偽物家族と少女は語る

酷く胃が痛む。
それは私からしばらく離れたところにいるヒソカのせい。
私が出会ったことのある人物の誰よりも強くて、誰よりも薄気味悪かったヒソカが、あまり強そうには見えないただの人間にボロ布みたいにずたぼろにされている。
逃げろと言われた私はしばらく必死で走って、それなのにこの場所まで戻ってきてしまった。
ヒソカは逃げ出そうとしなかった、自分の命の灯火が消えるのを、座ったままの姿勢でじっと待っている。
鍛えあげられはっきりとした存在を示していた腹筋が血に染まっている、落ちているのはヒソカの抉れた肉の塊だろうか。
目眩がした。
胃液がせりあがる。
嘔吐してしまいそうになるのを必死に堪えて、だけど涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら私は叫ぶ。

「私にはまだあなたが必要なのに!」

叫び声に気付いたヒソカが私を見やった。
酷く戸惑った顔でしばらく私を見つめて、だけど最後には諦めたように笑う。
そう、最後だ……男の持ったナイフがヒソカの喉元に向かって伸びた。
ああ、死んでしまう……ヒソカが死ぬ。
私に優しくすることに飽きることなく死ぬんだ。

「死ぬなぁあ!」

私の叫び声とタイミングを同じくしてナイフが振りきられた、私は恐る恐るヒソカの座っていた場所に視線をやる。
そこにはどろどろした液状の何かが落ちていた。
男は戸惑ったように辺りを見渡している。



*****

寝汗の不快感で目を覚ました私は、体を起こしながら汗の滲んだ額を利き手で拭う。
そうして顔の前にやったその手が一瞬液状化して見えたので息を飲んだ。

「はあ……」

水見式でグラスを殆ど完璧に液状化出来るようになった私は、ヒソカから堅などの念の応用技について指示を受けながら、自分なりの発を模索している。
既にどんな能力にするかというイメージは出来ているのだが、なかなか上手くいかない。
どうやら自分のキャパシティを越えてしまっていたらしかった。
このままではどうにもなるまいと、能力の発動時間や発動範囲についてはだいぶ条件を絞ったが、それでもやはり発の完成まではまだまだ時間がかかりそうだ……ここら辺はきっと努力するしかないのだろう。
発の修行に関してはすべて自分一人で行っている。
ヒソカが個性を必要とされる発は人の干渉を受けずに会得する方がよいのだと言ったのだ。
私自身、ヒソカに自分の能力を完璧に知られたくはなかったから都合がいい。
キッチンの壁にかけられた日めくりカレンダーを破りとりながら、寝起きで上手く機能しない頭を回していると誰かに肩を叩かれた。
ヒソカだ、手の感触でわかる。

「おはようございます」
「おはよう、今日も早いね」

そうなのかな。
壁時計を確認してみると確かにまだ早朝といってもいいような時間だったけどヒソカ程じゃない。
今朝もばっちりピエロメイクを施したヒソカは、私の手から昨日の日付の書かれたカレンダーを奪ってゴミ箱に放った。
私はノーメイクのヒソカを見たことがない。
この世界に来た初日を除いて、ヒソカは私に同じベッドで眠っていることを意識させたことがないのだ。
私より夜更かしで、私より早くに起きるヒソカ、ヒソカが本当に私と同じベッドで眠っているのか、この部屋で眠っているのかさえも私は知らない。
朝目が覚めたときは絶対に目の見える範囲にいなくて、しばらくするときっちりメイクをした姿でどこからともなく現れる。
私はそんなヒソカをやっぱり不気味な奴だと思う。

「どうかした?」
「大したことではないんですけど、あなたの素顔を見たことがないことに気が付いてしまったので」
絵では見たことがあるけど。
ああ、そうだ……そういえば名前も知らない、ことになってる。

「見てみたいのかい?」
「いえ、」

ノーメイクの好青年なヒソカ、元の不気味な姿を知っていると逆に気味がわるく思えそうだ。

「少しだけ」
「そうかい、それじゃあいつか必ず見せるよ」

言って笑うヒソカ、あー……胡散臭い。
大体なんで私に素顔を隠す必要があるんだろう?
いつもの気まぐれかもしれないけど。

「楽しみです」

口先だけでそう言う私に、ヒソカは朝食はパンでいいかと尋ねてきた。
頷いた拍子に軽い空腹感を覚える。
元の世界にいたときは早起きなんて絶対しなかったし、朝食だって滅多に食べなかった。
三食決まった時間に食べて、更に早寝早起きをしている今の生活は、元の世界にいたときのそれより格段に健康的だ。
そう思うと今の世界での生活も悪くないように思えたりするけど、同居人がこんな変態では呑気なことも言っていられない。
夢で叫んでいた通り、私は確かにヒソカを必要としていて、出来ることなら彼に今の気まぐれを一生通してほしいと思っているけど、それと同時に一刻も早くヒソカの元を離れたいとも思っている。
矛盾している、だけど私が奴の元を離れたいと思うのは奴の気まぐれがいつ終わるのか分からないからであって、奴の気まぐれな優しさが続いていくのであれば元の世界に帰るまでは奴と共に暮らすのも悪くはないと思っている。
それはヒソカが好きだからじゃない、むしろ私はヒソカが嫌いだ。
ただ、ヒソカに庇護されて生きていくのは楽だからこいつの気まぐれが終わらないことを望んでいる。
テーブルに並べられた、ピエロが用意したとは思えないくらいに完璧な朝食を眺めながら自分の胸の中で膨らむ矛盾した2つの意識を潰した。

「いただきます」

まずはじめにスープを一口すすって喉に流し込む。
いつも通り美味しい、やっぱりヒソカは料理が上手い。
手先が器用だからだろうか。

「毎日ありがとうございます」
「お礼なんていらないよ、ボクたちは家族だろ」
「家族……」

ヒソカが私の家族……なんというか、悪い冗談としてしか受け取れない。
正直こんな家族は絶対ほしくないし、ヒソカと家族になりたい人間はあまりいないと思う。
そんな恩知らずみたいなことを考えながらも私は笑顔を浮かべていて、いいですねえ……なんてしみじみ呟いている。
ヒソカの言っていた通り私は嘘つきなのだ。

「少しも心がこもっていないね」
だけど自分以上の嘘つきにはすぐに嘘を見破られてしまう。

「ごめんなさい」

ああ、素直に謝ったら言われたことを認めてしまうことになってしまうのに。

「かまわないさ、ボクはキミが好きだからね」
「……へえ」

好きってなに?
ワケが分からない。

「キミはボクの家族だからね」
「なるほど、」

そういう意味ですか。
よく分かった。
やっぱりヒソカは気持ち悪い。

「私もあなたが好きですよ」

ヒソカは私を自分のごっこ遊びの人形にして遊んでいるんだ。
少なくともヒソカが薄ら寒い家族ごっこに飽きるまでは私は楽に生きていける。
そう思っても何故か気持ちは晴れなかった。
私を好きだと、家族だと言ったヒソカが恐ろしくて仕方ない。
これじゃあ最初に宣言した通り肉便器になった方がまだマシかもしれない。

「あなたは私を家族だと言いましたが、いずれは私を抱くんでしょう?」
「どうだろうね、ボクは気まぐれだから」
「抱かないのなら修練をして体を強くする意味なんかないじゃないですか」
「強くなればキミは死なないだろ」
「私が死んだら困るんですか」
「悲しいよ」
「は?」

ヒソカが急に真面目な声を出したので私は戸惑いの声をあげた。
そんな私の頬を酷く優しい手つきで撫で付けるヒソカがもう一度口を開く。

「キミが死んだらボクは悲しい」
「そう……ですか」
「だからボクはキミに死なれたら困るんだ」
「じゃあ、私死にません」

気が付いたらそんな言葉が口をついて出ていた。
しかもかなり強い口調で。
この世界がどんなに危険なのかは分かっているはずなのに、その一瞬だけは自分は決して死ぬまいと思った。




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