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『ヒーロー』、さんじょう

【DDD】開催宣言の翌日。

「またですか……しかも朝に……」
「ごめんね。昨日話そうと思ってたのに、すっかり忘れていたよ」

登校時。門から受け付けを通ったところで、なんと会長さんに待ち伏せされていた。ガーデンテラスに招かれ、会長さんが淹れてくれた紅茶を仕方なく呑むことにする。

「僕はね、君のことも勧誘しようと思ってたんだ」
「………はい?」
「ふふ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔だ」

言っている意味が、よく分からないのだが。
ぽかんと口を開けたまま呆然としている私に、会長さんはくすくす笑い、それから私を引き戻すかのように、私の手に触れた。
その行動に、私は過剰に反応してしまう。

「君には、『fine』の専属になってもらいたい」
「…何、言って……私は、ド素人なんですよ?」
「そうだね。君はまだプロデューサーとして出来ることは少ないけれど…でも、一緒に育っていけばいいさ。僕らもまだ完成形じゃないんだ」

両手で私の手を包み込んで、祈るように握りしめる。そんなことをされても、そう簡単に「わかりました」と頷くことなんて出来ない。

「それに、君の作曲の才能は、僕らが最大限に生かすよ。彼らに変わってね」
「私は別に……そんなこと望んでいません」
「だろうね。でも僕は…君のような才能を埋もれさせるのは、歯痒いんだよ」

それは、『Trickstar』もみんなも同じだ。彼らには人を惹きつける魅力が、才能がある。私の力は、彼らのために使いたい。その気持ちは、捨てられない。捨てたくない。

「『Trickstar』に拘る理由が分からないね。なにより君は、アイドルが嫌いだっただろう」

その一言に、胃液が逆流するような吐き気を覚えた。
まるで、この間までの夢心地だった思い出を、全て打ち砕くような、そんな痛みが、つついてくる。

「会長さんの言うとおりなら…私はあなたが憎くてたまらないはずです。そんな人間を、引き込むなんて…」
「うん。たしかにハイリスクだね。君って何をしでかすか分からないから」

遠くで、予鈴がなる。授業が始まってしまうから、帰らないといけないのに、今は全くその気分にはなれなかった。

「今すぐにとは言わないけれど、出来れば早めに答えがほしいな。そうでなければ、あらゆる手段を使って、君を手に入れることになる」
「…どうして…」
「どうして?単純な話だよ。千載一遇のチャンス、君はまさしく『奇跡』そのものさ。また同じ場所で巡り会えたんだ。これを運命と呼ばずしてなんと言う?」
「私が……専属になれないと言ったら?」
「そのときは、それなりの処置は取るよ。まあ『Trickstar』の解散は、まず避けられないだろうね。君の周りの人間を、少しずつ排除していくことになる」

つまり、それは、『Trickstar』のみんなを人質にしていると思えということだろうか。『Trickstar』だけじゃなくて、他の、みんなも。

「誤解しないでほしいのは、僕は君を苦しめたいわけじゃないんだ。百瀬ちゃんのことは、結構好きだからね。好きな子と同じ時間を共にしたいと思うのは、おかしなことかい?」
「……私が『fine』の専属になれば、満足ですか?」
「それは君の返答次第さ。それじゃあ、いい返事を期待しているよ」

椅子から立ち上がり、優雅に去っていった会長さんに、私は凍りついたかのように動けずにいた。

どれほど時間が経ったかは分からないけど、テーブルの上の紅茶がずいぶん冷め切ってしまっている。私はそれをのそのそと片づけ始めた。
正直、今教室に戻ったとして、真緒くんに顔を合わせずらい。困ったな、と思いながら、カップを洗って元の場所に返していると、ソファのところに誰かが寝そべっていることに気がついた。

「……凛月くん?」
「ん〜…?あれ、百瀬じゃん。エッちゃんの声がしてたと思うんだけど〜……?」
「…話、聞いてた?」
「全然。興味なかったしねぇ…」

そう言って大きく欠伸をした凛月くんに、私は小さくため息をうついた。なんだか人に聞かれるのは少しいたたまれなかったから。

「でも凛月くん。授業には出といた方がいいよ。また留年しちゃうよ。ほら、一緒に行こう?」
「ええ〜やだよ。今百瀬と行動すると人ごみに巻き込まれる」
「う〜ん。確かにそうかも…。それじゃあ、私は先に行くよ。後でちゃんと来なよ〜?」

嫌がる凛月くんに苦笑いを浮かべながら、ガーデンテラスを出て行く。そんな私の後ろ姿を、凛月くんが見つめていたことなんて知らず、重たい足取りで教室へと向かった。

 *

「……なあ、会長の話、考えたか?」

放課後。私が教室へやってきてから、会話を交わさなかった真緒くんが、そう問いかけてきた。

「…真緒くんは?『Trickstar』を抜けるの…?」
「…まあ、そっちの方が現実的なんだけどな。お前は?会長に、専属になれって誘われたんだろ」

真緒くんは生徒会だし、その件の話は伝わっていてもおかしくはないけど、少し早すぎはしないだろうか。彼の一言一言にドギマギしながら、私は小さく頷いた。

「でも…どうすればいいのか、分からない…全然…」
「…おまえが『fine』の専属になるのなら…俺は応援するよ。むしろ、そっちの方がおまえのためになる。夢ノ咲だけじゃなく、色んなところでおまえの曲が評価される。仲間として、友達として、喜ばしいことだ」
「…真緒くん…」
「選ぶのはお前だ。俺じゃない。でもおまえがたとえ『fine』の専属になったとしても、誰もおまえを非難することなんてないぞ。だから……」

真緒くんの言葉を遮って、私は椅子から立ち上がる。
私は別に、作曲家として有名になりたいわけじゃない。プロデューサーとしての価値を、見出されたいわけじゃない。

「……私は…『Trickstar』だから、曲を書いたんだよ……」

愚痴るように、ぽつりと呟いた言葉は、クラスのざわめきによってかき消された。鞄を持って、私は教室を出て行く。
真緒くんは、たぶん『紅月』を選ぶ。その方が賢明だ。それを引き止めることはしたくないが。

本音を言えば、行ってほしくない。

でもそれは、私のわがままだ。だからせめて、笑って、「頑張れ」と言えるまでは、顔を合わせないようにしよう。

「……ああ、あんずちゃん。こんにちは。どこ行くのかって?う〜ん、どこ行こうとしてたんだろ…。…え?スバルくんが練習室に?」

A組の教室を通りかかろうとしたところで、あんずちゃんと出くわした。彼女はひどく慌てた様子で、今朝起こったことを説明する。どうやら北斗くんは、『Trickstar』を脱退して『fine』に加入することを選んだようだった。

対してスバルくんは、『Trickstar』に残ることを選んだという。

「あんずちゃん。練習室ってどこ?」

気づけば、そう口走っていた。教えてくれた彼女を置き去りにして、その練習室へと向かう。少し乱暴に扉を開け放つと、そこにはらしくもなくうずくまっているスバルくんがいた。
彼は大きな音に反応して、こちらを凝視している。

「え……?あれ?百瀬!?なんで……」
「……スバルくんがここにいるって、あんずちゃんに聞いたから」
「あ、あ〜そっか…。俺、百瀬は『fine』の専属になるって聞いてたんだけど…?」

まずい。どうやら話は私の知らないうちに、すでにそちらの方向に決まってしまっているようだった。私は「まだ返事はしてない」ということを必死にスバルくんに伝えると、スバルくんはきょとんとした顔をして私を見上げる。

「……なんで?」
「え?」
「だって、現実的に考えれば、『fine』の専属になった方がいいでしょ。ううん。そっちのほうが、幸せだよ」
「…………」
「もう、いいよ。無理しなくて。俺に合わせなくていい。百瀬には報われてほしいから。百瀬の力を最大限に生かせる場所は、『Trickstar』じゃない……」

やめてよ。

そんなこと、スバルくんに言ってほしくない。そんなこと言ってほしくて、来たんじゃないの。

「『Trickstar』はもう空中分解しちゃってる…。百瀬がここへ来る意味が、ほとんど無くなっちゃってるんだよ」
「なに言って……」
「俺一人じゃ、革命は成されない。絶望的だよ……。お願いだから、俺のことはほっといて。一人にして。……百瀬の顔見るの、正直、辛い」

顔を伏せたスバルくんに、今度こそ何も言えなくなってしまった。そんな、苦しめるつもりで会いに来たわけじゃないのに。その表情に、今にも死にそうな声に、思い出したくないことまで思い出してしまいそうで、私は逃げるように練習室をあとにした。


「…………ごめん」


初めての拒絶の言葉。

ついこの間まで輝かしい笑顔を向けていてくれたスバルくんに、こんなにもはっきりと言われて、棘のある鞭で縛り付けられたかのように、ズキズキ胸が痛んだ。微かに出た謝罪の言葉も、きっと彼に届かなかっただろう。それでいい、許してもらおうなんて甘い考えは捨てるべきだ。

扉を閉めた瞬間に私に押し寄せてきた悲しみの波は止まることはしなかった。ぐっと顔を強ばらせ、涙がこぼれ落ちないように耐えながら、下を向いて歩く。
顔をうつむかせているせいか、行き交う人が私のことを気にとめるようなことはなかった。そのことにホッとするが、気を抜けば嗚咽が漏れそうだ。

そうして角を曲がろうとした所で、誰かと衝突する。前を向いていなかったのだから、当然と言えば当然だった。

「あれ…百瀬?」

聞き慣れたその声に、思わず顔を上げてしまった。

視界に映るパーカーも、見慣れた赤毛の髪と翡翠の瞳も、見たくなかったのに。
上げた時にこぼれ落ちてしまったそれは私の頬を伝い、ぽとりと廊下へ落ちる。それを見た目の前の彼は、その流れを辿ったあと間をあけて驚いたように私を凝視した。

真緒くん、と名前を呼ぼうにも、その音は掠れていて声にならなかった。

「もう、いいよ」

スバルくんの言葉を思い出して、涙を吐き出した視界がまた滲み出す。それを乱暴に袖で拭った。
少しだけマシになった視界の中で、彼が私に手を伸ばしたのが見えたけれど、私はそれをすり抜けてその手から逃げるように歩き出した。追いかけてくる気配はない。それに気づいて、私はスピードを緩める。
今の態度、きっと誤解されてしまっただろう。真緒くんが決めたことなら、私は反対したりしないし、真緒くんがそうしたいなら、応援する。

その気持ちは嘘じゃない。
嘘なんかじゃない、言わなきゃいけないのに。


 *


たどり着いた場所は、噴水のあるところだった。あれからバタバタしていて全然来ていなかったけれど、北斗くんに誘われる前は、ここで曲を作っていた。


ここで、スバルくんと、出会ったんだ。


ふらふらとした足取りで、私は噴水を囲うコンクリートに手をついた。噴水を覗き込むと、そこに映った私は涙はおさまっていたものの、普段よりひどい顔をしていた。


「ぷか…ぷか…♪」


人の声がしてゆっくりと顔を上げ、そちらに視線を向ける。その人が普通にたまたま居合わせてしまっただけなら、私もなるべく普通にしていただろう。
しかし、私はその人から、目をそらせなかった。
なぜならその人は、噴水に浸かるという奇行をしていたからだ。
楽しそうに、気持ちよさそうに目を細め、言葉通りぷかぷかと水面に浮かぶその人に、私の目は釘付けとなったのだ。

「…ふふ、きょうは『さっきょく』しないんですね?」
「…!?」
「まえ、ここでうたっていたので」

緩く微笑むその人は、私の方に振り向いてそう言った。まさか、聞かれていたのか。あの時は確かに誰もいないことを確認したのに。
…いや、一日だけ、誰もいないだろうと思ってそのままだった日があった。もしかしなくても、その日だろう。

「俺、2年A組の明星スバル!明ける明星の明星に、カタカナのスバル!覚えやすいでしょ?」

…あの時は本当に、びっくりした。だって突然飛び出してくるんだもん。でもあれがきっかけで、私は誰かのために曲を作るようになったんだ。

そう、『Trickstar』のために、彼らのために作った。

ライブを心から楽しんで欲しくて。
誰よりも輝いて欲しくて。
この学院を変えたいという、彼らの強い願いを叶えてあげたくて。

ううん、私だって、変えたかった。
みんなと一緒に、この学院を、変えたかった。
復讐なんて、どうでもよくなってた。


幸せだったから。
もう、どうしようもないくらいに。


ああ、思い出したら、泣けてくる。

ぽつりぽつりとそこだけ雨が降り出したかのように、波紋が広がった。拭う気力すら起きなくて、ひくひくとしゃっくりをしながら顔を俯かせる。水面に映る顔が、波紋によって大きく歪む。
すると、すでに濡れた手が、私の頬をなでた。

「なみだはしょっぱいですね。うみとおなじあじがします。しょっぱいのは、『にがて』ですが」
「海…?」
「でも、うみとなみだはちがいますから。…あなたは『えがお』がいちばんにあいますよ」

ふわりと微笑んだその人の言葉に、今度はスバルくんだけではなく、打倒生徒会を掲げたみんなが私にくれた言葉を思い出す。

みんなみんな、私に「笑顔が似合う」と誉めてくれた。

「……笑えません……。笑ったって…誰も笑ってくれない。私にはもう、何も……」

何も、残されていない。

ぽろぽろ、ぽろぽろ、噴水の中へと溶けて消えていく涙は、止まることを知らず溢れてくる。そんな私の姿を眺めていたその人は、ただたゆたう体を揺らして、目を閉じた。


「ええ、そうですね。たしかに、もうあなたにはなにもないのかもしれません。でも………

なみだをながすということは、まだしんではいないということです。いきる『しかばね』をかたるには、あなたにははやすぎます」


目の前にいる人物が、一体何を言っているのか分からなかった。真っ赤に泣きはらした目で顔を上げると、目があった瞬間ににこりと笑みを浮かべる。

「いまだけは、おもうぞんぶんなきましょう。また『えがお』になるために」

濡れた手が私の髪をなでる。また笑顔になんて、なれるのだろうか。相変わらず微笑んでいるその人の言葉通り、私は涙を流し続けた。

「よろしければ、いっしょにぷかぷか、しませんか?」
「……え?」
「みずあびすれば、かなしみもまよいもいっしょに、みずがあらいながしてくれますよ」

彼の言葉に、私は水面を見つめた。水浴びなんかしたって、悲しい事が起こった事実は変わらない。しかし私の体は、徐々に徐々に水面へと吸い込まれていって、そして、

──ぐいっ!


「こらこら!今の季節、不用心に水浴びなんかしたら風邪をひくぞっ!」


私の体は、一気に水面から遠ざけられた。突然の出来事に目を丸くし、私の体を引っ張った元を辿る。
そこには、癖っ毛のある茶色の髪の、赤い炎をその目に灯した、溌剌とした青年が、私の肩を掴んで水面から引き離していた。

「……ちあき?」
「お前もだぞ、奏汰!まさか自分だけでなく、転校生まで巻き込もうとしていたとは…。あと一秒でも遅れていたら、びしょ濡れだったな!」
「…………」

近くで大きな声で話されては、頭に響くものだ。
正直その人の言葉に返事も返す気力がない私は、その手を振り払うことも出来ない。

「……ふむ。明星の言っていた「百瀬」という転校生は、お前の方だな」

明星という名に、ビクッと体が揺れる。恐る恐る振り返ると、その人は先ほどとは違いやけに真剣な顔をしていた。
嫌な予感しかしなくて、変な汗が肌に滲み出て気持ち悪い。

「明星が血眼になって捜していたぞ。会いに行ったらどうだ?」
「……関係ありません、私には。突き放したのは、スバルくんです。彼は私に「会いたくない」って言った」
「そんな泣きはらした顔で言われても、意味ないぞ」
「…デリカシーのない人……。何を言われても、私は会わな──」

言い終わる直前に、私の腕は力強く引っ張られ、体は噴水の中へと落ちていった。驚きの声をあげる間もなく、私は息苦しさから勢いよく水面上に顔を出し、むせかえる。

「ゲホッ!げほっ………っなに、して………!」
「くすくす。これでかなしみとも『おさらば』です。ながしすぎるとひからびちゃいますから」
「……?」
「またかなしくなったら、ぼくといっしょにぷかぷか、しましょう。さいごに『えがお』になったほうが『かち』ですから。ね?」

私の顔にはりついた髪をそっと払ったその人は、穏やかに微笑む。それとは反対に、私はきっとひどい顔をしているんだろう。

それでもその人は、立ち上がることの出来ない私と同じように座り込み、ずっと涙を拭ってくれた。



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