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Sample 君はダーリン 家に籠もっていても暗くなるばかりだからと外に出てみたのはいいものの、行く宛もないから公園で一人ブランコをこいでいる。 町中を出歩いて知り合いに見つかったら面倒なことになりそうだし。 「……どうしよっかな」 誰かに相談してみるとか? 真田……は、すごくテンパりそうだ。 柳……データをとらせろなんて言われていかがわしいことされそう。 仁王はいい加減だし、柳生はすぐに仁王に話しそう。 ジャッカルは親身になってくれそうだけど、家のことが大変そうだし。 赤也と丸井……アイツらは馬鹿だから駄目だ。 「まともな奴いないし」 やり場のない苛立ちをぶつけるように大きくブランコをこいだ。 立った状態で足を上げたせいかブランコの勢いに乗って右足から靴が抜けて飛んでいってしまう。 宙を舞った俺の靴はブランコに面した土手を転がり落ちて見えなくなってしまった。 取りにいかないと……そう思ってブランコを降りる。 元々自分が履いていた靴を履いてきてしまったから脱げやすいということを失念していた。 土手を下るときにもう片方も落としてしまっては元も子もないから左足の靴も脱いで下に降りていく。 「あった」 転がり落ちてしまった靴の片割れを見つけてホっと息をつく。 靴を拾いあげて顔を上げたとき、土手の上に人影が見えた。 「生きてっかー?」 何かを手に持ったその男は間の抜けた声で俺に問いかける。 馬鹿みたいな質問だ。 返事をするのも煩わしくて黙ったまま土手を上へと登り始めた。 階段なんかないから地面の草を掴みながら少しずつ登っていく。 「いたっ……」 上まで登りきる数歩前、踏み出した足で何かを踏んだ。 確認しなかったけどたぶんガラスだと思う。 土踏まずに切れた感触があって、その痛みに耐えるために奥歯を噛みしめた。 「大丈夫か?」 土手の上で俺に馬鹿げた質問をした男は未だその場を離れてはいなくて、足の裏の痛みに耐える俺に手を差し伸べてくる。 余計なお世話だと突っぱねることも簡単だったけど、痛みが引く気配がなかったからその馬鹿男の差し伸べた手を取った。 「ありがとう」 土手の上まで上がって足の裏を気にしながらも男に礼を言った。 気にすんなと言いながらそいつは手に持っていた何かを差し出してくる。 「それ……俺の靴」 「ん、知ってる。 ここで拾ってさ、下見たら女が見えたからそっから転げ落ちちゃったのかなあって」 「ああ……それで生きてっか?」 そいつの口から発せられた女という言葉に一瞬眉をひそめた。 それでも悲しいことに今の俺は本当に女なんだからこいつを非難することは出来ないのだ。 無事でよかったと漏らしてから、そいつはまじまじと俺を見つめる。 「……妹じゃ、ないよな」 「は?」 訳の分からないことを呟いてから、今度は俺の靴に目を移す。 そしてしばらくの間、何かを考えこむように親指で唇をなぞってから、 「病気?」 そう首を傾げた。 そいつの言う病気が何をさしているのか把握した上で俺も尋ねる。 「なんでそう思うの?」 「靴が男もん……それに、」 そこまで言ってそいつは黙りこんでしまう。 それに、何? 俺が問いかけても難しい顔をしたままで返事はしない。 「まあ、」 しばらくしてそいつはまた口を開く。 なんとも形容し難い笑顔を浮かべてから、 「その内分かるからいいだろ」 「意味分からないんだけど……」 「だから分かるんだって。 つーかその足じゃ歩けねえだろ? 送ってく、家どこ?」 「……っ」 そのあまりにもスムーズな話題転換に思わず呟いてしまう。 「それってナンパ?」 なんて、女になりたてだから必要以上に警戒してしまったのかもしれない。 俺の発言を聞いたそいつは堪えきれないといった様子で豪快に笑って返す。 「それはねえって」 その笑顔がどこかで見覚えがあるような気がして、酷くモヤモヤしたんだけど、話している間にも足の裏からは血が流れ続けて公園の砂地を汚していて、とても自分で帰れるような状況ではなかったから、 「……家は立海の近く」 素性も知らないそいつにそう言うしかなかった。 ***** 俺が女になってしまったことを知って、両親はかなり驚いていた。 もしかしたら当事者の俺よりもかもしれない。 それに引き替え、妹ときたら冷静なもので、 『私の制服、予備があるから着ていっていいよ』 とだけ言って部屋に籠もってしまった。 心遣いは有り難いけど、兄が姉になってしまったんだからもう少しショックを受けてくれてもいいんじゃないかとも思う。 ああ、だけど妹でこんなに冷静なら明日学校に行っても皆わりと普通だったりするかも……なんて思った俺が馬鹿だった。 前日のうちにメールで事情を説明してはいたのに、教室に入った瞬間に、 「女だ!」 「本当に女だ!」 「幸村君が女になっちゃうなんて……」 「ショック……」 教室内が一気に騒がしくなった。 男子と女子では反応が違う。 女子の反応を見ていると、恋人がいなくて本当によかったと少し安心した。 ため息をついて、皆にいつも通りにおはようなんて挨拶しながら自分の席まで歩いていく。 荷物を机の上において、ひとまず自分の席に座ろうとしたところでぴたりと動きを止める。 「何してるの?」 「何って、自分の座ってんだけど」 俺の隣の席、普段なら今ヶ瀬さんが座っているそこに我が物顔で座っていたのは昨日俺を家まで送りとどけてくれた男だった。 「そこ……今ヶ瀬さんの席なんだけど」 「……今ヶ瀬」 呟いて、そいつは自分を指さした。 そこで俺はようやく理解する。 『……妹じゃ、ないよな』 不可解な発言の意味を。 『その内分かるからいいだろ』 その言葉の意味を。 ……こいつは、この男は、 「今ヶ瀬さんなの?」 「ん、そういうこと」 隣の席の今ヶ瀬さん、殆ど話したことはないけど大和撫子って感じのおしとやかな女の子だった。 さらさらの長い黒髪がとても綺麗で、いつも花が咲いたみたいに笑ってた。 それが…… 「髪? 男なのに長いとウゼーから切ったよ」 こんながさつな馬鹿っぽい男になるなんて……! 性別が変わるだけじゃなくて性格まで変わっちゃうような病気だったりするの? 「はあ……俺、大丈夫なのかな」 「心配すんなよ幸村すっげー可愛いから」 俺の頭を悩ませる不安をよそに、さりげなく俺の肩を抱いた今ヶ瀬さん……今ヶ瀬の声はどこまでも脳天気だった。 |