小説 | ナノ

「ええと」

言葉に詰まりながら、落ち着かない心を誤魔化すようにカウンタァテーブルの上で指を捏ねた。
須磨様は静かに私を見てらして、そのうち他のお連れの女性陣に「詮索はいけません」「野暮なこと聞いてんじゃないよ!」と叱られてしまった。
なんだか申し訳が無く思えてきたものだから、少しだけ掻い摘んで言葉にすることにした。

「あの、……そんなに、何があったということでなく……私、その、尾上の家に嫁いできたんです。……数ヶ月前に。だから、目出度い事で、……その、」

それで、と、段々と下がっていってしまっていた視線を上げていくと、須磨様は私を上から下まで眺め、そのうちすぐ隣へと居られる、鬼狩り様と目配せをなさる。
何か不躾なことでも口走ったろうか? と考えはするが、特にこれと言って思い浮かぶことはない。
その上、また私を見やり、上から下へと目を走らせる須磨様の視線が、段々と心地悪く思えてきたものだから、まだグラスの半分は残っていたソォダにアイスクリンを混ぜ合わせ、ごくごくごくッと飲み込んだ。

味も何もわからなかったが、もうこの際それは気にならなかった。
それよりも、もう早くここを出たかった。
居心地が悪いのは、言いたくない事ばかりが胸の内を占めているからだ。

お義母様の「みすぼらしい」と言った言葉が、本当であることをわかっているし、そんな私が、こんなにも綺麗な方たちの視界を埋めてしまうのが、なんだか酷く恥ずかしいことのように思えてきた。
だからだ。

遠くから聞こえていると思えるほどに、耳には入っていなかった女学生達の黄色い声は、今は直ぐ側に聞こえていた。

「皆様、……その、お誘いありがとうございました! 私、この後がありますので、お先に失礼させていただきますね!
ええと、……それで、お金を、」
「あぁ、要らねぇ要らねぇ」

ひらひらと、手をやりながら答えた銀髪の鬼狩り様は、カウンタァの上で肘をつけながら、すッと紙を出し、カウンタァの上を滑らせた。

「これも何かの縁だろ、困ったことがあんなら言ってこい」

鬼狩り様はとんッとカウンタァを一度だけ、指で叩きながら私を見る。

「……ありがとうございます、恐れ多いですが、……頂きますね!」

数度、頭を下げた私はカウンタァの高い椅子から下り、店を出ると、ひっしと私の腕を両方の手で掴んだ須磨様が、どこか険しさを滲ませる表情を見せていた。

「またっ! またここで待ってますっ!! 絶対ですよ!!」
「……」

いつかの鬼狩り様のお気持ちが、ほんの少しわかったのかもしれない。
優しさが、なんだかとても痛かった。
結局それにも答えられず、私は一度、深く頭を下げた。

___________
______
__

尾上の家に帰りつく頃には、日も天辺を遠に通り過ぎていた。
もしかすると、銀座の辺りから離れたのが二時を回っていたから、もう三時を過ぎた頃かも知れない。
出来る限り早足で歩きはしたが、いつもよりももう少し遅くなっていた。
お義母様に謝らなくては。
丁度民家の密集した通りを抜け、しばらく歩いた先には、立派な藤の家紋が見えてくるのだ。

「帰りました」そう呟くように言いながら門を開くと、玄関先には常であれば未だ仕事から帰っているはずのない夫がそこへ立っていた。

「あ……おかえりなさいませ! 随分とおはや、」
「どういうつもりだッ!!」
「わッ!」

夫は、私の首元で括り付けてあった風呂敷包みの結び目を、ぐい、と大きく引いた。
須磨様達と別れた後、野菜などを買い込んだものを包んであった風呂敷は、私の背中へとぎゅ、と食い込む。

「お前は! 勝手にッ! 誰が遊ぶことを許した!!」
「ご、ごめんなさいッ!!」

そのまま私の頬を張り上げ、髪を引っ掴んだ夫は、私を納屋の中へと押し入れ、酷く冷たい声で「反省していろ」と吐き捨てられた。

「ご、ごめんなさい!! ねぇ、だ、出してくださいッ!! ごめんなさい!!」

扉を叩けど叫べど、夫は出してはくれず。
納屋の屋根の近く。
唯一取り付けられた換気用の小さな窓からの明かりのみが照らすそこは、酷く冷える。
一度、ぶる、と身震いすると首筋までもが泡立った。
里中の家を離れてから、もうすぐ半年を過ぎようとしていた。


鬼狩り様が、始めはとてもとてもおっかないお顔をしてらした事を、なんとなくではあるが、覚えている。
カクシ様が仰られた「風柱様は、お優しい方です」と言う言葉が、今なら身に染みてよくわかった。

「…………あいたい……」

いけない事だとはわかっている。
夫が一体何に怒っているのか、私にはわからない。
少し前は、何も仰られなかった。
「気を抜くことも大事だ。キヤラメルでも買ってくると良い」なんて、お駄賃をくれた気がする。いや、あれはお義母様だったろうか。
なんだかもう、わからなかった。

納屋の床下までかろうじて届いていた、扉の隙間からやってくる日の光は、そのうち上へ上へと昇って消えていった。



「出ろ」
「……ぁ、……あ、あの! ごめんなさ……」

そう夫が納戸の錠を開けて下さったのは、もう辺りが暗く静まり返り、物音が大仰に響くようになった頃であった。
私が謝罪を口にしきるよりも前に、夫が「鬼狩り様が来られている」と仰ったものだから、私は着物の裾やらをしつこく叩き、出来る限り居住まいを正す。

「世話をしなさい」
「はいッ!」

そんな私を見下ろす視線から目を逸らし、私は出来るだけ口角を持ち上げた。



お勝手で子気味良い音を響かせながら食事の支度をなさっているお義母様の背中へと声をかける。

「お母様、変わります!」
「ああ、こっちは良いから、湯の用意を」
「はい、すぐに」

素気無く断られてはしまったが、湯の用意は大変な重労働でもあるから、お義母様にさせるわけにはいかない。
出来るだけ手早く襷をかけ、私は傍の桶を引っ掴んだ。

表の手押しポンプのある水場から水を汲むため、その傍へと立ち寄ると、すぐ目の前に、いつか鬼狩り様のお屋敷に立っておられた美丈夫がいる。
須磨様から「天元様」と呼ばれていたかただ。
今日、昼前にお会いした方だ。

「……ま!!」

驚きのあまり、桶を取り落とした私は、上がっていた声を隠すため、口元を片手で隠したがそれが意味をなさない事は分かっていた。
もう声を上げた後であったからだ。
あの七色に輝く見事なまでの銀髪を、真っ白の巻き物で隠された巨躯を誇る鬼狩り様は、くい、と頬を上げていた。

「あ? ……よぉ、やっぱここだったんだな。悪ぃな、世話んなるわ。コイツが怪我しちまってんだわ」
「湯の用意を……きゃあッ!! け! 怪我ッ! やっぱり先に傷のお手当てさせてくださいますか……!!」

一度頭を下げ、桶を持ち上げ直した。
けれど、鬼狩り様のすぐ隣。
蹲るように肩で息をする、同じく鬼狩り様であろう影を見る。
ぶわ、と全身に血が上るかと思った。
いつかの鬼狩り様の、不死川様の姿を思い出してしまっていた。
立ち尽くしてしまっていたが、そうはしていられない、とすぐに思い直し、鬼狩り様へと足を向けようとするけれど、それも首を振って断られてしまった。

「あー、それはこっちで今からやる。悪ぃが、表で火鉢使わせてくれな」
「え、ええ……あ! 納戸にあると思うんですよぅ!」
「失礼します」

唐突に響いた低い夫の声に、私の肩は面白いほどに跳ね上がる。

「鬼狩り様方。こちらに置いてもよろしいですか」
「……おう、感謝する」
「いいえ、とんでもございません」

人好きの笑みを浮かべる夫は、鬼狩り様に頼まれていたらしい火鉢をそこへと置き、私へと視線だけを動かした。

「名前」

低い低い声が響いていた。
全身から血の気が引いていく。
怒っている。
夫は、今、確実に怒っている。
ぶる、とまた体が震えた。

「はいッ!」
「来なさい」
「は、はい」

歩調も合わせてはくれない夫に、半ば引き摺られるようにやってきた納屋の前。
そこを指さした夫は、「あとで来なさい」と、だけ。



怪我の酷かった鬼狩り様は、後に「宇髄」と名乗ってくださった柱様の手づから応急処置を施され、そのうちやってきたカクシ様に連れ帰られたとのことであった。

宇髄様に案内をした客間へと膳を持ち寄ると、「まぁ、座れよ」などと言いなさり、食事の間中私に「暇つぶし」と話しの相手をさせた。

「……私、なにも面白い事はお話しできませんよ? ……夫の方が、実のあるお話しを……出来ると思うんですが」
「いんや、不死川の事知らねぇだろ」

くく、と肩を震わせる宇髄様は、その時に初めて名乗られた。

「んでぇ? 不死川がおっかなくてまた逃げたってぇ?」

膝をぱんぱんと叩き、大きな声で笑い上げた宇髄様はいつかの私を笑いとばす。

「だ、だって!! 本当におっかなかったんですよぅ!! こぉんなに目を大きく開いて!
低い声で唸るように「おぃ」って!!」
「似てね……いや、似てるかぁ? ……っくく」
「……でも、本当はとてもお優しい方です」
「例えば?」
「い、言いませんよぅ!」
「言えよ」

ぴ、と箸の先を私へと向け、弧を描いた大きな口元を宇髄様は見せつけてきた。
私の口元は「む」と突き出していく。
別に不満がある、だとか、そうではない。
"あの日"猫の尾が生えた鬼狩り様を屋敷へと運んでくださっていたあの日からそうだ。この方は、ずっと面白おかしく動くだけなのだから、集落のやんちゃな童たちと同じような心持ちで、からかっておられるだけだ。

それも分かっているし、だから腹が立つ、だとか、そうでもない。
ただ、あの日々を冷やかされたくは無かっただけなのか、それとも、鬼狩り様との秘密にしておきたいだけなのか。
わかりはしなかったが、私はとうとう「秘密です」とだけ呟くように言う。

「へぇ、一丁前に"独占欲"ってかぁ?」
「……どく……ッな、ぁ!! ちが!! 違いますよぅ!!」
「なら言えんだろぉ?」
「だって! う、宇髄様! 笑われるじゃないですかぁ!」
「面白れぇ事に笑って何が悪ぃ!!」

がははと大口を開けて笑う宇髄様は、そのうち食事も終え、立膝の上で頬杖を突く。
それから私を「じ」と眺め、反対の手でご自身の左の頬を指さした。
私はどうしてか、自分の右の頬を触っていた。
先に、夫が平手を当てたところであった。

「まったく。こっちの台詞だってんだ。笑ってんじゃねぇよなぁ」
「……そ、それは、……難しいですよぅ、」

へなへなと、体の力が抜けていく私に、鬼狩り様はため息を吐かれる。
こんなことで気を煩わさせてはいけない。そう思う。
私は出来るだけ口角を上げ、「転んでしまいました」とだけ言った。
そうすると、「ここもだろ」なんて言いながら、宇髄様は苦笑してご自分の右の二の腕あたりを擦る。
思い当たるところは、ある。

何も言えない私は、へへ、とだけ笑う。

「夫婦のあり方はそれぞれ、とは思うが、世の中にゃ下らねぇやつも、何を言ってやっても変わらねぇ奴も、五万と居る。見切りつけんのも大事だと思うぜ、俺ぁ」
「……お、夫は、……私が、しゃんとすれば、……その、……どんくさいんです、私、それで……」

私は指を捏ねまわしながらそう言ったが、宇髄様は小さく首を振り、「聞き流せ」とだけ。

「独り言だ」と続く宇髄様の言葉に、私は一つ、頷いた。

「……はい」
「もう良いぞ」

下膳を促す宇髄様に、私は一度、深々と頭を下げる。

「あの、……ありがとうございます」

もしかせずとも、宇髄様は何故か、私を気にかけて下さっている。
始めて会ったあの時の言葉通り、「縁」であるから、なのか。なにか、は分からない。
もしかすると、私を呼び止めているのも、夫にこの後、呼ばれていることを知っての事か。

いや、きっと考えすぎだ。
気のせいだ。
宇髄様は、不死川様の面白おかしいお話しを聞きたかった。きっと、それだけだ。

なぜだかとても、心が揺れていた。
私は幸せにならなくてはいけないのに。
私は、笑っていなくちゃいけないのに。
優しさに触れる方が、なんだか酷く、居心地が悪い。

***

納屋の奥には、なめした縄があり、私はそれで腕を縛られる。
そのうち夫の腕が、目の前にやってくる。
足が、すぐ傍までやってくる。
罵声が、耳の奥へとやってくる。

「きゃあ!」

引っ掴まれた髪が、きしきしと悲鳴を上げているから、たくさん抜けてしまったと思う。
今日、夫の機嫌が悪かった。
普段であれば、気にも留められない事であるはずなのに。
夫はどうしてか、今日は私の全部が気に食わないらしかった。

「なにを!! 他所の男とッ!! 親しくしているッ!!」
「ご、ごめんなさいッ!!」
「エエ?! この!! アバズレがッ!!!」
「ごめんなさ……ッ! うぁ!」

今日、とてもとても、痛かった。

***

あのときに、鬼狩り様とした約束がずっと私のなかで燻っている。
鬼狩り様の、いつかの優しいまなざしを覚えている。

鬼狩り様は、「幸せにやれよ」と仰って下さった。
私に、「ずっと笑ってろ」と仰っておられた。
大切なものを増やしたくないと仰られていた鬼狩り様は、私を受け入れてくださった。
私を大切にしてくださった。
「ずっとその呑気な面引っさげて、笑ってろォ」そう、真っ白な髪で顔を隠したままに仰られる、鬼狩り様の表情は、見えることは無かったのだけれど、その優しい言葉が私の何よりも大切なものであり、何よりも幸せなときであったのだ。

だから、しゅわしゅわとした、クリィムソォダの泡の中に包んでは、ストロォで飲み下していった。
胸の奥の、底の方まで、ずっとずっと飲みこんでいった。

次へ
戻る
目次

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -