小説 | ナノ

鬼狩り様は、やはり恐ろしい出で立ちをしていた。
傷も心なしか増えている気がする。
暗がりでもこうなのだから、きっと明るいところで見ればひとしおだろう。
腹部へと巻かれた真っ白の包帯だけが、唯一安心できる要素であった。

「おにがり、さま……お手が、」
「どうでもいい……こりゃあ一体、どういうことだァ」

月あかりに照らされた鬼狩り様の髪は、きらきらと輝いて見えると言うのに、肝心の鬼狩り様のお顔は一向に見えそうにない。
のろのろと体を持ち上げる私へと、恐らく視線を向けているのであろう、と言う事は、なんとなくだけれども、わかった。
私のほかに、今、鬼狩り様が気になさるようなものがここには無いから、ではあるのだが。
そんなだけれど、鬼狩り様の震えている声が、多分に怒気を孕んでいるものであることは、今ここで火を見ることよりも明らかなものであった。

「……ま、薪割りをしていて……」
「もういい」

鬼狩り様の顔色を伺うように覗き込む私に舌打ちをした鬼狩り様は、静かな挙動でもって私のすぐ傍へと腰を下ろしていった。
しゃがみ込んだ鬼狩り様が、私から視線を外したことを髪が揺れたことで理解した。

「わ、私が、ぐずなので」
「ぐずじゃねぇ」
「……ッ、か、階段から!! 転んで、落ちて……!!」
「もういい」

またため息を零す鬼狩り様は、ご自身が羽織っておられた真っ白な羽織ものを唐突に脱ぎ去り、やっと体を傍の壁へと預けることの叶った私へと引っ掛けて下さった。
お袖の無い黒の詰襟から覗く、筋肉の隆起した逞しい腕は、鬼狩り様の動きに合わせ、筋が浮き立つ。
こんなにも寒い空の下。
あんまりにも軽装になってしまった鬼狩り様が気の毒に思えてくる。

「…………風邪を、召されます」
「お前がなァ」

いつか嗅いだことのある、鬼狩り様の匂いで包まれている。
そう思うと、なんだか頭がぼぅ、とまわらなくなってきた。

「……きょう、夕餉をまだ拵え終えていなかったかもしれません。あぁ、ちがう……もう作った後だったかな、」
「そうかィ」
「お母様……お一人でなさったのかも……」
「食ってねぇのか」
「……夫、は、先にきっともう召し上がっておいでと思うんだけど、あれ? 今日、……」
「……」
「あぁ、どうしよう、……わかんないです……叱られちゃう……」

視界の端の鬼狩り様のお足元。
いつもきつく縛られていた白のベルト。
それが、今はなんだか緩んでおられた。
どうしてだろうか。
足元には、人一倍気を配っておいでだったと思ったが、思い違いであっただろうか。
鬼狩り様のお顔まで、視線を滑らせた。
あまりにも優しく照らす月明かりでは、全容は見えそうにもない。
けれど、確かに見えた鬼狩り様の静かな瞳は、私をじぃ、と見ておられた。

「……クリィムソォダ」
「オゥ」
「クリィムソォダをね、須磨ちゃんと、飲んだんですよぅ」
「そうかィ」

鬼狩り様のくりくりとした目が、すッ、と細まり、長いまつ毛が一つ仰ぐ。

「須磨ちゃん、わかりますか? あの、宇髄様の、」
「嫁の一人なァ」
「そうなんです。三人……凄いなぁ。……それで、それでね、すごく美味しくて。……あれはやっぱり、いつ飲んでも、良いものですねぇ」

そのうち、鬼狩り様の口元が静かに、緩やかに弧を作った。
あんまりにも緩やかであるから、もしかすると勘違いかも知れない。
それでも、鬼狩り様は笑ったと思う。

「そうかィ」と、言った鬼狩り様は、とうとう地べたへとお尻をつけた。
鬼狩り様は、いつかのように、静かに私の言葉へと頷いてくださった。

「奥様にも、クリィムソォダをお勧めしておいたんですよぅ、お手紙を何度も書いていて……」
「頼り、いつから出してねぇ」

鬼狩り様の言葉に、はて、と首を傾げたくなった。

「出してますよぅ。ずっと」

出したろうか。
いっときは毎日のように認めた手紙は、出さず仕舞いだったろうか。
火に焚べたかも知れない。
けれど、全部だったろうか。
そう言えば、最後に奥様のご住所を書いたのは、いつだろう。
自分でも思い起こせないことを思考し始めたころ。
鬼狩り様は呟くように言った。

「……奥さん、泣いてたァ」
「嬉しい事でもあったんですかねえ?
子供の顔でも見せられたら、もっと喜んでくださったのかも知れないんですけれど、……どうにも。
私のところには、来たくないようで……」

私の言葉にとうとう頷いては下さらない鬼狩り様の様子を見れば、私がとんだ間の抜けた事を言っているのだろうな、とは見当がつく。
どうやら、今度ばかりはトミオカ様が奥様や鬼狩り様へと、何かを言いなさったのかも知れない。

「おィ」
「やっぱり、私が母になるのは不安だったんですかねぇ」
「……」
「あ、あと、それから、……トミオカ様。冨岡様が、今日いらしておいでで、」

冨岡様の、名前が出ると、また鬼狩り様の眉間へと、きゅ、と皺が寄った。
そうして、鬼狩り様は「聞いてる」と言いなさったのだから、もうわかった。
きっと、もう奥様にも知れてしまったと言うことだ。
私は、重々しく息を吐いた。
今までのことが、報われたような。
泡と消えたような。
本当であれば、誰にも言うつもりなどなかったと言うのに。
右の腕を擦ると、まだずきずきとした痛みが響いている。

空はまだまだ暗く暗く澄んでいく。

「……あ!! 鬼狩り様ッ!
これが一番大切でした! あの、本当に、お疲れ様でございました!!」
「…………おう」
「ありがとうございました。……これまで、たくさんたくさん頑張ってくださったから、きっとこれから幸せになってくださること、お祈り申しております」

きしきしと悲鳴を上げる体に鞭をうち、出来るだけ深く、地へとおでこを押し付けるが、それもすぐさま、鬼狩り様の手によって阻止されてしまった。
なんだか中途半端なその格好が滑稽で、まるで今の自分のようだ、と思う。
俯きそうになる私を、鬼狩り様は許しては下さらなかった。
また、少しばかり私の肩を押し戻し、唇を引き結んだ。

「……堅ッ苦しいのは好かねぇ」
「え、えぇ、……じゃあ、ええと、『笑っていて』ください」
「約束出来ねぇなァ」
「……ええー、こ、困りましたねぇ」

あからさまに肩を落とす私を、鬼狩り様はいつかのように鼻を鳴らして笑った。
そうして私をじ、と見た後、鬼狩り様は首裏をがしがしとひっかき、「俺ァ、」と言葉を漏らしていく。

「俺は、おま、……名前さんが大事だァ」
「……え、……え、ええ? そ、」

あまりにも唐突な言葉に、私はのけ反り、後ろの壁へと背中を打ち付けた。

「……オイ」
「ご、ごめんなさい、」
「気を付けろォ」
「は、はい……」

段々と熱を帯びてくる顔を手で覆い隠し、私は小さく息を吐く。

「だからこうして、嫁に行って、幸せにやってくれンならそれが良いと思ってた」
「お、鬼狩り様……ま、まって……」
「俺は十分幸せだったから、お、……名前さんが笑ってるなら、それが良かった」
「鬼狩りさま、……だ、だめ……」
「…………くそ、」

鬼狩り様は腰を持ち上げ、とうとう私の手を、顔から引きはがしてしまった。

きっと、見えてしまっただろう。
情けない顔が。
きっと、こんなに暗い夜でも、目に入ってしまったと思う。
どうしようもないほどに熱の籠った顔が。

私の顔を見ては、また、「くそ、」と吐き捨てるように言った。
鬼狩り様の顔が、酷く悲し気に見えてしまった。

「お、おにがりさま」
「なんで、こんなになってんだァ」

言葉を吐くたびに、真白な髪が揺れる。

「ごめん、なさい、」
「なんで泣いてやがる!」

鬼狩り様が掴む、私の手は言葉とは裏腹に酷く優しい。
きっと、少しでも力を入れれば、引っこ抜けてしまうくらいなのだろう。

「ごめんなさい、」
「なんで、幸せにやっててくれねぇんだァ……!」

鬼狩り様の手が、私の手首から離れ、そろそろと上がっていく。そのうち私の両頬を捕らえ、ぎゅうと歪められた瞳が私の目の奥を貫いていった。
鬼狩り様だ。
あぁ、どうしよう。
鬼狩り様だ。
ここに居る。
鬼狩り様だ。
鬼狩り様。
鬼狩り様だ。

「お、おにがりさまぁ、」
「なんで、笑ってねぇ……!!」

絞りだされた鬼狩り様の擦れた声がやってくると、もう駄目だった。
もう止まっていたはずの涙が膜を張り、目頭がつンと熱を持つ。
心臓が破裂しそうな程に脈を打ち、いっそ眩暈のするほどに頭が熱い。

「たすけて」

もう、それが精いっぱいだった。
もう、言うしかなかった。
もういっときだって、鬼狩り様に、ここへは居てほしくはなかった。
違う。
そうじゃない。

連れ出してほしかった。
一緒に、連れ帰ってほしかった。
ただ、助けてほしかった。


「……掴まれ」

立ち上がった鬼狩り様は、私へと手を差し出して下さっていた。
もう迷わなかった。
私は伸ばされた手を、掴まえ、そのまま鬼狩り様の首へと巻き付いた。
そうしたら、鬼狩り様は私の体をそのまま抱え上げ、とうとう歩き始めた。
一歩、一歩と。
尾上の家から離れていく。
私はとうとう、わッと声を上げた。

「ぅ、う……わ、……わぁん、お、おにが、……うぅ、え、……い、痛いよぉ、」
「痛ぇなァ」
「うぅ……こわ、怖かったぁ……!」
「もう、大丈夫だァ」

私が声を上げるたび、鬼狩り様は私の背を優しく撫ぜ、静かに言葉を返して下さる。

「たすけてぇ、……もう、もぅ、やだぁ!!」
「もう怖くねぇからなァ」

尾上の家が、離れていく。
遠のいていく。
一本の、目印としてあった木を超え、鬼狩り様は歩いていく。
私を連れ、歩いていく。
鬼狩り様が、私を連れ出して下さっている。

「おく、おくさまにッ、奥様、せっかく、見送って、くださッた、からぁ、」
「……」
「み、みんな、お祝い、してッ……、鬼狩りさま、『笑ってろ』って、だ、だから、わた、わぁぁ、ん……!
ちゃん、と、しなくちゃ、って、ぇ、おっと、が、怒るのは、私がしっかりすれば、って、ぇ!!」
「……ん」

何度も小さく頷き、そのうち幼子をあやすように、鬼狩り様は私の背を擦っては、歩く。
ただただ、足を止める事も無く、歩いていく。

「お、お母様、も、こわい、し、あの人も、ずっと、ずっと、きらい! もう、嫌いッ!!  わた、私、どうすればいいの、か……も、わか、なくてッ!!」
「手紙の一つでも寄越しやがれぇ、……こんな、なる前によォ」

そのうち、私の背を擦ってくださっていた鬼狩り様の手は、私の首裏へとまわった。
柔く白い髪が私の頬を擦っていく。

「だめ、て言ったじゃないですかぁ!!」
「言ったァ。それとこれは違うだろォがァ……わかってんだろォ」
「だって、鬼狩りさま、死んじゃってたら、……て……それも怖、……い、生きてたぁ……!!!」
「勝手に殺すんじゃねぇよ」

立ち止まることなく、真っ暗な夜の銀座を抜けていく。
私の大好きが詰まったユゥトピア。
今ここに、鬼狩り様がいる。

「いき、て、たぁ!!」
「…………そう、だなぁ」

ずっとずっと歩いて、そのうち橋を越えていく。
いつか、二人で乗った乗合馬車が通った道だ。

いまからきっと、帰るのだ。
帰ってしまうんだ。
そう思うと、なんだかすっかり気が抜けて、とうとう私の口角が持ち上がっていった。

「………………ん、……ふ、ふふ」
「なに笑ってんだァ」
「へへ、……だって、……名前さん、って……んふ、」
「……間違ってねえだろが」

どこか不満気な声であったと思う。

「尾上夫人、じゃないんです、」
「言わねぇ」
「夫人ですかぁ?」
「絶対ぇ言わねェ」

鬼狩り様の不機嫌な声が、なんだかとても、心地よかった。
なんだか、帰ってきた。
そんなふうに思ったから、かもしれない。

「……言わないでください」

私の言葉に応えて下さる声は無かったけれど、鬼狩り様の腕の力が強まったから、私も、もっともっと腕へと力を込めてった。

「奥様、……悲しみます、かねぇ」
「喜ぶだろうぜぇ」

顔くらい見てぇだろうしなァ、なんて鬼狩り様は言う。

「そうですかぁ?」
「絶対だァ」
「……鬼狩り様は?」
「まだ言わねぇ」
「……教えてくれますかぁ?」
「多分なァ」

涙が渇きはじめ、漸くしっかりと目を開けるようになったころ。
鬼狩り様の足元で、仄かな影が出来ていた。
一見すると、気のせいのようにも思えたが、影は確かにあった。

どれくらい歩いたのか。
それももう定かではない。
いつかの雑木林の向こう側。
集落のあるお山の麓。
地平線の向こうから、ゆっくりと光の筋が伸びてくる。
まだまだ月明かりばかりの、薄暗い夜の向こう。
確かに光が差していく。

「…………嬉しい」

本当は、
きっと、待っていた。
ずっとずっと待っていた。
私はどこかで、夜が明けるのを、待っていた。

彼誰時を待つ君へ


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