小説 | ナノ

いつかのように神社へと向かう道すがら、姿を現した膝ほどの高さにすっぱりと切られた切り株の上へと私は腰を下ろした。
そのまま杖を立てかけ、左のふくらはぎを揉み込んだ。

暫くそうしていたら、す、と影が伸びてやってくる。

「痛ぇのかァ」
「……あ、鬼狩り様! 帰られたんですか」

ぱ、と顔を上げると、すぐそこに鬼狩り様が立っておられた。
そよそよとそよぐ風の下、少し伸びた淡色の髪が揺れている。

「おゥ」
「おかえりなさい」

また「おう」とだけ返された鬼狩り様は、私へと手を差し出して下さる。
意図も掴めず鬼狩り様を見上げると、くい、とお顔で「立て」と示された。

「終わったのかァ」
「はい。もう少し休みましたら、帰ろうかと」
「ほら、送ってやる」
「い、良いですよぅ」
「お前の為じゃねぇよ。このままここに放って行くのも寝覚め悪ィだろォが」

両手を胸の前で振り、「要らない」と態度でも見せたけれど、鬼狩り様はそのまま私の手を引っ張り上げ、脇に立てかけ置いた松葉杖を寄越してくださる。

「……す、すみません」

受け取ろうとした私の足元を見た鬼狩り様は、「痛ぇのか」と呟くように言いなさるものだから、素直に頷くことにした。

「少し」
「ほら」
「い、良いですよぅ!!」

私の視線よりも、ずっと低くなった鬼狩り様のお背中に、ぴゃッ!と飛び上がりたくなってしまった。
「立ってください」と鬼狩り様の肩を数度、とんとんと叩くものの、そのまま私の腕を引っ張り上げた鬼狩り様にしょい込まれ、ぐん、と高くなった視界に、いっそ目がくらみそうであった。

「お、鬼狩り様ぁ!!」
「そう思うならとっとと直せってんだァ」
「……だ、……ご、ごめんなさい。……骨まで、グズなんですかねぇ」
「ぐずじゃねぇつってんだろ」
「でも、……その、」

あわあわと鬼狩り様の背中の上で、もごつく私へとまるで責めるように言い放つ鬼狩り様は、「次言ったら落とすからなァ」なんて私を脅かす始末だ。

「こ、このままですかぁ?」
「このままァ」
「そ、それは酷いですよぅ!」
「されねぇように気を付けるんだなァ」

そんな事を言いながら、鬼狩り様は松葉杖までもを軽々と抱え、ゆっくりと歩き始めた。

視界が揺れている。
鬼狩り様の首元へとしがみ付くと、足元のたんぽぽに、なずなにからすのえんどう。
春が足元から芽吹いていた。

「もう、春ですねぇ」
「とっくになァ」
「鬼狩り様はいじめっ子ですねぇ」
「どうだろうなァ」

適当な返事ばかりを返す鬼狩り様が、なんだか少しおかしい。

「嘘ですよぅ」
「へぇ」
「鬼狩り様はお優しいです」
「……普通だろ」
「優しいですよぅ」
「……そうかィ」
「あそこから、連れ出してくれましたし、こうして気にかけてくださって、追い返しもしませんし。それに、……その、……」

鬼狩り様が歩くたびに、私の視界が揺れた。
すぐ傍の鬼狩り様の黒の詰襟が、時折頬を擦る。

「鬼狩り様、……ありがとうございます」

それには一言も答えず、鬼狩り様はゆっくりと歩いた。
そのうちまだつぼみすらもつけていない藤棚を潜り、向こうに見える、未だ寒そうな桜の木へと足を向け、歩いていく。

「鬼狩り様、髪が……」
「ア?」

鬼狩り様の白い髪が、さわさわと頬をかすめ、私は目を閉じた。
「そういや、伸びたかも知れねぇなァ」と鬼狩り様が笑ったことが、首元へとひっかけた腕から、振動となって伝わり、広がった。

「私、得意ですよぅ」
「……信用ならねぇなァ」
「タケちゃんの髪、私が切ってたんですよう」
「へぇ」

「そんなら、頼むかァ」私をその大きな背中で抱えながら仰られた鬼狩り様に、私は少しだけ、頷いた。






里中の家のすぐ傍。
もう直に執り行われるのであろう"花卸し"のお祭りの際には、皆が腰を下ろし、たむろする長椅子が何脚か置いてある。
誰も使う事のない期間もそれを磨いておくのが、私がここに居た頃の習慣であった。

帰ってからと言うもの、奥様は私に大したことをさせては下さらないものであるから、時折、暇を見つけては、今尚私が磨いているものだ。

そこへ、腰を下ろした鬼狩り様の髪へと私ははさみを入れていく。
しゃりんしゃりンと、金属の擦れる軽く乾いた音。
ざりざりと、髪が切れていく音が手の中で響いていく。

「う、動かないでくださいね……」
「不安そうにやるんじゃねぇよ」
「失敗したら、……どうしましょうか」
「失敗すんなァ」
「そ、そうですね!!」

しゃりしゃりと、響いていく。


鬼狩り様の髪を切りながら、私は、ふ、と夫の事を思い出していた。

それはもしかすると、今日、正式に私が夫と離婚をしたという事を知らせる旨の電報が、夫からやってきたから。かもしれない。

その真っ白な用紙へと刻み込むように書き込まれた文字の列を、今朝方。私は指でなぞったのだ。

端的なものであった。
望んでいたことのような。そうでなかったような。

夫と私が離縁したことのみが記されているそれに、私はなんの感情も持たなかった。

「奥様が、今朝……電報が届いたって、仰られて。……夫は届けを提出なさっていたんですって。
私、何も聞いて無かったんですけどねぇ、……最後まで、私はなぁんにもわからない、知らないまんまでした。いつの間にか、終わってました。
私が、勝手に出ていったのだから、そんなもの……なんですかねぇ」

しゃりしゃりと、手の中の真っ白な髪が零れていく。

「……へぇ」
「私、上手に"家族"できませんでしたねぇ」

鬼狩り様はただただ足元を見下ろし、「家族ねぇ」とだけ呟いた。

「……家族って、なんだろうなァ」
「私は、その、……ずっと、荒木のおじさんのところだとか、奥様と旦那様だとか。それから、……クニ子おばあさんたちとか。
その、いつかはあんな風になるんだと、いつかは、なれるんだと思っていたんですけれど、」

難しかったです。
時間も、辛抱も、足りませんでした。
私は呟くように言い、鬼狩り様の髪へと指を通しては、切れた髪を払う。
またひと房摘み、はさみを入れた。

「後悔してるかァ」

後悔しているのだろうか。
鬼狩り様の問いかけは、難しい事ばかりだ。
私には、何と答えれば正解かもわからない。本当のところ、どうだったのか、だなんて。
鬼狩り様だったら、きちんとした答えが導き出せるのだろうか。

私は少しばかり唸ってから、はさみを持つ手に力を籠めた。

「どう、……どうなんでしょう……わからない、です。
ただ、……ただ、あの毎日は、一体何だったんだろう。って……夫は、ほんの少しも、私に興味も無かったってことなんでしょうかねぇ」
「知らねぇ」
「……そりゃぁ、そうですよねぇ。……なんだったんでしょうねぇ、……奥様を、……ただ、泣かせてしまいました」
「そうかィ」

鬼狩り様は「興味ねぇ」とでも言いた気に、頭の後ろをがしがしとひっかき、また、腕を下ろした。
膝へ体重を掛けるように乗せられた腕の先が、だらんとぶら下がっている。
真っ黒の詰襟へと落ちる真白の髪は、なんだかとても、美しいものに見えていた。

鬼狩り様は、いつだってそうだ。
恐ろしいお顔を作っているくせ、里のみんなの事だとか、私の事を人一倍気にかけて下さって。
素っ気ない態度をお見せになるくせに、子供の前では膝をついてまで向き合うのだ。
「幸せにやれ」なんて言うのに、迎えに来て下さって。
私に話しを促すのに、つまらなさそうに返事をなさる。

夫なら、もっと知的に振る舞い、鬼狩り様ときちんとお話しができたのだろうか。
想像もつかないが、夫となら、鬼狩り様はもっと笑ったのだろうか。

鬼狩り様は、ちぐはぐだ。
もしかすると、私がちぐはぐだから、そう見えるのだろうか。そう、思うのだろうか。

「夫は、」そう口を開き直した私の腕が、鬼狩り様の大きな腕にひっとらえられ、そのまんま、不機嫌そうな鬼狩り様の顔がこちらを覗いた。

「もう、じゃねぇだろォ」

いつもならば、私が口を尖らせながら拗ねているというのに。今は、鬼狩り様のお口が少し、つん、と飛び出してあった。
なんだかそれがおかしくて、私はとうとう笑ってしまった。

「……ふ、……へへ、あは、……んはは、へへ、」
「笑ってんじゃねぇよ」
「だって、……ん、へへ……あはは」

ぷい、と前を向き直した鬼狩り様の手が、私の腕から離れていく。
それは少し、ほの寂しいものではあったが、ずっと、ずっと熱かった。頬の上まで、熱かった。

あられもない妄想だとしても、「鬼狩り様が、嫉妬なさっている」のではないだろうか、などと。

顔をぱたぱたと手で仰ぎ、私はまた少しずつ、はさみを進めていった。

「また、奥様に御厄介にならなくちゃいけないのが、少し、申し訳ないですねぇ」
「夫人がそれで良いって言ってんだから、それで良いだろォ」
「奥様、少しおかしいと思いませんか? 私、奉公人なんですよぅ?」
「……情でもわいたんだろォ」

鬼狩り様のいっそ癖のような、ふ、と空気の抜ける音がやってくる。

「それにしてもですよぅ。鬼狩り様も。親切が過ぎると私みたいなのに付け込まれちゃいますねぇ」
「お前にそんな度胸は見えねぇがなァ」
「マ! 失礼しちゃいます! 愛嬌があれば良いじゃないですかァ!」

じゃき! とはさみの歯を閉じ、私は口をひん曲げる。
それを振り返ってあざ笑うように見てこられる鬼狩り様は、やはり「いじめっこ」なのかも知れない。

「愛嬌、ねぇ。……で? どうやるってんだァ」
「どう、………………い、色仕掛け、ですか?」
「……色、ねぇ」

鬼狩り様はそのまま私を上から下までじぃと見やってから、また「ふ」と笑い、前へと向き直った。
そのうち鬼狩り様の肩の向こうで、ひらひらとされる手を見つけ、私の口がぷぅと膨れたのは言うまでもない。

です!!」
「……ぶは、」
「も、もぅッ!
……この話し、もうやめましょう! 鬼狩り様が照れちゃいますしねッ!」
「切り終わったらなァ」
「もうッ!! ……あ、あら? ちょっと待ってくださいね、…………あれ?」

とっとと終わらせて、目の前の里中の家に逃げ帰ってやる!
と思ったのは良い。が、よくよく見ると、右と左が不揃いに見える。

「ここを」
「オイ」
「こう、かな」

ちょきン、とはさみを入れた。

「……」
「こっちもかな、」

しゃきン、と歯を立てた。

「んー……ここも、」
「てめぇ」

鬼狩り様の私を咎める声には、今ばかりは耳が遠いふりをしておこうと思う。
ばれてしまったらどやされてしまいそうだ。
短めの、右の髪へと合わせていくと、今度は前の長さが気になる。

そこを合わせると、今度は左が長い気がしてくるのだ。
どうにかこうにか、ちぐはぐになってしまった長さが整った。と思った頃、松葉杖をつき直し、数歩後ろへと下がってから鬼狩り様のお姿を伺い見た。
長椅子をぐるんとまわり、前から。

「こ、これくらいで、……!! ……や、やだ、鬼狩り様……お、お若く、なってしまいました……」

両手で口元を抑える羽目になってしまったのは言うまでもない。

鬼狩り様は立ち上がり、詰襟までもを脱ぎ、ばさばさッと振り払われる。

そうして、私をねめつけるように見やった鬼狩り様から、小さな唸り声が響こうか、と言う頃。
荒木のおじさんの家の方から「おーい!!」だなんて、おじさんの声が聞こえてきた。

「あ! 荒木のおじさん!!」

私もそれに倣うように、「おーーい!!」と口元の手をパ、と開いて呼びかえす。

手のひらに収まってしまいそうなほどのおじさんの姿が、「こっちこっち!!」と声を上げる。

「行くかァ?」
「はい!」

「ん」と頷いた鬼狩り様は、そのまま私をサ、と持ち上げ、横抱きにして抱えた。
そこへ松葉杖を残して歩き始める。

「ッわぁ!! つ、つえが!!」
「どうせ邪魔になんだろォ」

荒木のおじさんの畑に付く頃には、にまにまとしたおじさんの顔が見えており、私は思わず、そ、と鬼狩り様の顔を見上げた。

「熱いねぇ、お二人さん!」
「あつ……!! っわ!!」

「……ッたぁい!!」と叫ぶ羽目になったのは、鬼狩り様が、まさか、そのまんまの、いつものお顔のままに、ぶらんと腕の力を抜いてしまわれたからだ。
腰をさすり、文句の一つでも言ってやろうか、と鬼狩り様を見上げてやった。

そうしたら、鬼狩り様ったら、額を拳でぐりぐりと抑えて、耳まで真っ赤になさってから「……悪ィ、」だなんて言っておられるのだから、それ以上に私は何にも言えなくなっていく。

地面へと、尻もちをついたまま、頬を両手ではさみ、熱を逃がそうと躍起になる私の頭へと、荒木のおじさんはかぶっていた帽子を引っ掛けた。

「鬼狩り様や、ちぃとこれを手伝ってくれ!」

鬼狩り様は無言で頷き、ざくざくと土を踏み鳴らしていった。

___________
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暫くして戻って来られた鬼狩り様は、両手にいっぱいの野菜を抱えておられる。
更にその上へと、「これも、持っていきなぁ!」なんて荒木のおじさんは、にかッと笑いながらまた、野菜を積んだ。

「名前ちゃん、これ、鬼狩り様に拵えてやんな! なぁ! あんたも嬉しいだろう!」

べしべしと、音を立てて鬼狩り様のお背中が叩かれ、鬼狩り様は「……別に、嬉しかねぇよ」だなんて憎まれ口をきいた。

「ほら、これも持っていきな」
「おい」
「わぁい!」
「どうやって持って帰んだァ」



とうとう鬼狩り様の腕いっぱいになった野菜たちは、荒木のおじさんが貸してくれた大八車に乗せられた。
鬼狩り様は、そこにご自身の羽織を敷き、私へ「座れ」なんて言うから、恐れ多くて首を横へ振ったのだけれど、「だから、どうやって帰んだァ」なんて言われてしまうと、腰を下ろさない、等と言う事は出来そうにもなかった。

鬼狩り様の体で支えられた二輪が、ゆっくりと進んでいく。

「おじさぁん! ありがとうございまぁす!!」

おじさんが見えなくなるころに、ぶんぶんと振り上げていた手を下ろし、私は前で引いてくださる鬼狩り様の背中を見た。

「これで何を拵えましょうか!」
「なんでもォ」

汗一つかかず、私に背を向けたまんまの鬼狩り様は、下り坂をゆっくりゆっくりと下っていく。
私はそのお背中を眺めては、足をぶらんぶらん、と揺らした。

「なにがお好きですか?」
「…………あの甘露煮、旨かったァ」
「へへ、はぁい。こっちで作って、明日、……また持っていきますねぇ」

ずっと、こうだったらよかった。
ずっとこうなら、きっともっと、とてもとても。
もっと、ずっと幸せなのに。


鬼狩り様の妻になる方は、きっときっと、幸せなんだろう。
あんまりにも眩しくて、羨ましく、私は下唇へと歯を立てた。

小石を踏んだ荷台が、がくん、と揺れた。


***


定期健診も終え、奥様と帰路へとついていた。
丁度村を抜け、集落へと入る畦道。坂の入り口。そのすぐ傍に、鬼狩り様は居られた。

「ああ……!! お、鬼狩り様、そ、その恰好は……」

奥様が驚かれるのも無理はなかった。
鬼狩り様は土に汚れた野良着を身に纏い、素足に草履をつっかけておられる。
もう三月も終わり。
それでも、きっとまだ、肌寒いであろうし、何よりこの格好ではまるで、農作業をしていたとでも言いだしそうである。

「その"鬼狩り様"ってのァ、そろそろやめちゃくれませんか」

奥様から視線を逸らし、ぱつッと張った股引の印象的な格好のままに、鬼狩り様は頭をがしがしとやっている。
いつか私の切りそろえた、まだ短い髪がさわさわと、それにあわせて揺れる。

私は開いた口を塞ぐことも出来ず、ぽかンとした間の抜けた顔であろうそのままで、鬼狩り様をじ、と見た。
なんだか、鬼狩り様では無いみたいだ。

鬼狩り様は私へと視線を向け、ざりざりと音を立ててやってくると、私の杖をもぎ取っていく。

「あ、あの、」

私が何かを言い出すよりも早く、鬼狩り様はそのまま私の目の前に腰を落とし、お背中を見せた。
鬼狩り様の真白の髪が、風を受け、さらさらと揺れ動く。

「乗れぇ」
「あの、でも、……」
「上で待たせてんだァ」

早くしろ、とでも言うようにそう仰られた鬼狩り様は、背中へと腕を持ってきた。

「名前、」

奥様の声にハッとして、私は漸く鬼狩り様へと体を預けた。

「おに、……不死川様、そちら、私が」
「……あぁ、すみません」

鬼狩り様の手から奥様へと、杖が渡る。
そうすると、鬼狩り様の両方の腕が、私へと宛がわれていった。

「あ、あのぅ、……ありがとう、ございます……」
「いや」
「私、重たいのに……その、いつも、ごめんなさい」
「問題ねぇ」

奥様の背を見るように坂を上っていく鬼狩り様の肩へと乗せた手を、そ、と握り込むと、鬼狩り様の口から「ふ」と空気の抜ける音が。

「……な、なにか……ありましたか?」
「いや、なんでもねぇ」
「……う、嘘ですよぅ! 何を笑ったんですかぁ!」
「わらってねぇよ」
「わ、笑いました!! 絶対に笑いました!」
「だァ! めんどくせぇなァ!! 笑ってねェつってんだろがァ!」
「笑いましたよぅ!!」

私が鬼狩り様の肩口の布をぐい、と引くのと殆ど同時。鬼狩り様はぴた、と動きを止めたかと思うと、そっぽを向かれた。
鬼狩り様の向こう。坂の天辺の辺りで、私たちを見ながら笑う奥様の姿が見え、あぁ、鬼狩り様はこれを見られたのだな。と理解するのと同じくらいに私もこっぱずかしくなり、顔を伏せた。

「ねぇ、鬼狩り様」
「だから、その鬼狩り様てのォ、」
「……だって、鬼狩り様は、……鬼狩り様です」

私は鬼狩り様から見えないのを良いことに、口を尖らせた。

「口ィ尖らせて、ロクな事言いやしねぇ」
「え!!」

思わず鬼狩り様から腕を放し、私は口元を抑える。
体勢を崩した私へと後ろ手に手を伸ばし、体を支えてくださった鬼狩り様は、「あっぶねぇだろォが!!」とギャンと吠えた。

「わッ!! ご! ごめんなさぁい!! だ、だって!」
「だってもさってもねぇ! わかり易過ぎんだよォ!! そんだけだァ!!」

背を少しばかり揺らし、鬼狩り様は私を背負い直す。
それに倣うように、私も鬼狩り様の肩へと手を置き直した。さっきよりも、もう少しだけ、前にして。
けれど、鬼狩り様はそこでふっ、と立ち止まり、動かなくなってしまった。

私はとんとん、と戸を叩くように鬼狩り様の肩を叩いた。やはり、動かなかったからだ。

「お、鬼狩り様……? お、降りますか? 私、ケンケンは得意ですよ!」
「……」
「鬼狩り様……?」

もうすぐ集落の入口へと着く。
すぐ脇の丘には沖田の家があり、瓦屋根がこちらまで見えている。
その反対側にはまだ見えないが、恐らくもう少し登り切った頃合いには里中の家も見えてくる。
迷った、だとか、そう言った事はない。
鬼狩り様でなくとも、一本道なのだから、迷いようが無いはずだ。

「やっぱりよォ、その、"鬼狩り様"っての、やめねぇかァ」
「……ぁ、ごめんなさい」

私はすぐさま後悔した。
"鬼狩り様"彼をそう呼んでしまう事で、彼はもしかせずとも「思い出したくない事」やら「置いてきたもの」や「失ってきたもの」を思い出して辛くなるのかも知れない。
私とて、笑うことが出来る事ばかりではない。
こんなに平凡に生きていても、逃げ出したい事も目を逸らしたくなることだってあるのだ。

けれど、鬼狩り様のような方であったら、尚更だ。
無神経な事をしたかも知れない。
そう思うと、私は息を詰めた。
やっぱり私はグズだ! あぁ、ばか!! と自分の頭を何度も叩いてやりたくなる。

「あの、本当にごめんなさい、し、不死川様」
「……いや」

「そうじゃねぇ」
彼はそれだけを言うと一歩、また足を踏み出した。
足元の砂がじゃりりと軋む。
一度体が上がり、また少し沈む。
三月のまだ、どことなく暖かくなり始めた空気が、肌へとあたっていく。

「様も、要らねぇな」
「で、でも……」
「なァ」

彼は、私へと声をかけながら、目の前へと右手を翳し、また一歩、前へと進む。

揺れた視界の向こう側。
人差し指と、中指の姿が欠けた手がそこにはあった。
そこにあるのは、確かに彼の手であった。
私よりもずっとずっと大きく、節の目立つ長い指。
綺麗に切りそろえられた短めの爪が形よく並んでいる。
筋が張り、ごつごつとした、彼の手であった。
やっぱり、先程まで土をいじっていたのかもしれない。
そこにある指先は、僅かに土で汚れている。
立派な、彼の手だ。

「腕は置いてきちゃいねぇが、……指は、置いてきちまってよォ」

はじめは、理解が追いつかなかった。
またじゃり、と砂の鳴き声を聞き入れ、またもう一つ。
それから私はお医者様いわく、「もうじきに治るだろう」なんて言われている足を、ピンと前へと伸ばし、また顔を隠した。
そうしてから改めて、私は叫び声を上げた。

「き、きゃぁぁぁあ!!!」
「うるっせぇなァ!」
「だッ!! え、!!! ちょ、と! き! あ! だッ!!」
「ハッキリ喋れぇ!!」
「聞いて!! 聞いておられたんですかぁッ!!!」
「ア?!」
「お! 起きていたなら! そうと言って下さいよぉ!!
す! すけべッ!! すけべすけべすけべッ!!」

ぽかぽかと不死川さんの背中を叩き、私はこれでもかと罵り声を上げる。

「人聞き悪ィなァ! てめぇが人が寝てる時にわざわざ言ってきたンだろォが!!」
「あぁ! もうッ!! 酷いッ!! そんなことばっかり覚えているんですかッ!!」
「忘れられるわけねぇだろぉがァ!!!」

不死川さんの言葉に、もう一度だけ、私はぺちんと背中を叩いた。

ぴくりとも動くことのない不死川さん背中が、なんだか少しばかり憎かった。
不死川さんのお耳が、真っ赤に染まって見える。

絞り出すように、「何べんも、後悔したァ」なんて言うものだから、私は不死川さんの背中へと、頭を押し付けた。
きっと、私の耳はもっともっと、もっと真っ赤に染まっているんだろう。

「お帰りなさい、不死川さん」
「…………ただいまァ」
「ん、ふふ……へへ、」
「笑ってんじゃねぇよ」

また揺れ始めた大きな大きな背中の上で、私はもう一度、「おかえりなさい」なんて言う。

「おゥ……おかえりィ」
「…………ねぇ、……これ、恥ずかしいですねぇ」
「お前がやり始めたんだろォ」
「……し、不死川……さん」
「ア?」
「ただいま、かえってきちゃいました」

不死川さんはいつもみたいに、鼻を鳴らして笑い、「本当になァ」なんて憎まれ口をたたいていた。

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