小説 | ナノ



その後、コチョウと名乗った美しい少女が、鬼狩り様の屋敷を訪ね、やって来られた。
私の右足首の様子を見た後、あばらの触診をしてくださる。
動く度にゆらゆらと揺れる蝶の髪飾りが印象的であった。

「はい、良いですよ」
「ありがとうございます……」

はだけた着物を私が直すのを確認した後に、コチョウ様は部屋の襖をサッと開き、明るい声ではっきりと告げた。

「帰ってきたならそんなとこにいないで、こちらに来れば良いじゃないですか、不死川さん」
「……今帰ったァ」

どこか不満気にそう告げながら、鬼狩り様はがしがしと後頭部を掻きむしり、視線を私の転んだままの布団へと下げ、またコチョウ様へと向ける。
そうして腰に引っ下げた刀へと腕を預け、鬼狩り様はその長躯を柱へと押し付けた。

「どうだィ、そいつは」
「どうもこうも、聞いてたんじゃないんですか?」
「……聞いてねェ」

ぷい、と中廊下へと顔を背けてしまった鬼狩り様は、今度は腕を組み上げ、ご自身のつま先へと視線を向けている。

「あ、の……お帰り、なさい」
「……」

恐る恐る、とでも言うように朝の挨拶をすると、私へと鋭い視線を向けた鬼狩り様は、小さな音で舌を打った後、そのまま部屋を後にした。

「……わ、私が……昨日起きられなかったから……気を悪くしているんですねッ……!!」
「よくわかりませんが、違うと思いますよ」

わッ、と声を上げ、口元を手で覆いながら顔を真っ青にした私を振り返る。
にこ、と女の私ですら見惚れるほどの笑顔を見せたコチョウ様は、軽やかな足取りで私の傍へとまた腰を下ろした。

「あの人、照れ屋さんなんですよ」
「そ、そうなんです? 本当に……?」

複雑であった。
鬼狩り様はお優しい。
けれど、つんけんとした態度で、棘のある言葉でそれを隠してしまうのだ。

だからこそ、この集落で鬼狩り様の優しさに直接触れる事が出来る人というのは限られており、私はその優しさに触れる事が出来る数少ない人間であったのだ。
私は鬼狩り様の"特別"で居られているのではないかと、私は、彼の特別なのではないか、と。

けれどこの女性は、コチョウ様はきっとそれ以上に鬼狩り様の特別なのではないだろうか、と。
彼女はずっと、鬼狩り様を支えていたのだろうか。
彼女は私よりずっと、鬼狩り様の事を知っているのだろうか。
彼女は、私よりずっと、鬼狩り様と、共にいたのだろうか。

なんだか、それを思うと胸が痛かった。
私には到底、首を突っ込める事でもないというのに。

「どうかされましたか?」
「……えっ、いえ!」
「……不死川さんはきっと、怖いんですよ」
「こわい……」

ええ、と頷いたコチョウ様は、コチョウ様が煎れて下さった緑茶の入る湯呑を一つ、手に取る。

「私も、きっと同じです」
「……」
「あなたのように、迎えてくれる人間が居る、と言うのは……恐ろしいものです」
「私が……?」

コチョウ様は静かに湯呑を傾け、目元を綻ばせるのみで、私にそれ以上は何も言ってはくれなかった。
わかるようなわからないような。
コチョウ様の差し出して下さった湯呑を受け取りながら、その表面に映る、晴れない表情をかき消すために、私もそれを傾けた。

「私はここに、居ない方がいいんでしょうか」
「いいえ、居て下さる方が、"幸せ"だと思いますよ。不死川さんは。
それに、不死川さん、最近手当をしているのか、包帯がちょこちょこ巻かれているんですよ」
「あッ、ま、間違っていましたか?!」
「いいえ。おかげさまで、傷口が膿んでいるのを見る事は格段に減りましたね。あの人、雑な人でしょう? 傷口が汚いッたらないんですよ」
「……きちんと治療を受けてほしいんですけど」
「本当ですよ。蝶屋敷に寄ってください、と言っているのに、全くもってその気が無いんです」

はァ、と大ぶりなため息を吐きこぼし、コチョウ様は外廊下の向こう側へと広がる庭の方へと視線を向ける。
ちちち、と小鳥の囀りにまぎれ、カラスの声が時たま聞こえる。
時折ごうと荒々しい風が吹き、砂を舞い上げていく。
コチョウ様はまた、手元の湯呑へと視線を落とす。

「帰りを待つ人が、あれば良いと」

私は思っていますよ。と、何かを思い浮かべているかのように、コチョウ様は表情を寛げた。

「ついでですし、不死川さん用の軟膏をあなたに預けておきましょうか、そうしましょう」
「あ、……えッ!」

うろたえる私を他所に、コチョウ様はパチンと両手を合わせ、袖口からごそごそと薬瓶を取り出した。
私の手に薬瓶を握らせ、コチョウ様はにっこりと微笑んだ。
その表情はとても朗らかに見えないこともないが、それ以上に、どこか含みがあるように思う。

「手当てをよろしくお願いしますね。彼、あなたには診てもらっているようですし」
「えッ、そ、そんな!」
「では、そろそろおいとましましょうかね。不死川さんも私がここに居るのは気になるようですし」

立ち上がったコチョウ様は、私に「そのままで結構ですよ」とそのまま転んでいるように、と言外に言いつけた。
お大事に、と言い残したコチョウ様の軽やかな足音は、そのうち消えた。
それでも、いつまでもかかった胸の中の靄は、消えそうにもなかった。

□□□□□

その翌日には、鬼狩り様の背を追い駆ける形で私は里中の家へと帰ることが叶い、当面の間は私を寄越さなくて良い、寄越してくれるな、と鬼狩り様は奥様へとハッキリとそう告げた。
それには奥様も頷く他なく、私は暫くの間、いつもよりも張りのなくなった日常を里中の家で過ごしていた。

それから半月もすると、鈍い痛みと、時折走る小さくも鋭い痛み。それのみを残し、パタパタと走ることができる程度には私も回復している。

そうなると、そろそろ鬼狩り様の元へと何かを持ち寄ることが出来ないだろうか、と考え始める頃合いであった。
鬼狩り様の好きと仰られた、あんこを、よもぎ餅を今度こそきちんと拵えたい。
そう思うと、私の足は納戸へと向いていた。

適当な竹籠を引っ掴み、裏手の荒木のお家を訪ね、大きな声でヤス子さんを呼んだ。

「ヤス子さぁん!」
「はぁい!」

気持ちの良いほどに張られたヤス子さんの声が帰ってくると、ドタバタと、ヤス子さんがこちらへとやってくる音も聞こえてきた。
カラカラと音を立てて開けられた玄関から、ひょこっと顔を出す、ほっかむりを着けたヤス子さんは、もしかすると、今から荒木のおじさんの手伝いに行くのかもしれない。

「今日よもぎを採りに行くの! ヤス子さんも使うかなぁ、って。私、採って来るけど、」

要る? と尋ねると、ヤス子さんはパッと花が開いたようにからからと笑い、ほっかむりを絞め直し、草履へと足を通した。

「ああ! なら私も行くわ! まぁた名前ちゃんが転がってっちゃったら、今度こそ"奥様"がもう家から出してくれなくなっちゃうもんねぇ」
「もうッ! ……あの、本当に、……心配かけてしまいました」
「良いのよぅ! 元気ならね! さ、いつものとこにでも行きましょうか」
「ええ」

ヤス子さんの軽やかな背中を眺めながら、出来るだけ、体を揺らさないように、と私もその背中を追った。

例のごとく山道へと入り込むと、さわさわとした川のせせらぎが奥の方から聞こえてくる。
虫の鳴き声に、鳥の囀り。
草葉の擦れる音に、踏みしめた青葉の香り。

私はスッと息を吸った。
少し奥へと入っていくと、見覚えのない、剥き出しの無骨な木があちらこちらへと打ち込まれていた。
杭だ。

「あれ? こんなところに杭が……」

そのうちの一本へと手を乗せると、よいせ、と籠を下ろしたヤス子さんはあっけらかんと言った。

「あぁ、これね、鬼狩り様だよ。アタシが転んだのもここだってんで、鬼狩り様気にかけて下さってね、」

杭の一本一本が、等間隔に並ぶ向こうには、急斜面がある。
足の長い葉が少しばかり多いから、気が付きにくいが、その向こうは確かに危険なところであった。
まさしく、私の転がり落ちたそこだ。

鬼狩り様が。
私の手のひらの下、打ち込まれた杭の頭をそろそろと撫でた。
表面は、ざらつき、今にも棘でも刺さってしまいそうである。
けれど、これを一本一本、鬼狩り様は打って下さったと言うのだろうか。
ずっと向こう側から打ち込まれ、数十の数は有るであろう杭を、私は向こう側まで目でなぞっていく。

「アタシらも手伝う、って言うんだけどね、"要りません"の一点張り。お優しいんだか、不器用なんだか」
「……本当、そうですよね」
「あの人も何か礼をせにゃ、って言うんだけど、野菜やら何やら、持っていく度に"要りません"って言われて、肩を落としながら帰ってくるんだもんね」

はァ、とため息を漏らすヤス子さんの言った「野菜」には確かに私も覚えがあった。
鬼狩り様が、私を里中のお家まで送って下さったその日、確かに玄関扉を出てすぐのそこへ、野菜が山と積まれているのを私は見ている。

鬼狩り様は、また何か人助けをしてきたのだろうか。
などと考えていたのだが、そうか、あれは荒木のおじさんだったのか。と、今更ながらに合点のいった私の頬は、思わず綻んでいた。

「食べてもらわなきゃだねぇ、」

私は破顔したままにそう言った。
ヤス子さんも身を屈め、地面すれすれに葉を伸ばすよもぎを探しながら、ふふっ、と吐息を漏らす。

「そうそう、絶対に俺のがここいらでは一番美味いんだから、食わせるんだ、って息巻いちまって」
「美味しいですもんねぇ! そうだッ! 今度、私が鬼狩り様にその野菜をたっぷり使って何か拵えるね!」
「そうしたげて。かぶでも煮込んでやりな」
「うん、良いですねぇ……お漬物にもしたいなぁ」

浅漬けねッ、とからからと声を上げるヤス子さんに倣い、私もよもぎへと手を伸ばした。

そろそろ良い量だろうか、と腰を持ち上げると、杭の端も見えないほどの向う側から、ゆら、と揺れるものを見つけた。
大きくなるまで見守っていると、その影かたちは私のよく見知ったものへとかたちを表していく。

「あ、鬼狩り様!」

すぐに私は、手を振った。
それに気が付いたらしいヤス子さんも、大きな声で「鬼狩り様ぁ!!」と呼びかけながら、ぶんぶんと手を振った。

それらには特段反応も見せず、鬼狩り様は静かにこちらへと歩いてやってきた。
とはいえ、鬼狩り様のお屋敷へはここを抜け、脇道をその通りに進むと速いのだから、その通りに進んでいるだけなのであろうことは、恐らくヤス子さんもわかっているのだろう。

直ぐ側までやってきた鬼狩り様の肩へ、ぽんッと手を乗せたヤス子さんは、「あらッ!」と目をくりっと見開いた。
暫くぱちぱちと瞬き、鬼狩り様の腕へと手をのばす。

「怪我してんじゃな、」
「触ンじゃねェ……!!」

鬼狩り様の、地を這うほどの怒号に、ヤス子さんは伸ばしていた手をサッと引っ込め、一歩後ろへとその身を避けた。
私も、突然の鬼狩り様の怒りに、思わずびくっと肩を跳ね上げる。

ヤス子さんが肩へとぽんと手を乗せる事には何も言わなかったのに、鬼狩り様は腕を脇へと反らし、触るな、と言いた気に警戒心の光る目で私達を射抜く。

こうしていると、始めて怪我に触れた日のことを、私は思い出していた。
鬼狩り様は、コチョウ様の言われた通り、手当やらなにやらを酷く嫌がられる。 
痛いのであろうし、そんなものだろう。
そう、思いはするけれど、それでも、違和感がずっと、私の中でぐるぐると渦を巻いている。

「あの、痛くしませんし、……お屋敷で、その、手当てでも……」
「……」

おずおずと言葉を紡ぐ私に視線だけを寄越した鬼狩り様は、適当な布切れにも見えるほどの、ヨゴレの着いた手巾を傷口へと巻き付けた。
それでは、良くないのではないだろうか。
そう思ったものだから、「これで満足か」とでも言いた気な鬼狩り様の目に、私はとうとう口を尖らせた。

「出来るだけ、丁寧にするので、……駄目ですか。……あのッ、私、血なら平気ですよ! 近所にはね、やんちゃなね、そうちゃんって子が居るんです。私、ずっと手当てしていたもんだから、その、……慣れてるんですよ!」

そこまで言い切った私へと向けた顔を、これでもかと顰めた鬼狩り様は、眉をぎゅうと中心まで寄せ、はぁァ、と長い長いため息を吐き捨てる。
仕方がない、とでも言うように、鬼狩り様は刀へと腕を預け、私を静かに見下ろした。

「俺ァ、……稀血だ。鬼の好物だ。聞いた事くらいあんだろォ?」

静かな声であった。

「……ぇ、」
「……」

顔を見合わせた私とヤス子さんの反応に、鋭く舌を一度打ち、鬼狩り様はなおも言葉を続ける。

「てめぇらが鬼狩り様だなんだと、親切に、懇切丁寧に接してる人間はなァ、この村にとっちゃァ厄を持ち込む厄介者ってわけだァ」

ザマぁねぇなァ。
そう、吐き捨てるように言った鬼狩り様のお顔は、光の加減で見えそうにはない。
けれど、きっと先と同じく、出会った頃のように、もしくは始めて叱られたあの日のように、恐ろしい表情を作っているのであろう、という想像は容易だ。
隣で息を呑むヤス子さんの手が、私のたすき掛けをし、余った袖口をギュッと握りしめたのがわかる。

「鬼……狩り、様……」

私の声も、掠れていた。
あまりの圧に、気圧された。
恐ろしかった。
怖かったのだ。

「わかったらもう、世話も手当ても必要ねェ。
面倒があったら億劫だから黙ってたが、今の状況のが面倒だ。もう、寄ってくんじゃねぇぞォ」

私たちの前から立ち去る鬼狩り様の背中は、いつもよりもずっと小さく見える。
なんだか、酷く淋し気に見える。
そうではないのかも知れない。
本当に、ただ、煩わしいのかも知れない。
ちろ、と横を見たときに見えたヤス子さんの不安気な顔に、胸が喧しく騒いでいた。

あん人・・・、鬼を呼ぶ、言う事__?」
「や、ヤス子さんッ……!!」

真っ青な空の下、叫ぶようにヤス子さんを咎めた私の声が、木々の間で厭な程に響いていた。

私は、鬼狩り様が優しいことを知っている。
鬼狩り様は、散々と世話になってしまった私に、迷惑だと苦言を漏らすことは無かった。
着物を何も言わずに貸してくださった。
温かい食事を、ともに食べてくださった。
私に、握り飯を拵えて下さった。

私は、鬼狩り様がちゃんと優しい方であることを、知っているのに。

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