Sample

YM

「お、」

今ヶ瀬の後ろにいた女子に打ち上げられたボールは、彼女の方を向いていた今ヶ瀬の手元に落ちてゆく。
今ヶ瀬がネット方向に向きなおすだけの時間は残っていなかった。
そうするより他なかったと思う、今ヶ瀬は後ろを向いたまま落ちてきたボールをレシーブした。
バレーはそれなりに得意らしく、今ヶ瀬のレシーブしたボールは綺麗に相手コートに入っていき、誰の手にも触れることなく体育館の床に落ちた。
見事だった、なのに俺は開いた口が塞がらない。
ボールをレシーブしたあとの今ヶ瀬の姿が網膜に焼き付いて離れない。
ボールをレシーブしたところ、そこまでは普通だった。
ただ、そこからがおかしい。
振りあげた手首からボールが離れていったあと、今ヶ瀬は何故だか上昇する腕の動きを止めなかった。
レシーブするときに組まれたままの今ヶ瀬の両の手は、俺から見ると反時計回りに回転するような動きを続け、ついには彼女の頭を越えてしまう。
一本の棒のように伸ばされたまっすぐな腕は、今ヶ瀬の耳にぴったりくっついて更に下へおりていく。
それに呼応して今ヶ瀬の腰はぐにゃりと後ろへ折れていった。
それはもう、ありえないくらいに。
そのままブリッジでもしてしまうのではないかと思うくらいに深々と下降した今ヶ瀬の腕と頭は彼女の腰が調度九十度に曲がったあたりで動きを止める。
そして三秒ほど静止してから元の体制に戻る。
今はすました顔をしてがに股立ちでネットを見つめていた。
俺は呼吸もせずにその一連の流れに見入っていた。

「な、変だろ」

したり顔でそんなことを言ってくるそいつも今ヶ瀬の動きから目を離せなかったんだろう。

「体柔らかかったな……」
「骨がないみたいだよな、あいつ五組でのあだ名シャチホコだしな」
「シャチホコか……言いえて妙だな」
「変人にはお似合いだ」
「変というか、」
「変というか?」
「いや、変なんだが……派手だな」
「派手ねえ……まあそういうとらえ方もあるのかもな」
「あの圧倒的な存在感……どうすれば俺も身につけられるんだろうな?」
「み、南?」

戸惑った様子のそいつが俺の肩を掴んだ。
お前正気か? なんて尋ねられる。
もちろん正気だ、正気を保った上で今ヶ瀬の存在感を賞賛している。

「たかが授業のバレーの試合であんなに派手なんだぞ。
公式試合ではどうなるんだ……」
「いや……バレー部じゃねえから公式試合には出ねえし。
つーか南、お前大丈夫か?
地味地味言われて正常な判断能力を失ってるぞ!」
「失ってない」
「失ってるよ!
なんだよ、その迷いのない目は!?
俺はお前のそんな真っ直ぐな目初めて見たわ!
派手になりたいなら千石とかを目標にしろって」
「……それはハードル高いだろ」
「今ヶ瀬の方が高いだろ……考えてもみろよ、南。
千石は派手だ、だが変じゃない。
あいつは行動や見た目が派手なんだ、だから女にモテる。
それに引き替え今ヶ瀬ときたら……行動とか見た目とか以前に纏ってる雰囲気が異質だろ?
きっとこの世に生を受けた瞬間からあいつは変なんだよ、しかもクソモテねえんだ。
普通でモテる派手と変でモテない派手どっちがいい?
まともに考えりゃ分かるだろうが」
「どっちがいいというか……千石よりも今ヶ瀬の方がいいな」
「南……冗談だろ」
「本気だけどな」
「っ……南なんか、南なんか!
がに股になっちまえ!」

体育館中に響きわたるようなボリュームで叫んで、そいつは走り去っていった。
そこで終業のチャイムが鳴る。

「がに股になりたいわけじゃないんだけどな……」

呟いてステージを降りたとき、ネットを片づける今ヶ瀬と一瞬目があった……ような気がした。


*****

「ねえ」

ウォータークーラーで水を飲む俺の耳に、甘ったるい声が届いた。
口を拭いながら振り返れば、胸のところに今ヶ瀬という小さな刺繍の入った女子が立っている。

「今ヶ瀬?」

こくりと頷いた今ヶ瀬はステージの上から見たときと少し違って見えた。
ステージ上からは見えない部分まで細かく認識できるからか、違う人間のように見えるのだ。
まず、ステージ上からでは全く気づかなかったのだが、今ヶ瀬は天然パーマだった。
とは言ってもそんなに酷いものではなく、三つ編みに纏められたその天パは今ヶ瀬を柔らかい印象にすることに成功していた。
それから顔、今ヶ瀬は俺が今まで見てきたどの系統とも違った顔立ちをしていた。
それは恐ろしく大きい目のせいなのかもしれない、その瞳は何か驚くことでもあったのかと問いたくなる位にぎょろりとしているのだ。
瞼には二重どころか三重、四重に線が入っていて、俺は鳥みたいだと思った。
ステージの上から見たとおりに体はとてもスマートなのだが、顔の輪郭線だけが柔らかく、丸みを帯びている。
至近距離で見た今ヶ瀬とステージ上から見た今ヶ瀬の見た目上の相違点はそんなところだ。

「南君……でしたっけ?」
「ああ」

甘ったるくて高い声は地声らしい。
愛らしく首を傾げた今ヶ瀬は俺との距離を一歩だけ詰めた。

「さっき南君の友達らしき人が大きな声でがに股と言ってたじゃないですか……あれは今ヶ瀬さんの話ですよね?」

今ヶ瀬さん……自分の名字にさん付けするのが彼女の一人称なのだろうか?
なるほど、確かに変だ。
そして派手だ。
俺も明日から真似してみるか……東方に驚かれそうだけど。

「無視ですか!
今ヶ瀬さんは傷つきやすいんです……分かったら、私の話をしていた理由を細かく説明してよ」

一人称は今ヶ瀬さんがデフォルトじゃないらしい、ついでに敬語も。

「今ヶ瀬は、」
「なに?」
「何でそんなにがに股なんだ?」

質問に質問で返した俺が気に入らなかったのか、今ヶ瀬は一瞬眉をひそめたが、すぐにすまし顔になって口を開く。

「新体操してるから」
「そうなのか」
「そうですよ」

何故か得意げに胸を張って、今ヶ瀬は言った。
そこで気づくのだが今ヶ瀬はかなりの貧乳だ。
それに背が高い。

「がに股だと肉が付きにくいんです」
「知らなかったな」
「……ただ、極端にモテなくなります。
べ、別にモテないのをがに股のせいにしてるわけじゃないんですからね!」

顔を真っ赤にして勝手に焦る今ヶ瀬は子供のようで可愛らしい。
今ヶ瀬のことをぼろくそに言っていたアイツに見せてやりたいくらいだった。

「何がおかしいの?」
「いや……何もおかしくはないけど」
「嘘、笑ってた……今ヶ瀬さんはなにもおかしなことなんて言ってないのに」

笑ってたのはすまし顔からの焦り顔への移り変わりが可愛かったからだ。
今ヶ瀬がおかしなことを言っていないというのには同意しかねるが……。

「なあ、今ヶ瀬」
「あっ、そろそろ授業が始まりますよ。
南君のせいで着替えられなかったじゃないですか!」
「それは、ごめん……」

呼びかけてきたのはお前だろ、喉まででかかった言葉を押さえ込んで、ひとまず謝る。

「謝られても私の貴重な時間は戻ってこないんだけど。
……っ、本当に時間がありません。
さようなら!」
「ああ」

……思ってたより変な奴だった、俺には真似できそうにない。
素直に自分が地味なのを受け入れるよう、そう考え直してからぽつりと呟く。

「でもあのおかしさはクセになるかもしれないな」

発言はもれなく全て暴投で、自分勝手で、話のかみ合わない奴だったのに、俺は今ヶ瀬に悪い印象は抱いていなかった。
そして、その日出会った変人とはこの先深く関わっていくことになるのだが……男子更衣室に向かって走る俺はそんなことを知る由もなかった。









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