小説 | ナノ

実弥さんの首元へと腕を回した宇髄様は、実弥さんに振り払われようとも、「まぁまぁ」なんてあっけらかんとした態度でもって部屋の外へと出て行かれた。

そわそわとしだすシュウスケを見れば、本当はついて行きたかったのであろうな、とは思うけれど、邪魔をさせるわけにはいかない。

「シュウスケさん」

私がそう呼ぶのが早いか、広い、先ほど実弥さんが出て行かれた廊下の向こう側から実弥さんの声が張り上げられた。

「シュウスケ! 来い!」

ぴょん、と跳ね上がるかのように顔を上げたシュウスケは、畳の目で足を滑らせながら意気揚々と部屋の外へと飛び出していく。
けれどすぐさま、部屋のすぐ外。目の前の廊下から私の顔を一瞥し、首の裏をひっかきながら言った。

「……チエミ、……頼んます」
「はい」
「荷物、後で自分で持ってくから……」
「良いよ。私が持っていきますよぅ」

ばつが悪そうな顔を見せるシュウスケに、チエミちゃんはにこ、と笑って「行ってらっしゃい」と言う。
だから、私もそれに続け、「しっかり実弥さんたちの言う事を聞いてくださいね」そう言った。

シュウスケは小さく頷き、ありがとう、と言ってから静かに襖を閉めた。


「……わ! 賢いですねぇ! 
私、あの年頃の頃は、はしたないー! 仕草に気を付けろぉー! って怒られっぱなしでしたよぉ!」

興奮気味に両こぶしを振り回す須磨ちゃんは、チエミちゃんの目線に合わせてかがみ、「すてきなお兄ちゃんですねぇ!」なんて笑う。
こんなに素敵な須磨ちゃんが、叱られまわっていた、と言うのはにわかに想像がつかないが、きっと私が奥様に散々に叱られていたのと同じようなものであったのではないだろうか。
そう思いかけたけれど、須磨ちゃんを叱っていた、まきを様とヒナツル様を見やり、考え直す。きっと、もう少し上の次元の話なのであろうな、と如実に理解したためだ。

けれど、まるで親バカのようだなんだと言われようとも、親ではないにせよ、シュウスケが褒められた事を、謙遜する気にも、否定する気にもならなかった。
事実、シュウスケは優しく、敏い。
口も態度も良くなければ、やっとこさっとこ、最近になり、漸くきちんと話しかけてくれるようになった程度であるとは言え、ここまでの道中も、チエミちゃんをおぶさる背中を見たし、私の荷物をひったくって持ってくれる優しさを見て来た。

シュウスケは、とてもやさしく、魅力的な男の子であろうと言う事は、きちんと見ているつもりであったからだ。

「うん、……良い子でしょう」
「ええ! とっても良い子だと思います!」
「お兄ちゃん、優しいよ。おんぶしてくれるの」

須磨ちゃんは、私の言葉にうんうんと頷き、チエミちゃんの言葉に「良いですねぇ!」と笑ってくれる。
やっぱり、須磨ちゃんが叱られる、という姿が、私にはあまり想像できなかった。





残った面々で、きちんとした自己紹介のようなあれやそれやをしていれば、まきをさんがにこ、と笑いかけて下さった。

「そちらも、もうそろそろですか」
「どうなんでしょう。私、そう言った事はからきしで。周りのみんなはそろそろだね、とは言って下さるんですけれど、そう言われ始めてからかれこれ半月は経つんです。まだ出て来たくないんですかねぇ」

へぇ、と笑うまきをさんは、優しく私のお腹を擦りながら「元気に産まれてきてね」なんて声をかけて下さり、雛鶴さんは「微力ながら、手伝えることは仰って。子供はたくさんの人に見守られた方がのびのびと育ちます」と、いつの間にかチエミちゃんと追いかけっこをはじめている須磨ちゃん達の様子を眺めながら仰って下さる。

「まきをさんのややこも、どうか健やかに。へへ、私、実はすごく緊張していて……なんだか、勇気づけられました」
「ね、また産まれたら、一度皆で集まりませんか?」
「わぁ! 楽しそうですねぇ!」
「不死川様の赤ん坊、見てみたいですもの」

くすくすと口元を隠し笑う雛鶴さんに、うんうんと頷くまきをさん。
私も、まきをさんの赤ん坊にも、今日は来られていないのだ、と言う雛鶴さんの赤ん坊にもお会いしてみたい。
厳しい時代を生きた、この方々の生きた証が、少しずつ少しずつ。これから先も何十、何百と。きっときっと続いていく。
受け継がれていくのだろう。
そう思うと、自然と顔がほころんだ。
実弥さんにも、きっと見て頂きたい。

もう暫くすれば、今の年が終わる。
そうしたら、実弥さんとあと、どれほどを共に過ごせるのだろう。
どれほどを、お傍に居られるのだろう。
あとどれほど──。

そう思うと、実弥さんを引き留められるような約束事を、一つでも多く。たくさんたくさんしたかった。
けれど、責任感の強い実弥さんは、最期の時にはご自身を責めてしまわれるのだろうか。それは悲しい事だ。
そうは思うけれど、それでも。
実弥さんを引き留められるものが、一つでも多く、欲しかった。


***


実弥さんも、宇髄様もシュウスケも帰って来ないものであるから、産屋敷の方々のご厚意もあいまり、夕飯も湯浴みも終えた頃。

「湯冷めしてもいけませんし、そろそろ部屋へ戻りましょうか」
「さ、名前ちゃんもお部屋に戻ってしまっていて大丈夫ですよぉ! 須磨が不死川さん達にも伝えておきます!」
「良いんですか?」
「お部屋まで手伝いますねぇ」

にこ、と笑った須磨ちゃんは、すっかり船を漕ぎ始めてしまったチエミちゃんを抱きかかえ、広間の襖を開け放った。

「あのぅ、今日は本当にありがとうございます。あと数時間後ですが、また後ほど。よろしくお願いします」
「ええ」
「うん、あとで」

すっかり私に良くしてくださった雛鶴さんやまきをさんに、私は頭を下げ、部屋を後にした。


布団にくるまったチエミちゃんが小さく寝息を立てる頃。
実弥さん達はようやっと部屋へと戻って来られた。

「入んぞ……ます」

珍妙な言葉遣いで静かに戸を開けるシュウスケに、私は指を立て、静かにするように伝えれば、彼は足を止め、静かにうんうんと頷いた。

「チエミ、寝てるって」
「なら先に湯、貰ってくるかァ」
「うん」

戸の隙間から「すぐ戻る」と言う実弥さんに、うんうんと頷き、静かに閉まっていく戸を私はじ、と見ていた。

今年が、終わっていく。

今日と言う日が、終わっていく。



湯浴みを終えたシュウスケは、チエミの顔を覗き込むと倒れるように布団の上へと転がり、そのまま寝入ってしまった。
どうやらお二人にこってり絞られたかと思えば、後から合流していたらしい竈門様達とも何やら鍛錬を積んでいたのだそうだ。

「そんで、シュウスケが──」

そう、どこか楽し気に話す実弥さんの言葉に、うんうんと頷きつつ、シュウスケ達の布団のすぐ側。湯呑を傾ける実弥さんの隣で、私もすっかり布団の二つの山を眺めている。
どこか遠くの部屋で、楽し気に話している声がここまで響いていた。
もしかすると、私たちの声も響いているのだろうか。
そんな事を考えていれば、「うるせぇッ!!」と、その声たちを叱り飛ばす声が聞こえたものであるから、きっとこちらの声は響いていないのであろうな、と理解した。

「……宇髄もうるせぇよなァ」

なんて実弥さんは笑い、また、湯呑を傾ける。
実弥さんの長い睫毛が、部屋の中を小さく照らすランプの明かりで仄かに色付いている。
私は「そうですかねぇ」なんて笑おうとして、失敗した。
実弥さんの、湯呑を持つ手が、小さく揺れるのを見てしまったからだ。

──あぁ、終わってしまう。
終わっていく。


「……ッぅ!」

突然であった。
今までに無い程、明らかにお腹の中から鳩尾の辺りをどんッと、やられた・・・・のだ。
きっと、あんまりにもおセンチな事を考えていたからだ。「いい加減にしろ」と叱られたのに違いない。
わが子に叱られる母親だなんて、とんだ母親ではないか。
しっかりしなくちゃ。

「どうしたァ」

そう、どこか焦ったように私の背中へと手を添えて下さる実弥さんは、湯呑を置かれたものだから、そのまま、空いた実弥さんの手を、私はお腹へと持ちやった。
また、どんッ、と蹴り上げるわが子に、声が「ぅ、」と漏れた。

「んふ、へへへ、やんちゃですよぅ」
「こんなに響くモンだったかァ」
「元気ですねぇ」

実弥さんは私の言葉に、「違ぇねぇ」と呟くように言いながら、くく、と喉を鳴らし笑う。

「まるで太鼓扱いですよぅ」
「ぶはッ! 暴れん坊じゃねぇかァ」
「きっと、実弥さんに似た、逞しい子になります」

実弥さんの目が、静かに私の目を見ていた。
とてもとても、優しい目であった。

「そんで、……凄ぇ情の深ぇ奴になる」

私は一度、頷いた。

「それから、優しい奴になる」

もう一度、頷いた。

「多分、誰よりも可愛い」

頷こうとしたけれど、顔を上げられなくなってしまった。
泣いてしまいそうだった。
どうにも、目の辺りが緩くていけない。
どうか、もう一度蹴っ飛ばしてしまって欲しい。私はそう思った。
弱虫な母を蹴り上げてしまって欲しい。
そうして、強いところだけを残して、実弥さんに「逞しいなァ」なんて言って頂けないだろうか。

そんな事を考えているのに、喉の奥が、つっかえていけない。
嗚咽が漏れてしまいそうであった。

実弥さんの湯上りのぽかぽかと暖かかった手は、こんなにも時間が経ったのだから、きっと冷めているはずであるのに、私の頬を持ち上げられていく指先はちっとも冷えてはいない。
暖かかった。
暖かかったのだ。

実弥さんのおでこが、優しく私のおでこへとぶつかった。
そうしたら、おでこが今度は温かくて、もう、どうしようもなかった。

泣くまい、泣くまい。
実弥さんの事でだけは、泣くまい。
そう決めていた筈であった。だというのに、食いしばっていた歯の隙間から、震える吐息が漏れてしまう。その上、瞬きを堪えていたというのに、瞬きなんてしなくとも、ぽろぽろと、大ぶりの粒が頬の上を転がっていってしまった。

「これは確定してるが」なんて、実弥さんは喉の奥を鳴らして笑う。

「泣き虫だろぉなァ」

そう、呟くように言った実弥さんの唇が、つん、と私のそれと触れて、離れていった。

「……ね、……実弥さん」
「ん」
「もう一度、……したいなぁ」

実弥さんは私を抱えて立ち上がり、部屋に設えてある広縁。そこへ置いてあった一脚の椅子の上へと私を下ろしたかと思うと、そのまま障子戸を静かに閉めた。
室内では、ランプの頼りのない明かりのおかげで、辛うじて見えていた実弥さんの表情は、もう見えない。

さねみさん、と、呼びかけようとしたところで、私の耳は、椅子が軋む音を拾った。

唇へと、柔らかいものが触れた。
それからまた少しばかり離れて、また触れた。
伸ばした手は、すぐに何か・・に触れたものだから、そのまま上へ、上へと這わせていく。
ゆるゆると実弥さんの首元で、私は腕を絡めていた。
そうして、そのまま引き寄せた。
はぁ、と、淫らな息が混じっていった。
何度も混じっては、冷たい空気で、きンと冷やされ、それを温め直すかのように、また、どちらともなく唇を寄せた。
つん、と唇がついたまま、実弥さんの唇が小さく動いた。
「すきだ」と、聞こえたような、そうではなかったような。
もう、わからなくなってしまったけれど、私は幸せだった。

「……ッん、……は、ぁ」
「……は、……もっと、だ」
「ん……ふ……ンぅ……」

もうずっと、ずっとずっと、この時が続けばいいのに。
ずっとずっと、このままが、良い。
どうしようもなく心地が良くて、どうしようもなく愛おしかった。
どうしようもなく幸せで、どうしようもなく切なかった。
どうしようもなく、実弥さんを好きだった。

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