短編 鬼 | ナノ

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イチニツイテ

これではいけないのではないか。
そんな疑問が不意に胸に過ったのはもう一年も前の事。
そんな自分の小さな葛藤は日常という安寧秩序のためにはるか彼方。
つまり、見ないふりをしている。
今の職場に勤め始めたのはもう何年か前。
女性の多いこの職場では責任者に男が重宝される。
まさしく今の時代にそぐわない古い体制。
遥か古。古臭い、時代遅れ、老害のもたらすなんとやら。
なんでもいいけれど、次に、次こそは、と役職の話を持ち掛けられてはどこの部署からか『男』がやってきては白紙撤回。

「ほら、お客様にクレームを言われたら女の子じゃあ対処も難しいでしょう」

そんな言葉を吐いてはいるが、本当は私に実力が足りないのではなかろうか。
そう考えて必死に成果を作り上げて、

「これでどうだ!!」

と叩きつけて返された結果は
遥かに私よりも実力のない『男』。
つまるところ、この会社に私は辟易しているし、やめてやる。やめてやる。と呪いの言葉をつまみに酒を煽るのももう飽きた。

つまり、やめる言い訳を沢山沢山探しながら、今のストレスにまみれた暗澹たる日常を手放さない。

その勇気もなく、手放せない。
けれど27回目の誕生日を迎えると同時。
そんな考えも吹き飛んだ。

いつまでも独身貴族を謳歌しよう!
いつまでも二人で酒を酌み交わそう!

一生独身宣言を寄越した友人、否。友人だった女は朝がた、
よりにもよって誕生日。それも私の一つ歳を重ねたその日に、

「デキ婚することになった」

等とのたまった。
出来たことは仕方ない。
いや、良くないが、どうしようもない。
おろせとか言う権利もなければそんなつもりもない。
相手が逃げずに結婚すると言うのなら、その彼氏は当たりだったね。
そんな言葉しか漏れ出ない。
つまり、

「おめでとう」

そう宣うことしか選択肢も残されていない。
本当は一緒に喜んであげたい事なのに。
もろ手を上げて喜べないのは、ひとえに私の彼氏いない歴が年々伸びていくから。
結婚以前の問題。
そう。
Q.
なぜこんな会社にしがみつくのか。
A.
いまの私には、それ以外ないからだ。

全くいなかったわけでもない。
高校卒業の波で高ぶったままの気持ちのまま告白してきてくれた少年Aと確かに私は付き合っていたし
大学在学中には二股をしっかりかけられた。

いずれも別れた理由は私が体を明け渡さないから。
つまり、私は未だ処女である。

それなりにすきだった。
付き合って、キスもした。手もつないだ。一通りのイベントをこなした。
けれど、それだけなのだ。
燃えるような気持にはついぞならず。
そんな相手に、痛いと噂の「最初」をあげる、否。貰ってもらう勇気はわかなかった。

つまり、わたしはずうっと、ただの意気地なし。
この歳になると、喜ばれるものでもないのだろう、なんてことは想像に難く、デートをして、良い雰囲気になってもじらすように
「サヨウナラ」そんなことを繰り返していたものだから、その先に進む勇気すら私はついに消費していくだけの毎日を過ごしてしまっているわけだ。

けれどその日、私はもうヤケだった。
そんな話を酒のあてにしていた友人はその腹の中で自分と彼の幸せの象徴を育んでいくことを決めたわけだ。
ちゃんと心から「おめでとう」と言うためにも、私は覚悟を決めることにしていた。

ここまで前置きをしておいて、何の話だってわけだけれど。
つまり、いま私は人を待っている。
そう、男の人。

事の始まりは一週間前。
職場で唯一仲良くしている同僚での胡蝶カナエに、話を持ち掛けた。
端的に。

「カナエちゃん。誰か紹介して」

ただただシンプルに。
あらあらうふふと笑うカナエちゃんは会社でも一二を争う美人。
美人の笑みは迫力満点。
そんなカナエちゃんは部長と最近になって付き合い始めた。
幸せの絶頂期である。
彼女のまとっているお花の数は確実に最近増えている。
私はそう確信している。
まあ、概念的なものであるけれど。

つまり、

「絶対仲良くなれるわ!」
「きっと名前ちゃんも好きになるわ!!」

なんて言った彼女に今ばかりは殴り込みに行きたい。
さほど混雑のない駅。
こちらに向かってくる人間は確実に彼一人。
きっと、顔も知らない待ち合わせ相手はきっと彼。
待ち合わせ相手の見た目はカナエちゃんの計らいで、私だけが知らなかった。
その時点で気付くべきだったんだ。
きっと。

だってたぶん、間違った対応をしたら、私は死ぬ。
それくらい、彼はヤバい見た目をしている。
もうことばが上手く出てこない。出てこないけれど。

めっちゃいかつい。
Tシャツにデニム。飾り気のないその様相ですらもういかつく見える、いや、きっと彼はどんな格好でもいかつい。
私の理想は佐々木〇すけみたいな、頼りがいのある力強そうな、優しい雰囲気の人!って、はるか昔にカナエちゃんに伝えた言葉はどこかに消え去ったいたのだろう。

「名字サンですよね。すみません、遅れましたか」

真っ白な髪を携えて、顔中に傷跡を拵えた男は、私の予想よりもずっと静かに、丁寧に言葉を落とした。

「あ、はい。いえ、丁度です。……多分」
「行きましょうか」

そう言ってひとまず、とでも言うように連れてこられたチェーンの喫茶店。
無難of無難。
間違いない。私だってここを選ぶ。
店員さんに適当にドリンクを注文して受け取った私たちは、とにかく適当に空いている席に腰かけた。
隣になるのも気まずいと考えたからボックスになっている席を選んだわけだけれど、向かいにいるせいで、少しばかり苦手な雰囲気の顔が嫌でも視界に入ってくる。
いや、別に嫌とかでもないけれど。
どちらともなく、ほとんど名前と年齢だけの既に知っているはずの自己紹介を終え、話題に詰まった。

「あー、えっと、カナエちゃんが『どうせ二人とも話題に困るだろうから』ってことで、映画のチケット貰ってるんです。行きます?」

これは勿論嘘である。
そう考えた私があらかじめ用意していた。
そう。
とにかく本気で彼氏の一人でもとっとと作ってしまいたいわけ。
この人が無理でも、この人の友達でも紹介してもらえれば十分で。
そもそも今日に期待はしていなかった。
にしてもやっぱり『苦手』と『普通』はまた別で。
つまり、この人の発しているトゲトゲとした雰囲気が『苦手』。
そういう時用に用意しておいた"映画"。
程よく時間も潰せて、後のおしゃべりで手っ取り早く人柄が知れるっていう寸法。
この歳にもなると、こうやって打算がたっぷりとサービス残業よろしく出張ってくるのだから、可愛げのない女になっていくというものだ。

「ありがたい気遣いですね。礼をしときます」
「ヒューマンドラマなのは私の趣味ですけど、大丈夫です?」
「嫌いじゃないですよ」

なんて、たわいのない会話をこなして、映画館。
今、泣けると話題の洋画。
ヒューマンドラマって、いいよね。
どんな人にもドラマがあって、自分の悩みはちっぽけなのかも、って思えるようなスケールの物語が詰め込まれている。
そんな他人の人生を追体験するような感覚は嫌いじゃないどころか、少しばかりの心のデトックスになっているわけで。

この映画、ヤバい。この歳でやばいやばい言うのもヤバいけど、ヤバい。
めっちゃ泣く。
静かにしなきゃ、と思ってこらえているのに、めっちゃ震える。
めっちゃ泣く。
右隣もこっそり震えていて、ちら、と横を向くと、彼は自分の顔を私より幾分か大きそうなその掌で隠した。


映画館を出てすぐ、私は化粧室で顔を整えた。
間違いなく選択ミスであった。
あれはもう一度一人で観たい。
そう思えるほどの、良い映画だった。

「ごめんなさい、お待たせしました。」
「いえ」

頭を下げて、ふっと彼の顔を見たら、何故かは本当にわからないけれど、先の映画が思い出されて、またダバダバと涙が溢れてしまった。

「……だいじょうぶですか」

こらえきれない、とでも言うように吹き出すのを彼も堪えているようで、

「………こえ、震えてますよぉ、」

ついに「ふ、……く、く」と、音を零しながら笑い始めた。
二人して、ようやく落ち着いてから映画館を後にして、また手近な喫茶店に入る。
いかにも、な純喫茶店は先ほどの店よりもずっと落ち着いていて、いかにも、な高級そうな革張りのソファにアンティーク調の濃茶のテーブル。
出されるティーセットやミルクポットのひとつまでクルクルとしたロココ調。
少しばかり華美すぎる気もするけれど、趣味が良い。と思わせるようなそれ。
いや、何様、って感じだけれど。

「面白かったですね。映画」

切り出したところで、ふ、と彼の、不死川さんの口元が綻んだ。
なんだ、こうしていればちょっといかついけれど、気のよさそうな青年であるな。と思う程度には柔らかい雰囲気。

「兄弟が居ると、思うところがありますね」
「ええ。まあ、うちは仲良くないので、然程ですけど。それ抜きでも、……ああ、もう」

思い出して、また泣けてきてしまった。

「うちは、兄妹多いので、いろいろ重ねてしまいました」

店に備え付けのペーパーナプキンを私に渡しながら、告げる声は、ひどく優しい。

「不死川さん、お兄ちゃんでしょう」
「ああ、わかりますか」
「さっきの発言で。きっと、良いお兄ちゃんですね」

なんて。
受け取ったペーパーナプキンで目元を抑える。

「ごめんなさい。涙腺崩壊してますね」
「あれは、なかなか泣かせに来てましたから」

なんてことの無い顔をしながら言うけれど、彼が後日一人で見に行って、涙をこぼしている姿を想像すると、ひどくしっくりくるので、きっと彼はそういう人だろう。
とかなんとか勝手な妄想をして、ちょっとだけ笑った。

話が途切れたところで、明日、仕事が早いんです。
とか、ありもしないことを言い訳に、私は早々に帰宅した。


悪くはなかった。
悪くはなかったけれど。

少しばかり広めの1ルームに鎮座しているセミダブルのベッドに転がって、スマホをつけた。

『今日は、ありがとうがざいました。
帰られたら、一応連絡ください』

打ち込まれたそれ。
適当に打ち返して、返信。

『こちらこそ、楽しかったです。ありがとうございました。今帰りました』

女としての本能が私に告げる。
この人は、きっと、生半可に手を出していい人じゃない。
やめた方がいい。
どこかでそう、言われている。
そんな気がした。


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