お国は日本

「ぐっもーにん」

いやに爽やかな挨拶と共に私を照らしたのは同じく爽やかな朝の光! ……ではなくアダルティな間接照明の光でした。
……ヒソカホームの照明は普通の蛍光灯だったはずなのに。

「ここがどこなのか分からないといった顔だな」
「あなたは……」

不遜な笑みを浮かべる男の顔には見覚えがある、私を異世界に送った迷惑男だ。

「……どの面さげて私の前に姿を現したんですか」
「なんだ、不満げだな」
「当たり前でしょう……早くふるさとに戻りたいです!」
「ふるさと、な……」
「なんですか?」
「いや、なんでもない。
ところで、ささやかなプレゼントは気に入ってくれたか」

男が得意げに笑んで私の肩を叩いた。
彼の言うプレゼントというのが何のことなのか理解出来ない私は小さく首をひねる。

「なんのことですか」
「決まってるだろ、ヒソカのことだ。ヒソカに出くわす場所に落としてやったこと、それこそが俺からお前へのささやかなプレゼントだ」
「……ヒソカに出くわして私に何の得があるんですか」
「生存確率がぐっと上がる」
「強い者の傍にいれば生存確率が上がるのなら蜘蛛のアジトに落としたんでもよかったんじゃないですか」

私はヒソカよりはずっと蜘蛛のメンバーの方が好きだ。
どうせなら蜘蛛と一緒に行動したかった。

「それは駄目だな、奴らにはお前を庇護する理由がない」
「ヒソカにだってないでしょう」
「……そうだろうか」
「そうですよ」
「まあこれ以上はいいだろう、残念だがお別れの時間だ。上手く生き延びろよ」
「ちょっ……うそっ」

間接照明に照らされた床が一瞬にして消えた。
頭からまっ逆さまに、私は地面へと落ちていく。


*****



異世界漂流生活二日目、ヒソカの監視の元私は念の修行を始めた。
マンションからしばらく歩いたところにある藪の中に立たされて、ヒソカにこんなことを問われる。

「ゆっくり修得する方法と手っ取り早く修得する方法どっちがいい?」

私はしばらく考えこむような動作をした。
念がどういうものなのかという説明は今朝起きたときに聞かされている。
だけど手っ取り早く修得する方法というのが危険を伴う方法だということは伝えられていないからそこについては知らないふりをしなければいけない。
作中に出てきた情報を聞く前にうっかりこぼしてしまうのか危険だ、怪しまれてしまうかもしれない。
例えば、私はまだヒソカから奴の名前を直接聞いていないから奴を呼ぶときにはあなただとか、お兄さんなんて呼び方をしないといけない。

「手っ取り早く修得する方法には何かデメリットがあるんですよね」
「どうしてそう思うんだい?」
「だってデメリットがないならゆっくり修得する方法なんて必要ないじゃないですか」

誰でも分かりますよ、なんて偉そうな口をたたけば、ヒソカは口元をゆるませる。
キミは聡いね、そう言ってから更に続けた。

「手っ取り早い方法は精孔を無理矢理こじ開ける方法だ、敵意がある人間や未熟な人間に任せると最悪死に至ることもある」
「それならゆっくり、」
「ゆっくり修得するような時間はない」
「……さようですか」

なら何で初めに質問したんだろ……。
結果的には自分の意見は汲み取られず危険な手段で念を修得することになったけど、私の心は不思議と落ちついていた。
何故だか分からないけどヒソカが私に対して敵意をもってオーラを送ってくるようなことはない、そう言い切ることが出来る。
未熟という言葉からもほど遠いだろう。

私はだんまりを決め込んで突っ立っていた。
自然体で、体から出来るだけ力を抜いて、ヒソカからオーラが送られてくるのを待つ。
だけど待てど暮らせどヒソカがオーラを送ってくる気配がなかったので、奴の様子をちらりとうかがってみた。
私と目が合ったヒソカはなんとも形容しがたい表情を浮かべてこんなことを言う。

「随分落ち着いているんだね、キミはボクのさじ加減が悪ければそのまま死んでしまうのに」
「死にませんよ、私あなたのことを信じます。
だから失敗したり、殺そうとしたりは絶対にやめてください」
「そうかい」

満足気な笑みを浮かべたヒソカが私との距離を徐々につめていく。
それから先のことはよく覚えてない。
結果から言うと私は酷く疲労したけど死にはしなかったし念修得の第一歩を踏み出すことも出来た。
ヒソカが頭を撫でてくれて、不覚にも浮かれそうになったけど、知らない間にたくさんの蚊に咬まれていたらしい足が痒くて仕方なかったからかろうじて平静を保つことが出来た、蚊様々だ。


*****

修練がおわる頃には容赦なく照りつけていた太陽もなりを潜め、空は闇色に染まっていた。
ヒソカの隣に並んで奴のマンションに向かって歩く私は蚊に咬まれた両足両手をしきりに気にしている。
隣を歩くヒソカの肌に、蚊に咬まれたような跡は見られない。
ヒソカくらいの念能力者になれば蚊に咬まれるようなこともないのだろうか、それとも単純にヒソカの血を蚊が好まないだけだろうか。
……後者の気がする。
だって私が蚊だとしてもヒソカの血なんて絶対いらないもん。
そんなことを考えながら左腕の跡を軽く爪でひっかいていると、隣から視線を感じた。
勿論ヒソカからの視線だ。
私の隣には今奴しかいないし、なにより見られていてなんだか嫌な感じがする。
恐る恐る幼くなってしまった自分の視界から外れたところに位置するヒソカの顔を見上げると、思いがけず無表情だった奴が口を開いた。

「蚊に咬まれたのかい?」
「……すこしだけ」
「本当に?」
「本当はすこぶる……です」

悪いことをしたわけでもないのに、藪蚊に身体中至るところを咬まれて痒くて仕方ないんです、とは言えなかった。
苦笑いして、大丈夫です……なんて呟く。
実際蚊に咬まれたところで放っておけばすぐに治るから。
それなのにヒソカは何故か難しい顔をして(メイクはふざけているけど)、私をしばらく見つめる。

「家に上がる前にコンビニに寄ろうか」

そう言って小走りになってしまったから、私はついていくだけで一苦労だった。


*****


ヒソカは今の家でそれなりに長い間生活しているのかもしれない。
陽気な曲の流れる店内で、私はそんなことを考えていた。
店の人間やマンションの住人だと思わしき客達にヒソカの姿を見て驚いた様子が見られなかったからだ。
これだけの大男がピエロメイク姿で同じ空間にいたら普通の人間は驚いて視線を向けてしまうだろうから、ここの人達はきっとヒソカに慣れてしまっているんだと思う。

「キミは日本人なんだろ」
「えっ?」
「違うのかい?」
「いえ、違いませんけど……」

なんでだろう、そう尋ねられることに一瞬酷い違和感を覚えた。
だけどいくら考えてもその違和感の原因は分からなかったから、私は原因追求を諦めていつの間にか抹茶味のアイスを手にしていたヒソカに更に詳しく自分の身の上を語る。

「国籍は日本にあるけど私は純粋な日本人ではないんです。
私の父はとても背の高い異国の人間で、だから私はハーフなんですけど、」
「けど?」
「……私は父に少しも似ていなくて、見た目は少しもそれらしくないから、人にハーフだって言っても信じてもらえないこともよくあるんです」

別にかまわないんですけどね、付け足して小さく笑った。
本当にかまわない、ハーフらしい容姿をしていたところできっと何も得することはないから。
だけどパパに少しも似ていないのは少し淋しかったりする。

「キミは父親のことが好きなのかい?」
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
「ただの好奇心さ」
「そうですか、私は父親のことが大好きです。
父はとても優しい人なんです」

大好きなパパ、あの優しい人にしばらくは会うことが出来ないんだと思うと淋しくて仕方がない。

「そうかい……」

ヒソカは歯切れ悪く頷いて、アイスが溶けてしまうからと言ってさっさと店を出ていってしまった。

*****


「そこの椅子に座ってこれでも食べていなよ」

ヒソカは棚から取り出したスプーンと、先ほど買ったアイスを私に手渡した。
そして私の腰掛けた椅子の前に座り込む。
何をするつもりなんだろう?
柔らかくなっている抹茶アイスに木のスプーンを突き立てながらヒソカを見下ろす。
ヒソカはコンビニの袋から何かのチューブを取り出して中身を自分の手の平に絞りだした。
そして、

「……っ」
「どうかしたのかい?」
「どうかしたって……それは私の台詞です」

ヒソカは絞りだしたそれを私の蚊に咬まれた跡だらけの足に塗りたくり始めた。

「痒み止めを塗っているだけだよ」
「自分で塗れますっ」
「キミはアイスを食べているだろ」

……それはお前が手渡してきたからだろ!
文句を言っている間にもヒソカは膝下の刺され跡に薬を塗り終え、私の剥き出しの太ももに手を触れた。
ひくっ、と喉が鳴る。
不安から体が強ばって声も出せない。
先の約束の通りこのままヒソカに事を成されてしまうのではないか、なんて不安になったのだ。
それなのに、太ももをなぞる指先にいやらしい雰囲気はない。
乱暴でもなかった。
ただただ、いたたまれなくなる位に優しく触れられている。

「……壊れ物でも扱うみたいに私に触れるのは何故ですか」

私は肉便器としてここにおかれているだけなのに。

「何故だと思う?」
「皆目見当がつきません」
「……そうかい」
「私、このままあなたに犯されてしまうのかと思ったんです」
「キミはなかなか自意識過剰なんだね」
「そうかもしれません」

よくよく考えればたとえバトルマニアでショタのことを青い果実なんて呼んでしまうような変態だからと言って、胸も膨らんでいない女の子に欲情するとは限らない。

「あなたは子供には欲情しない人なんですか」
「そんなことはないよ」
「それじゃあ、」
「だけどキミには性的に魅力を感じない」

突き放すような言葉とは裏腹に、ヒソカは私に小さなものを慈しむような視線を向けた。
やっぱり不気味だ。
だって私に性的魅力を感じないなら、私をここに置いておく理由なんてないじゃないか。

「理由もなく優しくされるのが怖いんです」
「理由があるならかまわないのかい?」
「あるんですか」
「……いや、そんなものはないよ。ただの気まぐれさ」

話こんでいる間にアイスは完璧に溶けてしまった。
私は溶けたアイスのカップを傾けて中身を喉に押し込む。
この甘味も、ヒソカの気まぐれな優しさだというのだろうか。
その気まぐれはいつまで続くのだろうか。
そんなことを考えたときに私の胸に焦燥感が込み上げてきた。
こいつの気まぐれがいつ終わるのか分からないから。
ある日突然私に優しくすることをやめたヒソカは不要になった私を殺そうとするのかもしれない、だからそれまでにこいつから逃げ切れる程度の能力を会得する必要がある。
もしも殺されずただ見放されるだけだとしても今のままでは困る。
この世界に慣れなければ自立なんてできるはずがないんだから。

「……私、早く念をマスターしたいです」
「どういう風の吹き回しだい?」

あなたから逃げるために、なんて言えるはずもないから曖昧に微笑んで立ち上がった。
スプーンとカップをキッチンで水につける過程で気がつく。
足の痒みが消えている、と。





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