こんなの友達じゃない 「あらァ?百瀬ちゃんったら、また寝不足?」 「…う、うん…」 私の顔を見た嵐ちゃんは口元に手を当てて、驚いた表情で私を凝視した。それから私の頬を両手で包み込み、何かを確認するように触る。 「目が少し充血してるわね…」 「…あとで目薬ささなきゃ…」 「転校してきたばかりで大変かもしれないけど…、困ったことがあったら、何でもお姉ちゃんに聞きなさい!百瀬ちゃんのためなら、相談だって乗るからね」 嵐ちゃんが良い人だと再確認出来た。お姉ちゃんという言葉に引っかかり、お兄ちゃんではないのかという突っ込みをするのは野暮だろう。嵐ちゃんも私のことを本当の妹のようにしてくれているのだ。 「それからお友達としても、これから仲良くしてほしいわぁ」 友達という言葉に、つい顔がにやけてしまう。そんな私を見て嵐ちゃんは「分かりやすい子ね」と私の頭を優しく撫でた。 「それにあたし、あなたに期待してるのよ。この学院を変えてくれるんじゃないかって」 「……?」 「うふふ、こんなこと、今のあなたに言っても全く分からないわよね。今の、忘れてちょうだい?」 「あ…う、うん…?」 言っている言葉の意味が、そのときはよくわからなかった。首を傾げる私に対し、嵐ちゃんは困ったような笑みを浮かべる。そしてその話を端から聞いていた衣更君は、何やら難しい顔をしていて。 「衣更君…?」 「…………」 「……真緒くーん」 「…え、え?は!?」 「あはは、やっと気づいた。どうしたの?私みたいに寝不足か何か?」 「ち、違ぇよ。それより今…」 衣更君が何か言いかけたところで予鈴がなった。そのせいで衣更君は行き詰まる。鳴り終わったところで聞き直すと、彼はため息をついてなんでもないと答えた。今度また名前で呼んだら驚くかな。今は保留ってことにしておこう。 * 「ふわ、ぁ〜…授業中はなんとか寝なかったけど…」 眠気でまぶたが物凄く重たい。今日は早く帰って寝よう。ふらふらとした足取りで廊下を歩いていると、廊下を曲がった先で、誰かがキョロキョロと辺りを見回しているのを見つけた。 あれは、確か。 「えっと…伏見くん?」 「おや、連星さま。今日はもうお帰りに?」 「うん。伏見くんは、もしかして誰か探してるの?」 「ええ…そうなのです。これがなかなか見つからず…それで、もし見かけたらでいいので、私が探しているということを伝えてはくれませんか?」 「いいよ、誰を探してるの?」 伏見くんが探しているという人物というのが一年生の子らしく、伏見くんのご主人様だそうな。桃色の髪をした、可愛らしい男の子。「姫宮桃李」という子。生徒会の仕事があるというのに姿をくらましてしまった、世話が焼けると伏見くんは愚痴っていた。 そんな彼に、私は思わず笑みが零れる。 「分かった。じゃあ見かけたら声かけとくね」 「連星さまの手を煩わせるのは大変心苦しいのですが…申し訳ありません」 「気にしないでいいよ。伏見くん、私が院内で迷ってた時助けてくれたし、お互い様」 そう、衣更くんの力を借りず1人で出歩こうと思ったのだが案の定迷ってしまったところを、伏見くんに助けられたのだ。それに比べたら安い仕事である。 私の言葉に安心したのか、伏見くんは微笑んでお礼を告げた。 頼まれたからには、出来れば見つけたい。そう思って一年生の教室の辺りをウロウロするが、それらしき人物は見あたらなかった。 場所を移し、人影を気にかけながら歩いていると、どこからかピアノの音が聞こえた。気がつけばその音に引き寄せられるかのように歩いていく。 そしてたどり着いた場所は音楽室。閉じられたらドアの向こうから、確かにピアノの音が聞こえた。 (……ピアノ…弾ける人いるんだ…。綺麗……) そんな事を考えながら音楽室の壁にもたれ掛かる。段々うとうとしてきて、私はその場にうずくまってその音を聞いていた。幸いこの時間帯は人が通ることも少ない。少しくらい、眠っても大丈夫。目を閉じ、真っ暗になった視界の中、私はピアノの音に耳を傾けながら、ゆっくりと眠りについた。 「……ねぇ」 「………」 「もしかして寝てんの?はぁ…面倒くさいなぁ。ちょっと、そろそろ起きてくんない?」 体を大きく揺すられ、唸り声を上げながらゆっくりと目を開ける。そこには朔間君がこちらを見下ろしていて、ぽかんと口を開けたまま見上げた。 「あれ…朔間君…?」 名前を呼ぶと、彼はほんの少しだけ顔を顰めたが、それも一瞬で朔間くんは小さくため息をつく。 「…やっと起きた。もうとっくの昔に帰ってもいいはずだけど」 「…え、私もしかして寝てた?」 頷く朔間くんに頭を抱えた。学校で、しかも人通りが少ないとはいえ、こんな所で眠ってしまうなんて。しかもそれをクラスメイトに見られてしまった。恥ずかしくて今なら死ねそう。 「で、なんでここで寝てたの?趣味?」 「そ、そんな趣味ないよ、朔間君じゃあるまいし。…ピアノの音が聞こえて寄ってみたら、うとうとしちゃって。それで寝ちゃったみたい…」 「…ふぅん」 欠伸をしてからそう答えると、朔間君は興味なさげに呟いた。そういえば、朔間君はどうしてこんな所にいるんだろう。疑問に思って尋ねようとしたら、先に朔間君の方が口を開いた。 「ピアノ弾いてたの、俺だから」 「え?」 「なんでここにいるのって顔してる」 考えていたことが筒抜けであったことも驚きだが、ピアノを弾いていた人物が朔間君であったことにもっと驚いた。弾いているのを邪魔するのも悪いと思って教室に入らずに居たのだけど、朔間君は私が居たことには気づいていたみたいだ。 「朔間君ピアノ弾けたんだ…」 「へぇ、俺が弾いてたって信じられない?」 「…いや、結構似合ってるかも」 朔間君がピアノを弾く姿を想像して、私は擦っていた目を彼に向けてそう答えた。むしろ彼の長い指は、私と違ってピアノを弾くのに向いていそうだ。そう思いながら私は自分の指に視線を落とす。やっぱり彼と違ってピアノに向いてない。 「弾きたいの?」 「…え」 「ピアノ、弾きたいんだ」 「ちょ、ちょっと…朔間君?」 衣更君から聞いた話では、朔間君は昼間はずっと寝ているとのこと。外を見るともう日も暮れて太陽が沈んでいた。眠気もとれているせいか、どこか嬉しそうな彼は私を音楽室へと押し込んだ。昨日のこともあって、正直2人きりになるのは嫌なんだけれど。 怪訝そうに顔をしかめる私なんて気にもとめず、朔間君は椅子に座る。それまでの行動をじっと見ていると、「何突っ立ってんの」と手招きしたあと、1人分空いた椅子をポンポンと叩いた。 座れ、と言っているのだろうか。間違った解釈だったらどうしよう、と不安に感じながらゆっくりと近づき、恐る恐る腰を下ろす。 「俺が教えてあげるよ、ピアノの弾き方」 「…朔間くんが?」 「うん。日も沈んできたし、最近はま〜くんがあんたのことばっか気にかけてるから、安眠妨害されずに済んで眠くないし…♪」 彼がま〜くんと呼んでいるのは衣更くんの事だったようで、朔間くんと衣更くんは世間で言う「幼なじみ」という関係らしい。前は衣更くんが寝ている朔間くんを起こしていたみたいだけど、今は生徒会のことや私のこともあり、そこまで手が回らないようだ。なんだか少し、申し訳ない。 「普段ならこんなことしないけど、あんたの血甘くて美味しいから」 思い出したくない記憶を無理やり引っ張り出されてしまった。緩くほほえむ彼に対し、私は冷や汗を流すことしかできない。普通、人間って血を好んで飲まないよね? 悶々と悩みながらピアノの鍵盤に指を滑らせる彼の手を見ていると、私の考えている事が分かったのか「俺吸血鬼だから」なんて非現実的な解答をぶつけてきた。 「ちょっと、何逃げようとしてんの。せっかく人が教えてあげようとしてるのに」 そりゃ逃げたくもなるだろう。また血を吸われるかもしれないというのに、大人しくしていられるわけがない。しかし朔間くんは、椅子から立ち上がろうとした私の腕を、演奏を止めてがっしりと掴んで離してくれなかった。 「別に今は喉渇いてないし、無闇やたらに血は求めないよ」 その言葉はとてもじゃないが嘘には聞こえなかった。ふいに昨日衣更くんが、悪気はないと言っていたのを思い出した。 すとん、と朔間くんの隣に腰をおろすと、あれだけ強引に私の体を引っ張っていた朔間くんは拍子抜けしたみたいに手を離した。 「…なに急に。俺のこと信じるの?」 「衣更くんに、「悪気はないから仲良くしてやって」って言われたから」 「なぁんだ。ま〜くんに言われたから仲良くしようって?俺そういうの好きじゃないんだけど。嫌なら嫌って言えば?」 「……本当に嫌なことは、誰に言われてもしないよ」 朔間くんの棘のある言い方に、私は拗ねるように視線を逸らしてもごもごと言った。それは朔間くんの耳にしっかりと届いてたみたいで、朔間くんは「それ、どういう意味?」と首を傾げる。 「……初対面でいきなり血舐められたらそりゃ怖いけど、でもやっぱり、同じクラスだし。衣更くんに言われたのもあるけど、私は自分が仲良くなりたいって思ったから、そうしてるだけで……」 後半から段々恥ずかしくなって声が少しずつ小さくなっていく。縮こまった私に対して、朔間くんは再び鍵盤を叩いた。その対応に更なる羞恥心が私に襲いかかってきた。こんな事になるなら、さっさと帰れば良かった。 「あの、朔間くん。やっぱり、」 「…それ止めて」 「……それ?」 「名字で呼ばれるの、嫌なんだよね」 ああ、だから私が名前を呼ぶとき、不快そうだったのか。ごめんと謝ってそれから改めて「凛月くん」と名前を呼ぶ。私の呼び声に、彼の横顔が少しだけ、綻んだ気がした。 「ねぇ、俺と仲良くなりたいんでしょ?」 「えっ…う、うん。まぁ」 「俺正直馴れ合いは好きじゃないし、1人の方が楽なんだけど…あんたの血美味しいし、うるさくもないから『友達』になってあげてもいいよ〜」 あからさまな上から目線だったけれど、この学院に来てから友達のいない心細さを感じていた私にとっては、それは魅惑的だった。何か少し引っ掛かることを言われた気もするけど、もはやそれすらも気にならなかった。 「ありがとう。嬉しい」 つい顔を緩ませると、凛月くんは目を丸くして私のことを見つめた。その視線がなかなかくすぐったくて、少しだけ視線を下へと向ける。 「…ふふふ。ま〜くんの反応が楽しみだなぁ」 「? …なんで衣更くん?」 「内緒。それより今はこっちね」 そういえば、凛月くんにピアノを教えてもらうためにここにいるんだった。途中からすっかりそのことを忘れてしまっていた。 こうして楽器に触れるのは、いつぶりだろうか。音楽の才能なんて持っていない私からすれば、ピアノが弾けるようになるなんて、奇跡に近いのだけれど。 「へぇ、結構センスあるよ、百瀬」 褒められただけで、名前を呼ばれただけで浮かれるなんて、本当に私という人間は単純だ。 次の日は、今までより幾分か寝覚めが良かった。隈もないし、顔色も良好。良いことがあったおかげか、不安も薄れてよく眠れたのだ。嵐ちゃんも安心してくれたみたいだし、本当に良かった。 そのことをガーデンスペースの木陰で眠る凛月くんに伝えると、目を閉じていた彼がぽつりぽつりと眠たげに話し始めた。 「俺のこと見習ってもっと寝ればいいよ。寝不足だと血も美味しくないし…」 「また血…?私、凛月くんの食料じゃないんだけど」 「分かってるよ。友達でしょ?」 俺たち仲良しだもんねぇ、とまるで子供に言い聞かせる様な言い方に、私は眉をひそめた。 「おーい凛月〜……って、あれ?なんでお前もここに?」 「あ…いや、ちょっとね」 声をかけてきたのは衣更くんで、彼は私と凛月くんが一緒にいることにとても驚いているようだった。凛月くんの横で立て膝をついていた私は衣更くんに駆け寄ろうとしたが、何かが腰に巻きついて座り込んでしまい、それは叶わなかった。 「…は。……お、おい凛月」 「ま〜くん聞いて。俺たちね、『友達』になったんだよ」 腰に巻きついてきたのは凛月くんの腕で、状況がうまく把握出来ていない頭を凛月くんの方に向けると、彼はとても柔い笑みを浮かべていた。その笑みは、まるで何かを企んでいるようで。 「凛月の口から友達なんて言葉が出てきたことに驚いたぞ…?」 「俺、そういう馴れ合い嫌いだからねぇ。でもま〜くん知らないでしょ。 百瀬の血、すごく美味しいんだよ」 私の手を取り口元に寄せた凛月くんのその一言に、空気が凍りついた気がした。衣更くんを見上げてみると、彼は真っ青な顔をしてわなわなと震えている。それは怒りからの震えだったようで、衣更くんは「お前なんてことしてんだよ!」と凛月くんを怒鳴りつけた。 「おい、今すぐ凛月から離れろ!」 「ええっ…」 「何言ってるのま〜くん。誘ったのは百瀬の方だよ」 「はあ!?」 「その言い方誤解招くから止めて、凛月くん!」 もうやめてくれと懇願するように叫んだ私に、凛月くんは私を見上げ、衣更くんは再び硬直した。その反応を不思議に思い、衣更くんに声をかけると、衣更くんははっと我に返った。 しかし、凛月くんの顔を見た途端目つきが変わる。凛月くんを見てみると、彼はまるで勝ち誇ったかのような、得意げな笑みを浮かべていたのだ。 「ふふふ。ま〜くんのそんな顔見るの、初めてかも」 「え…?」 「な、に言ってんだよ!ほら、2人とも教室戻るぞ!!」 ぐっと私の腕を掴んで立ち上がらせて歩き出した衣更くんに、半ば引きずられる形で私はついていった。私の腰から腕を離した凛月くんも渋々ついてくる。 けれど教室に着くまで間、私のブレザーの裾を握っていて離すことはなかった。 prev next |