小説 | ナノ

もうひとりの君
02
繁華街にある牛丼チェーン吉宗家は、
夕飯時をとうに過ぎた今も男性客で賑わっていた。

「いらっしゃいませー」
野太い声で条件反射的にそう言った室谷と島木は、
客の顔を確認すると眉間にシワを寄せた。

「牛丼特盛り2つ」

桑原はからかうようにニヤニヤと薄笑いを浮かべている。

「ちょっ、まさか私も特盛り!?」
「俺のおごりや。安心せい」
「そういう問題ちゃうわ!」

名前の突っ込みを軽く流し、桑原は室谷達の目の前の席に座った。
そして二人の仕事着姿をまじまじと眺めた。

「似合わへんなー」

箸ケースから割り箸を二膳取り出しながら独り言のようにつぶやいた。

「その帽子があかんのやな、たぶん。
 いや、でもエプロンもないなあ。
 エプロンする顔ちゃうやろ二人とも」

桑原は割り箸を一膳名前に手渡し、
もう一方は器用に親指の背でくるくると回した。

「うん、ないわ。マジでないわ、ノブやんも島木のダンナも」


「特盛り2つお待たせしました……」

室谷が両手に持った丼を差し出した。
その手は震え、声も怒りを噛み殺すように低くこもっていた。

「おまえ、なんで桑原なんか連れてきたんや」

丼を渡す際に、室谷が周りに聞こえないように
おさえた声で名前だけに言った。

「えっと、まあ、ノリで……」

視線を泳がせる名前に助け舟も出さず、
桑原は出てきた牛丼を早速掻き込んでいた。

「次のミッションで会うたとき、覚えとけよ」

ほぼ口を動かさずにボソッと吐き捨てられた言葉は、
室谷の怒りをよく表していた。

「うわっ……コワーッ」

名前は肩を竦めて、目の前に出された大きな丼に箸をつけた。







「いやー、しかし笑ったなあ」

吉宗家を出ると、桑原は心底楽しそうにそう言った。

「苗字のおかげでおもろいもん見れたわ」

振り返った桑原の笑顔に、名前は不覚にもドキッとした。
無邪気な少年のようでもあり、
大人の男の色気も漂うような笑顔だった。
ミッション中は恐怖のあまり現実逃避で奇行に走っているだけで、
これが本来の彼の姿なんじゃないかと思ってしまいそうなほどに。


「なあ、そんで今からどうする?」

桑原の長い腕が伸びてきて、名前の肩を抱き寄せた。
上着越しでもわかる、逞しい腕だった。

「どうするって、何よ」

名前の心臓はドキドキと早鐘を打った。
この男は、あの桑原なのだ。
どうしようもない最低の変態男なのだ。
そう自分に言い聞かせないと、クラッといってしまいそうだった。

「やらせてくれるんやろ?」
「…………ハァッ?!」

名前は自分の耳を疑った。
一瞬にして現実に引き戻された。
別人のように見えていた桑原が、
名前の知るいつもの桑原に戻っていた。

「まだ10時やし帰るには早いやろ。
 俺、今日まだセックスしてへんし」

「な、そんなん知らんわっ!つーか毎日するもんなん?!」

「ええやん別に知らん仲やないし。
 まあお前のこと何にも知らんも同然やけど」

「顔見知りやったら誰でもやれるんかアンタは!」

「見知らぬ相手でもかまへんけどな」

「ホンマ最っっっ低やなアンタ」

「俺は自分に正直なだけやで」

「ポジティブに言い換えんな!
 アンタそんなんでええの?彼女とかいてへんの?」

「彼女なんかおらへんで。自由やろ」

「いや、でもさ、私の事とかちょっとは仲間だとかそういう意識ないの?」

「せやからちゃんとこうして礼儀正しく"やらせてくれ"て頼んでるやん」

名前はハァーーーーッと盛大に溜息をついた。

「もういい。わかった。アンタとはどんだけ話しても
 一生分かり合える気せえへんわ」

肩に置かれた桑原の手を払い除け、名前は逆方向に歩き出す。
ほんの少しでも桑原にときめいてしまった自分のことが嫌になった。


「……………」

桑原は無表情に名前の後ろ姿を見ていた。
ふいに名前が振り返る。

「あ!そうだ!お酒と牛丼ごちそうさま!」

怒っていたくせに、思い出して律儀に礼を言う名前がおかしくて、
桑原は小さく吹き出した。

「次は苗字が奢れよ。今度はやらせろとか言わへんようにするから」

短く考えて、名前はうなずいた。




(あとがき)三歩進んで二歩下がる感じで。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -