小説 | ナノ

表では鴉が鳴き声を上げ、虫の声も響き始める頃合いであった。
夕暮れ時だ。
また、雨が降っていた。
滝のような、ごうとした雨が降り注いでおり、支度のできた箱膳を目の前に、私は大きくため息を落とした。

これから家へと帰ろうかという頃合いであるのに、なにもこんな時間にばかり本降りになるのはどうか。と、悪態の一つでもついてやりたくなったのだ。

天に悪態をついたところで、唾が帰ってくるのと同じく、拾うてくださる人など居はしないのだろうが。

野良仕事から帰ってこられた不死川様と、同じように土を触って居られたらしい宇髄様の寛がれている居間へと、私は箱膳を運び始めた。


居間には、不死川様の着流しを引っ掛けただけで、褌すら見えている宇髄様と、前がたっぷりと寛げられた格好の不死川様が、何やら向かい合って話して居られる。

「失礼しますね」
「お、悪ぃな」
「すまねぇ」

お二人からのお言葉に、いいえ! とだけ返し、お二人の手元のぐい呑みに、それぞれお酒を注いでいった。
注ぎ終わるのと同時に、私は襷を解き、「では、私は今日は、その……これで」と頭を下げた。

くい、と手の中のお酒を飲みきった宇髄様は、今度はご自身の手酌でお酒を注ぎながら、くいッと顎で外を指し示す。
私はそれに倣い、障子の開いた向こう側。外廊下の向こうで、ざぁざぁと水をこぼす空を見た。

「お前、こんな中帰んのか? んな地味なことすんなよ」
「で、でも、……帰らなくちゃ、奥様心配なさいますし」

宇髄様の言葉は至極もっともらしく聞こえた。
いかんせん、この雨だ。
外もすっかり日が落ちている。
宇髄様が怪訝な顔をするのはもっともな事なのであろうが、不死川様が渋いお顔をなさるのも、私が遠慮をするのも、尤もな事だ。
なにぶん、私がここへ通う事が容認されているからと言って、不死川様は若い男である事には違いはない。私は傷物の女であるが、そういう・・・・勘違いを皆にされない、とも限らない。
不死川様も不本位であろうし、私が何某外聞の悪いことがあれば、奥様の面目も潰れてしまう、というもの。
出来れば帰ってしまいたかった。
何が起こらなくとも、そこは問題ではない。そう、思われる・・・・ことが問題なのだから。

ただ、表は宇髄様の言葉を支持するかの如く、更に雨足が強くなっていく。

「鴉に報告行かせりゃ良いだろ」とあっけらかんと仰った宇髄様は、酒をもう一度煽り、「おい」とどこへともなく声をかける。
そうすると、「カァ」と独特の声がして、そのまま羽音が失せていった。

「あ? てめぇ、勝手に」
「もう行かせたぁ」
「……お前なァ」

苦言を呈した不死川様であったが、がしがしと頭をひっかき、おもむろにお酒へと口をつけた。
私は「今日は帰れないのだな」とどこか遠くで考えていたかもしれない。

「せっかくだし、食ってけよ」
「……」
「要るなら食えェ」

降参した。とでも言いた気に、胡座の上で頬杖などをつく不死川様は、ご自身の前のお膳を私の方へと押し出す。

「で、では……その、いただきます」

「お勝手に、残りがあるので、それを頂きますね」と、私は不死川様へ向け、確認するように言った。

________
____
__


「でよぉ、キレた不死川が──……」
「てめぇ、やめろってんだァ!」
「だ、大丈夫です!! 笑いません!!!」

お酒が進んでくると、不死川様は少しばかり饒舌になり、宇髄様がそれに呼応するように言葉数を増やしていく。
不死川様の起こしたとんでもない一幕やら、「初々しかった」と宇髄様の語り始めるお話を、私はうんうんと首を赤べこのように振り回して聞いていた。

初めのうちは黙っていて、時折「そんなんじゃねぇ」と否定を入れるに止めていた不死川様も、今度ばかりはとどまらなかった。

なにぶん、不死川様が「女性に弱い」だのなんだのと言う話であるのだから、私としては聞きたい愛らしい時期のお話であろうことは請け合いであったが、不死川様はあまり知られたいお話ではなかったらしい。

弱い、というのも、なんというか。
救護の女性に、触れられることが苦手だとか。優しくされると照れてしまうだとか。そう言った具合らしい。
ただ、宇髄様の語りが面白過ぎた。

私は意気揚々と両こぶしを握り、笑わないと宣言したが、いかんせん、宇髄様が、面白おかしく話すものであるから、握っておかねば今にも笑い転げそうである。というのが正直なところである。

「……面白くねぇ?」
「う、」

こちらを覗き込む宇髄様から、私は顔を逸らした。が、その先に不貞腐れた不死川様のお顔があり、「どうなんだァ」だのと口を尖らせておられるのだ。

「や、やめて下さいよぅ!」

そう言ってお二人から背をむけ、手で顔を隠す程度の抵抗しか私に出来る事はない。
だというのに、宇髄様のとびっきりお優しくして出された声が、「ほら、不死川を見てみなぁ」だのと言うものだから、私はそれに従わなくてはならない気がしてくる。酷いものだと思う。

指の隙間から見えた不死川様は、変わらず、少し尖らせた口をぐい飲みへとつけている。
その横顔が、「きっと、こんな風に照れておられたのだろうな」などと思い伺わせるものであったから、もう駄目だった。
空気が、私の口元から漏れだした。

「ん、……………………ふッ」
「笑ってんじゃねぇかァ!!!」
「わぁん! ごめんなさいぃ!!」
「ぶっは!!!」






ひとしきり笑い、皆が一様に少しばかりの落ち着きを取り戻した頃であった。

今が一体何時であるのか。それは時計のないこの屋敷では計りかねるものではあるのだが、もうあたりは真っ暗だ。
先よりもずっと深い夜がやってきていた。

とは言え、雨はすっかり小雨に姿を変え、ぬかるみの向こう側から蛙のいっそ不気味なほどの低い音が聞こえるほどになっている。

「あ、あのぅ、お食事、ありがとうございました……雨も落ち着きましたし、私」
「送ってく」
「い、いいえ!! 宇髄様もおられるんだから、ぜひ楽しんでいてくださいよぅ!」
「ア? コレ・・はほっときゃ良ィ。一人でも楽しく飲んでるだろォ」

宇髄様を後ろ手に親指で指し示される不死川様に、私は首を横へと振った。
今日の不死川様は、随分と楽しそうに見えたものであるから、このまま楽しいひと時を過ごして下さればいい。それは間違いなく私の本心である。
もう一つ言うのであれば、宇髄様というお客様が居られるのに、送っていただくだなんて真似は、私に出来そうにない。

不死川様の言葉に「へぇへぇ」と手をひらひらとさせる宇髄様を一瞥した不死川様は、ゆったりとした動作で立ち上がる。

「でも、本当に一人で大丈夫ですよぉ」
「こんな夜半に女一人でうろつこうとするんじゃねぇ! どんくせえんだから、送られとけェ!」
「わ!! ひ、ひっどぉい!!!」
「ア?」

それに倣い立ち上がろうとした私は、不死川様の突然の暴言に畳を打った。
鈍くさい、だなんて、あんまりだ。確かにどんくさいし、とろいところはあるけれど、「鈍間じゃねぇ」と、不死川様が仰って慰めて下さったのはつい昨日一昨日の事だ。
それがどんなに嬉しい言葉であったのか、不死川様は分かっていない。
そう思うと、なんだか一気に苛立ちがわいたのだ。

「鈍臭いって、言いました!!」
「言ったなァ」
「昨夜ですよ! つい、昨夜!!」

ぷぅ、と膨れる口元もそのままに、私の傍で立っておられる不死川様を睨み上げた。

「鈍間じゃねぇって、不死川さん、仰りましたよぅ!!」
「ノロマじゃねぇとは言ったが、鈍臭ぇのは事実だろォが」

飽きれた、とでも言いたげな不死川様とふくれっ面の私を交互に見た宇髄様は、それを肴にでもなさっているのか、またお酒を煽る。

「何それ、お前らそんなに仲良かったのな」
「良かねぇ!」
「よ、良くないんですかぁ!!」
「ア? 面倒くせぇなァ!!」
「ぶっは!」

宇髄様は大きな音をパシィンと上げながら、太ももを弾かれた。

「まぁ、一緒に飲もうぜ。詳しく聞かせろよ」
「ア? ンな飲ませんなァ」
「そ、そうですよぅ、お酒が勿体ないですよ」
「俺の注いだ酒は飲めねぇかぁ?」
「おい、宇髄」
「それは…………狡いですよぅ」

宇髄様は私へと徳利を向けていた。
どうやらこのまま飲むほかなさそうであった。

「ほら、もう一杯」
「も、もうお腹、いっぱいでふよぅ……」
「オィ、もうやめとけェ」

私のすぐ隣へとそのまま腰を下ろし直していた不死川様が、私の手の中から小さな酒器を持っていき、そのまま煽られる。

ぼやっとした不明瞭な頭の中、私は少しばかり悪態をつく。
ずるいです。というものだ。

「仲良くない人には言われたくないですよぉ」
「ほら、もう酔ってんだろォ」
「不死川さんはぁ?」
「ア?」
「酔ってまふかぁ?」
「……程々になァ」
「気持ち良いれすねぇ」
「ぐでぐでじゃねぇの」
「お前が飲ませるからだろォ」

闊達に笑う宇髄様に、私も出来る限り口角を持ち上げた。

室内は、この季節特有のじっとりとした空気が漂い、火照った体には酷く暑い。
部屋の端に置かれた行燈が、ゆら、と風のせいか、時折揺れる。
頭の中のもやもやぼけぼけとしたものが、ずぅっとぐるぐるとまわっている。きっと、私はかなり酔っている。


「んでぇ? その不死川さん・・・・・とは深ぁい仲なわけ?」
「ねぇ、不死川さぁん、ねぇ」

宇髄様の言葉が、なんとなぁく心地よく頭へと響いている。

「ねぇっ、て、呼んでますよぉーう」
「んだよ」
「ふかぁい、仲なんれすか?」
「……深かねぇだろォ…………それなりに、長ぇ付き合いには、なるんだろうが……」
「へぇ」

宇髄様の相槌に倣い、「……へぇー、」と私も同じように呟いた。

「なんだよ」
「深ぁい仲……」
「どうしたぁ?」
「どこまでいけば、深ぁい、でふかねぇ」
「あー? そうだなぁ」

ぴん、と目の前に一本だけ突き立てられたのは、きっと宇髄様の指だろう。

「例えば? 下の毛の色知ってる、とかぁ?」

それが、また一本、増えた。

「ケツのほくろを知ってる、とかぁ」

また一本増えた。
すぐ傍に膝を立ててお酒を煽っていた不死川様は、その宇髄様の手を弾かれる。

「おい、宇髄ィ」

私は考えた。
ぼけぼけ、ぼやぼやとする頭で。
いったい、私は不死川様の何を知っているのだろうか。
深い仲って何だろうか。
深い仲に、なりたいのだろうか。
なりたい。ずっと、ずっとそう望んでいた。そんな事は分かり切っていた。お慕いしないはずがないのだ。こんなに素敵な方の事を。
不死川様はいつだってそうだった。いつだって私に手を差し伸べて、「来い」と引っ張り上げて下さる。私がどこに居ても、見つけて、連れ出して下さる。
そんな方を、想わないわけが無かった。はじめから。

「ほくろ、……は知らないれすけど………………下はね、……白っぽかったれす…………よ、ぅ………………陰っていたから、ぼやっと、しか思いらせないんれすけろね、ひろっぽかった、れすよぅ」
「……」宇髄様は黙った。
「……」不死川様はぽかん、と口をあけた。

「背中、は、つるッとひてて、………………れも、引っ掛けた、みたいら傷は、あって…………」

「お?」宇髄様は不死川様の股の方へ視線をやり、
「…………は、ァ?!」不死川様は酒器を取り落とした。

私は一連の流れをぼやぼやとした頭で眺め、息を吐いた。
息を吐いてから、すった。

「………………っえ!!!?」

一気に酔いが冷めていく気がした。
これは、ずっと、墓場まで持っていく秘密であったはずなのだ。
だって私は本当は不死川様のそんな事を知るはずが無いのだ。知りようが、無いはずの事だ。

「て、め……」不死川様は開いた口が塞がらないらしい。
「……ほーん」宇髄様はにや、とした口元を、手で覆われる。

私は今、一瞬で現実へと引き戻されていった。

「え?! 」

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