命乞いの代償

「そんなに怯えるなよ……殺したくなる」
「い、いっ」
「ん?」
「……命だけは勘弁して下さい!」

叫んだ私は泥がつくのもかまわずに自分の額を地面に押し付けた。
いわゆる土下座の体勢だ。
獣に殺されて死ぬことを覚悟し、自分が死ぬという運命を受け入れていた私が、ヒソカ(?)に対して命乞いをしているのには一応の理由がある。
1度命が助かったことによって冷静になり、“生”への執着を取り戻したという理由と、人間のヒソカなら一応は話が通じるだろうと思ったという理由だ。
無論あの獣よりもヒソカの方がずっと強くて、危険だということは分かっているんだけど、どの道私みたいな平々凡々の超一般人はあの獣の一匹にだって簡単に食い殺されてただろうから、強さに関する両者の違いなんてあってないようなものだ。
今重要なのはこの男が人間で、言葉を理解出来て、掴みどころはなくても一応は人の感情をもっているということ。

「殺したくなるとは言ったけど殺すとは言ってないだろ、そんなに怯えることないじゃないか」
「いーえ、あなたは私を殺します! それもぼろっぼろのボロ雑巾みたいにずたぼろにするんです……うっ、うっ……怖いです」

自分は殺されると言い切った私にヒソカは多少なりとも面食らったようだった。
頬にペインティングされた星がひくりと動く。

「そこまで言うのなら殺そうかな」
「だ、だだ……駄目です! 困ります! 化けて出ますよ!」
「楽しそうじゃないか」
「いやいや、全く楽しくないっスよ。私の霊マジで悪質なんで……毎夜毎夜憎んだ相手の口の中にドリアンねじ込むんで」
「それは困るね」
「ほらみたことか!」
「……キミ、なんでそんなに偉そうなんだい?」

今度は呆れたような顔をするヒソカ。
おおっ……なかなか人間臭いぞ、これならいける気がする。

「偉そうなのは生まれつきです。
とにかく……殺すのさえやめてくれたら私、なんでもしますから」
「なんでも?」
「ええ、勿論です。私の命はあなたの物です……私はあなたの下僕としてあなたのために生きます」

ここまで言ったところで、正直言い過ぎたかな? とも思った。
だけどもしもこの先こいつの金魚の糞になれるのなら、それはとても都合のいいことのように思える。
こいつは不気味だ、それに強い……いい人よけになるだろう。

「キミ、役立たずだろ」
「そっ、そんなこと……」

あるな、大有りだ。

「なにが出来るの? ボクを楽しませることが出来るのなら殺さずに傍においてあげる」
「……に、」
「に?」
「肉便器くらいになら……なれるかと」

わ、た、しは……何言ってんだぁァああ!
私! 私だよ、私! 今完全におかしかったぞ、私!
なんだ肉便器って!
大体小学生の体で肉便器て……マニアック過ぎるわ!
ヒソカもこれにはにがわら……って普通に笑ってらっしゃる!
……なんか嬉しそうだし。

「肉便器か、いいね」
「い、いいっスか」
「うん、すごくいいよ」

……すっごい爽やかに笑うんですね、ヒソカさん。
ピエロメイクしてても美形です、うっとりします……。

「それじゃあ、よろしくお願いします……」
「よろしくね」

ヒソカが私に手を伸ばした。
ええっ、今ここで早速!? なんて思って一瞬身構えたけどヒソカは私の手をとっただけだった。
そのまま力強く握った手を引いて立ち上がらせる。

「服を着たら出発しよう」
「え?」
「全裸じゃどこにもいけないだろ? それとも、そういうプレイがお好みなのかい?」
「そ、そんなわけないじゃないですか……ただ、どこへ行くのかなって思っただけです」
「ボクの家さ」
「あなたの、家?」
「ああ」
「そうですか……そうですよね」

意外だった。
あれだけ人を殺す人間に家と呼べる物があるだなんて、思ってもいなかったから。

「途中で何か買って食べようか」
「いいんですか」
「肉便器に空腹で死なれたら困るだろ」
「……それも、そうですね」

そういえば、そうだ……私、こいつの肉便器になっちゃったんだ。
恋人がいるのに……まあ生きて帰るためには仕方ないんだけど。
やっぱり、少し怖い。

「ご飯食べたら何するんですか」

肉便器になる自分を意識して尋ねた。
ヒソカは迷いもせずにこう返す。

「キミを寝かしつける」
「寝るって……その、」
「睡眠をとってもらうんだ」
「え?」
「どうかしたのかい?」
「いえ……あの、私を抱かないんですか」

恐る恐る尋ねると、ヒソカは心底おかしそうに笑った。
足元に丸まっていた私の服を投げてよこしながら口を開く。

「抱かれたいのかい?」
「……それは」
「心配しなくてもボクはいずれキミを抱くよ。だけどキミに壊れてもらったら困るから、ボクが多少無理しても壊れないくらいに強くするまでは抱かない」
「強くするってどういうことですか」
「しばらくは仕事もなくて暇だからね、キミをあんな獣くらい蹴散らせられるようにする時間くらいはある」

そう言われてようやく把握した。
こいつは私に念を教える気なんだ。
ヒソカに揺さぶられても壊れないくらいに強くして、そこでようやく肉便器にする。

「ヘンゼルを太らせてから食べようとした魔女のばあさんみたい」
「ヘンゼルってなんだい?」
「……知らないならいいんです。着替え終わりました」
「そうか、それじゃあ帰ろうか。僕らの家に」

僕らの家、ヒソカは確かにそう言った。
さっき出会ったばかりの私を、まるで家族みたいに扱う。
最後には肉便器にするくせに……やっぱりおかしな奴だなあ、と思う。

……ヒソカが私を生かしてもいいと思ったのはきっと気まぐれだ。
こいつは気まぐれで嘘つきな人間だから。
だけど元の世界に戻りたい私は願わずにはいられない。
この気まぐれが出来るだけ長く続きますように、と。
ヒソカの肉便器としてでもいい、生きていたらもう一度大切な人たちに会える……なんて、異世界漂流一日目の私は信じて疑っていなかった。







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