小説 | ナノ

その、肩甲骨まで延ばされた艶やかな黒髪を持つ、凛々しいお姿には見覚えがあった。
確か、「トミオカ」と鬼狩り様から呼ばれていたような気がする。
けれどいや、もしかすると「モトオカ」いや、やっぱり違う。
「オカモト」オカモト様だったろうか。
ぼう、とする頭の中、その黒髪の"オカモト様"になんとか頭を上げていただこう、と呼びかけた。

「あ、あのぅ、"オカモト様"! どうかお顔をお上げになってください」
「………………オカモト」

ふ、と腰を下げたままの体制で"オカモト様"は顔だけを上げた。

「ち、違います……? わ、私ったら! 申し訳ございません!!」
「……冨岡義勇だ」
「と、とみおか様……失礼しましたッ!!」

やっと体を起こし、直立してくださった"トミオカ様"に、こんどは私が深く、出来るだけ深く、頭を下げた。

「あ、あのぅ、せっかくですので、どうぞお入りください」

夫は仕事の為に外へと出ているが、お義母様へは話しを通しておかなければ。
"トミオカ様"を客間へと通し、奥様へと声をかけた。


お茶を用意するために、湯を沸かす。
火にくべられている薬缶の姿を眺めながら、頭の中ではずっと。先の"トミオカ様"の言葉が渦巻いている。

『鬼の首魁である鬼舞辻無惨を討ちました事を、報告にあがりました』

鬼の首魁がいなくなった。
そうしたら、鬼はもうみんな居なくなったのだろうか。
それとも、それは別に討ちとらなくちゃならないのだろうか。
危険はなくなったのだろうか。減ったのだろうか。
鬼狩り様は宿願を果たされたという事であろうか。
鬼狩り様は、生きておられるのだろうか。

トミオカ様は、腕が無くなっておられた。
初めてお会いしたときは、多分あったと思う。
鬼狩り様は、どうなっておられるのだろうか。
ご無事だろうか。
それとも。
須磨ちゃんは、どうだろう。
宇髄様は?
カクシ様たちはご無事だろうか。
ここは、どうなるんだろう。
奥様は、お喜びになったろうか。
鬼狩り様は。



須磨ちゃんと会わなくなってから、もう一年近くが経っていた。
その間、"鬼狩り様"の様子は愚か、体を休めに来られた他の鬼狩り様方とも、私はほとんど口を効いていない。
"鬼狩り様"とのお約束だけを導に、出来うる限り上げていた口角は、いつの間にか、もうピクリとも上がっても暮れなくなった。
腕や背中周りのみにとどまっていた痣は、すっかり手首の近くまではっきりと残っている。
『幸せにやれよォ』
そう言った"鬼狩り様"の声だけを残し、私はきっと、もうすっからかんであった。

どうして、"トミオカ様"は来られたのだろう。
いつかお会いしたカクシ様方はどうされたのだろうか。
"トミオカ様"は確か、柱の方だったと思うのだが、このような挨拶は柱の方直々にまわるようなものなのだろうか。

薬缶の蓋がかたかたと踊りはじめたことで、私は漸く思考を止めた。
すっかり煮え立った湯を急須へと注ぎ、客間へと足を向けた。


戸の向こうからお義母様の震える声が響いている。
それに、時折"トミオカ様"の凛とした声が応えた。

__ああ、本当に終わったんだ。

部屋へと入り、"トミオカ様"とお義母様の前へと湯呑を置く。
未だぼう、とした頭で、"トミオカ様"を見やると、いつかの鬼狩り様と同じ。
真っ直ぐに濁りのない美しい瞳が凛とはまっていた。



「送って差し上げなさい」そうお義母様に言われた事もあり、冨岡様を表の大木の向こうまで見送る。

「では」と、声をあげようとしたところで、冨岡様は口を開いた。

「……息災そうで、何よりだ」
「冨岡様も」

一度頷いた冨岡様は私へと向き直り、私の向こうへと見える尾上の家を眺めるようにして言う。

「本当は、不死川に「行け」と宇髄が」
「……"ウズイ様"が」

ああ、とまた冨岡様はひとつ、頷く。

「鬼狩り様、……不死川様は、ご無事と言う事ですね?」
「ああ」

冨岡様の視線が、私へと戻ってきた。
力強く、とは言えない。けれど、確実に頷いた冨岡様の姿を見ると、頬から耳の裏へとそわ、としたものが駆け巡り、そのうち脳天まで、肌が泡立っていった。
生きている。
鬼狩り様は、生きておられるのだ。
鼻の奥にツンとした痛みが走り抜け、喉がぎゅ、とすぼまっていく。

「……つかぬことを聞くが」

そう言った冨岡様は私の腕へと手を伸ばし、さ、と袖を捲り上げた。
右の腕があらわになり、どれくらいぶりか。風が肌を撫ぜていった。

「わッ!!」
「……」

慌てて身を引いたものの、冨岡様は見逃してはくれなかったのやも知れない。
冨岡様の大きく見開かれた目に、私が映っている。
別に、たいそれたことはないものだ。
冨岡様が気にするほどの事でも無ければ、私が誰かに告げ口をするような事でもない。
ただ、私がグズであるから、夫が躾をしてくれている。ただ、それだけのものだ。けれど見られるのが、どうしようもなく恥ずかしかった。
冨岡様が鬼狩り様と繋がりのある方、だからだろうか。
それとも、知れてしまった事が恥ずかしいのか。
それとも本当は、私自身を恥じていたのか。
私にはもうわからなかった。
頭の奥まで一気に血が廻っていく。

「あの!! あ、あのぅ、これ、は…………私が、鈍くさいもので……その、私が昔っから、ぐずなものだから……その、それで、」
「それでどうしてこんなになる」
「だ、だから、……その、ええ、と……え、へへ」
「笑うな!!」

びりびりとした音が轟と響き、冨岡様の顔が一気に怒気を孕んでいく。

「殴っているのか」
「え」

冨岡様の言葉に首を傾げそうになったが、直ぐに私へとかけられている言葉ではない、とわかった。
冨岡様はそのまま振り返り、帰りの道中であったらしく、そこへ居た夫へと声をかけていたのだ。

「まさか」笑いながらそう言った夫は、一度だけ私へと視線をやり、頭を下げた。

「この度は、拙宅までご足労いただき、感謝いたします」

なおも夫はいつものように笑い、私の方へとやってきては、着ていた外套を私の肩へとひっかけた。
そうして聞いた事の無い程の優しい声色で言い聞かせるように私へと言葉を向ける。

「さぁ、後は良い。体が冷えるから、先に入っていなさい」
「……ぇ、と」

夫の目を見ると、体からサッ、と血の気が引いていった。
私の体がぶるッと震えを帯びたほどであった。
夫は、笑ってなどいない。
そんな事は知っていた。知っていたけれど、足が竦むほどに恐ろしい。
何を言わなくてはならないのか、私はすぐに理解した。

「……あ、あのッ!! 冨岡様! ほ、本当に私、なんでもなくって!! ……あ、あの! ええ、と……そ、そう!! 薪を!! 薪を上手く切る事が出来ないんですよぅ! すぐにぶつけてしまって、……ほ、本当に、何にもないんです……あ、あの、……へへ、だから、」
「……」
「妻もこう言っています。また、他に何かありましたらいつでも仰られてください。あぁ、良ければ夕餉もうちでいかがでしょう。
母と妻が腕によりをかけて拵えますよ」
「……結構だ」

冨岡様は夫を睨むように見据え、私へと視線を向けた。
震えを誤魔化すように夫の外套を両手でつかみ、私は出来る限り口角を持ち上げる。
ひくひくと引きつるものであるから、上手く作れているのかはわからないが、それでも出来うる限り笑った。

「冨岡様! あの、ご心配ありがとうございます! この度は、本当におめでとうございます。ありがとうございます! ……あ、の、ええと、鬼狩り様にも、どうかお元気で、と、伝えて……あ、あのぅ、やっぱり、ありがとうございます、と伝えて下さい」
「……承知した」
「本当に、ありがとうございました!」

冨岡様は、苦々し気な顔も隠さずに私たちから背を向けた。
夫が私の腕を引くのも振り払い、冨岡様のお背中が見えなくなるまで、私はずぅと頭を下げ続けた。
そのうち、足元が歪んでいく。
とめどなく溢れようとするものを抑えるためにも、私は口元を抑えた。

生きていた。
鬼狩り様が、生きていた。

それだけで、もう、天にも昇れるほどに胸が苦しくなった。
もう、それだけで息も出来ない程に嬉しかった。
それだけで、びっくりするくらいに「幸せだ」と思えた。

夫に引き摺られながら、わぁわぁと声を上げて泣いた。
嗚咽が、どうやっても止められず、喉元がびくびくと震えあがっている。
涙が一向に引っ込まず、着物をこれでもかと濡らしていく。
こんなこと、奥様のところに居たころ以来だ。
何をどうすれば良いのか、もうわからない。




夜も深まり、きんとした冷たさが身体に染みる頃合いであろうか。
灯りも窓の一つもない納戸の中では、今どのような状況であるのかも、判断に困るところであったが、表からどうやら話し声が聞こえていた。
こんな遅くに珍しいこともある。
そんなことを考えていたかも知れない。
硬い床の上を、ごろ、と転がると、あちらこちらがずきんずきンと悲鳴を上げていた。

どれ程経ったかはわからない。
話し声が途切れたころ。

こんこんと納戸の扉が叩かれた。

「……」

夫だろうか。
否、夫は様子を伺う素振りなど見せたことはない。
お義母様だろうか。
否、夫が眠りつくまでに出してくださった事など、一度たりとてない。

得体のしれないものが、背中を這っていく。
誰だろうか。

また、納戸の扉が叩かれた。

「……居るのかァ」
「お、……にがり、さま……」

ゆめだ、とおもう。

きっと、私は情けなくも夢を見ているのだ。
夢なら、なんだって良いだろうか。
夢なら、今日はなんていい日なんだろう。

「おにがりさま、」
「……おぅ、」

思うように動かない体を引き摺り、扉の直ぐ側まで向かった。
途中に、何かをひっくり返してしまったようだけれど、それどころではない。
鬼狩り様が居る。
すぐそば。
扉の向こうに、居られる。
あんなに泣いたのに、また目の前がぐらぐらと霞んでいる。

「鬼狩りさま、お元気でしたか……」
「……生きてる。…………お前はァ」
「私、は……とても元気にやってますよ! ……少し、夫は厳しいので、大変ですが、お義母様がそのぶん、優しくしてくださいます」
「そうかィ」

鬼狩り様の、声がしている。
いつかの鬼狩り様の、柔らかい声だ。
そっと扉へと手を当てたが、なんのことはない。
いつもと変わらない、冷たさが残る、木の扉だ。

「開けても、良いかァ」
「駄目ですよぅ」
「……顔を、見てぇ」
「今は湯上がりで、たいそう見苦しいので、嫌ですよぅ」

鬼狩り様の、ハ、と息を吐くような、癖のある音が聞こえた。
あぁ、笑っておられるなぁ。
そう思うと、なんだかとても胸が熱くなってしまったものだから、やっぱり涙がぼろ、とこぼれてしまった。

「もっと見苦しいとこ見せてきたろォが」
「酷ぉい! ……へへ、鬼狩り様と、お話ししてる……へへ」
「……」
「今日はね、とってもとっても良い日です。とっても幸せ……んふ、」

私は浮かれ調子でうふうふと喋るたびに空気が混ざっていく。
半分も目が開かないのは、もしかすると夢見心地だからだろうか。

「んなわけねぇだろォが……!!」

鬼狩り様の、苦々し気な声が聞こえたと思うと、それと殆ど同時。
硬いものが地面へと重なり落ちる音がした。
そのうちがたがたと扉が大きく揺れ動き、とうとう外の空気がやってきた。
冷たい空気が一気に私の体を刺す。
けれど、そんなことも気にならなかった。

「なんで……笑ってろって、言ったろぉがァ」

鬼狩り様の真っ白な髪が、月明かりを受け、きらきらと輝いてみえた。
夢だ夢だと、ずぅと言い聞かせてきたと言うのに、鬼狩り様が、そこに居た。
出会ってすぐの頃よりずっと、顔を顰めた鬼狩り様が、そこに居た。

「……おにがり、さま……だぁ、」

とうとうせき止めていた努力は散り散りになり、滂沱と涙が溢れ出た。
きっと、今日、私は枯れてしまうんじゃないだろうか。

「……ぅ、う、……うぅ、おにがりさま、だぁ、」

畏れ多くも転がったままに、夜の空を切り取る鬼狩り様を、私はただただ見上げていた。

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