようなら。






2014/06/29 了




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