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逃げ道は泥沼

「佐賀美先生……は、いないか。どこでなにしてる、あの怠慢教師」

保健室の中には、誰もいなかった。どうやら佐賀美先生もいないようだ。まああの先生がいないことはなんとなく予想していたけれど。
あんずちゃんをゆっくりとベッドに下ろしていく。その最中の氷鷹君はそっと優しく、壊れ物を扱うように慎重だった。あんずちゃんはまだ目覚めない。相当の衝撃だったのだろう。
あの時、あんずちゃんではなく私であったらこんな風にはならなかったのに、なあ。

「俺はひとつ、転校生に嘘をついてた」
「…あんずちゃんに?」
「ああ。この学院は『アイドルの、アイドルによる、アイドルのための学び舎』だと」

しかし、実態で言えば『よいアイドルの、よいアイドルによる、よいアイドルのための学び舎』だという。劣等生であるものは、この学院で日の目を見ることはない。先ほどの騒ぎがその現状をよく現している。
夢を見て、野望を抱き、無数のアイドルがこの夢ノ咲学院にやってくる。
しかし、その夢は叶わない。
期待は裏切られ、研鑚は顧みられず、個性や大事にしているものは否定され、学院が規定する『理想のアイドル像』に均される。

「でも、それだと、」
「…俺たちが思い描き、夢見ていたアイドルにはなれない。きっと、この学院を出てからもそうだろう。ただの家畜の餌にすぎないんだ」

確かにこの学院から輩出されたアイドルは素晴らしい人材ばかりだ、しかしそれでは人間味のない、空っぽなアイドルとなってしまう。
それが嫌で抵抗したとしても、先ほどのように生徒会にねじ伏せられる。
公式のドリフェスでは、学院の規定に準ずる生徒会が勝利するのは決定事項。生徒会に投票すれば、自分の評価もあがる。逆に入れなければ、劣等生と判断される。
感動することも、思いのままに動くことも、この学院では許されない。

「俺たちは、そんな夢ノ咲学院の現状を打破し、変えたいと思っている」

まだ何が出来るかはわからないけれど、このまま心が壊されていくのは我慢ならない。*
…知らなかった。このまま知らないでいた方が、幸せだったのかもしれない。けれどこの学院で生活するには、必然的に知ることになる話だったんだろう。いや、元より私は、知るために来たのだった。

「明星とどういう繋がりか詳しくは分からんが…お前に話しておきたい」
「う、うん…」
「お前がこの学院に来る前、あいつはこの学院でも浮いていた」

この学院でも夢を追いかけて、好きなものは好きだと、胸を張っていう。けれどそんなスバルくんに、周囲は関わり合いになるのを避けた。
ひとりで笑って歌って踊り続ける、滑稽なピエロのようだった。

「遊木もな。望まぬ方面で才能を見いだされたが、それこそ偉い人の言いなりになり、ロボットのように動いていた」

周りはそんな彼を誉めていたけれど、やがて彼の心は断末魔の悲鳴をあげ、砕け散った。そうして今、その残りかすをかき集めて……。そして、周りはそんな彼を『落ちこぼれの劣等生』たとあざ笑うのだ。
あの2人の様子では、全くわからない事実だった。スバル君も遊木君も、あんなに楽しそうに笑っていたから。

「俺たち『Trickstar』は、同じく心の痛みと、悲鳴を……。この学院への叛意と疑いを芽生えさせ、結束した仲間だ」

この学院に革命を。生徒会を、この現状を打倒するために、命を賭して戦い抜く。自分達が夢見ていた、憧れていたアイドルになるために。

「そのために、転校生を仲間に引きこんだ。そして、お前のことも誘おうと思っていた」
「…え」
「いつお前に声をかけようか迷っていたんだ。お前がこの学院に転校してきた日から、ずっと」

まさかの衝撃告白に、私は息を呑んだ。私が必死にこの学院に馴染もうと足掻いていた中で、まさか氷鷹君がそんな風に考えていたなんて思いもしなかったからだ。

「特別な立場であるお前なら、救世主になってくれると……そうだとばかり、思いこんでた。極めつけは、明星がお前の事を話していたからだ。正直、あんなに嬉しそうに話す明星を、俺は初めて見た」

歌って踊る自身を、あんなにも暖かい目で見続けてくれたと。
私からすれば、それは私が特別なのではない。それはスバル君自身の魅力だったのだ。
それは違うと否定したかった。けれど、氷鷹君のどこか嬉しそうに話すものだから、何も言い返せなかった。

「だから、興味が沸いたんだ。お前のような『プロデューサー』に、俺たちを見ていてほしいと、本気で思った」

握り拳を作る氷鷹君に、その言葉が嘘ではないことはすぐに分かった。彼の声に、涙がにじむ。それははっきりと機械なんかではなく、人間だと証明しているようだった。

「転校生も、お前も、ようやく差し込んできた、一筋の光。俺たちの希望なんだ。こんなことを言うのは卑怯かもしれない。おまえ達の気持ちを無視し、勝手におまえ達に期待して…」
「………」
「嫌なら突き放して構わない。今後一切関わらないようにする。しかし、もし俺たちの仲間になると言ってくれるのなら…二度と傷つけないということを誓おう」

意識のないあんずちゃんをずっと見つめていた氷鷹君は、ようやく私の方に振り返り、じっと目を見つめてきた。
先ほどの騒動を見ていたとしても、この学院の話も半信半疑だった。
彼らは、私がなぜ夢ノ咲に来たのか、どうしてプロデュース科に入ったのかを知らない。この学院について無知なのだと思っている。本当に、ド素人のプロデューサーだと。
それでも、そんな私に縋ってしまうくらい、この人たちは追いつめられている。

「……氷鷹くん、私…」
「…悪い。突然こんなこと言われても、困ることくらい目に見えていたのに。返事は今じゃなくていい。だから、お前が後悔しない選択をしてくれ」

  *

氷鷹君と別れてから教室に戻り、機嫌の悪い大神君の頭をぐしゃぐしゃにしてから席についた。
もう、ため息しか出てこない。怒鳴り声をあげる大神くんをスルーして席についた私に、隣の席の衣更君は心配そうに声をかけた。

「大丈夫か…?北斗と何話してた…って、聞かなくてもなんとなく察してるけど」
「……氷鷹くん、私のこと買いかぶりすぎじゃないかな」

私の言葉に、衣更くんはきっと苦笑いを浮かべるんだろうなってそう思っていたのに、彼はそうはせず真顔だった。その表情に少し驚いていると、衣更くんは私の額を指で弾き、こう言った。

「むしろお前は自分を過小評価しすぎだ。あいつが評価してるのは多分…スバルがお前のこと、異常なくらい評価してるからだろうな」
「スバル君…?」
「ああ、あいつが北斗や真に何言ってんのかは知らないけど、北斗がお前に協力を頼むくらいってことは、お前相当スバルに気に入られてるんだよ」
「…いい迷惑。私、何も出来ないのに」
「はは、お前からしたらそう思うだろうな」

本当、スバル君は氷鷹君たちになんて言ってるんだろう。もしかして、私が作った曲のことでも話してるのだろうか。だとしたら本格的に、氷鷹君と合わせる顔がないのだけど。

「まだ、氷鷹くんにちゃんと返事してないの。『今じゃなくてもいいから、後悔しない選択をしてくれ』って言われて」
「…そっか。まぁ俺としても、お前みたいに右も左もわからない奴を巻き込みたくはないから…ちょっと安心した」

そう言う衣更君は確かに安心したような顔だったけど、どこか残念そうに眉を下げていて。その表情を見ると胸が痛くて、私はその顔を見ないように目を伏せた。



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