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不死川と色んな人にそう呼ばれていた例の男は『お館様』と不死川自身がそう呼ぶ男に実弥、と呼ばれていた。
不死川実弥 それが多分彼の名前。
まあ、呼ぶことは無いのだろうけど。
その『お館様』の言いつけで、私はまだ暫らくここで暮らせることが決まったわけだけれど、その言葉を聞いた際の不死川実弥の無表情が私はどうも気にかかっていた。
沢山雨の降る季節の事だった。

台所に入れるようになって、早いものでもうすぐ一月ほど経とうかという頃だった。

不死川と言う男は、必要以上に私にかまうことはしないし、何より『無関心』を貫いていた。
多分、彼にとっても、私にとってもそれが正解なのかもしれない。
彼はいつか、また私を殺すか、もっとひどいことをしなくてはならぬのかもしれないし、私だって、そうなりそうだと思ったら、彼の元から逃げる心づもりである。
お互いに、『今は』その必要もなく、『今は』何も害がなさそうだから、義務だから、置いている、置かれている。
そんな状況。

けれど、私は彼に感謝をしていることも事実で、何かしら返したいと常から思っているわけで。
彼が居なければ、私はこうしてご飯を食べることも、屋根の下で眠ることも、服一枚をも纏うことだって、お風呂に入ることだってできない。
彼のおかげでできているのだ。
そう理解しているからこそ、矢張り何かできることをしたい。
そう思うのは『私にとっては』普通の事で、出来ることと言えば、斎藤君に甘えてここできることを増やしていくことくらい。

「ふん、もうお醤油入れても良いの?」
「そうですね。じゃあ、こう、二回しくらい」
「ん、こんくらい?」
「じょうずです」

笑ってお料理、なんて平和に舌鼓を打つ。

少しばかり甘めの、お醤油の香ばしい香りの煮物が炊き上がった。
これは風柱と別称で呼ばれる彼の好きなお料理らしい。

「……どう?」
「んー、……ちょっと甘いですけど、旨いですよ」

笑った斎藤君に私は満足して、不死川と呼ばれているこの家の主にと米をよそって、煮物を盛り付けた。
自分の分も、と私は適当な茶碗に米を装って、その上に適当に煮物をぶっかけてざらざらとかきこんだ。
斎藤君は忙しい。
私を部屋まで見送って、柱に縛り付けてから明日の朝方の食事の用意から、朝方帰宅する彼の人のための風呂の用意。
果ては掃除まで一通り終えてからやっとこさ自身に与えられる部屋に戻っているようなのだ。
だから、私一人の食事に時間をかけるのも申し訳がない。
斎藤君はゆっくり食えと言うけれど、
ババっと、それこそ三分そこそこ位の時間で食事を終わらせた。

「ごめん、お待たせ!」
「いえ。では、行きますか」

優しく促してくれる彼はとても良い人。
私は彼との時間をとても気に入っていた。

その日、たまたまだったのだろう。
たまたま、ずっと私と一緒に居るものだから、私への警戒心が薄れてしまっていたのだと思う。
私も、時折私が魘されると、すぐに駆け付けて、手を握っては大丈夫、と言ってくれる彼に、何度も怖い怖いと縋って泣いた。それくらいには、彼に気を許していた。
だから、たまたま、彼が鎖を柱に通すのを忘れていたから、斎藤君が叱られるといけない、と思って、呼んでも返事のない斎藤君を探して回ったのだ。
そしたら、台所から物音がしてて彼が流しに今日のご飯を流しているのが見えた。
どこかで、「あー、私余計な手間だけ増やしてたんだ」って理解。
そうならそうと、言ってくれれば私はこんなこと言わなかったのに。
断ってくれればよかったじゃないか。
と、多分拗ねていた。
もっと平和な解決の仕方だってあったんだ。
明日になってから、「調子悪いんだよね」とか言って、台所に行くのをやめたら良いんだもんね。
洗濯ものだけ手伝うとか、それも負担だったんなら、しんどいんだとか何とか言って、部屋に籠ってたら平和。
今までならそうしていたんだけれど、多分、斎藤君に私は甘え切っていたから、その優しさで、慰めてほしかったんだと思う。
だから、ことを荒立ててしまったんだと、思う。

「あのさ、捨てるのもったいないし、私に無くなるまで出し続けるとか、断るとか、してればよかったのに。これ、繋ぐの忘れてる」

じゃら、と鎖を持ち上げると、これでもか、と眉を下げた斎藤君が私を見ていて、それが余計に胸を締め付けた。

斎藤君は一言も話すことなく私の与えられた部屋の柱に鎖を巻き付けて、それからやっと口を開いた。

「あの、うっかりしてました。名前さん、ごめん。ごめんなさい」

別に、謝罪が聞きたかったわけでもないし、こんな風に、心から申し訳ないと、悔いているとでも言うような彼の顔を見たかった訳ではなかった。
どこかでこうなることをわかっていたのに、八つ当たりのようなそれだったのだ。
考えなくとも、あの警戒心の強そうな男が、私みたいな得体の知れないイキモノの作った某を食べるはずが無かったんだ。
そう、教えてくれるくらいなら、してくれても良かったじゃないか。




斎藤と言う隠が、朝任務から帰ってきた不死川実弥に玄関先で頭を下げていた。

「お疲れのところ、申し訳ありません!」
「……いや、」

何かあったのか、と不死川はきょろ、とあたりを見渡すも、特に普段と変わりはない。
けれどそれは、あくまでも不死川にとって、と言うだけであった。
その隠は恐れることなく不死川の目を見据えて言い放った。

「俺をこの任から解いてください。後生です。……あの人は、……良い人です。
でも、自分は何もできない。これ以上、情が移る前に、……俺、このままだと、……」


その隠の言いたかったのであろう言葉は、最後まで紡がれる事は無かった。
無かったが、不死川実弥には痛いほどに理解できてしまった。
殺伐とした世界に生きる自分たちとは全く違う、柔らかい空気を纏う女は『普通』の女で、こんなに不愛想にしている自分にすら、柔らかく「お帰りなさい」と笑いかけてくるのだ。
一つ屋根の下に、四六時中年頃の男女が居るのだ今まで何も言ってこなかっただけ彼はもしかすると忍耐強かったのやもしれない。
本当なら、女の事をここから逃がしてしまいたいのではないだろうか。
けれど、それをしないのは斎藤自身が女を何者からも護れないのを、誰よりも理解しているからなのだろう。
それが鬼殺隊にとって、否。人間にとって、どれだけの不利益を被る可能性があるのか、痛いほどに理解しているからなのであろう。
不憫な奴だ。
そう、思うこと以外に己とてできることなど一つとしてない。
女は恐らく、その命が尽きるまで、きっとこうして誰かの元で『化け物』として扱われ続けるのだろう。
まあ、その命も尽きることはあるのかも分からないが。
不憫だ。
一言に尽きる。
そんなものに惚れてしまうとは、この男も不憫でならない。
この男の気持ちをほんの少しでも汲むのなら、その申し出を受け入れる以外の選択肢は不死川実弥には与えられていなかった。


その日の昼下がり。
すごすごと、隠も出ていき、布団も敷かれなくなったため、何をするも億劫で、畳に倒れ込むように己が眠りこけていた頃の事だった。
大きな女の声で、斎藤を呼ぶ声が響く。

おい、と不死川も声を出すものの、ああ、そういえば今朝がた出て行ったか。と頭を何度かかき上げてから立ち上がった。
こんなことではまともに眠れやしない。
そのうち任務に支障だって出てくるやもしれない。
早急に何とかせねばなるまいな、とどこかで考えながら女の元へと向かった。

女の元へ向かうと、不死川の顔を見て真っ青になってから、

「斎藤君は、」

とこぼすが、

「今朝がた、でてった」

そう伝えると、しばらく逡巡してから、観念したように、

「生理が来たの。」

どうしたらいい、と問うてくる女。
今までどうしてたんだ、と苛立ちながら問うと、ここに来てから無かったのだ、と何故か怒られてしまう。

「知らねぇよ!!」

と襖をスパンと戸を閉じたは良いものの、先の隠の顔が浮かんでは消え、不死川は頭をガリガリとむしってからすぐに蝶屋敷へと烏を飛ばすことにしたのだった。


夕刻
女の元へ握り飯を運ぶと、女は膝を抱えて部屋の隅にうずくまっていた。
調子が悪いのかと訊ねるも、

「死んだ時より辛くないから平気」

と可愛さのかけらもない返事が返ってくる。
どこに惚れたんだか。とあの男もたいがい理解出来ねぇ、と独り言を胸に落としながら、新しく『女の』隠が明日夜からやってくる旨を伝え、部屋を出ようと動き始めた。

「斎藤君に、意地悪言っちゃったから、きっと怒っちゃったんだね。
ごめんって、伝えておいてください。それと、貴方にも、迷惑かけてたよね、ごめん。」

そこで言葉をとぎって、女は不死川を見やった。
真っ直ぐに見据えてくる目は、どこか悲しみを湛えて潤んでいる。
ああなる程、これにやられたのだろうかな、とどこかで腑に落ちる。
男は女の涙に弱いとは、よく言ったものだ。
別段特筆することもない女であるのに、涙を零さんと食いしばっているいじらしさには、きっと抗えるものも多くはないのだろう。
相手が、人間だと思っていたならば。

「もう、言わないように気を付けるね」

そういって、また塞いでしまった。
どうやらこの女は人の罪悪感に付け込むことが大層うまいらしい。
と、こっそりため息を落として今度こそ不死川は女の部屋を出た。


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