小説 | ナノ



「鬼狩り様、何かお召し上がりになられますか?」

ピンと聳える猫のお耳。
それの生えた鬼狩り様の傍へとかがみ、念のために尋ねてはみる。
が、白茶に黒のまだら模様のつく耳を、真っ白の髪の隙間からぴくぴくと動かすばかりで、そこに返答はない。

「おかえりなさい」と言えば、鬼狩り様はいつもぶっきらぼうに「おう」とだけでも返して下さっていた。
いつも、だ。
にも拘らず、未だ何に対しても返事がないのは、意識が猫のような何某になっているから、なのかもしれない。
なにせ、平素の鬼狩り様の意識がここにない、と判断するには、時折しっぽをぱたんと畳へと押し付ける姿を見れば、十分であった。

なんとなくはそう思っているが、勝手をすることも憚られたものだから、鬼狩り様へと、私はまた声をかけることにした。

「お食事、用意しておきますね」

変わらずぴく、と動いた耳に、畳にぺし、と打ち付けられた尾。
私は引きつる口元を必死に噛み締め、勝手口へと向かった。

「……猫、だった……ねこ……」

笑えばいいのか、恐れればいいのか、恐ろしがればいいのか。
あまりの状況に、判断はつかない。
私は夢でも見ているのかも知れない。
ともすれば、どこからどこまでが夢であろうか。
いっそ、鬼狩り様との出会いから、全てが夢であればよかったのやもしれない。

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何を作ればいいのかもわからなかったのだが、一先ずは今朝「昨日釣れたのだから」と荒木のおじさんがもってきてくれていた魚に火を通すことにする。
ただただ七輪で焼き、ついでと言わんばかりに米を炊く。

その隙に、先ほどからほったらかしにしてしまっていた洗濯物を干していくことにした。

すると、少しもせず。
するッ、と足元を何かがくすぐり、私は「ひゃあ!」と声を上げて飛び上がった。
全身の毛が逆立つかと思った。

「あ、……お、……おにがりさま…………」
「……」

鬼狩り様は何も言わない。
何も言わず、ただ私の傍できょろきょろと辺りを見渡し、本来なら生えているはずの無いそれで、尾で、私の腰元までを撫で付けながらぐる、とそれを私へと巻き付けた。

「……あ! お、お食事はもう準備できます! できますので、もう少し待って……うひゃぁ!」

私はまた、ぴょンと飛び上がった。
私の直ぐ後ろへ張り付くようにただ立っている、と思っていた鬼狩り様は、私の言葉を最後まで聞かずに私の首筋をべろりと舐め上げたのだ。
私はすぐさま、唾液でじとりとした首を抑え、鬼狩り様から距離をとった。
取った、と思ったが、鬼狩り様はすぐさま一歩、また私へと近付いてくる。

「よ、良くないと思います! だ、駄目ですよぅ!! ご飯はあちらです!! ま、まだ出来ていないので、もう少し辛抱してください!」

家の中の方へと指を指して見せるが、鬼狩り様はどこ吹く風。
変わらず私の腰元へと纏わりつかせた尾で、今度は私の腰元をするすると撫でつける。

「……わ、わ、わ!! も、もうッ!! 駄目ですッたら!」

距離が欲しい。
鬼狩り様と、こんなに近い事なんて、果たしてあったろうか。
鬼狩り様の立派な胸筋が、少し動く度、私の腕へ背中へとくっつくのだ。
思わず腕を間に挟み、鬼狩り様を押しのけるためにと力を籠めるも、びくとも動かず、「ひんッ」と声を上げたくなる。

「お、鬼狩り様ぁ! お、お魚焦げちゃいますよぅ……」

それでも何とか、腕を突っ張ろうと藻掻いていたが、鬼狩り様の大きな手のひらが、軽々とそれを掴み上げた。
「わッ」と上がる声を抑えることも出来ずに、鬼狩り様の胸へと突っ伏してしまう。

「ご、ごめ、……ッぅ、……」

なんとか体制を整えた私が次に目にしたのは、目と鼻の先にある、鬼狩り様のお顔であった。
いつもよりもずっと静かな菫色の目が、私を穿つように見据えていた。
まるで獲物を見定めようとするかのようにくり、とした目が、直ぐそこにある。

「……」
「……あ、あのぅ、……鬼狩り様……わわわ、ッひぅ!」

じぃ、と私を見ていた、と思った鬼狩り様は、あろうことか、私の首元へと顔を埋め、クンクンスンスンと匂いを嗅ぎ、あまつさえ耳の裏へと舌を這わせていく。

「ひ、ぁあ、……あ!」

ぞわわわ、と背筋に悪寒が走り抜け、腰が抜けた。
と思う。
私はとうとうその場にへたり込んでしまった。

その際に、鬼狩り様の手から、私の手は漸く解放された。
鬼狩り様は、不思議そうなお顔で私と自身の手を交互に見ていた。

きょとん、とした顔の鬼狩り様なんて、そうそう見られるものではないのだろう。
きっと、相当希少なものに違いない。
もし、これが今、この異常事態ではなかったのだとすれば、私は飽きた。と思うまで見続けたに違いない。
けれど今日、今、この瞬間に至ってはそうはならなかった。

命からがら、とでも言ってしまおうか。
私はバタバタと無様を晒しながらも、鬼狩り様から逃げた。
逃げ出した。


急ぎ膳を用意し、庭のすぐ傍の部屋へと箱膳をドンッと音でもしそうなほどの勢いで運び置く。

「ご、ご飯!! できております!」

庭から変わらずきょとん、としたお顔で私を見る鬼狩り様は、のしのしと歩きやってきては、ばふッと音を立てて腰を下ろした。
痛そうにも見えたが、とうの本人はそうでもないらしく、変わらずきょとん、とした顔で膳を見ていた。
鬼狩り様は足袋のまま、お庭へと降り立っていたらしい。
畳が汚れ、せっかくの暗色の足袋も白ずんでしまっている。

鬼狩り様は、すんすんと身を屈めた格好でお膳の中身を嗅いでいたと思いきや、そのまま焼き魚へとがぶッとかぶりつく。

「きゃぁあ!! お、鬼狩り様ぁ!!! そ、そんなお姿ッ! 見たくないですぅ!!!」

障子戸の向こう側。内廊下から隙間を開け、鬼狩り様の姿を盗み見ていたが、私は我慢ならず、すぱァンと扉を開け放った。

「ごめんなさぁい!! 名前がお手伝いしますからぁッ!!」

ヒンヒンとわめいてしまうのは、たいそう煩かったろうが、もうそれどころではない。
きっと誰が見るでもないにしろ、これは沽券に関わるであろう、と思わざるを得ない姿ではないか!

箸を持ち、私は鬼狩り様の口元へとご飯を運んだ。

「これは介助のようなもの! 赤ん坊に食べさせるのと同義ですッ!! はしたなくなんて無いからっ!」

もう自分が何を口走っているのかもわかりはしないが、スンスンと匂いを嗅ぎ、パクッと箸を口へと入れた鬼狩り様のお姿に、なんだか泣きたくなってしまった。
何故か、はもう言いたくも考えたくもない。


そうこうして、ほどほどにお膳の中身が底を見せ始めた頃。
鬼狩り様はすぐ隣で膝をついた格好の私をまた、あの菫色の色素の薄い目でじぃ、と見据えていた。

「……お、鬼狩り様……?」
「……」

ぐる、と喉を鳴らし、鬼狩り様は身を乗り出す。
その分、私は膝を下げた。
今度は腕を着き、四つ這いの格好で鬼狩り様は一歩、私へと近づく。

「……鬼狩り様……ッ、怖いですよぅ」
「……」

また一歩、鬼狩り様は私へと体を近づけ、私は一歩、後退る。

そのうち着物を引っ掛け、私が立ち止まったのをいいことに、鬼狩り様はスン、と私の匂いを嗅いだ。
今度は正面からだった。

「ぅ、うう、そ、そんなに臭いですかぁ?」
「……」

すんすんと私を嗅ぐ鬼狩り様の腰の向こう側、ぴんッと立った薄茶けた尾っぽが、嫌に視界をうろついる。

「ぁあ、もう、駄目ッて、言ってますよぅ! 鬼狩り様ぁ!」

ぐいぐいと押せども、矢張りびくともしない鬼狩り様は、ずいずいと私の上へと乗り上げ、私を引き倒していく。
そうしてすっかり畳へと背を預けてしまった私の胸元へと顔を埋め、鬼狩り様はすんすんと、また匂いを嗅いでいった。

「ん、ぅ、……ん、ふふッ、……こそばゆいですッ、も、!! ンふッ、も、もう!」

鬼狩り様の髪が、私の顎先へとさわさわとあたる。

湿気た風しか通らない静かな室内で、鬼狩り様の息と、衣擦れの音しか聞こえない。
ただただこそばゆかっただけのその仕草が、だんだんといけないもののように思える私は、奥様に叱って頂かなければならないのかも知れない。
奥様だけではない。
きっと旦那様からの折檻も必要だ。

胸元をすんすんと嗅いでいた鬼狩り様の視線が段々と私の首筋を登り、唇を通り過ぎ、きっと真っ赤になってしまっているのであろう頬を超える。

そうして、あってしまった。

矢張りどこまでも、どれだけでも真っ直ぐな、菫色の瞳と。
淡い光を返すのに、意思の強い、いっそ、獰猛なまでの美しい瞳と。
いつか、しゅわしゅわとクリイムソオダ越しに見た、鋭い、けれどどこか柔らかいような。そんな瞳と。

「……し、なずがわ、様……」

私の体に重なった鬼狩り様のからだが、また、ずる、と音を立てた。
重なってしまう。

きっと、とてもいけない事だ。

きっと、とても、厭らしいことだ。

きっと、とても。

きっと。

私の体の中心が、きゅうと痛み、熱を持つ。

不死川様の息を吐く音が、いやに響いた。

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