小説 | ナノ

「黙れよ」

私へとそう吐き捨てた少年は、口が悪かった。
それも、ただ口が悪いのではない。
とびきり、悪かった。

「うぜぇ」「面倒くせぇ」は勿論のこと、「てめぇでやれよ」「殺すぞ」などと悪態をつき、果てには人を脅かし始める始末である。
その上、物も投げるし、手も早いのだ。
思わず私は口を膨らませた上で閉口した。

これがもし、見ず知らずのそこいらの少年であったとしよう。
そうすると私の口から出る言葉はこうだ。「そんなに気に食わないなら帰ってこなくてもいいですよ!」
けれどそれを言わないのは、本当に彼が出ていきかねないからだ。
そして、そうなることを考えるといかんせん、胃が痛みだす。彼を引き取ろう、と言いだしたのが、私であったからだ。

***

あの日、奥様に手を引かれつつも、抵抗しながら空き家の中から出てきた少年の前へと実弥さんは静かに膝を付いた。
そして、暫く話しておられた。

何を仰っておられたのかも、一体どういうお気持ちで、どのような表情でもって話しておられたのかも私にはわからない。
もしかすると、お傍で見聞きしていたとしてもわからないのかもしれない。
けれど、その時の実弥さんは奥様の「虱が……あまり触れないほうが良いかも知れません……!」と静止する声もどこ吹く風で、前髪をかき上げてでもやるように、少年の頭を撫でられた。

その後、空き家に住んでいたのが害のなさそうな子供らである事がわかったためか、その場へと集まっていた集落のみんなはまた、畑の仕事やら、山へ向かうやらで動きはじめ、それを見送っていた私は、奥様に引き連れられて里中の家に向かう少年たちの後をついて歩いた。
実弥さんが申し出たことから、実弥さんは少年らの頭をまあるく刈り上げ、私は湯の準備へと取り掛かる。
その間、奥様は少年たちの食べられるようなものを拵えておられた。

湯浴みも終え、奥様の拵えたお料理を前に、少年とその妹だと言う、まだ年端もいかない童女は口もとを引き結んでいた。

湯浴みを手伝った実弥さんが先に、二人の前へ腰を下ろし「おら、冷めんだろぉが」と口を開くまでは、妹は兄の手を握りしめて立ちすくんでいたし、兄の方はどこかギラついた視線を白い米へと向けていた。

「にいちゃん」

可愛らしい声が転がった。
童女は兄の手をゆさゆさとやりながら、「わたし、お腹すいた」とべそをかき始める。
兄である少年は、そんな童女を静かに見下ろしては突き飛ばし「黙れ」と怒鳴りつけた。その上、あろうことか実の妹を口汚く罵りあげたのだ。

実弥さんはただそれを静かに見ておられた。けれど、少年が「こんな事なら──」と口を開いてすぐ。
実弥さんはその指の少ない、けれど、がっしりとした大きな手のひらでもって、少年の口を塞いでいた。

もごもごとした音が漏れたかと思えば、少年の鼻を啜る音が響きはじめていた。
とうとう少年は泣き始めてしまったのだ。

「にいちゃん、ごめんなさい」

ころッとした、やはり、どこまでもあどけない音が転がっていく。
本当なら、母親の手を握りたかったであろう、兄の手を握りたかったのであろう小さな手が、私の手を握っていた。
震えていたのだ。
この童女も。少年も。

少年へ向け、口を開きかけては閉じてしまった、実弥さんの唇も。
それから実弥さんは、静かに、たった一言だけ言った。

「しっかりしろォ、──兄貴・・だろぉが」



きっと私にはわからない事なのだと思う。
彼らの気持ちなどと言うものは。
いっそ泣いてしまいそうなほどに、目を歪めた実弥さんの気持ちなどと言うものは。
だから私は、実弥さんたちから視線を逸していた。



「ね、これからどうするの。あなたたち」

奥様の声は、凛と里中の奥座敷に轟いた。
あれから漸く落ち着き、ぎこちなく箸を持った少年らが、米をかき込み始めてからすぐ。奥様はそう尋ねたのだ。
少年は静かに、自身の隣で箸を握り込む妹の姿を見下ろしていた。

「……わかんねぇ」

そう、呟くように言った少年を見る実弥さんは、きゅ、と目を窄めて見た。
なにか言いた気なままに、それでも実弥さんは何も言わない。

「なら、私たちが引き取りたいです、奥様。ねぇ、君たち、どう、ですか?」
「オイ名前、てめ……何言ってんだァ」

私の言葉を、もちろん意図していなかったらしい実弥さんは、視線を跳ね上げ、さらには私をねめつけた。

実弥さんには、外で可愛がっている犬が居る。
一度、「連れ帰らないのですか」と尋ねたことがある。
そうすると、実弥さんは間髪入れずに答えたのだ。「ンな無責任な事は出来ねぇよ」と。
その時は、「そうですか」とだけ返して、私も、少しがさがさと固い犬の背を撫でていたのだけれど、思えば、実弥さんは本当は連れ帰りたかったのではないだろうか。と、そう思う。

私の時もそうだった。
実弥さんは、もう、自分が亡くなってしまった後の事をまで考える。
自分が本当はどうしたい、だとか、そう言った事はご自身で顧みて下さらないのだ。
きっと、この子たちの事も、同じだ。──私はそう思ったのだ。

「名前さん、夫に相談も無しに、何を突然──」
「…………だ、駄目でしたか? 実弥さん……お願い」

奥様の言葉を遮ってまで声を上げた私を、まんまるの目で見てから、実弥さんはため息を漏らす。

「俺ァ、無責任な事はこれ以上・・・・はごめんだァ」
「はい! しっかりやります!」
「違ぇだろぉが、そうじゃねぇ」実弥さんは首を横へと振る。
「実弥さん、……え、と……えぇと、この子達に、例えば……い、家の、お屋敷のお掃除を手伝って貰うかもしれません!」

実弥さんは、「アァ?」と唸るように声を出した。

「ほら、お洗濯とか…………つ、繕い物も!」
「ちぃと、こっち来い」
「……はい」

立ち上がった実弥さんの後ろへと続き、お座敷を離れると、実弥さんはすぐさま振り返り、私に苦言を呈した。

「てめぇ、意味わかってんのかァ!?」
「わ、かってますよぅ!」
これから・・・・が大変だってぇ時に、何考えてんだァ!」
「だって、そうしたらあの子たち、どうするんですか」
「里中の夫人手伝って、あいつ等が困ンねぇようにしてやンのが筋ってモンだろぉがァ!!」

実弥さんは静かに唸る。

「奥様、でもあぁ言ってます……よぅ」

奥様はお引取りなさる気が、無いかもしれません。と、私はおずおずと言う。

「……なら、少なくとも、だ。あいつ等が大人になるまでは見守れる奴が言うべきだァ」
「私、出来ますよぅ」
「お前は今、大事な時なんだから、余計な──」
「実弥さん!」

実弥さんは、私の声に、苦虫を噛み潰したかのような表情を作った。

「お願いします! だって、あの子たちを"厄介者"扱いしたくないですよぅ! 実弥さんだって、きっとそうでしょう?
私、しっかりやりますよぅ!
妹ちゃん、言ってました。ここへ逃げて・・・来たんだって。なら、匿ってあげたいですよぅ」
「だ──」
「実弥さん、絶対、上手くいきますよぅ。私、しっかりやりますよぅ」
「絶対なんて無ぇ」
「奥様にも、旦那様にも、荒木のおじさんたちにも頼ります。困ったら、須磨ちゃんにも相談するし、ヤス子さんにも、クニ子おばあさんにもいろいろと教えてもらいます。
絶対に、あの子たちを見捨てないと誓います。
そうなるまでだけは、私達と、一緒では駄目ですか。
ね、みんなで一緒に暮らすのは、駄目ですか」
「……駄目だって言ったら、聞くのかよ、お前はァ」
「も、うすこし、ごねてしまうかも……」

頭をガシガシとやった実弥さんは、腰へと手をあてながら大きなため息を吐き落とした。

「実弥さん、きっとみんなで過ごすのは、楽しいですよぅ!」
「だァからァ……違ぇんだよ」

そう言って、結局苦い虫をすり潰したものを舌の上へと乗せたまま、であるかのような顔をした実弥さんは、最後には頷いて下さったのだ。

***

その日は、突然にやってきた。

件の、名を"シュウスケ"と名乗った少年は、その日、まだ屋敷へと帰らなかった。

十月も終わりともなれば、流石に日の入も早い。
暮れても帰っては来ないシュウスケを、妹の"チエミ"は心配していた。

ふ、とした拍子にシュウスケが外へ出て行ってしまうのはいつもの事だ。
けれど、今日、実弥さんは宇髄様やら、竈門様達のもとへと足を向けている。遅くまで帰らない日となることは請け合いである。
にも関わらず、日が暮れればいつもなら帰ってくるシュウスケが帰らない。

この子達と暮らすようになってから、初めてのことであった。

「兄ちゃん、すぐに怒るから、出ていってしもたのかなぁ」
「……私、見てくるから、チエちゃんはここでお留守番出来るかな」
「うん、できるよ」
「ごめんね、待っててね」
「うん」

何度も動かないように、勝手に屋敷から出ないように、とチエミちゃんへと言い聞かせ、私は草履をつっかけ、屋敷を出た。
随分と重たくなった腹を何度も擦りながら、シュウスケの名前を叫ぶけれど、返事はない。

ゾワゾワとしたものが、首の裏を撫でていった。

もしも、山肌から滑り落ちていたら。
けれど、嫌で帰らないだけなのかも。
もしも、川で溺れていたりしたら。
今朝、喧嘩をしてしまったから、まだ拗ねているのかも。
もしかすると、迷ってしまって、泣いているかも。
ごめんなさいくらい、私から言えば良かった。

後悔やら何やらが混ざり、頭の中が、じンと痺れていた。

シュウスケは、実弥さんには少しばかり懐いていた。
何分、初めて自分の言い分を、視線を合わせて聞いてくれた大人であったんだそうな。
だから、シュウスケは実弥さんの姿を探すことが多かったし、実弥さんには口ごたえなど、殆どしなかった。

実弥さんも、そんなシュウスケを可愛がっていたし、幾度もその坊主頭を撫で付けていた。

夜になると、眠りが悪いシュウスケはよく魘された。私達と、寝室を分けていたというのに、その唸り声が聞こえてくるほどであった。
けれど、そのたびに実弥さんは布団から抜け出し、シュウスケの頭を撫で付けに行く。
毎夜毎夜「大丈夫だァ、もう、怖くねぇ」そう、シュウスケへと言い聞かせる。

間違いなく、シュウスケも、チエミちゃんも、実弥さんの"大切なもの"になっていっているのは見なくとも明らかなことであった。
シュウスケは、私にはまだ心を開いてはくれなかったけれど、私が彼らを大切に思うには、もうそれだけで十分だった。

私は張ってきた腹を何度も擦りながら、矢張りシュウスケの名を呼んだ。

どれくらい経ったのか、もうわかりはしないが、回れるところは大体回ってしまっていた。
目の前の、夜にはすっかりと真っ黒に姿を塗り替えてしまう、山の中腹からの道の向こう側以外は。

「……でも、待って居るかも……」

私は視線を下げたけれど、真っ白のはずの、足袋の色すら見えない。
──怖い。
迷ったら、どうなるのだろう。
一晩では、死にはしないかもしれない。
けれど、足を滑らせたら?
思いの外、夜半の温度が下がってしまったら?
例えば、川に気付かず、足を嵌めてしまったら?
深くへと入り込んでしまって、帰れなくなったら?

考えていることが、頭の中の話か、目の前に見えているのかももうわからなくなりそうなほどの真っ暗の中へ、私は足を一歩、踏み入れた。

「ねぇ、返事をして頂戴! あやまります! シュウスケさん!!」

自分の声ばかりが響き、それ以外の物がわからないほどに、心の臓が打ち付けていく。
──あぁ、怖い。

「シュウスケさぁん! さ、実弥さん、帰って来ますから、一緒に食事をとりましょうよぅ!」

それでもやはり、返ってくる声はない。
更に二歩、私が足を踏み入れたところであった。

グイ、と腕を引かれたかと思えば、木々の深まっていく山から引っ張り出され、先の表の道へと、私は尻もちをついていた。

「わ、ぁ!!」

乱れた息の音が響く中、少しばかり顔を上げれば、そこには、腕を振り上げる実弥さんの姿があった。
パシん、と、乾いた音が耳の直ぐ側で、した。

「や、やだッ!! ごめんなさいッ! ぶ、ぶたないでッ! ごめんなさい、ごめんなさいッ!! 
許して下さい! ごめんなさ、ッ、……っ、ふ……ごめ、なさ……!」

どうしょうもなく、不快な感覚であった。
いっそ、吐き気すら催しそうな程に、喉の奥が痺れ、言葉も絡まっていく。
実弥さんが何かを仰ってくださっているから、聞かなくちゃ、とは思うのに、自分の息の音がうるさく、聞こえない。
──あぁ、叱られる。
気が付けば、腹を抱え、私は蹲りながら、「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返していた。

何をしなくてはいけなかったのか、頭の中が真っ白であった。
ただ、腹を守らなくてはならない気がする。
でも、他にも何か、しなくてはならなかった気もする。

「こっち見ろォ!!」
「……ッ」

その声に、私の体が跳ねた。
ゆっくりと顔を上げれば、唇から血が出るほどに、歯を立てておられる、恐ろしいまでのお顔があった。

「ごめん、なさい」

私がそう言うと、そのお顔は一気に崩れ去り、夜の中ですら、明るく見えるほどの真っ白を、実弥さんは見せた。
ずっと深く俯く実弥さんの表情など、一塵も見えはしないのに、"大変なことをしてしまった"と、私は理解した。

「実弥、さん、……ごめ、……なさい」
「……ッ」
「ごめ……な、さい、そ、な、お顔……させて、…………ごめん、なさい」
「悪ィ……」

実弥さんは、震える声で呟くように言う。
もう、二度としねぇ、と。
それから、実弥さんは私へと手を伸ばしかけてから、すぐに引っ込めた。

「……シュウスケ、見つけたァ」
「シ、シュウスケ! 大丈夫、でしたか?!」
「怪我一つねぇ。……立てるかィ」

実弥さんは立ち上がり、私を見下ろしながら言った。
いつもなら伸びてくるはずの、指の少ない手のひらは、今度ばかりは無い。
私はどこかでホッと・・・しながら、頷き、立ち上がった。

実弥さんの背中を、手を伸ばせば触れられてしまいそうな程の距離を保ち、帰路へつく。

冷静に考えれば、実弥さんが激高するのは当たり前の事だ。
こんな夜半にほど近い時分に、それも、自身の居ないとき。
腹を大きくした妻が、真っ暗で視界もはっきりしない中、木々の鬱蒼と茂る山奥へと入っていく姿など見てしまえば、「死にたいのか!」と、怒鳴りつけるかも知れない。

同じように、平手で頬を打つかもしれない。

それだけのことを、私はした。
実弥さんのお子の宿っているのであろう身を、危険に晒したのだ。

それがどれだけのことか。
私は今更ながらに理解した。
それでも、実弥さんの大きな体が手を振り上げたあの姿を、忘れられそうにも無かった。
いつかの、なにか・・・と重なった。

私はもう一度、実弥さんの背中へと「ごめんなさい」と呟くように言ったけれど、実弥さんは振り向いても下さらなかった。
私は、自分が何に対して謝っているのか、わからなくなっていた。

──────────
──────
──

屋敷の側まで来れば、べそをかき、何度も目元を拭うチエミちゃんの姿が見えてきた。
その、すぐ隣。
ランプを掲げた、シュウスケの姿も。

私は思わず、シュウスケの顔やら腕を、何度も何度も確認した。
顔へ触れ、腕を撫で付けながら、震える声で言った。「怪我は」と。

実弥さんが教えてくださっていたというのに、口をついて出たのが、それであった。
両方の目から、どッと涙が溢れかえるのを、私は止められそうに無かった。

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