小説 | ナノ



てっきり鬼狩り様は、私を抱え歩くのだと思っていた。が、歩くだなんて、そんな生易しいものではなかった。
幾らもしないうちに段々と歩調が早まり、そのうちに耳の傍を風がびゅうと音を立て過ぎていくのを感じていた。
鬼狩り様と触れていることである、だとか、鬼狩り様の私を抱える手が酷く優しいものである事、であるだとか。
そんな事を考えていたはずの頭は、いつの間にか真っ白に様変わっており、鬼狩り様の足が速度を落とし始める頃には、私は全く違う理由で心の蔵をバクバクと痛めていた。

ひっしとしがみ付く私の背をぽんぽんと軽くたたきあげ、「オイ、もう良ィ」などと鬼狩り様は言った。が、ちっともよくない。
私が走ったわけでもないのに、汗も止まらず、息も切れている。

「オイ、そろそろ離せェ」
「手が!! ……手がぁ!! 動かないですぅ!!!」
「ンなわけねぇだろォがァ」

呆れた。とでも言いたげにため息を吐き捨てながら、鬼狩り様は私の体を抱え直し、私の腕の中からご自身の頭を捻り抜いた。

「オイ、……だから、手ぇ。下ろせねぇだろぉが」
「ひっ……酷いですぅ! 鬼狩り様……ッ! 
こ、こんなに恐ろしいとわかっていたら! あぁ!! ちびってしまうかと思ったじゃないですかぁ!!!」
「……」

漸く思い通りに動くようになった手で私は顔を覆い、息を整えるために何度も深く息を吐き、吸い直した。
私は鬼狩り様へと苦言を呈したが、鬼狩り様は私の言葉に眉を顰めるばかりであった。
そうして鬼狩り様は、ご自身の長着のお袖をそっと見やる。

「……ません!!! ちびりそう・・と言ったんですッ! そんな! そんな事しませんよぅッ!!!」
「……紛らわしい事言うんじゃねぇよ」
「ひ、ひどぉい!! 酷いですッ!!」

そのうち鬼狩り様はフッと息を漏らし、私から顔を背けつつも肩を小刻みに揺らし始めた。

「……笑っているんでしょう!」
「ねぇよ……ッ、ふ」
「笑っておられますよぉ!!」
「ねぇって、言って……ふ、」

ぷぅ、と私は頬が膨らんでいくのを感じていた。眉間にも力が入っているのだから、それはそれは見事な顰めっつらが出来上がっていると思う。
思うのだが、そんな私の顔を見た鬼狩り様は、またソッと私から顔を背ける。
右の手で口元を隠しておられる上に、そっぽを向いている鬼狩り様。
その肩が、揺れているのだ。
笑っているのに決まっている。

「……お前、……ん、ハ……っくく、頭……ふは、ひっでぇ」
「…………笑ったぁ! ……酷いですぅ!!」

鬼狩り様の言葉に私は自分の頭を、そうっと触っていく。
奥様の美しく結い上げて下さっていた髪が、ふわふわ、__言い直そう__ふさふさと毛羽立っている。
途中指先に引っかかったものを引っこ抜き、目の前へと持ってくる。木の葉だ。
見事にピンと葉を立たせる、青々とした立派な木の葉だ。
さぁぁ、と全身の血の気が引いていくかと思った。
けれど実際はカッカと血が上り、怒っているのか、恥じ入っているのか、もう自分ではわからなくなっている。
乱れ髪、だなんて雅やかなものではない。
ただただ、乱れている。
それも、とびっきり。

「お、鬼狩り様ぁ!!! わ、笑ってるじゃないですかぁあッ!!!」
「んハッ……!! それは、……っくく、……ふ、悪、……」

いつまでも肩を震わせる鬼狩り様が憎らしく思えるほどに恥ずかしかった。
うるんできそうになる視界を誤魔化すために、袖で顔を隠そうと腕を持ち上げた時だ。

「来いよ」と鬼狩り様から声がかかり、私はブスくれた顔のまま、鬼狩り様の言葉に従った。

「ここ、……座れぇ」
「この瘤の上にですか?」
「しっかりしてっから、転ばねぇだろうよ」
「……はい」

人通りのほとんどない林道に立ち尽くした私たちは、誰かが見ればとても滑稽なものなのであったのだろう。
けれど本当のところ、もちろん恥ずかしくはあるけれど、鬼狩り様があんまりにも笑って下さるものだから、胸がずぅと、どきどきと脈を早めるばかりで落ち着いてくれそうになかった。
恥ずかしすぎるけれど。

「持ってろォ」
「は、はい!」

鬼狩り様は、私をごつごつと岩のように固い木の根っこに出来た瘤の上へと座らせ、私の髪を解いていった。
奥様が結って下さった時に刺していたピンや、飾ってくださっていた大ぶりのリボンが、次から次へと鬼狩り様の手から私の手へと下りてくる。

「あんなにややこしい髪は出来ねぇが、何もしねぇよりはマシだろォ」
「……はい、」
「悪かったァ、……こういうのには、慣れてねェ……」
「……い、いえ、……纏まりますか?」
「ん、……それ、貸せ」

鬼狩り様へとリボンを渡すと、髪がきゅっきゅと軽く引っ張られる。てきぱきと結んでくださる奥様よりも、優しい手付きであった。
鬼狩り様の手が私の頭から離れた頃。
「出来た」と言った鬼狩り様は、正面から私を見ては小さく頷く。
私の手の中にはたくさんのピンが余っているものだから、私はそれを手巾へと包み、懐に仕舞った。
それからそう、と頭へと手をやると、確かめるために髪の流れに手を沿わせていった。

「……」
「……」

奥様の作ってくださった、綺麗に編み上げられた三つ編みの外巻きはすっかり姿かたちを無くしていたけれど、大ぶりのリボンで束髪くずしの形へと纏め上げられた髪。裾の方が、くりくりと波を打つ様はもしかすると華やかなものかもしれない。
手つかずの前髪を手櫛で整え、私を見下ろす鬼狩り様を私はちら、と見た。

「似合ってますか?」

私の問いかけに、ほんの少しだけ口角を上げた鬼狩り様は、「さっきよりは小マシだろ」と言う。

「……似合ってますか?」

私の傍に両膝を折り、しゃがんだ鬼狩り様は「悪かねェ」と真っ直ぐな視線を私へと下さった。





「歩けるかァ」

そう言って差し出された手に掴まり立ち、腰元を叩いてから頷くと、鬼狩り様は、また私に背中を見せ、数歩先を歩きはじめた。
鬼狩り様はそれから暫く、何も話さなかった。
私も、なんだか何を話せば良いのかを思いつくことも出来ずに、ただ鬼狩り様の、いつもより暗い色を纏う大きな背を眺めていた。

林道を抜け、もう少し歩いた先に見えた細道から表通りへ抜けると、舗装された道路を、車夫や乗合馬車やらが闊歩している。

「ッわぁ……ほんもの……」
「初めてかァ?」

じ、と前を見据える鬼狩り様の隣で、私は何度も頷いた。

「凄いですね……私、村から出たこともなかったので、乗合馬車は見るのも初めてです」
「乗るかァ」
「っえ! 良いんですか!?」

きゃあ、と私は歓喜のあまりに声を上げる。

私達が乗り込んで間もなく。二頭の馬に引かれた乗合馬車は走り出した。
座席の後ろの窓。そこから、見える景色はアッと言う間に流れていく。
舗装された道を、パカラパカラッと小気味良い音で駆ける馬に引かれる馬車の、乗り心地は決して良いとは言えない。
けれど私の心はまるで幼い頃のように、高鳴り続けていた。

いかばかり時間が経ったのかはわからない。
それこそ、一時間程かも知れない。
その先へ渡ろうと、馬が足をかけた橋。
その橋の向こう側は、幾度となく奥様や旦那様の新聞を見ては憧れた街そのものだ。

路面には線路が敷いてあり、街を縦断している。
その向こう側に見える、三階建ての大きなデパァト。
その直ぐ側には資生堂の建物がある。
銀座だ。
銀座の、資生堂だ。

鬼狩り様は、「降りんぞォ」と一声かけてくださり、デパァトの前で降車した。
目の前を車が黒い煙を上げて走っていく。
人力車夫の掛け声や、馬の蹄の音、話し声にくすくすと響く笑い声。
子供のはしゃぐ声なんかよりも、静かな音ばかりなはずであるのに、それが塊となって大きな音のようにすら思える。

私が知っている世界とはまるで違うものが、ここにはあった。

「行くぞ」
「へ、……あ! は、はいっ!」

鬼狩り様の後を追い、できる限り側を歩く。
はぐれてしまえば、もう帰る事は出来なくなる、と思った。
憧れた世界は、想像しているよりも、ずっとずっと賑やかで、まるで異国のようだと。
ぴったりと後ろを張り付いて歩いていたためだ。
立ち止まった鬼狩り様の腕に、顔をぶつけてしまった。

「う、わ!! お、鬼狩り様……ごめんなさい……」
「……」

立ち止まった鬼狩り様を見上げ、私はそのまま鬼狩り様の視線の先を追う。
美しく広がる瓦屋根に、すぐ下のまあるい大振りな家紋。
その並びにはそれは大きく明かりを取り入れるのであろう立派な窓が幾つも設えてある。

「ようこそ、いらっしゃいませ」の掛け声に招き入れられながら、鬼狩り様は中へと歩を進めゆく。
ぽかんと辺りを見渡し続ける私を後目に、鬼狩り様は給仕の方と何事かを話しておられる。

もう、全部が夢のようであった。

「お、鬼狩り様……ど、どうしましょう……」
「なんだァ」
「わ、私……お金を、そんなに持っていないんですよぉ……」

濃い茶に染まったカウンタテーブルへと肘を乗せ、頬杖をついた鬼狩り様は、そんな私の心配事を他所に、入口の外へと視線を送り続けている。

きゃあきゃあと、若い女性の声があちらこちらでしている。
薬局を併設しているらしいこの建物には、所狭しと有名所の薬やら軟膏、化粧品やらが置いてあった。
それら全部に資生堂の文字が入っている。
正真正銘の、資生堂であった。

「あんまきょろきょろすんなァ」
「い、田舎者だと思われますねッ!」
「田舎者だろォ」
「……そうですけど、」

そうしてしばらくも待たずに私の目の前に出されたのは、水泡をたっぷりと含んだソオダに、浮かぶ真白なアイスクリン。

「クリイムソオダ……」

「飲め」とでも言うように顎をしゃくった鬼狩り様は、ご自身の前に持ってこられた、真っ白なアイスクリンを突ついた。
括れた持ち手に、まぁるいグラス。
入ったソオダが、ぱちぱちしゅわしゅわと音をたてている。
私は口を、あんぐりと開けたくなった。

「……あ、き、……聞いてらしたんですかッ!!」
「聞こえるように言ってたんじゃぁねぇのかィ」
「っち、違いますよぅ!!」

何でもないことのように言った鬼狩り様に、私はどう言えばいいのかもわからなくなった。
わからなくなったものだから、口をやっぱりぷぅ、と膨らました。

手にしたグラスの中で、真っ白なアイスクリンがソオダの中に、溶けて揺れて、混じっていく。


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