短編 鬼 | ナノ

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私の恋について・下

「あのっ、名字さん!今日放課後中庭の桜の木の下で待ってます!」

この高校に入学して二年目。
校内に入る朝の風がまだ生ぬるい10月の二週目。
学校に来て早々の靴箱で上履きを出していると突然かけられた声に、私は目を白黒させた。
隣で、同じように突っ立っている実弥君を見ると、私と同じように目を見開いて、同じように声をかけてくれた男子の去って行った方を見ている。

「……不死川君、教室、行かないの?」

朝練終わりの実弥君は隣を歩いていた甘露寺さんに手を上げて挨拶をしてから、登校したてで校門をくぐった私を見かけて一緒に下駄箱まで来てくれた訳だから、今ここには私と実弥君しかいなかった。だから実弥君が何かを言ったら聞き逃すはずがないのだけれど、何も返事が聞こえてこない。
丁度私が声をかけられたあとからガヤガヤとやって来た部活のお友達に肩を組まれたりとじゃれられ始めて、「放せよクソが」とか何とか唸りながら靴を脱ぎ、いつもよりももう少しだけ乱雑に下駄箱に自分の靴を詰め込んだ。

「またね!」

と、一応手を振ったけれど、実弥君は少し俯いて部活仲間なのであろう人たちにもみくちゃにされて視線だけを私に寄越してから、瞬きと一緒にその淡い紫の視線を逸らした。
実弥君を置いて、自分の教室に入ってまだ誰も来ていない教室の窓を開けていく。
私はこの、誰も来ていない教室の独特の空気感が好きだった。
つい昨日、この教室で普通に少し退屈な授業を受けて、友達と馬鹿な話をして笑う少しばかり騒がしい空間が、ほんの10分違うだけでこうも静かな世界になる。そんな気がして。

登校してくる生徒がまばらに見え始める頃には、実弥君がこの教室の横を通り過ぎていく。
それをいつもは自分の席から頬杖をついて眺めるのだ。
けれど最近は、持ってきた本に視線を落としている。
実弥君と伊黒君の隣に同じ剣道部のあの桃色のおさげのあの女の子が居るからだ。
3人でいつも一緒に居るのを何度羨ましいと思ったか知れない。
実弥君が甘露寺さんにブレザーを貸しているのを見た時なんて、心臓がいっそ止まるんじゃないか、なんて思ったものだ。
けれど私はそもそも、ずっと実弥君の隣に居られるだなんて、はじめから思ってはいなかった。
あんなに小さなころの、「おおきくなったら結婚すんぞ」を真に受けて居られるような素直な気持ちなどはとうに無くなったし、中学の卒業の際には友達と実弥君の仲を取り持つようなことだってした。
顔を顰めた実弥君に、後から「何のつもりだ」と言われたけれど、そんな事は自分が一番知りたい。
どこかで断って欲しいと願いながら取り持っているのだから、私は救えない、と思う。
実弥君が好きだと気が付いてから、きっとそのうち実弥君の隣には私よりもずっと明るくて綺麗で、実弥君が「お似合いだね」って友達から言われるようなそんな相応しい人が出来るのだろう、と漠然と考えては人魚姫のような気持に浸っていたりして。
結局、実弥君に「好き」と伝える勇気が無かったのだ。
実弥君の「特別」で居られる今の状況から離れることが怖かったのだ。
あの幼い頃のように、頬にキスをするだけの勇気を持っていなかった。
一瞬でその他大勢にまで落ちるのが怖くて仕方なかったのだ。
その言い訳に過ぎない。
本に視線を落としてはいるものの、内容なんて全く入っては来ない中、ただ文字の羅列だけを目でなぞった。
段々と、目が滑って文字を追う事すら難しくなってきた頃には、教室にちらほらと人が入り始めて、私はただただ無駄な時間を共にした本を閉じ置いて、「おはよう」と今教室に入って来たしのぶちゃんの方へ顔を向けて口角を持ち上げた。

明日からテスト期間に入るからいつもなら実弥君と一緒に下校するのだけれど、今日は一緒に帰る事は出来そうにもない。
実弥君に言わなければ、と思うのだけれど、その機会が訪れることも無く後1限で今日の授業が全部終わってしまう、と言う頃。
体育の授業の終わったらしいクラスの生徒が教室に戻っていく姿が見える。
その中に実弥君の姿を見つけて、

「不死川君」

廊下側の窓越しにそう声をかけると、実弥君は長い睫毛を揺らしながら不機嫌そうに顰められた顔をこちらに向けた。

「……ンだァ」
「あの、今日は一緒に帰れないから、先に帰ってて……」

そこまで言うと、実弥君の口から小さな舌打ちが落ちて、実弥君の隣の男子生徒が「お?なんだよ不死川ぁ、嫁かぁ?」と実弥君を肘でつついて冷かしている。

「ちっっ、げぇわ、ばァか」と、肘で小突き返し、私に向き直る。

「……そもそも約束してねぇだろォ」

実弥君の言葉に、上がっていた口角が下がっていくのを感じた。
ずっと、実弥君の特別のままで居たいと思っていたけれど、もしかしなくとも、もうとっくにそこに私はいないのかもしれない。
ツキツキと痛み始めた胸のあたりを誤魔化すように、スカートをきゅうと握った。

「そう、だね!呼び止めてごめん」

実弥君の反対隣にいた伊黒君が、「そう言う所だぞ不死川」とか何とか言って、実弥君の頭を叩いて行ってしまう。
実弥君は叩かれたそこをガリガリと掻き、耳を赤く染めてから誤魔化すように「伊黒ォ!」と大きな声を上げて伊黒君を追って行ってしまった。
二人で並んでじゃれ合って、赤くなっている実弥君は、もしかしなくてもあの甘露寺さんの事を話しているのだろうか。
ずっと、部活も勉強も頑張ってきた実弥君だから、高校に上がったんだから報われることがあったっていいじゃないか。
そう、何度も自分に言い聞かせながら、視線を逸らした。

中学の頃は、実弥君も伊黒君もずっと部活を頑張っていて、何もない私にはその姿がとても目映かった。
別に剣道の強豪でも無かった私たちの中学の剣道部。実弥君と伊黒君はいつも遅くまでがむしゃらに稽古をしていて、2年に上がる頃には全国出場まで果たした。
私立産屋敷学園に、最後の全中の大会で負けてしまった時は私は何と声をかければ良いのか分からなくて、ただただ唇を噛み締める二人の2歩後ろでその姿だけを見ていた気がする。
兎に角、実弥君と伊黒君はずっと一生懸命だった。
中学2年の時に、伊黒君に「勉強を教えて欲しい」と言われたから、これなら二人の役に立てるんだ!と理解した私は早かった。
マネージャーになる道も考えなかった訳では無い。
けれど、マネージャーの役割をする部員だって既に居るのだから、マネージャーになったところで私が役に立てるとはそうそう思わなかったのだ。
それなら、二人が勉強の時間を割いて稽古をしている間、私が勉強をして二人に教えてあげられた方がきっと役に立てる。
そう思うと、二人が部活に、自主練に取り組む時間を私は勉強に費やした。
それで役に立てたのは最初のうちだけで、実弥君と伊黒君はそのうち「名字にも自分の勉強があるだろう」と二人で勉強もこなしてしまうようになっていって、「わかりにくかったのかもしれない」「もっとわかりやすく教えられるようにならなくちゃ」って、私は私の事にいっぱいになっていった。

結局、同じ高校に居るのに進学クラスと、普通クラスで別れている今。勉強を教えるも何も。
実弥君と伊黒君がいつ勉強しているのかも、今どこの単元をしているのかすらも知らないし、教えて、と言ってくることももうずっと無いのに。

「もしもーし」

と、隣で私をつつくしのぶちゃんに、「ごめんね」と顔を上げてそちらを向くと、

「わぁ、酷い顔ですねぇ。それじゃあ100年の恋も覚めますよ」

なんて。

「ひどぉい!!」
「ほら、そうやって笑っている方が良いですよ。名前は不死川君が好きなんですか」

きっと、頭の良いしのぶちゃんはもう答えなんてわかり切って聞いているのであろうことはわかっているけれど、

「そんなんじゃないの」としか。

好きだ。
ずっと前から。
ずっとずっと。
けれど、今それを言ってしまったら、もしも実弥君がそれを知ってしまったら、あの真っ直ぐで責任感の強い実弥君だから、きっと気にするんじゃないかなって。
今、唯一二人で会って話して祝い合っている誕生日すらも無くなってしまうんじゃないかな、って。
やっぱり臆病な私は話を逸らす事しか出来ずに居る。

「ね、それよりさっきの所なんだけど」
「はぁ、どこですか」





放課後に、言われた通りに中庭のもう青々と茂っている桜の木の近くのベンチで本を開いて今朝の続きを目で追っていた。

暫くそうしていると、「あの」と聞き覚えのある声がして、私は本を閉じた。

「遅くなって、ごめん……。あの、……すきです!!付き合って下さい!」
「……」

想像していた通りの言葉に、何と返そうか、と。
何と返せばこの人は傷つかないんだろう。と考えはするけれど、答えなんて出ては来ないから、

「ごめんなさい」と、頭を下げる。

「何でか、聞いても良いですか」

その言葉に、はた、と頭を働かせた。
出てきた答えは、至極単純で、

「……好きじゃないから……です。あの、その、恋愛的な意味で」

そう言うと、彼は口角を上げていく。

「あの、俺の事、知ってますか」

唐突な質問に、首を振ると「わ、そんな正直に言わなくても、」と笑われて、思わず「ご、ごめんなさい!」と謝罪。

「いや、大丈夫です。……俺、隣のクラスの毀滅茂文キメツ シゲフミって言います!」
「あ、はい……名字名前、です」
「知らない人間を、好きにはなれないじゃないですか」
「そう、ですね」

彼はそう言うと、両方の肩に引っ掛けていた学生鞄を背負い直して、

「付き合ってみて、好きになれるか見てもらうって、どうすか」
「どう、って……」
「ほら、知らない人間を好きになれる訳がないけど、知っていけば好きになるかもしれないじゃないですか。
俺は名字さんを知って、毎日誰よりも早く来て教室の窓を開けて空気の入れ替えをして、花瓶の水替えをして、いつも笑ってる名字さんを好きになったんで、まずは知ってもらわないと、って思った訳です。」

クリ、とした目を一度瞼を落としてから、私ににぱ、と笑いかけた。

「でも名字さん、気付いたら不死川と一緒に居ること多かったから、……なんていうか、……先を越されたら、嫌だなぁ、って言うか、そんな感じ。」

「う、うん」と頷くと、

「だから、嫌いとか、嫌とかじゃなかったら、付き合ってみてくれませんか」

と、頭を下げられてしまった。

その言葉に、私はもうわからなくなった。
私は、実弥君を好き。
でも、それは幼馴染だから、なのだろうか。
実弥君を「知っている」から好きになったのだろうか。
きっと、答えは両方とも「是」。
だって、初めて会った時には「苦手だなぁ」って、思っていたもの。
「怖いなぁ」って、思ったこともあったもの。
でも、それ以上に私は実弥君の良い所を「知っている」から好きなんだ。
だから、きっと今の私以上に今の実弥君と一緒の時間を過ごしている甘露寺さんがこんなに優しくてかっこいい実弥君の事を好きじゃない可能性だとか、二人が別れる可能性だとかを考えたことが無かったんだ。
そんな実弥君の選んだ女の子が悪い子な訳がないじゃないかと思ったのだ。

なら、毀滅君の言う通り、毀滅君の事を知っていったら好きになるのかもしれない。
もしかしたら、実弥君以上に。
仮に、そうでなくても実弥君はいつか諦めて踏ん切りをつけなきゃいけないのだ。
それなら、それが少し早まるだけの事ではないか。

それでも、実弥君の事が好きなのに、毀滅君に対して不誠実じゃないだろうか。
実弥君を好きな私の気持ちに、不誠実では無いのだろうか。

「私、……好きな人が居てね、」
「でもほら、その人より好きになるかもしれない。」
「でもそれは毀滅君に悪い、と言うか、……不誠実でしょ、」

私の言葉に、「そういうとこに、弱いんだよなぁ」と、ついにしゃがみ込んで頭を抱え込んだ。

「好きになれるか、わからないじゃない、ですか」
「うん。その時は、諦める。」
「その、……」

私も同じ目線になるようにしゃがむ。

「お友達から、……とか、どうですか」

そう答えたところで、すぐ後ろの校内の廊下が騒がしくなってくる。

「やめておけ、不死川!!キサマが悪い!諦めろ!!」
「だ、駄目よ!不死川君!」

ガタガタと、大きな音を立てる直ぐそこの窓に目を向けると、窓枠に足をかけて上履きのまま中庭に降りてきた実弥君が、目を血走らせながらずんずんとやって来て、私の腕を持ち上げた。

「フっざけてんじゃねぇぞォ!」
「へ、?!な、……の、覗いてたの?!」
「てめェらが見えるところでやってっからだろがァ!!」

その勢いで私は立ちあがって、
私も、私のすぐそこでしゃがみ込んだままの毀滅君もポカンとして実弥君を見上げた。

「てめぇも早く立ちやがれェ。そんなにコイツのパンツ見てェってかァ」
「あ、ごめん」

いそいそと立ち上がった毀滅君も段々と思考が回復してきたらしい。

「ていうか、今俺が名字さんと話してんだけど、」
「それは後で聞く」

そう言って、私の腕を掴んだ手を離してから実弥君は、一歩、私に足を向けた。
一歩下がる。

「逃げんなァ」
「に、げてないよ」
「なぁに他の男とよろしくやってんだァ?!!アァ?!」

実弥君の怒声がビリビリと体に響く。

「だ、な、……し、なずがわ君も、」
「だいったいなァ!ンでシナズガワ、だァ!!いっつもサネミ君サネミ君つってたろォがァ!!」
「だっ、て!……実弥君が先に名字って呼び始めたんじゃない!」

私の言葉に、また一歩、足を詰めてくる。から、私も一歩下がる。

「お前が!学校で揶揄われて、困ってたからだろが!!俺は困ってねぇんだから、やめてんじゃねェ!」
「そ、んなの、言ってくれなきゃ、……わかんない」

また、一歩詰められて、一歩下がった。

「俺が!なんッのために!高校のレベル上げたと思ってんだァ!!」
「だ、……そ、!!知らないもん!今、初めて知った!!」
「言ってねぇからなァ!!」

そうして下がっていたら、背中にトン、と壁が当たって、
ガン、と音を立てて私の顔の隣にいつの間にか太くたくましくごつくなった実弥君の腕が付き立てられている。

「お前は!!俺と!!結婚するっつったろォがァ!!!」

私はその言葉に目を見開いてしまって、実弥君もどんどん赤くなっていって。
背中には実弥君の出てきた窓枠。
頭上からため息と、「きゅんとしないわ……」という呟きが聞こえてきていた。
嘘、本当に??私、今凄くキュンキュン来てる。
心臓が、破裂してしまいそうだ。

「そ、れ……だって、もう、10年以上前……」
「責任取るとも言ったろがァ!」
「それも、10年くらい、前……」
「よその男に現抜かしてんじゃねぇぞォ!」

実弥君の凄む声と、血管のこれでもかと浮き立った実弥君の近すぎる顔に思わず「ひぇ、」と声が漏れた。

「俺で!良いだろがァ!!」
「へ、…ぁ、…え……はい」

こくこくと頷く私に、満足したのか、実弥君の体が少し離れたところで、

「名字さん、明日からお友達でよろしく!」

と毀滅君が声を上げる。
実弥君が「ア゛ァ?」と、また地響きみたいな声を出して、

「人様のモンに手ェ出してんじゃねェぞォ」
「結婚するまではセーフでしょ」

バチバチと火花が散っている、と思う。

「ひぇ」




結局、実弥君と帰路につく事になった。

いつかみたいに、実弥君は私の手を引いてずんずんと進んでいく。

「甘露寺さんは、いいの?」

私の言葉に、顔半分だけを私に向けて、「はぁ?甘露寺ィ?」と少し上を見てから、「あァ、」と呟いて

「アイツは伊黒とそのうちくっつくだろォ」

と、実弥君は頭をかいていた手をはたと止めた。

「ヤキモチかァ?」

なんて、嬉しそうに笑った実弥君に、ちょっとだけ頷くと、実弥君はピタリと動きを止める。

「い、行こ!はやく帰ろ!」
「お、おゥ」


私の家の玄関前まで送ってくれた実弥君は、私の手を離してから頭をガシガシと掻いて、

「……結婚、とはとりあえず言わねぇから、……付き合えよ」
「……実弥君と?」
「俺とォ」

頬を真っ赤に染め上げた実弥君がそう言うから、
きっと、
多分今日凄く勇気を出してくれたんだろうと思ったから、私も、少しだけ。
ほんの少しだけ、背伸びをしようと思う。

少しだけ背伸びをして、前よりもずっとずっと高い位置にある頬にちゅ、と唇を寄せた。


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