小説 | ナノ

結局雨は一晩中激しく降り続け、不死川様は里中の家で一夜を過ごした。

いつもは旦那様がお掛けの席は空白のまま。代わりに洋物の大きなテェブルには不死川様がかけておられた。
「うまいです」とだけ仰られ、黙々と口元へと食事を運ぶ不死川様を私は真っ直ぐに見る事が出来ず、そっと伺い見る事にとどめていたのだ。けれど、あの淡い紫は静かに私の目と絡んでいた。
何度も。
何度も絡まっては解けた。
私はその度に、自分の項を触っていた、と思う。


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朝には雨もほとんど上がり、雲の隙間からは陽が射して見えるほどであった。
朝餉も終えた私は、不死川様の昨日めしておられた着物を確認することにした。
里中の家には客間が二つある。
一つは、今不死川様の使っておられる、広い客間。
二つ目は、今は殆ど物置になっているが、ここへ来てすぐに、私の使っていた部屋であった。
その中央へとおいてある衛門かけには、昨夜まで不死川様のお召しになっていた着物が引っ掛けてある。

「乾いてっかァ」
「あ」
「それ」

不死川様の声がすぐ傍にあり、私は思わず身を竦めそうになる。
「い、今から見ますね」だのと言いながら、私はいつの間にか触れていた項から、そろそろと指を放していき、着物へと触れた。

「まだ湿っておりますから、このまま干しておいた方が良いと思うんですが、……どうしましょうか」
「今日は畑に行くことになってっから、そのまま行ってくらァ」
「そうですか?」
「そのうち乾くだろォ」
「まぁ、そりゃあ……そうでしょうけど、……寒くはありませんか?」

私の顔を見た不死川様は、きゅ、と口角を上げてから「問題ねぇ」と仰られた。



足元に草履をつっかけ、少し湿ったままの長着をたくし上げた不死川様は、裾を適当にはしょってから玄関を出られる。

「行ってくらァ」
「……あ、……は、はい!!」

突然のやり取りに、私はぽかん、とだらしなく口をあけっぱなしてしまい、慌てて返事を返した。
私の間抜けた顔を見たのであろう不死川様も、同じようにぽかん、となさってからがしがしと首裏をひっかかれる。

「……じゃねぇな、悪ィ。あー、なんだ」

言葉を探す不死川様の耳たぶが赤かった。

「世話んなったァ」
「い、いえ!!」

変わらずがしがしと頭をひっかきながら歩き始めた不死川様のお耳と変わらないくらいに真っ赤になっているのであろう顔を、私はこれでもか、と言うほどに手で隠した。


***


奥様の手伝いを終える頃。陽がそろそろ真上へと差し掛かろうとしていた。
私は慌てて握り飯を作り、里中の家を出る準備をした。

バタバタとやって、少しばかり息を切らせながら上り坂を登っていく。

昨夜の雨のせいか、まだまだ地面は乾いておらず、草履が時折、滑りそうであった。



「お、」

そう声が響いたのは、不死川様のお屋敷のほど側であった。
不死川様のお屋敷へと背を向けるその巨躯の持ち主を、私は知っていた。
濃い紫の長着へと身を包み、手には小さな包みを一つ。
もう片方の腕は、手首から先が失せていた。
いつの間にか、大きな眼帯がその片目を隠してしまっているが、その下には「あッ」と驚くほどの美丈夫が隠れていることを、私は覚えている。
宇髄様だ。

思わず「……わ!」と、私が声を上げるよりもほど早く、宇髄様は左目を隠されたまま、ニカッと笑った。

「奇遇じゃねぇの」
「宇髄様!!」

私の呼び声に、「おぅ」と答えた宇髄様は、「派手に戻ってきたんだってな」と続けなさった。

「その、お恥ずかしながら、離縁されまして。へへ」
「恥ずかしかねぇよ。こっちから願い下げだろうが」
「不死川様……不死川さんに?」
「いんや、どうしてもお前が気になるって須磨が聞かなくてよ」
「須磨さんが……」
「地味に尾上の家を訪ねてきた訳だが。その後の話、聞くかぁ?」

その名前を聞いてすぐに浮かぶのは、夫の顔よりも、不死川様のお顔であった。
あの日、あの夜。
私を見つけてくださった、不死川様のお顔だ。
私を連れ出してくださったあの時のことだ。
喉の奥が、つきつきと、少しばかり痛むのは何も気の所為では無いのだろう。
それくらいは、わかっていた。

口角を上げる宇髄様に、私は首を横へと振り、「必要ない」と意思を示す。

「……い、いえ。……その、…………でしたら、……これだけ。…………彼は、その…………元気、でしたか」
「はは、元気に再婚してらぁ」
「再婚……」私は口をぽかんと開けた。
「あぁ」
「……そう、ですか」
「まぁ、茶でも出してくれや」

宇髄様の言葉に、取り落としそうになっていた包みをなんとか持ち直し、私は幾度もこくこくと頷く。
頭が弾けそうであった。

「……あ、は、はい!! あ、でも、不死川さんのお屋敷なので、その、里中の家に……」
「聞かれたかねぇだろ?」

頭髪と同じく、色素の薄い眉を下げた宇髄様は、「不死川にゃ俺から言っとく」と続けられた。

「で、では、その、お昼時まで」
「おぅ」

不死川様のお屋敷の門を開き、中へと入っていく宇髄様のお背中を、私はどこか重い足取りで追いかけた。


***


「そう、でしたか」

私の口から出たのは、そのたった一言であった。

夫がどうなったとしても、或いは、自業自得なのかも知れない。
例えば、再婚した先の娘を、私にしたように甚振り、それに感付いた娘の実親に見咎められる、だとか。
例えば、激高したその娘の実親に、刺される。だとか。
例えば、そういった経緯から、夫が今は、雲隠れしている。だとか。
生死が不明だとか。

遠い世界の物語を聞くような気持ちで、私はただ、ぼぅ、と宇髄様の口が動くのを眺めていた。

「ほんの一瞬の出来事だったみてぇでな。須磨なんかは、それでも許せねぇらしくてな『探し出して死体を蹴りにでも行ってやる!』だとか恐ろし事言ってやがったが、…………行かせるか」
「い、いりませんよぅ!!」

ぎょッ、と目をひん剥き、私は思わず立ち上がりそうになったが、宇髄様が膝を叩いて笑うものだから、少しずつ、事態を咀嚼していった。

「はは、冗談だ」

宇髄様と私に挟まれるように置かれた湯呑を片手に、宇髄様はそんな私を笑われてから一口、それを煽る。

「で? 不死川とはどうだよ」
「……そ、その、…………ど、どうも、こうも………………な、なにもありませんし、その、」

私は少し俯いた、と思う。

どう、と言われても、何もないのだ。
不死川様はお優しいし、変わらず頑張っておいでで。私はただそれをお助けできるようであればと、背中にひっついてまわるような真似をしているばかりで。
出来る事ならば、私が少しでも不死川様のご負担を減らせているというのであれば、嬉しい。そのくらい。
もっとも、今のところは御迷惑ばかりかけている状況ではなかろうか、と落ち込んでいる、というところ。そのくらい。そのくらいだ。
惚れた腫れたで問答しているのは私の中でだけの話であって、不死川様はそこには一切関係なく。

悶々としながら話すと、当然頭も口も回らず、「えっと、うんと」と要領を得ない音ばかりが口から漏れていった。
そんな私を湯呑越しに見た宇髄様は「はぁン」と目を窄めて相槌を打つ。

「ほの字かよ」
「そ!! だ! ………………わ、私が一方的に、その! と、特別に思っているだけで、その! 不相応な事は、わきまえてますし、その!!」
「……へぇ」
「そ、そんなじゃ、無いですよぅ……」

もごもごと、変わらず漏れる音は、矢張り、要領を得ないものばかりであった。

「それはそうと、そろそろ昼時じゃねぇ?」
「ひゃあ!!」

宇髄様が私を通り越した先。
障子の向こう側の空を見られてから吐かれた言葉に私は飛び上がり、部屋の隅へと避けておいた包みを慌て持ち上げる。

「は、早く行かなきゃ!」
「不死川?」
「あ、そ、そうなんです! お握りを持って行こうと思っておりまして!!」

「へぇ」と少し考える素振りを見せた宇髄様は、長着の裾をさばきながら立ち上がり、「俺も」と口元を歪めて立ち上がられる。
どうやら不死川様に会いに行かれるらしい。
「是非」とだけ答え、私は急ぎ、歩きはじめた。

荒木のおじさんの畑へと到着するよりもずっと早く。
きゃあきゃあと童の声があちらこちらから降っていた。
あちらこちらと思っていたが、近付けば、それが実は一つ所から来ているものだと早々に知ることが出来た。畑だ。
それも、真ん中の方。

私は眉の上へと片方の手を翳し、影を作ってから、少しばかり向こうを眺める。

「あれ、……今日は子供がたくさん…………収穫でもしてるんですかねぇ」
「採れたてかぁ。贅沢じゃねぇか」
「美味しいんですよぅ! 是非宇髄様にも召し上がっていただきたいくらいです!」
「へぇ」

宇髄様とぽつりぽつり、と言葉を交わしながら歩く道程は、どうもいつもより早く感じた。
不死川様へと会えるのを、どこか楽しみにしているから、なのか、宇髄様の姿を驚く不死川様を見たいのか。あるいはその両方なのか。
私ははっきりとした答えを出さないまま、畑の向こうで作業を丁度ひと段落したらしい不死川様へと向け、声を張り上げた。

「不死川さぁん!」

童やらに囲まれ、どうやらその相手をしていたらしい不死川様は、私の声に、ふ、と顔を上げて下さる。

その子供たちへと向けられていた優しい眼差しは、私と、その隣へと立つ宇髄様のお姿を見られてから姿を消した。
代わりに、というわけでも無いのであろうが、不死川様のお口が、一気にへの字へと曲がっていった。

「おぅ、名前ちゃん」手を上げる荒木のおじさんへと、私は軽く頭を下げる。
「こんにちは!」
「名前ちゃんだぁ!」
「こんにちは!!」

私が童たちへと挨拶を返していると、ざくざくと土を踏み鳴らし、不死川様は宇髄様のすぐ傍へとやってきては私をその背へと捻じ込んだ。そうして、宇髄様と対面なさった。

「何しに来てんだァ、てめぇ」
「まぁまぁ、そう邪険にすんじゃねぇよ」
「い、いけませんでしたか」
「大丈夫大丈夫。恐ろしい顔してっけど、俺に頑張ってる姿を見られるのが恥ずかしいんだろうよ」
「そうなんですか」

私は思わずすぐそこの不死川様のお顔を見上げようとしたけれど、不死川様が一歩前に出られたものだから、それもかなわない。

「ンなわけねぇだろォが。沸いてんのかァ?」

宇髄様へと今にも突進しそうな不死川様に、少しばかりはらはらとしているのは、恐らく私だけではない。
ここに居る皆が一様にやり取りを横目であったとしても、見ていると思う。
とくにおじさん達は見ていると思う。

「まぁそうキレんなっての。今日泊めてくれよ」
「ア? 厚かましいな、帰りやがれぇ」
「まぁまぁ、酒の一杯でもやろうぜ」
「……」

片腕に酒瓶を担ぎ上げる宇髄様から私へと視線を流し、不死川様はまた後頭部をがしがしと引っ掻いておられた。

「……一杯だけなァ」

一触即発なのかと思っていたのはどうやら周囲だけらしく、とうの二人は平常通り・・・・とでも言うように、肩を組んでみたり、それを引き剥がしてみたりだのとじゃれ始めたものだから、私はぱちンと手を合わせた。

宇髄様の「照れている」というのが、ほんの少しばかりわかったような気になったのだ。
もしかせずとも、宇髄様と不死川様は、仲良しなのかもしれない。
なら、お二人が今夜は楽しく酒盛りできるように、何かしたいなぁと思うのは、きっと普通のことと思う。

なら、今から私に出来ることをしよう! そう意気込んで私は口角をきゅっと持ち上げた。

「なら、私おつまみになりそうなもの作っておきますね! お豆腐、貰いに行ってきます!」
「ア、おィ!!」
「まぁまぁ、好きにさせようぜ」

不死川様達へと一度頭を下げてから、私は元来た道を戻り、不死川様のお屋敷から適当な鍋を引っ掴んだ。
お豆腐を貰ってこよう。
それから旨煮も拵えよう。
あと、ご飯もあった方が良いだろうか。
お酒は足りるだろうか。

不死川様の喜んでくださるお顔を想像して、私の足はせかせかと動き出した。


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