情の薄れた壊れ物

発の完成も目前だろうと思われたある日のこと、発の修練を終えた私は玄関で仕事帰りのヒソカを迎えた。
そのまま二人でリビングに向かい、コーヒーを入れる準備を始める。
コーヒーメーカーから香るコーヒーの香りを鼻腔に感じながらカップを二つ取り出して、ソファでくつろぐヒソカの背中に声をかけた。

「あと少しで発が完成しそうです」
「そうかい、それはよかった。
これでキミも一息つけるね。それで、キミの能力はどんなものなんだい?」

私はヒソカに自分の念能力をあかしていない。
無論いつまでも隠しておくつもりはない、隠し通せるとも思わない。
それでも自分の命綱となる念能力の詳細についてを他人にぺらぺらと話してしまうのはためらわれたのだ。

「秘密です」

人差し指をたて、口元にもっていくとヒソカは小さく笑って、

「楽しみにしているよ」

そう言った。
私はヒソカが深追いしてこなかったことに安堵しながらコーヒーをカップに注ぎ、ヒソカにそれを手渡して自分もソファに座る。

「だけどお世話になっているので大まかにどんな能力なのかお教えします」
「サービスがいいね」
「茶化さないで下さい。
私の能力は逃げること、命を守ることに特化しています」

どんな強い相手も私の指の一本さえ掴むことは出来ないだろう。
臆病な心から生まれたこの能力は上手く使えばきっと、私を確実に死から守ってくれる。

「それはいいね、ボクがキミに一番望んでいた能力だ」

うそ臭い言葉を吐いたヒソカに対して、私はなんの反応も示さない。

「そういえば、しばらくキミを友人の家に預けようと思うんだ」

代わりに続けて口を開いたヒソカはなんでもないことのように重要要件を告げた。
驚いた私は思わずコーヒーカップを落としそうになる。
勿論実際に落としたりはしないけど、本当にそれ位驚いた。
というよりショックを受けた。
なにかヒソカの気に障るようなことをしてしまったのだろうかと不安に陥る。

「顔色が悪いね」
「……私、なにかあなたを怒らせるようなことをしてしまったんでしょうか」
「なんのこと?」

珍しくきょとんとした表情を浮かべたヒソカが私を見つめた。
どうやら怒っているわけではないらしい。
そうと分かると自分の勘違いが急に恥ずかしいもののように思われたので私は先程の発言に関する説明は省いて、ヒソカに私を友人の家に預けようという考えた経緯について尋ねた。

「しばらく家に帰れなくなりそうなんだ、仕事の都合でね」
「お仕事……ですか」
「ああ、上司に呼びつけられてね。人使いが悪いからイヤになるよ」

非常識なヒソカが語る、普通の人間のような愚痴に違和感をおぼえた。

「お仕事って、何をされているんですか」
「盗賊だよ、そう長く続けるつもりもないけどね」
「それはまた……夢のあるお仕事ですね」

ドラ◯エみたいだ。
たしか笑わせ師の職歴と合わせるとしのび笑いを覚えられるはず。
それがどんな技だったかは覚えていないけど。

「ハンター試験が始まる頃までは家をあけることになる」

今は十一月の下旬、ハンター試験は一月。
つまりヒソカはこれからひと月は家をあけるということになるのだろう。

「それだけ長い期間になるとキミに留守番をしていてもらうのも躊躇われるからね」
「たしかに……」

未だ慣れないこの世界でひと月も一人で過ごす自信はない。
こんな奴でもいないよりは全然マシだ。

「お友達ってどんな方なんですか」
「酷いブラコンで、高い山の上に住んでる」

やっぱりイルミか、なんとなくそんな気はしてたんだよね。
ゾルディック家に滞在するってことは小生意気なキルアたんとか男の娘なカルトきゅんとかクールビューティーなイルミ様と寝食を共にするということだよね。
それって、それって……すっげーヤダ。
そんなバッドなことになったら私、借りてきた猫通り越して借りてきたネズミ並みにおとなしくなっちゃうよ。
絶対無理だし、あの家に預けられるなら慣れてるぶんヒソカと一緒にいる方がマシ。

「高い山ですかあ……それは厳しいですね。私高山病になりやすいんです」
「そうなのかい?」
「ええ、だから無理です」

そんな高い山登ったことないから分かんないけど。

「それじゃあボクの仕事についてくるかい?」
「いいんですか」
「今回は待機時間が長いからかまわないさ」

蜘蛛のアジトにって意味かな?
他の旅団員もいるのなら話してみたい。
ああ、でも……フェイタンとかには会いたくないな、なんか怖いもん。

「じゃあお言葉に甘えさせてもらいます。ありがとうございます」
「どういたしまして」

そう言ったヒソカは少し嬉しそうだった。
私は冷めたコーヒーを啜りながらそんなヒソカを見つめていた。


*****



ヒソカについて蜘蛛のアジトに行くことが決まってから一時間、私はヒソカと向かい合う形で奴の膝の上に座っていた。

『しばらくは二人きりの夜を過ごすこともないからもっと傍においでよ』

なんて言ったヒソカに無理やり抱きかかえられたのだ。
自分の意志でこんな体勢になったわけじゃない、断じてない。
思えばヒソカとこんなにも接近するのはこの世界に漂流してきた初日にヒソカと同じベッドで眠って以来のことだ。
同じような状況なのに今夜はあのときのように安心することが出来ない、それどころか体を包むヒソカの体温におかしな焦燥感を抱いた。

「なんだか落ち着きません、胸が痛いです」

ヒソカの胸板を小さな手でやんわりと押して、正直に伝える。
驚いたような困ったような表情を浮かべたヒソカは、

「そう言われると、ボクはとても困ってしまうんだ」

呟きながら私の頬を優しく撫でる。
ああ、やっぱり息苦しい。
言葉の出ない私は黙ったままヒソカの瞳が揺らぐのを見つめていた。

「ボクはキミのことが好きなんだよ」
「それは……この前も聞きました」

私はヒソカが嫌いだ。
だからこうして触れられると気分が悪くなる。
だけどヒソカの傍を離れるのは嫌だ。
それはヒソカの傍にいるのが一番楽だからで、他意はない。
そんなもの少しもない。

「それじゃあ言い方を変えようかな、ボクはキミを愛している」

情けないことに、心臓が止まってしまいそうな位に動揺した。
胸の痛みが強くなる。
緊張のせいなのか、喉が乾いた。

「セックスをしようか」
「え……」
「そんな顔をするなよ」

私、今どんな顔をしているんだろう?
嫌そうな顔?
不快げな顔?
……ああ、きっとそのどちらでもない。

「あ、の……」
「嘘だよ、いつもの気まぐれさ」
「そう、ですか……そうですよね」

体を火照らせていた熱がすっと冷めていった。
少しだけ冷静さを取り戻した私は改めてヒソカの表情をうかがう。
ヒソカは無表情だった。
いや、無表情を装っているように見える。

「ボクは本当にキミを愛しているんだ」
「ありがとうございます」
「キミが望むのならいつまでもキミの傍にいるよ」

どうしてヒソカはそうまで私に入れ込むのだろうか。
理由が見当たらない限りはヒソカのその言葉を信じることは出来そうになかった。

「肉便器として傍におくなんて建前だったんだ、いずれキミを抱くと言ったのもウソ。
ボクは、キミを抱かない。絶対にね」
「どうしてですか、愛していると言ったのに……」

これじゃあ抱いてほしいと言っているみたいじゃないか。
みっともない。

「抱けないんだ、キミを抱くことはボクのキミへの愛に反することだから」

意味が分からない。
だけどそう口にすることは出来ない。

「そうですか」

なんでもないように頷いて、

「それならずっと傍にいて下さい」

小さな声で哀願する。
返事の代わりにヒソカは私の頭を撫でた。
ヒソカの大きな手で壊れ物でも扱うみたいに撫でられる私は、不意に元の世界で別れたままの恋人のことを思い出した。
優しかった笑顔も、私に触れる不器用な手つきも、今ははっきりとは思い出せなくなってしまっていることに気が付いて呆然とする。
ヒソカの胸板に顔を押し付けながら、自分の情の浅さを呪って少しだけ泣いた。





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