小説 | ナノ

セツさんの家の前まで着くと、セツさんの悲鳴のような声が聞こえていた。
セツさんは、この土砂降りの中、家を飛び出してきた。丁度、私達が辿り着くのとほとんど同時であったから、行き違いにならずで良かった、と、私は胸をなでおろした。

「セツさん、りっちゃんが、」
「り、リツっ!! リツ──ッ!!!」
「ッわ!」

セツさんの慌てようは、私も泡を食うほどのものであった。
不死川様の抱えたりっちゃんのもとまで走り寄ったセツさんは、りっちゃんを受け取ると、わぁわぁと泣きながら、へたへたと水溜りの上へ、へたり込んでいった。
私はそれを止めることは出来なかったし、不死川様も、何を言うことも無かった。
ただ、私はセツさんの方へと、少しだけ傘を傾けた。
不死川様を見やると、小さく頷いておられたから、恐らくこれで正解なのだと思う。

りっちゃんをぎゅうぎゅうと抱きしめたセツさんは、何度も私達へと頭を下げ、「や、ヤス子さんが、」と、ヤス子さんがりっちゃんを探している事を私たちへと告げた。

「ど、どこまで探しに……」

ふ、と私の頭を過ぎったのは、いつの日か、ヤス子さんや私が落ちた、あの山の斜面。
もし、あんなところまでこの雨の中で探していたら。
そう思うと、私は居ても立ってもいられなかった。

「ヤス子さん、探してきますッ!!」

セツさんへと傘を渡した。
屈んでりっちゃんを抱いていたセツさんは、それを受け取った。私は急ぎ立ち上がる。

「待てぇ」
「あ! こ、ここまで、あり……」

不死川様が、私の前へと手を出された。
手を辿れば、真面目くさった顔がそこにある。
礼をしようとして、私ははたと動きを止めた。
自分で、ヤス子さんを見つけられるか、わからなかったからだ。
セツさんへとあぁ言ったは良いが、見つけられなかったら、どうしよう。

漠然とした不安感が胸を渦巻き、ぐらぐらと煮立っていく。

「……あの、……お願いします、ヤス子さんを、一緒に探してくださいませんか……!」
「わかってらァ」

不死川様は、しっかりと頷いてくださった。

「あ、わ、私はこっちを!」
「いや、荒木サンの家の周りだけで良ィ。そっから動くなァ」
「は、はい!!」

まだ違和感の取り切れない足をひょこひょこと動かし、私は坂を下る。
それでも急いだ。
ヤス子さんを探すために、右へ左へと顔を捻り、いつもより、ずっと急いで足を動かした。

「ヤス子さぁん!!」

何度も名前を呼びながら、ヤス子さんの家の前まで速歩で探してまわった。

そのうちざぁざぁと降る雨に、身体中を打たれていく。
すっかりと重くなった着物が体中に張り付いていった。

_________
_____
__


その姿を見たのは、恐らく四半刻、三十分も探したろうか、という頃であった。
膝から下。足元をすっかり真っ黒に染め上げ、乱れた髪を雨の中、手で整えるヤス子さんの姿だ。

「ヤス……あぁ! ヤス子さん!!」

私は思わずかけ寄り、ヤス子さんの体全部を上から下まで見やった。

「ごめんねぇ、わざわざ不死川様まで探しに来て下さってねぇ、ありがとうね」
「い、いえ!!」
「悪かったわ」
「セツさんに、伝えたいですけど……」
「また雨足強まってるし、明日行くことにするわね。ね、そうしましょ」

私を宥めすかすように、ヤス子さんの手が私の肩の上を撫でていく。

「俺が行きましょうか」
「いえいえ! そんな事お願いできません! ささ、なんなら家に来てくださいな」
「いや、俺は名前サンを送っていきますんで」

不死川様は当然のようにヤス子さんの申し出を断り、私へと視線を向ける。
「っえ!」と声が漏れた。

「あら」

ヤス子さんは口元へと手をやった。

「それなら邪魔しちゃ悪いわねぇ」
「や、ヤス子さんったら!!」
「ほら、行くぞォ」
「待ってください……よぅッ!」

先を歩き始めた不死川様の背中も、やっぱり雨に濡れていた。


***



あんまりにも不死川様も私も濡れているから、と気を利かせて下さった奥様は、「こんな大雨の中帰すわけにはまいりません」と仰られて、不死川様へと新たに着流しをお渡しになった。

客間へと通された不死川様の背を見てから、私は慌てて湯の準備へと取り掛かったのだ。

ぐらぐらと湧いていく湯を見ていると、だんだんと厭になってくる。
──厭だ。
不死川様が厭なのではない。
家事やら炊事をすることが、厭なのでもない。
ここに・・・不死川様が居られる。
それが、厭なのだ。

湯加減を確認してから、私は息を吐いた。
だって、ちっとも心臓が落ち着く暇が無くなってしまうんだから。

普段よりもずっとのろのろと立ち上がり、「早くしなきゃ、不死川様がお風邪を召してしまう」と言い聞かせ、やっとこさっとこ私は歩き始めた。
きしきしと、梅雨時になると廊下が撓る。
いつもの事ではあるのだが、なんだかそれが、不死川様の元へと辿り着くまでを計られているような気がしてくるものだから、私は眉をひそめた。


「あ、あのぅ、不死川様、……お湯が、」

私の声に、客間の扉をスッと開いた不死川様は、眉間へと皺を寄せた。

「まぁだソレやってんのかァ」
「え、と……だって……」
「何か怒ってんのかァ?」
「そういう訳じゃ、無いんですけど、」
「怒鳴っちまって悪かった。ちゃんと聞くから、話せェ」
「…………」

私の、ほんの一尺ほど先へ堂々と見えるのは、不死川様のお胸であった。
──大きい。
なにも、胸が大きい、というわけではない。
背丈が。
手が。
何もかもが、私とは違い、大きい──。
全部が大きいのだ。

あぁ、不死川様だ__と思う。

また、頭の中がカッと、熱を帯びてくる。
それすらもを振り払うように、私は静かに頭を振った。

「……そうかィ」

落ち着いた声であった。
思わず不死川様を見上げると、首が痛んでしまいそうだった。
矢張り、厭だ。と思った。

「何を気にしてんのかは知らねぇが、心配しねぇでも、ちぃと、ここを離れようかと思ってんだァ」
「……ぇ、」
「そんなに嫌なら、別に構いに来ねぇで良ィし、……なんだ、世話も焼かねぇでも構わねぇよ」
「なんでですか」

食い気味に言った私の言葉に不死川様は少しばかりきょと、となさり、そのうち口角を上げた。

「ちぃと、やりてぇこともあるしなァ」
「こ、ここじゃ、出来ないんですか」
「ア?」
「ここに居たら、出来ない事、なんですか」
「そういう訳じゃ、」
「なら居て下さいよぅ!!」

一歩、足を踏み出せば、ぐんと不死川様との距離が近くなった。
痛いくらいに首が傾く。
縋るように手を引っ掛けた着流しは、いつか触れたことがあるものだった。
きっと、旦那様のものだ。
丈寸が足りないらしく、脛の半分近くが見えているさまは、なんだか少しおかしいが、それどころではなかった。

不死川様が、居なくなる。
どこかに行かれてしまうかもしれない──。

手を握り込めば、不死川様の纏った着流しに、ぎゅ、と皺が寄っていく。

「おい、」
「い、嫌ですッ! わ、私が、私が理由なら仰って下さい! も、もう不死川様なんて、呼びません!! もっと……お手伝いちゃんとやりますし、仰って下さったら、全部やります! 髪だって、もつと上手く切れるように練習しますし、お、お洗濯の時も、なにか、考えます!!
ちゃ、ちゃんと! ちゃんと、──……」

不死川様を、あきらめるから──。
そこまでは口に出せなかった。
不死川様を求めていた。きっとそれは確かな事だ。まごう事なく私は不死川様に、私だけを見てほしい、求めてほしい。だなんて、たいそれた事を願っていた。
乞うて止まなかった。

けれど、諦める、とそう約束してしまったら、それをひっそりと思う事すら許されないのだ。
思わず不死川様のお顔をじ、と眺めてしまった。

その方が、良いかもしれない。
その方が、こんなに苦しくないのではないだろうか。

むしろ、ここからいなくなる、と不死川様が仰られるのであれば、そのようにされた方が、きっと良いのだろう。
私には引き留める理由も、嫌だと駄々を捏ねる権利も、無いはずなのだ。

私は開いていた口を閉じた。

「ちゃんと、なんだァ?」

目の前がゆら、と揺らいだ。
泣く。
駄目だ駄目だと思うのに、馬鹿になった涙腺が、ぼろぼろと大粒の涙を作っていった。

「う、うぅ、……ぅ、」
「なぁ、泣いてちゃわからねぇよ」
「だ、だって……」
「聞いてっから」

優しい声だった。
幼子に言い聞かせる、みたいな。
弟妹を甘やかすかのような。
そうして、不死川様の手がそろそろと持ち上がり、そのうち頭をぽんぽんと撫でる。

厭に慣れた手付きのように思えた。
いつの間にかうつむいてしまっていた顔を上げれば、不死川様は「仕方がねぇなァ」とでも言うように、笑っておられる。

──狡い、と思う。

いつだってそうだ。
不死川様は、いつだって私を振り回すばっかりで、きっと私のことで一喜一憂したりなどしないし、私を待っていたことなんて殆ど無いんだろう。
いつだって、誰かのために何かをなさっておいででも、それはたくさんの誰か・・のためで、一人へと向けられる何某など存在しないんだろう。
いつだって、誰にでも・・・・お優しいのだ。
狡い、と思う。

はやく、どこへでも行ってしまえばいいのに。
ずっとここへ、居てほしいのに。
わざわざ私に言わずとも、そのまま去ってしまえば良かったのに。

「い、嫌ですよぅ……」
「おゥ」
「居なく、ならないで下さいよぅ、」
「……」
「もっと、一緒に居て下さいよぅ」
「……おィ、」
「おそばに、置いてくださいよぉ、」
「──……てめぇ、言ってる意味わかってんのかァ?」

不死川様の手が、頭から失せていく。

私はもういっぱいいっぱいだった。
とっととどこかへと行ってしまって欲しかった。
居なくならないでほしかった。
忘れてしまいたかった。
笑っていてほしかった。
それだけで良かった。

最初から、求めてはならないものだと、わかっている。
不死川様のお気持ちが、私へと向くことなど無いと、理解している。
不死川様がここで、私が見られるどこかで笑っていてくださるなら、それでいい。
それが良い。

それだけなのに──。
そう思うことすら、烏滸がましかったのだろうか。

ぼろぼろと涙が溢れた。
あぁ、グズだ。また泣いてばかりで、言いたい事が言えやしない。
そもそも、言いたい事がまとまってくれやしないのだから。言えなくても当然だと思う。あぁ、グズだ__。

私は不死川様をそろそろと見上げた。

「わかってます。……おかしいですか」

また一歩、私は踏み出していた。

「おかしかねぇが、……勘違いされんぞォ」

失笑、とでも言おうか。
不死川様は、息を吐くように笑みを零され、そのほそまってしまっているのであろう視界へと私を入れる。

「なんだって良いですよぉ! ……不死川さんが居てくれるなら、なんだって、良いんですよぉ……!」
「おい、馬鹿、」

そんな不死川様が憎らしかった。
また一歩、足を踏み出したら、不死川様の影と私の影が一つに重なって、目の前がなんにも見えなくなった。

「ただいまって、言ったじゃないですかぁ……!」
「聞け」
「やですよぅ!! た、ただいまってことは、ここに帰るってことなんですよぅ!! こ、こに、居てくださいぃ……い、嫌ですよぅ……!」
「なァ、聞けぇ」

不死川様の熱い手が私の両頬を掴み、くい、と持ち上げられた。
不死川様の熱が、腕やら腹回りやら、私の手の平なんかから、全身へとまわっていく。

不死川様と当たっているぜんぶが熱い。
それを超えて、からだぜんぶが熱くなっていく。

「ふ、ぅ、……う、う……ひとりに、しないで……お、おいてかないで……くださいよぅ、」
「聞け」

不死川様の声に、私は何度も頷いた。
ぎゅ、と、私の顔を挟む不死川様の手に、力が入る。

「俺ァ、ここも、……お前も、ちゃんと……それなりに気に入ってる」
「ほ、本当ですか……?」
「だから、ちゃんと自分を大事にしてくれ」
「……」
「愚図じゃねぇし、鈍間でもねぇ」

不死川様の淡い紫が、ゆらゆらと揺れている。

「だから、誰にも殴らせんじゃねぇ」
「……しな、」
「誰にも、触れさせんじゃねぇ」
「……そ、う、したら、……一緒に、居てくれますか……」

私はそう尋ねた。
不死川様は薄く笑っただけで、何も答えては下さらず、一歩、後ろへと退いた。

「湯、湧いたんだろォ? 案内してくれぇ」
「ぁ……は、はい」

_________
_____
__


「ここに、着替えを……」

脱衣所から、湯殿へと向かって声を掛ければ不死川様の声が、湯の回り特有の響きでもって返された。

「悪ィな」
「い、いえ……」
「借りる」
「は、はい……」

たったそれだけの事だ。
ただの、日常の何某だ。
諦めるのだなんだと、私は先に考えたばかりではないか。
だというのに、どうしようもない私の鈍間な心臓は、ここぞとばかりに走り出す。

「……もうッ!」

心臓の辺りを何度も何度もぎゅ、と握るが、どうにも言う事の一つも聞いてくれそうにはなかった。
ずっと。
ずっと息が、淡く、甘く、苦しかった。

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