小説 | ナノ



どこか夢見心地のままに、私はぽふッと音をたて、枕へと頭を預けた。

ぎゅっと目を瞑り、今日と言う日に思いを馳せた。
楽しかった。
まるでデェトをしているかのような一日であったと思う。
心臓がばくばくといつまでもずっと高鳴っていた。
最初は、緊張からくるものであった、と思う。
今はもう、わからない。

目の前の枕を掻き抱きながら、それに幾度も顔をうずめた。
唸り声を上げ、何度も枕へと顔を擦り付け、顔の、体中の熱を逃がしたかった。

鬼狩り様は、偉いお方だ。
お忙しいお方で、なによりその身を大切になさっていただかなくてはならない。
だから、私はあくまでも鬼狩り様のお世話をさせていただきたいだけだ。
あこがれているだけだ。
こんなに尊くお優しい方に想われるのは、たいそうに心地の良い事なのだろう、とは思う。
けれど私に限って、そんな事はない。
あってはいけないのだ。


鬼狩り様はお優しい。
だからこうして「詫びだ」と、私に気を使って下さっただけだ。

鬼狩り様が「うめェのかァ?それ」なんて言いながら、しゅわしゅわと泡を立てるソオダを見ていた姿が、いつまでもずっと、瞼の裏に焼き付いている。

枕が破けてしまいそうなほどに、きつくきつく握りしめた。

いつか、荒木のおじさんや、おじさんが言っているのを聞いた。

鬼狩り様は、きっとたくさんのものを抱えているのであろう、と。
でなけば、すすんで鬼殺などに身を窶し続ける必要などないだろうに、と。
ましてや柱になどなるほどだ。どれ程のものを抱えているのやら。と。


布団へとくるまりながら、今日の鬼狩り様の、優しかった手を私は何度も何度も思い出していた。
私の体を抱えとめて下さる腕は、大層逞しく、優しかった。
私へと笑いかけて下さる鬼狩り様のお顔は、たいそう柔く、明るいものであった。
何も影を感じさせるものなど無かったのだ。

ずっとずっと、私は口では、皆に「鬼狩り様が寂しくなってしまう」だとか。
「鬼狩り様が悲しい時には寄り添える場所にしましょう」だとか。
大仰な事を言いながら、恋し恋しと思いながら。
何も見ていなかった。

彼は鬼狩り様、などではない。
鬼狩り様、ではないのだ。

何度も何度も頭ではわかっていたつもりだった。
鬼狩り様は、私とそう歳も離れておらず、同じようにただ生きているなのだと。
わかっていたつもりだったのだ。

「…………ぃや、だ……」

口から零れる音が枕に山としみこんでいく。

「……鬼狩り様……や……やだ……」

嗚咽と共に、染みこんでいく。

鬼狩り様の『もうこれ以上、踏み込んでくんな』と言った、いつかの言葉が頭の中をぐるぐると渦巻いていく。
なにが、「たくさん鬼を退治できますように」だ。
なにが、「鬼狩り様が大事です」だ。

私がそう言った時の、鬼狩り様のほっとした顔の意味を、私は知ってしまった。
ぜんぜん、違う。
そうじゃなかった。
何もわかってはいなかったのだ。
私はちっとも理解していなかった。

きっと鬼狩り様に言ってしまったら、鬼狩り様は離れていってしまう。
また、一人になろうとしてしまう。
鬼狩り様は、お辛い顔をなさるのかもしれない。
そうでなくとも、もう私に振り向いては下さらなくなってしまうんだろう。

「ぅ、……ぅ、う……」

顔を埋め、声を殺し、誰にも聞こえないようにと私はしゃくりあげていた。

「……お、鬼狩りなんて、…………鬼狩りなんて、……やめ、……ッ、ふ、……ぅ、う……」

絶対に、言ってはいけないのだ、と思う。
けれど、もうその気持ちだけは止まってくれそうにない。
どうすればいいのか、もうちっともわからない。
私は、鬼狩り様の、不死川様の笑う顔を知ってしまった。
もう、見てしまった。
気が付いてしまった。
理解してしまった。
わかってしまった。

不死川様は、おじさんとも、荒木のおじさんとも、ヤス子さんとも旦那様とも奥様とも私とも、変わらない。
ただの、優しい人だ。
ただの、不死川様だ。

不死川様に、生きていてほしい。
笑っていてほしい。
不死川様に、悲しい顔をなさらないでほしい。
ここに居てほしい。
きっと、おじさんの畑でも、沖田のおじさんの焼き物のお手伝いでも。出来る事もすることも何でもある。
今ほど金銭に恵まれはしないのかも知れない。
不都合は多少、出てくるのかも知れない。
けれど
鬼狩りなんてやめて、"普通"に生きてほしい。
いつかお嫁さんを貰って、子供を抱いて、私の髪を結んでくださった時のような、柔らかな表情を称えていてほしい。
ただ健やかに、布団へと潜ってほしい。
温かい食事を、皆で食べ、「うめェ」って。

どれ一つとして言葉にはできそうにもない。
きっと、鬼狩り様が望んで下さらない。
きっと、鬼狩り様は嫌がられる。

わたしはきちんと見送る事が出来るだろうか。

「行ってらっしゃいませ」と。
「どうぞご無事で」と。
「お待ちしております」と。

言えるだろうか。

「……い、……行かないで、……っ、う、ふ……ぅう、」

ぼろぼろと溢れる涙が、ただただ枕をしとしとと濡らした。


***


すっかり重くなった瞼を開くと、障子戸の向こうから日が差し込んでいる。

布団から這い出し、いつかと同じようにそろそろと外へ出る。

もう、夜が明けていた。

_________
_____
__

手押しポンプをギコギコと漕ぐと、そのうち側の井戸から水がやってくる。
流れ出した水をざぶざぶと手桶で汲み上げ、洗濯用の桶へと流し込んだ。
一昨日の土砂降りのおかげで、鬼狩り様の羽織物から何からが、泥やら何やらですっかりくたびれている。

もう、雨の季節がやってきていた。

あれからひと月ほど経った。
変わらず鬼狩り様は夜を駆け、私はそれを見送っては家へと帰る。
何ら変わることのない日常を送っている。
変わったことといえば、鬼狩り様を見送る度に私の心はひどく軋み、悲しみに喘いでしまうというくらいで、さして変わらない。
いつも通りだ。
変わったことは、ただ一つ。
もしもあるとするならば。

どうか鬼狩り様がご無事でありますように。
と。
どうか鬼狩り様が、お怪我などなさいませんように。
と。
そう願うことをやめた。

酷い人間だと思う。
勝手な女だと思う。
それでも。


私は洗濯桶の中へと、放るように鬼狩り様の泥で汚れた着物を投げ入れた。




日が昇りきり、昼餉の時刻も過ぎた頃。
表が珍しく騒がしかった。
鬼狩り様のお屋敷へ訪れる人などは限られていたから、鬼狩り様の帰ってこられる時であったとしても、いつもどこかしん、としていたのだが、今日は違った。

「おい、着いたからな!」
「気を確かになぁ!」

やらと、男性特有の低い声が響いている。
吐き出されている言葉の内容から、私は慌て、駆け出した。

玄関扉を開けると、丁度、門を跨いだ殿方の背には、鬼狩り様のものと思われる体が引っ掛けられている。
六尺を遥かに超える、__鬼狩り様よりも、もしかすると大きな__体を揺らし、玄関の中へと入ってきた男へと私は視線を向けた。

「あ、あのぅ、」
「派手に助かった。お前、女房か何かか?」

赤い模様を目元へとあしらった男は、その整った顔をずい、と私へとむける。

「い、いえ!! その、手伝いなどを、させていただいております!」
「……へぇ、……まぁいいか」

スッと目を細めたかと思うと、その男は口角をきゅっと上げながら顎をしゃくった。

「コイツ、どこに連れてきゃ良い?」
「あ、恐らく寝屋にでも……あの、こちらです!」
「悪ぃな」
「いえ、あ、そこ、頭をお気をつけ下さいね」

鬼狩り様の寝室として使っている部屋は、お伝えする気にはなぜだかならず、いつか私が寝かせて頂いた方の部屋へと男を通すことにする。
きし、と時折床が鳴く。
その度に、私の心臓はぎゅっぎゅと締め付けられていく。

私はとうとう耐えきれずにその男へと「あのぅ」と声をかけていた。

「ん? どうしたぁ?」
「あ、こちらです」
「派手に助かった」
「い、いえ、……そ、それで、……」

鬼狩り様は?
と、男の手で布団へと降ろされる鬼狩り様の体へと視線を滑らせながら、確かめるために私は問いかけた。

「あー、……不死川は見られたくねぇとは思うが……世話係なら仕方ねぇな!」

男はついにケタケタと笑い始め、私へとその眩いばかりの笑顔を向け、未だ眠る鬼狩り様へと指を指した。

「コイツ……っふふ、」
「……お、鬼狩り様……?」
「んは、……ケッキジュツってやつでなぁ、」

肩を震わせ笑う男と鬼狩り様へと交互に視線を向ける。
おかしい。
鬼狩り様の、お姿がおかしい。

「け、っき、……ジュツ……」
「まぁ、こうして日に当ててやってれば明日には戻ってる、とは胡蝶は言ってたが……ん、っふは、」
「あ、お、お食事やらは……」
「なんでも食うだろ……っぶふ!」

我慢してはおられるようではあるが、その男は私からも、鬼狩り様からも視線を反らし、ずっと笑っておられる。

「耳、……触られんの、……っは、嫌いらしい……っくく、」
「は、はい!」
「……あとは、頼んだぞ、……んぐっ、ふは……!」

それだけ言うと、その男は肩を震わせ、屈み込んだというのに次の瞬間にはいなくなっていた。

私はもう一度、鬼狩り様を視界へとおさめる。
耳。
みみ。
……みみ。

「…………」
「……んな゛ぁ、あ」
「ね、……ねこぉぉお!!?」

私はあらん限りの声で叫び上げた。
どうやら鬼狩り様は、猫のお耳を嗜んでおられるらしいのだ。
燦燦と室内へと入る陽の光を求めた鬼狩り様は、四足歩行で日向まで出向き、そこで体を丸める。
大きな鬼狩り様のお体、その臀部に生えたしっぽがベシンと畳張りの床を叩いた。

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