小説 | ナノ

「不死川、」

と呼ばれて、男は振り向いた。

「よォ、宇髄」

珍しく、少しばかり疲れた表情を作ってしまっていたらしいそれを、6尺6寸程ありそうな巨躯を軽やかに動かす派手な男は笑う。

「珍しく草臥れた顔してんじゃねぇか。なんかあったかぁ?」
「いんや、なんも、……」

そこまで言いかけた不死川実弥の元に、一羽の烏が手紙を寄越した。
それを読んだところで、はぁ、とそれはそれは大きなため息が不死川から漏れ出てしまう。
横から大柄なその宇髄と呼ばれた男が手紙を覗き込んだところで、不死川は文句を言うことは無かった。

「っハァー!派手に扱いづれぇな!!」

カッカッカと大きな音で笑う男に不死川はこれまた呆れた顔を寄越す。

「欲しいんならやらァ」
「んー、何かあったら嫁が危ねぇから勘弁。
にしてもお前、お館様直々に面倒押し付けられちゃあ断れねぇわなぁ。
しかも、任期もねぇ。挙句、悪い奴でもなさそうだ。自分からも逃げねぇ奴かぁ。」

めんどくさいねぇ、と他人事だからとどこかニヤついている。

「煉獄か甘露寺にでも押し付けてやりてェ」

不死川の人選に

「間違いねぇな!」

と宇髄は笑う。

「まぁ、やりずれぇなぁ。なぁんで、鬼に見つかっちまったかねぇ。
見つかりさえしてなければ、どっか俺らの目の届く範囲でなら『普通』に暮らせたろうに。運の悪い奴だ」
「違ぇねェ。……あいつ、毎日、俺の飯までこさえてやがったそうでよォ」
「食ったか?」
「食わねぇよ。それが不憫だっつって、隠の奴が見てられねェ、って辞めやがった。」

不死川のため息に、宇髄も苦笑する。

「まぁ、俺らは見ちまってるからなぁ、あいつには地味に悪ぃが、『普通』じゃねえからなぁ」
「見てくれだけでもバケモンみたいならまだ割り切れたっつうのによォ」
「なんだ、不死川。好みだったか?」
「殺すぞォ。そうじゃねぇだろぉがァ」

いちいちからかう男に不死川はどっと疲れていくのを感じるが、この派手な男は存外面倒見がよく、意外と相談事をしやすい気安さを持っているのだから、辞められない。

「にしても、この報告してきた隠も派手に懐柔されてやがるなぁ」
「まァ、一緒に居てみりゃァわかるが、……あいつと話してると気が緩んじまいそうになる。煉獄とはまた違った人誑しなことは間違いねェ」

そこまで言って、不死川はまた烏に渡された紙に目を落とした。
そこには『報告』と題して、件の女が隠の斎藤の手によって枷を外され、連れ出されそうになっていた事、
女自らそれを拒んでいた事、
斎藤に罰をどうか与えないでほしいと嘆願している事、
今日もおとなしく部屋に籠っている事
等々。

せめて枷は外してやろうか。
そんな考えが過るのは宇髄には言えねェなァ、と不死川はどこかで考えながらその紙を懐に仕舞った。
己の邸宅に久しぶりに戻った不死川は着替えもせずに泥のように眠り、目を覚ましてから自身の文卓の上に置かれた一通の紙切れを手に取った。
眠るころにはそこには無かった物であったから、おそらく烏が後から持ってきたのだろう。とあたりをつけて開く。

『斎藤は三か月の減給、一週間の停職処分とする』

それがお館様と慕われる男の下した判断であった。
不死川はどこかでホッとし、のしのしと夕焼けに照らされながら屋敷の外に備え付けてある厠へと向かった。
適当に顔を洗い流し、件の女の部屋までやってきた。

特に何と言うわけでは無かったのだけれど、女が斎藤について気にしている、と新しくやってきた女の隠が報告書に書いていたため、どうなったのか、教えてやった方がいいか、と考えたのだ。

「……入んぞォ」

返事のないその部屋に入ると、壁にもたれて眠っている女。
こうしてみれば、本当にそこいらの町娘と何ら変わるところはない。
それが不死川の胸に、また重いものを落としていく。

(この首を、斬ったんだよなァ、)

それは、紛れもない、罪悪感。
はぁ、とまたため息を落としたところで、押し入れから適当な布を取り出して、女にかけてやった。

「……ん、」

と、何とも寝起き特有の悩ましい音を零しながら女は目を開ける。

「……ぁ、ごめんなさい。お帰りなさい」
「起こしたな、悪ィ」

どうも、不死川はほだされまいと毎度考えるあまり、彼女に挨拶と言うものを返した事は無い。
けれど女は気にすることもなく、毎度必ずこうやって笑いかけてきては不死川に挨拶をするのだ。

(宇髄よォ、……やり辛ェ)

どこかで助けを求めるように今朝がた会った男の姿を不死川は思い浮かべる。

「斎藤の処分が下った。聞きてぇかァ」

己の言葉に、どこか悲痛そうな面持ちで、ゆっくりと頷く女に例の紙切れを渡した。

「……甘い処分が過ぎる。見せしめにもなりゃしねェ」

不死川の言葉に、女は紙を見つめていた顔を上げて、涙にぬれた顔をくしゃくしゃにして笑い、不死川の手を取った。

「ありがとう、ございます。……心配だったから、教えてくれて、ありがとう」

女の両手で握られた自身の手が、熱を持ったように熱く感じられて、不死川は勢いよく女の手から自身の手を引き抜く。

「……そうかィ」

それだけ言って立ち上がると、部屋を出ようとしたときに女に呼び止められた。

「ねぇ、不死川さん。椿油も、さっきかけてくれたタオルケットもありがとう。……ありがとうついでに、ちょっと匂うから、お風呂入った方がいいよ!」

少しばかりいたずらな顔を向けた女の顔を見て、知らず知らずのうちに頬が熱くなっていく。

「今から行くところだァ!!」

勢いよく襖をスパァンと閉め、何なんだあいつは!!と少しばかり憤りながらも、ああして嬉しそうに笑う女の顔は初めて見たのではないか、と
己の抱いていた罪悪感が、不死川は少しばかり軽くなった気がしていた。


言葉の通り、湯につかりながら不死川実弥は考えた。
昨日の今日で生憎本日任務は無い。
今日までが任務の予定だったからだ。

湯船に浸かりながら、女の今後を
考えて、考えて。
考えてから、
不死川実弥は考えるのをやめた。

人の気持ち程、わかりにくい物はない、と踏んだからだ。
どうやったってあの女にくれてやれる心休まる場所など無い。
なら、ここがそうだと錯覚しておいてもらう、それくらいしかできる事は無いのだろう。
ただ、そうするには己では無関心過ぎるだろう。
結局、(わかんねェ)そう改めて思った。それだけだった。

湯から上がり、まともに髪も拭かずに着流しを手早く纏い、手拭いだけ肩からひっかけてまた彼女の元へと向かった。

断りもなく、スパンと襖を開くと目を見開いた女の顔が不死川を窺っている。

「……あ、えと、トイレ、厠ならもう嗣永さんに連れて行ってもらってる、けど……」

そこまで言って、女は不死川の動向を見守った。

「取り決め、覚えてるかァ」

畳の上に座り込んでいる女の目の前に同じく腰を落としながら、ガシャガシャと音を立てて枷の一つ一つを不死川がその手で外していく。

「あ、お風呂は──
「それは良い。」
「……厠に入──
「それも今は良い。」

最後の一つを外し終え、不死川実弥はここにきて初めて、女、名字名前ときちんと向き合った。

「この屋敷からは俺の許可なく出るんじゃねェ」
「……」
「良いなァ」

名字名前は大きく目を見開いて、小さく戸惑いがちに頷く。

「暇持て余してんなら、前みたいに飯くらい作りゃァ良い。……今度は、ちゃんと食ってやる」
「……え、らそう。」

そう言って名字ははにかみながら、目元に涙を蓄えた。
それを掬おうとして、少しばかり伸ばした手を矢張り畳に押し付けなおした。

「まァ、俺の家だからなァ」
「……ありがとう。……ありがとう!」

ボロボロとついに零れ落ち涙は、名字の膝もとにシミを作っていく。
その光景が、いつかとかぶるが、きっとあの時とは違う感情で泣いている名字に、不死川はあの時の煩わしさとは別の感情が芽生えていた。

「但し、怪しい行動を取ったり逃げ出した時ァ、わかってんなァ」

不死川の言葉に、笑いながら名字はコクコクと頷いて答える。

「絶対、一緒に居てあげる!!」

と不死川の畳に下した手に女は自身の手を乗せて宣った。

「そうじゃねぇわァ」

そう、呆れた顔を向けたは良いが、不死川は名字の嬉しそうな顔にどうにもそれ以上言う気にはならなかった。


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