触れるだけ、傍にいるだけ

ヒソカの家は町外れ建つ小綺麗なマンションで、下の階にはコンビニとコインランドリーがついている。
私はそのコンビニで適当なおかずパンと生活必需品を買ってもらい、今はヒソカの部屋の浴室で体を温めている。
恐らくはヒソカが愛用しているであろうシャンプーのヘッドをプッシュしながらぼんやりと考えを巡らせる。
私ヒソカにこんなによくしてもらっちゃって大丈夫なのかな……なんて。
ヒソカは先行投資だって言ってたけど、出会って数時間の人間にここまでされると正直薄気味悪い。
しかも相手はあのヒソカだ。

「……あんま好きじゃないんだよなあ」

あの漫画に出てくるキャラクターは一応は共感出来る行動原理を持っていることが多い。
それは家族に対する執着心だったり、仲間を追悼したいという念だったり色々で、だけどヒソカという奴にはそれがない。
ヒソカの行動原理であるとにかく強い相手と戦いたいという欲望に私は少しも共感出来ないのだ。
だからヒソカのことは好きになれない。
だけど、もしかしたらこの先奴と生活していく内に今は理解出来ない奴の気持ちを理解出来るようになるのかもしれない、ヒソカを……好きになる日が来るのかもしれない。
ヒソカのシャンプーの匂いに包まれながら、私はゆっくりと瞳を閉じた。


*****


「そろそろ眠ったらどうだい」

髪をしっかりと乾かしきって、部屋の真ん中で所在なく視線をさまよわせる私にヒソカはそんなことを言った。
自分がどこへ座ればよいのかすら分からなかったのだ、もちろん体を横たえる場所なんて分かるはずもないから困ったように笑ってヒソカを上目で見つめる。

「ベッドで眠ってもかまわないから」

ヒソカは部屋の隅に置かれたベッドを指差した、一人暮らしの部屋にはそぐわない大きさのそれは、子供の体をした私が横たわってもヒソカが眠るくらいの余裕は充分にありそうだ。

「あのベッドの上で女の人を抱いているんですか」
「女とは限らないけどね」
「……へえ」

……やっぱり両刀なんだ、ゴンさん捕まったらヤバいぞ。
ゴンといえば、今っていつ頃なんだろ……ヒソカはもうハンターライセンスを持ってるのかな。

「あの、すみません」
「なんだい?」
「お兄さんはハンターの試験を受けたことがありますか」
「ああ、あるよ。試験官を半殺しにして不合格になったんだけどね、次の試験も受けるつもりさ」
「そうなんですかー頑張って下さいね」

合格することは分かっているから応援は適当だ。
次にヒソカが受ける試験からハンターハンターのストーリーが本格的に始まるんだ、試験期間中はここで放置されることも覚悟しておいた方がいいかもしれない。

「応援してくれるのはありがたいけど。キミ、どうしてそんなことを聞くの」
「えっ……あ、あの、えーと……私、ハンターにすっごく憧れてて」
「ああ、そうなんだ。それならボクと一緒に試験を受ければいいよ」
「えっ……」
「あれ位の試験に受からずにボクの肉便器が勤まるはずないからね」

アンタ試験落ちてるじゃん!
てか私の馬鹿!
ハンターになんかなりたくないし!
……いや、なりたくないことははないけど。
だけどあんな危険過ぎる試験受けるのは絶対無理、絶対死ぬし。
ああ……でもこいつ私を試験に連れていくことに滅茶苦茶乗り気臭いよね、今さら怖いから無理ですとか言ったら殺されそう……。
つまるところ、

「試験、楽しみだなあ……ははは」

こう言うことしか出来ぬのです、くそう……。
チキンな私の馬鹿。

「明日からの修行にも力を入れないとね」
「……はい」
「疲れているのかい?
やっぱり早く眠った方がいいよ」
「それではお言葉に甘えて……」

どの道明日から地獄の特訓が始まることに変わりはないんだ。
それならさっさと眠って疲れを癒す方がいいだろう。
諦めから冷静な判断力を取り戻した私はベッドに向かって歩き始めた。
椅子に座っていたヒソカも立ち上がって私の後に続く。

「……あなたも眠るんですか」
「当たり前じゃないか、それはボクのベッドだよ」
「それはそうですけど……」

だからって全く同じタイミングでベッドに入る必要はないじゃん。
私が眠りについてからでもいいじゃん。
……ヒソカが隣にいたら絶対落ち着いて眠れないし、ああ……だからって拒否ることも出来ない。
異世界マジ辛いっス……。

「おやすみなさい」

それでも無理矢理自分を納得させて壁ぎわに体をぐっと寄せる。
掛け布団で顔を隠そうとした私の手首を、ファンデーションで真っ白なヒソカの右手が掴んだ。
……こいつ、なんで化粧落とさないのかな。
そんなことを思いながらピエロメイクのままのヒソカの顔を見つめていると、ヒソカの薄い唇が弧を描いた。

「おやすみのキスをしてよ」
「は?」

なに言ってんだ、こいつ。
何が悲しくて私がこの変態ロリコン(不確定)ピエロに母親よろしくおやすみのキスなんかしなくちゃいけないんだよ、おかしいだろ。
と、脳内では文句たれまくりなわけですが実際問題今の私にはヒソカの要求を退けることは不可能なわけです……ああ、無情。

「ちゅっ」

なんて可愛い音を出してヒソカの頬の星にキスをした。
ヒソカはくすぐったそうな顔をしながら、そこじゃないと言う。

「くちびる?」

こくりと頷かれた。
ごくりと喉を鳴らしてヒソカにもう一度顔を近づける。
これはおやすみのキス、だからあの人を裏切ることにはならない。
唇が触れる間際に瞳を軽く閉じた、ヒソカの顔を間近で見るのが怖かったからだ。

「ありがとう、おやすみ」

軽く触れただけの唇は、すぐに離れていった。
舌くらいねじ込まれるかと思ってたのに、拍子抜けするくらいあっさりしている。
まるで本物の家族にするおやすみのキスみたい。
私もヒソカにもう一度おやすみと返して瞳を閉じる。
そうすると目以外の感覚器官が研ぎ澄まされていく。
鼻腔をどこか懐かしい薫りがくすぐった。
……変なの、ここにはヒソカしかいないのに。
この懐かしい薫りはヒソカの肌に塗りたくられたファンデーションの薫り?
それとも、ヒソカ自身の薫り?
よくは分からなかった。
ただ一つ、分かったことがある。
まったく持って認めがたいことだけど……私はヒソカの傍にいると安心出来るらしいということ。
……もしかしたらあの人の傍にいるとき以上に、今の私の心音は安定している。
眠りに落ちるまで、そう時間はかからなかった。





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