小説 | ナノ



きっちりと三日三晩、熱に浮かされきった私は、四日目に漸くはっきりとした意識を取り戻していた。

燦燦と降り注ぐ日差しが外廊下に面した障子襖を通し、畳張りの室内へと降り注いでいる。
文卓とこの敷かれている布団以外には何一つとして物の置かれていない一室で、未だずきんずきんと唸りを上げるあばらを庇いながら私は身を起こし上げた。

「目、覚めたのかァ」

きゅ、と床が鳴くのと同時、外廊下から、まだ閉め切られている障子戸越しにかけられた声は、まごうことなく鬼狩り様のものである。

「……ぁ、の、」

随分とかすれた声が喉から出たもので、私は思わず口元を抑えていた。

「入んぞォ」と、問答無用とでも言うように、凛とした鬼狩り様の声がかかり、
「ぁ、ぁ、でも、」ともごもごとやっているうちにスッと障子戸が開かれ、眩いほどの明かりが目の奥まで意気揚々と差し込んだ。

暫く寝込み続け、薄ぼんやりとした光ばかりを受けていた目がきゅっと熱を持つ。
思わず強く瞑った眼を庇うように顔を手で覆った。

「悪ィなァ」

フッと風の揺れる音が耳に入る。
あぁ、きっと笑われた。
薄っすらと目を開いていくと、鬼狩り様は静かな出で立ちでそこに立っている。
先の音は勘違いだったのだろうか。きっと勘違いだったのだろう。そう当たりをつけ、鬼狩り様の動きを視線で追った。

「飲め」

と、身を屈めた鬼狩り様に差し出された湯呑みには、並々と湯気の立つ緑茶が入っている。

「……ありがとうございます」

腕を伸ばしながら出した声は酷く擦れており、不格好なものであった。
また、フッと息を吹き出す音がした。
思わず鬼狩り様の顔に視線を向けるが、表情に変わりはない。しかつめらしい顔が静かにそこにあるだけである。
湯呑みを受け取り、それに口を幾度か付けたところで鬼狩り様はまた静かに告げる。

「飯は」
「あ、作れます!!」

腹回りにまでかかっていた布団を捲り上げ、布団から出ようと動き始めた私に、鬼狩り様はサッと手のひらを私へと見せつけるかのように出し、「違ェ」と呟くように言った。

「そうじゃねぇ、食えるかァ」
「あ、く、食え……食えますッ!……ァッ!違っ、!」

うんうんと頷きながら勢いよく答えたが、勢いに任せすぎたためであろう、男児のような口調を使ってしまった事で、また私は顔を隠す羽目になる。
「食べられます!!」と言い直したところで、また空気の抜ける音が聞こえたが、今度こそ、私は顔を覆う指の隙間から、鬼狩り様の口端が緩く上がっているのを見た。

「ん」
「わらっ……」
「てねェ」
「……笑いましたよね」
「ねェ」

頑として譲っては下さる気の無いらしい鬼狩り様に、私の口元はぷぅと膨れるが、「そうですか」とだけ返そうとしたところで、また空気の抜けた音がした。

「……わ、らってるじゃないですか!!」
「笑われたくなかったらそのガキみてぇな面ァやめろォ!!!」
「ひっ、どぉい!!!」

あんまりな言い草に、顔が一気にカッと熱くなる。
鬼狩り様は鬼狩り様で、そのこめかみや首筋に血管を浮かび上げ、怒りからか、その頬を真っ赤に染め上げている。
思わず握りしめた拳を振り下ろそうとしたけれど、拳を小さく持ち上げたあたりで、また一気に体中に雷が走り抜けた。


「……ッたぁあい!!!」
「おとなしくしてろォ」

まったく、とあきれたようにため息を吐き捨てた鬼狩り様は、静かに立ち上がり、隣の一室へと繋がる障子をサッと開け放ち、ガサゴソと何かしらをしておられる。

痛みも暫く落ち着きを見せたところで、私は蛞蝓のように這いずりながら布団から抜け出し、のそのそと布団を畳む。

「ぁ、あのッ、布団、ごめんなさい」

少し張り上げた声に、「構わねぇよ」と返して下さった鬼狩り様がこの部屋に戻ってくる頃には、手元に着物が握られていた。

「飯食ったら今後の説明をする」
「あ、……はい」
「飯はまだかかっから湯あみでもしてろォ」
「……湯、頂いても良いのですか」
「そう言ってんだろォ、着物は俺のしかねェが、ほとんど着てねェ。嫌ならまた誰かに持ってきて貰ェ」
「ぁ、……お借りします……」

鬼狩り様の手に大人しく乗る薄浅黄の着流しを受け取った。

「……」
「あ、あの!……ありがとうございます……」

着物を抱えたまま頭を下げた矢先に走った稲妻のような痛みに、私はまた無言で歯を食いしばり、悶絶することとなったのだけれど、今回ばかりは鬼狩り様も笑ってすら下さらなかった。
いっそ自分の頬をぴしゃりとひっぱたいてやりたくなった。

□□□□■

私のためであろうか。
鬼狩り様の屋敷の湯殿に赴くと、まだ朝方であろうにも関わらず、なみなみと湯気の立つ湯が沸いている。
私は素っ裸のまま、茫然と立ち尽くした。
一体全体、これは誰が用意したのだというのであろうか。
今日、カクシ様の姿は見ていない。足音も、話し声も聞いてはいない。
もしかすると、日もまだ浅いうちだ。朝方なのであろう。ヤス子さんの大きな声も、奥様の張りのある通る声も無い。
つまり、これはもしかせずとも、鬼狩り様の手づから用意くださったものではないのだろうか。
私は思わず顔を抑えた。

とは言え、そんな事をしていても時間がたつばかりだ。ここは一刻も早く湯を終え、早々に礼をするのが良いのであろう。
私はひとしきり頷き、湯桶でざっと湯を掬い上げ、悶絶した。

「いッ、……だぁあい!!!」

途端にどたどたと大袈裟な足音が近付き、すぱぁンと湯殿の扉が開かれた。

「オイ! どうしたァ!!」

鬼狩り様のけたたましい声が、それと同時に湯殿に大きく響き渡る。

「だ、だめッ!駄目です!!」
「……悪ィ」

鬼狩り様はぎょっとした顔で身を一歩引き、私は大仰にも身を強張らせた。
鬼狩り様のくり、とした目が私の頭のてっぺんから足元へと一度往復したところで、すすす、と静かに湯殿の扉は閉まり、その向こう側から鬼狩り様の静かな声がやってきた。

「……気を付けろよォ。……その、なんだァ、……何かあったら呼べェ」

一気に頭の先、髪の一本まで逆立つのではないだろうか、と言う程にぞわ、としたものが体中を駆け、打撲やら骨の痛みとは違う、つまり、羞恥の痛みが体の中を放射状に勢いよく巡った。

「きゃぁああ!」

大きな声で叫んでしまったのは、今ばかりは見逃してほしい。
奥様にも、きっと説明すればわかっていただける、と今ばかりは思ったのだ。

***

「あの、ごめんなさい、その、そのうち慣れる、と思います……まだ、体の使い方が……その、」

丈やら何やらがどうにも合わず、どうやっても不格好になってしまう鬼狩り様の着物をのろのろと着付け、厨に立っている鬼狩り様に頭を下げる。

「そうかィ」と、こちらを一瞥もして下さらない鬼狩り様に「ぐぅ、」と唸りそうになるけれど、仮に視線が合ったところで、どう反応すれば良いのかすらわかりはしないのだから、それで良いのかもしれないが、矢張りどこかほの寂しくなる。

「あ、あのぅ、……いただいてしまって……その、ありがとうございます……」

今度はほんの少しだけ頭を下げる。

「飯、じきできる」鬼狩り様は静かに言った。
「あの、何か……せめてお手伝いを……」

と言い募っては見たが、それも「いや、要らねェ」と一蹴されてしまうと、「はい……」としか言えない。

「部屋で休んでろ……あの部屋をまた使えェ」
「……あの、すみません……」

そう私を見ずに告げる鬼狩り様に私は一つ頷き、厨を後にした。

***

外廊下に差し込む日が先ほどよりもずっと高くなっている。
貸し与えていただいている部屋の障子戸を開き、空気を入れ替え始めてすぐであろうか。
廊下の向こう、中庭へ向けて足を垂らしながら腰を下ろしていると、頭上から「ん」と、鬼狩り様の声がした。

鬼狩り様の手には箱膳があった。
上に乗ったつやのあるご飯にお汁物。魚の塩焼きに、煮物の山と入った小鉢までついている。
そのほとんどが湯気を立たせ、「美味しいよ」と私に話しかけてくるようであった。

「わ……!!美味しそう……!!!」

はやく部屋に入れ、とでも言うように顎をしゃくる鬼狩り様に、恐れ多いだろうか、とも思いながらも私は声をかける。

「あの、一緒に……食べても、良いですか……」
「……好きにしろ」
「え、と……なら、一緒に食べたい、です……」
「……」

鬼狩り様は、お膳を持ったまま引き返す。
私はその後を、出来るだけ粗相のないように、それからできる限り体を揺らさないように追いかけた。


鬼狩り様の持ってきてくださったものと同じようなお食事の乗った、箱膳が既にある。
恐らくそれが、鬼狩り様の召し上がるものなのであろう。
ぱち、と手を合わせ、「いただきます」と告げながら、私の正面に腰を下ろした鬼狩り様をこっそりと伺うと、私と同じように手を合わせる姿がそこにはあった。

「……す」

はっきりとした音こそ私の方まで届く事はなかったけれど、鬼狩り様は静かに箸を取った。

「ん……」

ず、とお味噌汁に口をつけると、思わず声が漏れ出る。
しょっぱい。
劇的に辛い、と言う程では確かに無いのだが、舌にまで少し塩味が強く残るほどであった。

「……こっちは里中さんの手作りだァ、こっち食えェ」

私が思っていることが伝わってしまったのか、鬼狩り様は小鉢に指を差し向ける。
言外にお味噌汁は食べなくていい、と言われているように感じてしまうけれど、私はお味噌汁に視線を落とした。
大ぶりに刻まれた野菜には見覚えがある。
この時期になると、荒木のおじさんがいつも持ってきてくださるものと同じだ。かぶに、ゴボウ。それから玉ねぎ。
ざっくばらんに刻まれたそれらが、汁の中を揺蕩っている。

「これ、拵えて下さったんですよね……嬉しいです」

口元が緩んでいく。
頬は、ずっと熱いままだ。
鬼狩り様は、やっぱりずっとずっと優しい。
顔を上げると、ぱちくりとした目の鬼狩り様と視線が絡まった。
ずっと、胸がきゅぅきゅぅとしまっている。

「美味しいですね」

私がそう言うと、鬼狩り様はお汁を音を立て啜りながら、フン、と鼻を鳴らす。

「……辛ぇんだろ」
「少しだけ。でも、温かいお汁は良いですねぇ。こう、心も全部あったまります」

ね? と笑う私から視線を逸らした鬼狩り様は、サッサと箸を口へと運んでいる。

「美味しいですね、鬼狩り様」
「辛ェ」

そう呟いた鬼狩り様はお汁をご飯の上に流しかけ、サッと口の中へとかき込んでいった。
早々に食事を終えたらしい鬼狩り様は、ガリガリと頭をひっかき、胡坐の上に肘をつく。
そのまま腕に頬を預け、部屋の奥。ずっと奥まで開いた部屋続きの襖の向こう側へと視線を送っている。
きっと、何を見ているわけでも無いんだろうに。

「また、一緒に食べても良いですか」
「……良かねェ」
「そうですか……」

期待に膨らんでいた私の心はみるみる萎んでいき、そのうち口元がぷぅと膨らんだ。
そうすると、鬼狩り様は私を盗み見ていたらしく、とうとう「ブフッ、」とそれなりに盛大な音を立てて笑い始めた。

「おま……ん、ハ……顔に出過ぎだろォ……」

くく、と堪えきれなかった笑いを、抑え込もうとしているのか、鬼狩り様はとうとう顔を肘をついたその手で隠してしまった。
箸でつまんだ人参を取り落とし、慌てて摘み直してはまた落とす。
その流れのまま自然と私の視線は箸の先へと向いた。
顔から火を噴きそうだ。
沸騰中の薬缶のように、しゅうしゅうと音を立て、沸き立ちそうだ。
ぶんぶんと首を横に振り、私は煮物を一つ頬張った。

「あの、これ、私も得意なんですよ!次は私が拵えますね!……奥様にも、……っだ!!いっ、た……! ひぇえ……」

身を乗り出す程の勢いで捲し立てると、漸く落ち着いたらしい鬼狩り様は、また頬杖をついたまま、私から視線を逸らす。

「折れてるってよォ」

鬼狩り様の静かな言葉に、私も静かに頷き、今度は魚を一くち頬張った。

「はい」
「一月はかかるそうだ」
「……はい」
「半月ほどで痛みはマシになるらしい。明日頃、また胡蝶が来る。診て貰ったらその後お前を家まで送ってやる」
「…………はい」
「聞いときてェ事は、他にあるかァ」
「いえ、……その、すみません……ご迷惑を……」
「そう思うならもう来んなァ」

興味が無いとでも言いた気に、つっけんどんに鬼狩り様の口から放たれる言葉たちは、冷たく感じてもいいほどのものであるはずなのに、私は、鬼狩り様が私のためにと温かい湯を用意してくださっていたのを知っている。
一緒に食事をして下さることを知っている。
着物を貸して下さるために、出してくださった事も、ご自身のお布団を貸してくださっている事も、知っている。
お味噌汁を拵えて下さった事も、温かい米を炊いてくださった事も、心配して、湯殿に飛び込んで下さる程に、私に気を回してくださっていることも。
それから、よもぎ。
カクシ様の持ってくださったよもぎ粥。
鬼狩り様手づから採って来てくださったと、聞いた。
それから、あのとき。
私の瞼にかかる、ガサガサとした手のひら。
そのぬくもりを、私は知っている。

「……オイ」

返事をしない私に痺れを切らしたのか、鬼狩り様は頬杖をつくのをやめ、私を見据えた。
丁度食事を終え、箸をおいた私は「ご馳走さまでした」と挨拶をした後に、鬼狩り様と視線を絡ませた。

また、湯気が出る。と、思った。
ひどく熱い。

「気を付けるから、……また、来てもいいですか」

私の言葉にため息を吐いた鬼狩り様は、とっとと立ち上がり、箱膳を私のぶんまで持ち上げ、部屋を出ていってしまった。
私も追い駆けるために立ち上がろうとしたところで、「勝手にしろォ」と呟くように言った鬼狩り様の言葉が、するすると、私の気持ちを絡め取り、天へと昇って行った、と思う。
それ程に、私は舞い上がってしまった。

慌て追いかけ、鬼狩り様の背中へと感謝の言葉を告げようと立ち上がったところで、また体中に電撃が走り抜けていた。

「ありが、ッ……だ、!!」
「もう寝てろ」

鬼狩り様の今日一番に冷たい言葉はきっとそれであったと思う。

***

のろのろと立ち上がり、なんとか厨まで出向いた頃には、鬼狩り様が食器を洗い始めた頃であった。

「あ、あのっ!やりま……ごめんなさい、」
「ア?」

てきぱきと要領よくこなす、隆起した筋肉すら見えてきそうなほどの逞しい背中を見ていると、何だか「やります」とも言えそうにはない。
せめて、と私は手持ち無沙汰になってしまった手元を捏ね回しながら、その背中へと向け、呟くように言う。

「次、何時頃に起きられますか?……せめて、食事の用意を……」
「要らねェ」
「でも、そのッ……世話になりっぱなしなのは……」

また飛び出てくる唇を仕舞う隙もなく、振り返った鬼狩り様と視線がかち合った。
鬼狩り様は直ぐに視線を手元へと戻し、カチャカチャと音を立てて食器を擦っていく。

「……昼八ツ頃」

どれほどした頃か。
そう、鬼狩り様の口から言葉がまろび出た事に、私の頬はきゅう、とつっぱり、私は大きく頭を下げた。

「あ、あのッ!ありがとうございま、すッ!……いッたぁあい!!!」

とっとと向こうへ行けェ!!と、鬼狩り様にぴしゃりと言われ、すごすごとお借りしている部屋へと戻ると、また吐き気やら寒気が一気に訪れ、私は意識を失うように眠り落ちた。
また熱がぶり返したのかもしれない。

そのうちカラスの声が直ぐ側までやってきていた。
カァカァと、大きな音が近くで轟き、そのうち失せていく。
ようやっと目を覚ました私は、部屋の隅の方に置かれた箱膳に、ガクリと項垂れることになった。

「お、起きられなかった……」

私が握るよりも、奥様が握るよりも大振りな握り飯は、それこそ味付けも大振りであった。
表面は少し乾いて、かぴかぴになってしまっているし、米粒は潰れている。
その上、しょっぱい。辛いのだ。

それでも、これをわざわざ拵えて下さったのが誰なのか。
きっと、__。
それを想像すると、全身が酷く熱かった。

「……おいしい……」

米粒の潰れた大味のしょっぱい握り飯はいっとう美味しく、私の咀嚼はもう暫く、止まりそうにはなかった。

次へ
戻る
目次

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -