少女の愛した男

 目が覚めるといつもの男と目が合った。寝呆け眼の私は、白いソファに腰掛けてコーヒーらしき液体を口に含んでいる男に対してこう言ってやる。

「……芸がないなあ」
「芸?」
「あなたと顔を合わせるときっていつもこうじゃないですか。退屈です」
「夢なんてそういうものだろ」

 男は何とでもないことのように言った。夢? と、眉をひそめる私に更にこんなことを言う。

「ああ、そうだ。ここはお前の夢の中、いや……脳ミソの中っつった方が正しいかもな」
「……あなたは夢の神様かなにかなんですか」
「神様? 俺が神様に見えるのか」

 ふるふると首を振る。目の前にいる男は一見するとただのチャラ男にしか見えない。もっとも、さして若いわけでもなかったが。

「俺は人間だ。自分の体をなくしてお前に寄生してる」
「そ、そうなんですか」
「驚いたか」
「……当たり前です。それ、いつからですか」

 そんなことを尋ねつつもトリップしたあの日が境だろうという見当をつけていた。

「そうだな……お前が三歳になった頃からか」
「はあ!?」

 予想外の解答に目をむいた。男は笑いながら言葉を連ねる。

「だからお前のことならなんでも知ってるぞ、ここにいたらお前の考えてることは何でも分かるからな」
「……プ、プライバシーの、」
「治外法権だ」

 無茶苦茶だ! どう考えたっておかしい。今の私は十六歳、つまりこの男の言葉が本当ならこいつは十三年間もの間私の中で暮らしていたことになる。

「……暇人ですか、あなた」
「暇は暇だな、なにせこんな場所にずっと一人きりなんだから。ここがお前以外の人間の中ならとっくに孤独死してる」
「そんなに暇なら外に出ていけばいいのに」
「それは出来ない。言ったろ? 俺には体がない」
「どうして……?」

 本当は答えなんて聞く必要はなかった。その理由を察せられないほど私は鈍い子供じゃない。

「死んでるからな、俺」

 男は何故だか照れ笑いを浮かべて言った。訳が分からない。どうしてそんな台詞を、残酷な台詞をそんな風に笑いながら吐き出せるんだろう?

「……あなたはおかしいです」
「そうかもな」
「どうして私に寄生するんですか。成仏出来ないのなら余所に行ってください」
「反抗期みたいだな、お前」
「……うるさい」
「鼻、赤いぞ」
「……うるさい」

 鼻の奥がツンとする。……泣きそうなんだ、私。どうして? 何が悲しくて泣きそうになってるの? ……分からない。

「……勝手に入りこんでごめんな」
「……うるさい」
「生きてなくてごめんな」

 優しすぎる声色に吐き気がした。目の前にいる男に、馬鹿みたい優しい目をしているこの男に、今とは違う場所で会ったことがある気がしていた。

「これ、あなたの念なんですか」

 涙を堪えるために話題を飛ばした。こんな得体の知れない奴の前では泣きたくない。
 男はこくりと頷いて自分の念について説明し始める。

「俺の能力は人の頭のなかに自分の精神を寄生させる能力だ。人に寄生している間は自分の体は空になる。つまり全くの無防備な状態だ」
「……それで私に寄生している間に体が死んじゃったんですか」
「いや、体が死んだときは別の人間の中にいた」
「へえ……」

 どちらにせよ随分間抜けな能力者だ。

「その能力何の役に立つんです? 今聞いたところだと全く使えそうにありませんけど」
「寄生した相手の思考を読める。寄生した相手と感覚を共有させられる。短時間なら寄生した相手を操ることも出来るな」
「……それならなかなか、」

 使える……かな? って私も操られる可能性があるのか、恐ろしいな。

「それから、寄生した相手の能力を奪うことが出来る」
「……チートじゃないですか」
「ただし奪った能力は自分の体では発現出来ない、他人の体に寄生したときにしか使えないんだ」
「それでも充分にやっかいな能力ですよ。……意外に才能あるんですね」
「まあな。ただし俺の能力には制約がある、俺のことを愛している相手にしか寄生出来ないんだ」
「女たらし専用ですね」
「それは嫁さんにも言われた」
「……既婚者なんですか」

 そういう風には見えないな。

「あー……バツイチ、みたいな感じだ」

 そういう風には見えるな。

「……あ、それじゃあ私をトリップさせた能力って誰かから奪ったものなんですか」
「ああ、嫁から奪った」
「……そんなだからバツイチなんですよ」

 自分の能力を奪い取られたら離婚したくもなるだろう。

「……いや、あいつにはもう必要のない能力なんだ。あいつはもう世界を越えない」

 何故だか寂しそうに目の前の人は言った。

「……大丈夫ですか」
「大丈夫だ。……とにかく、この能力はお前が使うのが一番いい。お前は世界を越えて、選ばなきゃいけない」
「選ぶ?」

 男は頷いて、ソファから立ち上がった。棒立ちの私の肩に触れる。

「とりあえず帰れ」
「え?」
「……母親のとこ」
「……帰れるんですか?」
「帰りたいと思えばいつだって帰れる。お前は世界を越える能力を持ってるからな」
「ヒソカに、」
「今生の別れにはならない。……約束する」

 男が小指を差し出した。私も同じようにして、男のそれに自分のそれを絡める。瞬間、意識が遠のき始めた。

「……おやすみ、カナタ」

 初めて名前を呼ばれた瞬間、とあることに気付く。男は自分の能力は自分を愛する人間にしか使えないのだと言った。そして男は私に寄生している。つまり私は男のことを愛しているということになる。おかしな話だ。私はまだ数えられる程にしかこの男と会ったことがないはずなのに……。





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