小説 | ナノ

「はよぉ、不死川さん」

朝から眩し気に目を窄め、そう挨拶をしてきたのはコウサクの親父であった。

今日も、前回の続きと同じく、畑を耕すつもりらしい。
実弥はついて来たシュウスケへと鋤を手渡しながら言った。

「おはようございます、今日、コイツも良いですか」
「あぁ、構わねぇよ」
「ほら、挨拶くらいしろォ」
「……ます」

荒木の親父さんはそう言うが、コウサクの親父は首を傾げ、良いのか? 手習い行かねぇで。と、シュウスケへと顔を向ける。

「……うん」

頷きながら、俺もやる、とシュウスケは言った。
果たしてそこにどのような意図があるのか。
それは実弥にはどうでも良かった。したいと言うならすれば良い。そうも思っていた。

本当であれば、尋常小学校やら、せめて、手習いやら。行ける場所、出来ることは一つでも増やしておいてやりたい。
そうは思うが、もし、シュウスケがここで、今後も生きていくならば、自分は一体何を残してやれるのだろうか。
実弥はそう考えたことがあった。
実際にのこせそうなものは限られていた。
何かを教えてやるには、もう残された時間は然程ない。
それは、名前に対しても言えることであった。

なら、名前へ。シュウスケへ。チエミへ。
残してやれるものがあるとするならば、ここでの、できる限りの最適な暮らしと、今自分の持てる全ての人の縁、程度のものでは無いだろうか。

そう考えれば、まだシュウスケの顔すら知らない人間が、この集落にいる。そんな状況は好ましくはない。
疎んでいる人間がいる、というのも避けたい。
そう、実弥が思うのは必然であった。
であれば、させなくてはいけないことも、してやりたいことも、シュウスケの希望と実弥の考えとでは大差がなかった。

「もっと腰落とせ。腰痛めんぞォ」
「うん」
「手は離して掴め」

こうだ、と実弥が見本を見せれば、シュウスケは同じように鋤を掴む手の位置を変える。

「うん」

殊のほか素直に頷くシュウスケの姿を見ながら、実弥もその直ぐ側で、鋤を土へと差し込んだ。
そんな姿を、件の親父たちから見られている。そう、視線を感じていた実弥は、誤魔化すように頭を掻いていた。




真昼時になると、ぱたぱたと草履の跳ねる音と、チエミの高い声が、実弥達のいる畑の中ほどまで響いてきた。

「にいちゃぁん!!」

手をぶんぶんと振り回すチエミの傍らで、握り飯の包みを抱えながら名前が歩いている。

実弥は「おい」と素っ気なくシュウスケを呼びつけ、名前のもとへと足を進めた。

「悪ィな」
「いいえ! シュウスケさん、大丈夫そうですか」
「よくやってくれてる」
「兄ちゃん、上手?」

嬉しそうに尋ねるチエミと視線を合わせ、実弥は「すげぇ上手だ」と言ってやった。
うふうふと笑い、口元を隠したチエミは、兄であるシュウスケのもとへと走り寄り、そのうち、きゃあきゃあと声を上げている。

「かわいいなぁ……ね、実弥さん」
「素直でありがてぇよ」
「シュウスケさんは? 素直じゃないんです?」
「いや──アイツは、まァ、歳頃・・だからなァ……ま、素直なモンだァ」
「……歳頃になると、……なにか、……そんなに変わるんですか?」
「いや……まァ、誰でもあんなもんだろうよ」

口元をもごもごとさせ、話の続きを促そうかと迷っているのがありありとわかる表情を作る名前へ、「後でなァ」と告げれば、名前はこくこくと頷き、チエミを呼び寄せた。

「では、……その、診てもらいに・・・・・・、いってきますね」

名前は少しばかり目を伏せ、腹の下を何度か擦りながら言う。
実弥は頷いた。

「おゥ。……二人で平気かァ」
「チエミちゃん、頼りになるから大丈夫ですよぅ」
「何かあったらね、チエ、走って、里中のオクサマ呼んで、サネミさんのとこに来る!」

出来るよ! と、意気揚々と跳ねるチエミの頭を撫で付けながら、実弥は頼むなァ、とまた、頷いた。

実弥へと会釈をしてから去っていく二人の背中を見送りもせず、実弥は受け取った包みの片一方をシュウスケの手の中へとねじ込むように持たせる。
どこか気恥ずかしいこの感覚は、いつまで経とうと変わらなかったのだ。

シナズ・・・さんよぉ、立派に親父・・やってると思ったら、名前ちゃんにも甘々じゃねぇか」

荒木の親父から肩へ回された腕を退け、「親父じゃねぇし、別に甘かねぇ」とは言うが、実弥の苦言はどこ吹く風。
親父たちはニヤニヤとしたまんま、あれやこれやと話し始める。
好きに言え、と、どこかでむず痒く感じながらも、実弥はプイ、と外方を向きつつ、ついつい動向の気になって仕方のないシュウスケへと向け、また口を開いていた。

「誰も取らねぇんだから、しっかり噛んで食えェ」
「うん」
「飲むか」
「うん」
「慌てんなァ。落ち着いて食えェ」
「……うん」


─────────
──────
──

実弥は夕餉も終えると、いそいそと膳を下げ、庭へと足を向けるのがここ最近の日課となっていた。
何度となく鍛錬をしている神楽の一節の動きが、どうにもしっくりと来ない。
ひたすらにそこを繰り返す毎日を送っていたのだ。
それは今日とて変わらなかった。

ごっそぉさん、と手を合わせた実弥は一度寝室へと立ち寄り、すっかり手に馴染んでいる日輪刀を握り込んだ。

居間のそばを通り過ぎながら、顔をのぞかせ、名前達へと視線をやる。

「ちょっくら庭行ってくらァ」
「あ、はぁい! またお湯使われますか? 沸かしておきますよぅ」
「いや、水でも浴びらァ」
「後で手ぬぐいお持ちしますねぇ」
「悪ィな」
「いいえ」

名前がうんうんと頷くのを確認した後、実弥が一歩を踏み出した後ろから、シュウスケの声が聞こえていた。

「あの、よ……チエ……」
「うん、一緒に居ますよぅ」
「ごっそさん…………なぁ、……ありがとう」

箱膳を持って障子戸から出てきたシュウスケが、よぉ、と声を上げる。

「ア? どうしたァ」
「俺も、……良いか」
「相手は出来ねぇぞォ」
「うん」

実弥へと、真っ直ぐな丸い目を向けたまま、シュウスケは頷いた。
こうしていると、尚の事、猫みたいな丸い目は、弘に良く似ている。実弥は静かに頷いた。

一つ踏み込み、地の底から刳りこむよう、刀を振り上げる。
身体を捻り、鋭く斬り下げる。
荒荒しい動きの中、空気の揺れ、地の動き、風の流れを確かめていくように、静かに刀を払う。

一連の流れを、実弥は納得が行くまで何度も繰り返す。
もっと深く。
もっと鋭く。
もっと、柔く。

無限の字を表わすのだというこの動きを、実弥は何度も何度も繰り返す。
爽籟はどう飛ぶ。
鷹はどうだった。
梟でもいい。
どう翻った。
どう、滑空していた。

思考を重ねつつ、実弥は刀をまた振り上げた。

実弥はじぃ、と静かに実弥自身を眺める視線を感じていた。
それが、俺も良いかと尋ねてきたシュウスケのものである、ということはわかっていた。であるから、実弥は「おい」と、シュウスケへと声をかけた。
実弥を見るシュウスケの、きらきらと、更に言えば、いっそどこか爛々とした光を称える目が、その声で跳ねた。

「お、おぅ!」
「やってみるかァ」
「…………良いのか」
「ほら、こっちだァ」

うん、と頷いたシュウスケを見てから、実弥は静かに刀を鞘へと仕舞い込んだ。

「何事も基本は礼からだ」
「うん」
「この神楽の場合の挨拶はこうだ」

良いか、見てろ。
実弥はそう言いながら、静かに頭を垂れる。
すぐさま全身を低く保ち、その後、静かに立ち上がる。
チラ、とシュウスケへと視線をやり、「やってみろ」と、言外に顎をしゃくった。

「……こう、か?」
だァ」
「……やってる」
「教えを請いてぇなら、まずは誰にをすべきだァ──わかるかァ」
「──うん」

よろしく……お願いします。少しばかり逡巡したかに見えたシュウスケは、実弥へと存外素直に頭を下げた。

実弥は、シュウスケを決して低くは見なかったし、子供として扱うことは殆ど無かった。
「やる」と、本人が一度そう言えば、隊士達へと物を教えるのと同じように扱った。
それは、自身が見下されるのを嫌っていた、ということにも起因しているが、それだけではなかった。
そもそも、シュウスケはチエミのである。故に、シュウスケをただの十を過ぎて間もないそこいらの子供としてではなく、弟妹の面倒を見るとして扱った。ということが大きかった。

"一人前の男と同等"として扱ったのだ。
けれど、シュウスケは意外なことにも、涙を流そうとも、反吐を吐こうとも、弱音を吐くことはなかった。

「今日も、良い……ですか」
「……おゥ」

あまつさえ、実弥へと毎度、自分から声をかけるのだ。

名前との溝はそのままであったが、シュウスケは実弥へとついて回り、畑の仕事やら、小間使い。舞の鍛錬やら。大抵のことは実弥をじぃ、と眺めては真似た。

名前も、それはそれで良い傾向だと思っていたのか、何も口を出さなかった。
もう一つ、変わった事があるとするならば、シュウスケが名前へと取る態度を変えたことであった。

妹のチエミの面倒を見てもらうことへの感謝からか、はたまた、寝食の世話への感謝からか。
朝、起き抜けに顔を合わせれば「おはよう、ゴサイマス」と頭を下げた。
夜、飯の下膳をしながら「手伝う」と、進んで名前のやる家事を手伝った。

その背中を、実弥はチエミの頭を撫でてやったりなんぞをしながら眺めるのが日課になろうかと、日々が進んでいっていた。

「サネミさん、どぉしたの? おもしろい?」
「ん?」
「わらってるねぇ」
「おゥ」
「たのしぃ?」
「あァ、楽しい」

チエミの純粋過ぎる問いに、実弥は目を窄め、頷いた。
チエミも「たのしいねぇ」ときゃぁきゃぁはしゃぐ。
実弥はまた、「そぉだなァ」と、頷いていた。

───────────
──────
──

げぇ、と、またシュウスケは庭の片隅へと反吐をぶち撒けた。
この有様を見ている実弥は、いつからか、名前へとシュウスケの鍛錬後の夜食の用意を頼むようになっていた。

今日とて、握り飯が二つ。
気が付けば、適当な大きさの皿が、こんもりとした濡れ布巾を被せられ、縁側の向こうに置いてある。

「顔を洗ったら食え」
「……ハ……は、」

息を切らしたままのシュウスケは、静かに「ありがとうございます」と頭を下げた。
実弥は後ろ手に頭を引っ掻きながら、茶でも用意してやるか。と、奥へと引っ込んだ。




「なァ」

実弥の声に、縁側の縁へと腰を下ろし、握り飯を頬張り始めたシュウスケは振り返る。
それを返事と捉え、実弥は言葉を続けた。

「なにか、意図があるのかィ」

シュウスケは実弥から目を逸らし、握り飯を一口頬張った。
咀嚼する間、まるで時間を稼いでいるかのようである。
実弥がもう一度口を開きかけたところで、シュウスケは漸く、言い辛そうに口を開いた。

「……聞いちまった」
「アァ?」
「……実弥サン……には、もう、時間・・ねぇって」

静かな夜空の下では、シュウスケの控えめな咀嚼音すら聞こえてしまいそうだ。
実弥は前を見据えた。

「あァ」

そうだ、と静かに言った。

「俺、……ちゃんと恩は返す、から…………チエミも、……名前サン、も……守れるようになる」

そうかィ。
実弥はそれだけを言って、シュウスケの汗ばんだ頭をなでやった。

──「これからは俺とお前で、お袋と弟たちを守るんだ」
──いいな?
いつだったか、玄弥としたやり取りがふと、実弥の中で思い起こされていた。

「……泣いてんのか?」
「泣いてねェよ」
「……そっか」

実弥は食いしばった歯が、口の奥でぎしぎしと悲鳴を上げるのを感じていた。


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