小説 | ナノ



それから程なく。集落一帯からは、「鬼狩り様!」と彼を呼ぶための声が消えてしまっていた。



あの日、ヤス子さんは家の前で立ち止まり、その場に籠を置き、私の腕を引っ掴んでは引っ張り歩いた。
奥様を訪ね、震える声で奥様へとことのあらましを伝えるヤス子さんの表情は、ひどく怯えて見えるものであったと思う。

奥様から、今日はここに居るようにとぴしゃりと言われてしまうと、私は里中の家から出ることは叶わない。
どこか不貞腐れながらも無心でよもぎを蒸し、小豆をふかしながら「どうか、奥様がわかってくれますように」とよもぎ餅を拵えていた。

そのうち、奥様の声が私を呼びつけたものだから、私は慌てて奥様とヤス子さんの居る奥間へと向かった。

「暫くは私が行きます。名前はここに居るように、わかったわね」

湯飲みを囲うヤス子さんと奥様の視線が、私へと突き刺さっている。
私は真っ白になった頭で、戸を開けるために添えていた手を膝の上で握った。
これでもか、と握りしめてしまっていたものだから、着物がくしゃ、と皺になっていくのを、どこか遠くのものを見るような心地で見ていた。

コチョウ様の言葉と、奥様やヤス子さんの声がぼんやりとした頭の中で混ざり合っていく。

「鬼狩り様にそのつもりがなくとも、命が危険とわかっているところへと名前をやるわけにはいけないのよ。
あなたのご両親にも、あわせる顔が無くなります」
「そうよ、名前ちゃん、ここでもしなくちゃならないこと、山盛りあるんだから!ね!」
『迎えてくれる人間が居る、と言うのは、恐ろしいものです』

返事をしない俯いたままの私へと、奥様の張り詰めた声が咎めるように飛ばされた。

「名前」
『帰りを待つ人が、あれば良いと』

コチョウ様の、何かを思い出してでもいるかのような表情を、私は時折思い出す。
あんまりにも、寂しそうだったからだ。
あんまりにも、悲しそうであったからだ。

『居て下さる方が、"幸せ"だと思いますよ。不死川さんは。』
「聞きなさい、名前」
『不死川さんはきっと、怖いんですよ』

本当は、コチョウ様の言うことの意味が殆どわかってなど居なかった。
__なにが恐ろしいものか。
私なんて、鬼狩り様の一捻りできっとしんじゃう。
私なんて、奥様のお許しが無ければここから出ることもままならないのに__。
__鬼狩り様に怖いものなんて、有るのだろうか。きっと無いでしょ。
あんなに血だらけで死にかけていたというのに、未だ鬼狩りのために夜ごと駆け回っているというのに__。

『触ンじゃねェ……!!』

鬼狩り様のあの恐ろしい形相が、私の頭の中を埋め尽くしていった。
何が恐ろしいというのか。
何が怖いと言うのか。
どうしてお二人とも、あんなに寂しそうな顔をなさるのか。

例えば__。
例えば、それが。
例えばそれが、誰かのだったり。

そんなことが、有るんだろうか。
あったのだろうか。
そうだとしたら、それは、とても恐ろしく、怖いものだ。

悲しいものだ。

けれど、独りでいるというのも、とても恐ろしく、寂しいものじゃないか。
私はそう、思うのだ。

「お、奥様……あの、私ッ、よもぎ餅を拵えたの……!
あの、……私、私ね、鬼狩り様に……よもぎ餅をお持ちしますねって、約束したの……! 
奥様、私ね、お祭りを一緒に見てくださいませんか、って! 
……今までなんとも無かったの! ……何も……! 
なのに、そんな、……今更で」
「なりません」

奥様の厳しい声が私の言葉を遮り、思わず視線を上げると、ヤス子さんの苦々しい視線が私から、自分の膝元の畳へと移っていく。
奥様の痛いまでの真っ直ぐな眼差しは私を穿ち、私は思わず口を噤んでしまった。

「名前ちゃん、ここは里中さんの言うこと聞いて、……ッあ! そうよ、今度の祭りの支度を一緒にやりましょう! 
藤の花卸しの籠も干さなくちゃいけないし! 沢山あるでしょう?」

パンと音を立てながら手を合わせたヤス子さんは、ね? と私へ向けて一度頷く。
__祭りを終えるその頃は、丁度藤の花が満開になる頃だ。
神様へと祈りを捧げた後、咲き誇る藤の花を摘んでいくのを花卸しと呼び、それがこの地の慣わしとなっていた。
摘んだ花を今度は村へと下ろし、そこで、その技術を受け継いでいる、幾人かの女たちが香袋を作り詰めるのだとか。
そうした行いは、全て鬼狩り様のお役に立つためだと皆は言う__。
勿論、それは確かにこの地に住む私の仕事でもあるし、しなければならないことだ。

けれどそんなことは、私でなくとも出来るではないか。
__鬼狩り様と約束したのは、私だけだ。
鬼狩り様に会いに行っているのも、私だけだ。
鬼狩り様の手当てをお願いされたのも、私じゃないか。
だから、これは私がしなければならないことだと思うのだ。

「奥様ッ、あの、あのね……ッ!」
「名前、なりません」
「お願い、奥様……お願いします……ッ」

膝の前に指を付き、私はこれでもかと頭を下げる。
どこかから息を飲む声がして、奥様はとうとう口を閉ざしてしまった。

「おに、……鬼狩り様は、悪くないのに! ずっと、……あの方、きっと、……ずっとこうして、ひとりになってきたんだと思うの! 
……あの方、ずっと、怖がって・・・・居るんだと、思うのッ! 
ずっと、ずっと……寂しいんじゃ、ないの……? 私以外、鬼狩り様の屋敷に行く人なんて、ずっと見なかったもの……カクシ様だって、ずっと居るわけじゃないでしょ……? だ、だって……」

顔を上げても、奥様ともヤス子さんとも視線が交わらない。
私はそれが、ひどく悲しかった。

「おかしいよ……だって、……だって鬼狩り様、ずっと人を、……私たちを、みんなを助けてくれているのに、……わた、私たちが鬼狩り様を見捨てたら、……私が鬼狩り様を見捨てたら、……鬼狩り様が困ったとき、どうすれば良いの……? 
鬼狩り様が死んじゃいそうなときは、誰が助けるの……? 私が悲しい時はこうして奥様にお話し出来るのに、……鬼狩り様が、悲しいときは、どうすれば良いの……? 
鬼狩り様は、どこで笑えるの……?」
「……なにも、鬼狩り様の居場所はここ・・だけじゃないわ。
鬼狩り様たちはね、鬼狩り様の所属する隊があるのだから、……私達に出来ることは、……これ以上、……何もありません」
「でもッ!!」
「いい加減になさいッ!!」

普段から奥様は手厳しいところがある。
けれど、奥様はきちんと私がわかるようにお話しして下さる。
私に、きちんと説いて下さる。
奥様は、私をただ否定することは無かった。
私はただの奉公人だ。
それなのに、こんなにも良くしてくださるのはきっと奥様くらいだ。
奥様は、慈悲深い人だ。
そんな奥様を、私は尊敬している。
大好きだ。
これは、いけないことだ。そんなことはわかっている。
こんなに聞き分けが悪いのはいけないこと。
奥様を否定することも、言うことをきかないことも、絶対にならないことだ。
そんなことは、わかっている。
わかっているのだ。
誰よりも。
私は震える拳を更に強く握った。

「奥様……」
「名前、しつこいわ。……お茶が冷めたわ。煎れて来てちょうだい」
「……はい、奥様」

私は何度も鼻を啜りながら、廊下を歩き、厨へと着く頃には息もままならないほどにしゃくりあげてしまっていた。

鬼狩り様は私達が眠れるようにと、私達が毎夜安心しきって眠っている間、あんなに血に濡れて駆け回っているのに、私達がそんなことを言ってしまうのは、酷すぎるじゃないッ!!
こんなにもどうしようもないことって、あるだろうか。

鼻から垂れるものを吸い込みながら、噴き出し始めた薬缶の熱湯を急須へと流し入れた。
ひどい、ひどいと心のなかで奥様を罵りながら、お盆を手に奥様たちの待つ居間へと向かう。

「だって……あの子に、……名前になにかあったら、……私はどうすれば良いのよ……ッ! 
あの子、……私を恨むかしら……ッ、憎むのかしら……!」

閉め切った居間の、戸の向こうから聞こえてきてしまった奥様の声が、あんまりにも震えていたものだから、今度は私が言葉に詰まり、何も言えなくなってしまった。
なにも奥様は、いじわるな人などではない。
それは私が一番良く知っているのに。

初めて奥様が鬼狩り様のお屋敷へ向かった日もそうだ。
私が粗相をしたから、と奥様が謝罪へと共に向かって下さった時も、奥様の凛とした背中はずっと私の前にあり、その細い肩を震わせていたのを、私は見ていたのに。
旦那さまから叱られて、一晩中薪を割っていた私へ、夜半にも関わらず握り飯を握って下さったのも、奥様だ。
湯気がたっていたもの。
きっとわざわざ米を炊き、外は寒いから、と「熱いッ」といつものように言いながら、握って下さったのではないだろうか。

奥様は私の事を何よりも考えてくださっているのに。
今度の事だって、奥様が行って下さると言うのだから、そうすればいいじゃない。
お願いします、と任せてしまえばいい。
そうすれば、奥様は私を心配しなくてもいいし、鬼狩り様へお食事は最低でもお世話させてもらえるのだもの。
それで、良いじゃない。

目の前の戸がサッと引かれ、すぐ目の前に立った奥様が、きゅっと苦い顔を作った。

「立ち聞きですか、厭らしい! いけません、と教えたでしょう」
「おくさま、……ごめ、ごめんなさい……わ、私……」

手に持ったお盆が震えているのか、__否__。
目の前が滲み、震えの止まらなくなった私の背を、奥様は幾度も擦り、「泣き止みなさい、情けない」と優しく叱責なさっていた。

□□□■◆

クニ子ばあの手習い帰りに、鬼狩り様の姿を見かけると「鬼狩り様ー! おかえりなさーい!!」と、いつからか手を振っていた童の姿は、今や影も形もなくなった。
鬼狩り様の姿を見かけても、誰もが皆無言で頭を下げ、サッと背を向ける。

そうなったのは、つい一週間ほど前からだ。

鬼狩り様の話しは、奥様がヤス子さんに口止めをしたけれど、後から話しを聞いた旦那様が「皆知るべきことだ」と仰られたものだから、その後集会が開かれたのだ。

里中の家には広い一間の離れがあり、そこを旦那様は集会所として使っている。
だから私はこっそりと入り口脇に背中を預け、時折気になる話は聞いていた。
今回も、それは例外ではなかった。

「里中さん、困りますよ、そりゃァ」
「何かあったら……鬼が来たらどうするんだぃ」
「鬼を呼び寄せるってんだ……恐ろしいじゃねぇか……」
「鬼狩り様は! ずっと俺たちを護って下すってんだ! 滅多なこと言うんじゃねぇ!!」
「それはアンタとこのヤス子さんが助けられたからッてんだろ!! 俺らにまで同じものを求めねぇでくれ!!」
「うちには動けねぇ婆さんやまだちっせぇガキも居るンだ、何かあってからじゃ遅ぇんだ! アンタら責任取れるってのか?!」

皆思い思いに言いたいことばかりを言っていたけれど、「黙れぃ!!」と、普段は静かな旦那様の激昂の一つで、誰一人として何かそれ以上を口に出す人は無かった。


もしかしなくとも、奥様のあの震える声を聞いていなければ、この集落の皆を嫌いになっていたかもしれない。
皆、子供が、親が心底心配なのだ。
誰よりも大切で、まもりたいだけなのだ。
私が奥様や旦那様、鬼狩り様にそう思うように。
みんなが安心して、笑える日々が欲しいだけなのだ。
そう思うと、なんだか私は何も言えなかったし、酷い、だなんて誰にも思うことは出来なかった。


鬼狩り様のお屋敷の直ぐ側へと、荒木のおじさんが暫く前に、それこそ、ヤス子さんが鬼狩り様に助けられてすぐくらいに、設置した物置き。
そこに置かれる野菜やらなんやらが、日に日にその姿を減らしていくのを私は山菜を採りにいく道すがら見ていた。

私とて、奥様の言いつけやなんやを理由に、鬼狩り様の元へ行かないのだから、恩知らずだなんだと、誰のことを悪く言うことも出来ない。
ただ、奥様がお重を持っていき、帰ってくる都度持ち帰ってくる手土産を、私はどんな気持ちで見れば良いのか、とうとうわからなくなっている。

「鬼狩り様、また買ってきてくださったらしくてね、これ、クニ子さんに渡しておいてくれる? 子どもたちで食べられると思うしね。またお礼の手紙を書かなくちゃ……」
「はい、奥様」

そう言って奥様の手から渡される手土産は、毎度、やっぱり童たちが好きそうなキヤラメルやら、チヨコレイト。それから、金平糖やら。

奥様が何度も、貰えるほどのことをしていないと伝えても、外の荒木のおじさんが拵えた物置へと置かれているそうで、「あの物置を無くしちゃえば良いかしら」と、奥様が呟くのを、私はぼぅ、と聞いていた。

***

わっしょいわっしょい
と、神輿が進む音と声を聴きながら、もうもうと湯気を立て、淡く艶光る白米をこれでもかと私は塩をたっぷりとつけて握っていく。
手の中で発熱しているかのように熱を持つそれは、何度握ろうとも慣れることはなさそうだ。
ヤス子さんとクニ子ばあも横でよいせと握り飯を拵え、奥様は米を炊き、お櫃へ移し、を何度も何度も繰り返していた。

握り飯が山を作ったお盆を外へ持ち出すと、丁度神輿を奉納し終えた男達が側の井戸から組み上げた水を頭から被り、身を清めているところであった。

「お握りです」
「お! ありがてぇ!!」
「おーい! 飯だぞぉ!!!」
「っかー! 腹減ってんだよなぁ!」

お盆の上は、そのうち空になっていく。

これを配り終えれば今度は私達女が、これまで無事で居られたお礼と、これからも私達を守ってくださいと祈りをこめ、傘をかぶり、唄を口ずさみながら藤を摘むのだ。

花が視界の一面中を覆う中、奥様に倣い、私も傘を被り首元の紐を括ろうと少し上を見上げたことで、鬼狩り様の屋敷が丁度見えていた。
だからそこに、鬼狩り様が居ることを私は知った。

まるで光を内包しているかのように柔らかに咲く花弁の、一つ一つが折り重なる繊細な藤の窓掛けで、所々を隠される中、鬼狩り様の真っ白な御髪が、天からの光に照らされるさまを見た。
私は、息を忘れたかもしれない。
もしかすると、瞬きを忘れていたのかも知れない。


鬼狩り様は「一緒に見てくださいますか」なんて言う私の戯言を、聞いて下さっていた事を知ってしまった。

鬼狩り様は、私が見ていることに気が付いたのか、
__この距離ではそんなことも無いと思うが、なにせ私から見ても鬼狩り様は、米粒程度にしか見えないのだ。
鬼狩り様が真っ黒な詰め襟という、ここいらでは目立つ格好をしているのが、そのお姿の肩から上が見えていたものだからわかっただけで、背格好の似た女があちらこちらにいる中、私なんて見つけられるはずがないだろうが__
それとも、飽きてしまったのか。
直ぐに屋敷の方へと姿を消してしまった。

それでもとにかく。
鬼狩り様は私と、藤棚のもとに咲き誇る、藤の花を見て下さった上お祭りをも見て下さっていたのだろう。
彼がどういったつもりであれ、鬼狩り様は、彼は、やはりお優しくも、寂しい方だと、私は思ってしまった。

「名前」
「はい、奥様」

奥様の声に私は直ぐに視線を下ろし、鋏と籠を手に、皆と同じように唄を口ずさんだ。

鬼狩り様に聞こえますように、と、いつもよりずっと大きな声で唄を唄った。

□□□■◆

もう、奥様に叱られる、やら、旦那様にどやされるやも、やら。
心配をおかけするかも、やら。
何もかもを考えるのはやめた。

酷く勝手だと思う。

随分と自分本意だと思う。
けれど、私は奥様に心配されているのもそうだけれど、カクシ様にもコチョウ様にも、「彼を見ていて欲しい」だなんて言われているのだ。

みんながみんな、勝手なことばかり言うのだから、もう板挟みなのだから、私が出来ることとしたいことをするしかない。だなんて、おつむの強くない私にはその程度の考えしか浮かばなかった。

約束通り、私はお重いっぱいに餡を山と詰めたよもぎ餅を拵え、抱えて鬼狩り様の帰りを鬼狩り様のお屋敷の前で待った。
昨日の昼のうちから支度を始め、朝一番に「山菜を採りにいきます。夕刻までには戻ります」と置き手紙をして鬼狩り様の屋敷へと向かったのだ。
奥様には後でしっかりと謝りたいと思う。

5月にもなると、そろそろ暖かくなるのが早い。
まだ日も登りきらないうちは寒かったのに、昼前になった今は、少しばかり暑いかもしれない。

待てども暮せども、鬼狩り様は帰ってこない。

もう、日は天辺に昇っていた。
きっと昼飯時になるのだろう。

天辺を過ぎた頃、ぽつぽつと降り始めた雨が、地面を濡らし始めていた。
雲が出てきて、影を作る。
それは必然的に、私の心へも陰を落としていった。

このまま、帰ってこないようなことがあったら、どうすれば良いのだろうか。
鬼狩り様とて、不死身では無いだろうに。
皆が畏れる"鬼"とやらに、やられないとも限らない。
そうしたら、鬼狩り様とはこれっきりなのだ。
鬼狩り様は、皆にそのやさしさも、強さも、きちんと理解されないままに終わってしまうのだ。
鬼狩り様へ、ごめんなさいも言えないままに、これっきりになってしまうのかも知れない。
鬼狩り様は、今、寂しく無いのだろうか。
辛くないだろうか。

ざり、と土を踏みしめる音に、私は膝へと埋めていた顔を持ち上げた。
音のする方へと顔を向けると、そこには見知った姿がある。
幾分か草臥れて見えるが、その顔を厳しくみせる傷に、大きくぐりりと見開かれ、血走った眼。
傷をまるで見せつけるような出で立ちの、鋭利な刃物を体現した姿である、と、私は思う。
そんな恐ろしい彼の姿は、寸分欠けずにそこにある。

「ッ……鬼狩り様っ!」

私は勢いよく立ち上がった。

「鬼狩り様……っ、私……」
「……」

鬼狩り様は何も言ってくださらず、そのまま視線を足元へとずらし、私を通り過ぎる。

「鬼狩り様ッ!!」
「……」
「よ、もぎもち、拵えたんですッ! あの、ね……あのね! よもぎ餅、を……あんこをたっぷりと、入れ……入れて……!」
「……要らねェ。来んなつってんだろォが」

鬼狩り様は門を開け、その身を中に、捩じ込もうと身体を捻った。
その際に、腹回りにまた赤い筋が幾本か有るのを、私は見つけた。
見つけてしまったのだ。

「手当て……! ……あの、手当てだけでも!」
「要らねェ」

閉まりかけの扉に、私はえいやッと手を突っ込んだ。

「いっっったぁあいッ!!」
「ッぶねェだろォ!!! 何考えてんだァ!! 挟んじまったじゃねぇか!! 怪我でもしたらどうすんだ!! アァ?!!」
「……だっ、……だってぇ!!! 鬼狩り様がぁ!!」
「だってもクソもねぇ!!」

扉を外さんばかりの勢いで開き直され、鬼狩り様が私の扉で挟んだ手を握り、まじまじと見てくださっている。
その間も怒声は止まることなく降り注ぎ、鬼狩り様の顔には青筋が浮いていった。

「痕が残ることになっちまったらどうすんだァ!!」
「だって、……おにが、……う、うぅっ……おに、ううっっう、」
「わかんねぇから、泣くか喋るかどっちかにしろォ」
「う、うわぁぁぁぁん!! おにがりさま、っ帰って来ないから、……わた、っ、このまっ……うわぁぁぁあん!!」
「っだぁ!! うるせェッ!!」
「ごめ、なざいぃぃ!!」

ひっくひっくとしゃくりあげたまま、痛みのあまりに取り落とした重箱を広い、風呂敷の中で崩れた重箱をずらし合わせ、ぐずぐずと鼻を啜る。
ふっと頭上に影が差し、そのうち鬼狩り様が目線を合わせながら、手巾を差し出してくださった。
決してまっさら美しい手巾なんかではなかった。
なのに、とてもとてもいとおしいものに見えた。
心臓がぎゅッと絞まり、喉がもっと痛くなる。

「……ずずっ」
「泣くなァ…………はァ」

鬼狩り様は、膝の上に伸ばした手に手巾を持ち、私へと差し出したまま、膝の中に顔を埋めた。
その姿はきっと、さっきの私と変わらないものだろう。
初めてだ。鬼狩り様が怖くないのは。
初めてだ。
こんなに、鬼狩り様に近付けたと思えたのは。

ざぁざぁと降り始めた雨は、とうとう私達をずぶずぶに濡らしていった。
もうこれでもかと濡れしきり、鬼狩り様のふかふかに見えていた頭は、随分とぺしゃんこになっている。
きっと私も二目と見られない姿になっているであろう事はうけあいだ。

でも、もうどうだって良かった。
鬼狩り様に、そんな姿を見せることは、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないのに、鬼狩り様の出した「ふっ」といった具合の、空気の抜けた音が、なんだかこれまでのことを無かった事にしてくれたような。
私を許してくださったような。
そんなような物に、思えてしまったから。

「お前は、本当……どうしようもねぇなァ……」
「うん、そう……そうなんですよぉ、だ、だがら、ね゛、あぎらめで、……手当てぐらい、させてぐだざいよぉ゛……!」
「……びぃびぃ泣いてんじゃねぇよ」
「おに、鬼狩り様ぁ、……」
「……」
「ごめんなさい……う、うぇぇ、……ごめ、んねぇ……っずず、う、うわぁぁん、」
「だから、……泣くな、ってんだァ」

雨か涙かもわからない私の顔を、鬼狩り様は少し黒ずんだ手巾で、ぐい、と拭った。

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