小説 | ナノ

秋と言うのにも関わらず、夏を引きずっているのか、じとじととした天気が続いていた。
それは今日とて例外ではなく、傘を無くしては歩けないほどには気ままな天気であった。

傘を片手に、私は家となっている、屋敷を出た。
いつまで経っても、この屋敷から出ることも、ここへ帰ることも慣れずにいる。
あんまりにも、立派であるのも考えものだな。とは、常々思ってしまうものだ。
あと、毎日の掃除やら、片付けが本当は少し、大変だとも思う。

そんなことを考えながら、暫く道なりに進めば、「おーい!」と手を振る荒木のおじさん達の向こう側に、実弥さんの姿を見つけた。

「お疲れさまでございます!!」

声を張ってそう言えば、実弥さんはおじさん達へと軽くだけ頭を下げてやってこられる。
そんなつもりもなかったものだから、私は狼狽える。

「あ、あの! 私はもう行きますので! 本当、お声がけだけのつもりで!!」

では! と、頭を下げ、歩きはじめたところで、実弥さんの少し掠れた声が私を呼び止めた。

「ちィと待てぇ」
「は、はい」
「行くのかァ? ……あそこォ」
「はい、先生に……その、挨拶をしておくように、と言われましたので、一応……」
「一緒に行く」

顎のあたりまで降りてきていた汗を拭いながら、実弥さんは畑の方を振り向いた。
くい、と顔を傾けて「言って来らァ」とおじさん達の方へと足を向けられる。

「いいえ! そんな、大したことでもありませんし!」
「……何かあったらどうすんだァ」
「な、なにか……? でも、そんなに何も、しませんよぅ」
「…………すげぇ、雨が降るかも知れねぇだろォ」
「傘を持ってますよぅ」

私は傘を持ち上げ見せたが、実弥さんは眉間を険しくなさる。

「……腹が張るかも知れねぇ」
「そうしたら、休憩、しますね」
「お前、どんクセぇんだから、すっ転ぶかも知れねぇだろォがァ」
「そ! そこまでじゃありませんよぅ!」
「…………心配なんだよ、悪ィかよ!!」

ギャンと声を荒らげた実弥さんは罰が悪かったのか、舌打ちの音を響かせながら首の裏をガシガシと引っ掻き、ため息を漏らした。

「わ、悪いとは思いませんけど、だ、だって! 何て言うんですかぁッ!!」
「そんまんま言やァ良いだろォが!! 妊娠して……」
「もうッ!! ま、まだわからないって、言っているじゃありませんかぁ!!」

実弥さんが言い切る前に声をかぶせ、あわわ、と私はあたりを見渡す。
幸い、おじさん達は直ぐ側には居らず、他に聞いていた人も居ないようではあったが、ドキドキと心臓が騒いでいる。
いけないことでもなんでもない筈だけれど、私は未だ、自分が妊娠している、とは信じられないのだ。
だって、もしそうだったら、前の夫とのアレ・・は何だったのか。何がどうして前の夫との子は出来なかったのか。
私にはうまく説明が出来なくなるからだ。

もし、私が妊娠しているかも、と実弥さんが周りへと仰られ、万が一私は矢張り産まずの女であれば、実弥さんの恥になるのではないだろうか、と思うのだ。
実弥さんはきちんとそのあたりを考えておられるのだろうか、と、時折首を傾げたくなる。

実弥さんは少し不機嫌になってしまった顔も隠さず、口を突き出したままに言った。

「行くからなァ」
「……わ、わかりましたよぅ」
「待ってろ」
「はぁい」

準備してくる、と仰られ、おじさん達へと声をかけに行った実弥さんの背中を、なんとも言えない気持ちで見送った。




産婆のお婆さんへと挨拶も終え、ついでに、と村で買い物をし終えると、丁度昼時になる頃合いであろうな、と言うことが太陽の位置から読み取れた。
私から荷物を取り上げた実弥さんは、三歩前を普段よりずっと小股で歩いておられる。
いつかは真っ白な羽織物に掲げられた一文字がはためいていたが、今は尻っぱしょりされた縞文様の長着が、私の前を歩いている。
なんとも言葉が浮かばないままに、私はじんじんと、熱くなりたがる胸を押さえつけた。

また暫く歩いていた。
電柱が立ち並ぶ村の中道。そこを歩いて、その電柱の最後の一本のあたり。
ここから上にある、集落までは電気を届けていないから、ここで、丁度終わりであった。
そこらまで来たあたりで、私の体はぐずつきはじめていた。
急激にひどくなる目眩に、頭の中がグラグラと揺れる。
息が乱れ、喉が乾いていた。

「どうしたァ」

私を覗き込む実弥さんに、首を横へと振った。

「いいえ、…………少し、腰が重いだけです。大丈夫です」
「休むかァ」
「そんな……! 大丈夫ですよぅ」
コッチ・・・は大丈夫じゃねぇって、言ってんのかも知んねぇぜェ?」

実弥さんは軽口のようにそう仰り、私の腹のあたりを、荷物を掴んでいない右の手で、そろそろとなでられる。

「……んふ、そうなんですかねぇ」
「あそこで休もうぜ」

実弥さんはすぐそこの、村で唯一の甘味処へ指を伸ばし、表の長椅子を指し示した。それから、俺も、ちィと疲れちまったァなどと、本当かどうかもわからないことを言いなさる。

「……はい」

そう私は答えたけれど、本当はそれが、実弥さんの優しさから来た嘘であることなんて、気が付いていた。

実弥さんはいつだってそうして私が気を使わないようにと気をかけてくださる。
それがどんなに私の胸を焦がしているのかだなんて、きっと実弥さんは知らないと思う。



丁度、団子を食べ終えた串を出して頂いた串刺しへと挿したところで、長椅子の毛氈がぽつぽつと落ちる水滴を吸い込んでいった。

「あ、」
「……ほら」

実弥さんは店内に入るでもなく、私の持ってきていた傘をさした。
私達の頭上で、雨の弾かれる音が軽やかに響いていく。

「へへ、ありがとうございます」
「…………ンな見んなァ」

そんなに見てましたか?と聞けば、「知らねぇ」と返される。

「いつか、こうした事が……ありましたねぇ」
「……そうだったかァ?」
「そうですよぅ」
「覚えてねぇなァ」

実弥さんは唐傘の持ち手をくる、と回した。
水滴が、先よりも少しばかり遠くへと跳ねた。

「……濡れんぞォ・・・・・
「…………い、入れて……頂いているので、大丈夫、です」
そうかィ・・・・
「……照れますねぇ」

チラッと隣へと座した実弥さんのお顔を覗き見れば、優しい顔をなさっておいでで、私が見ていたことで罰が悪かったのか、実弥さんはキュッと口元を尖らせて立ち上がった。

「今度は、串もちでも食うかァ」
「……え! 大嶌屋、ですか?」
「大嶌屋のォ」
「それは、贅沢ですねぇ」
「だなァ」

傘を少しばかり私の方へと傾けながら「やっぱおはぎだな」と笑う実弥さんに、私も「それも良いですねぇ」と答えた。

「あ、この間、奥様にお茶を頂きましたよ。なんでも、珍しい茶葉なんだとか」
「緑茶かァ?」
「いえ、なんでも外人さんから、旦那様が買い付けたそうで……なんでしょう。香り茶? 香茶? でしたかねぇ。とにかく、実弥さんと一緒に飲みたいなぁ、と思いまして」
「へぇ。そりゃァ豪気なモンだなァ。飲んでみるかァ」

どんよりとした雨空の下、傘の色に髪を染め、実弥さんはからからと笑う。それからすぐに、そういやァ、とまた口を開いた。

「食いてぇモンとか、何かあるかァ」
「……なんでもいいんですか?」
「良いぜぇ、食えンならなァ」
「クリィムソォダ……また、飲みたいです」
「……腹、冷えやしねぇかィ?」
「冷えちゃいますかねぇ」
「ンでも冬場よりはマシかァ」
「今年も寒いですかねぇ」

ぽつぽつ、ぱつぱつ、と雨を弾く軽やかな傘の音の籠もる傘のうち側。
実弥さんと、それ以上に近くにあったことはたくさんあるのに、この中はあまりにも音が響く・・。実弥さんに包まれている時のようだ、と思う。


どきどきとしたものを抱えたまま、集落から伸びる坂を登っていけば、少しばかり息は切れるが、今朝方見たおじさん達の畑が目に入ってくる。
けれど、いつもと少し様子が違う。

いつもは騒がしい畑はしんと静まり返り、虫の音ばかりだというのに、いつもはこの時間静かなはずの里中の家の向こうが騒がしい。

「実弥さん、あそこ……」
「んだァ? 騒がしいな」
「……はい」
「行ってみるかァ」

すっかり雨も上がり、足元の泥だけがざらつく中、その騒ぎの中心へと私達は歩を進めた。
その間も、休んどくかァ? と私に言う実弥さんへと首を振って断りつつ、見知った顔の人混みをかき分け行く実弥さんの後ろへと張り付くように立つ。

実弥さんがすぐ側で様子を見ていた荒木のおじさんの肩を叩くと、「あぁ」と小さく頷いた。

「何かあったのかィ」
「不死川さん!いやぁ、なんでも里中の奥さんが見つけたらしいんだが、……あすこの、空き家があんだろ」

荒木のおじさんが指を指した先は、もう十年近く前。この集落でも偏屈・・だと揶揄されていたお婆さんが亡くなり、それ以降すっかり空き家になってしまっていたぼろ家であった。
屋根は草臥れ落ち、あちこちの壁やら扉の木がささくれ立ち、虫食いまである。
おいそれと人の住める様子では無かった場所である。

実弥さんは、「……アァ」と頷いた。

「なんでも、童が住み着いちまったらしい」
「へェ」
「え! じゃ、じゃあ奥様があそこに?! お一人で?!」

そこまで黙っていたが、荒木のおじさんの言葉に、思わず私も声を上げてしまった。

「わ、私! 奥様のお手伝いに行かなきゃ!」
「ほら、焦んなァ」
「そうだよ名前ちゃん、なんでもわっぱだってんで、びびらせちゃいかん、と一人で行きなすってんだ。ちぃと様子を見守ろうや」
「でも……!」

実弥さんの背中から飛び出した私の腕を捕まえたままの実弥さんは、おじさんに一つ頷きなさって、「コイツを頼まァ」と、荒木のおじさんに私の体を押し付けなさった。

「俺がちィと見て来らァ」
「わ、私も……!」
「すまねぇが、荒木サン。そいつを頼む」
「あぁ、びびらせねぇようにな」

後頭をガシガシとやりながら、実弥さんは一人、空き家の方へと足を向けなさっていった。

次へ
戻る
目次

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -