小説 | ナノ



まるで長湯をして逆上せてしまったかのように、頭の中がぐわんぐわんと渦を巻いている。
鬼狩り様の背に揺さぶられながら、私は夢を見ていた。
いや、それには語弊がありそうだ。言葉を変えよう。
夢とも現ともわからない、丁度その真中あたりで、鬼狩り様の背中から美しく色付く藤棚を見ていた。

鬼狩り様の真白の髪が、私の視界の端にあり、柔らかな淡い藤色が視界一杯に広がっているのを、優しく揺れる背中の後ろで感じている。

「おにがりさま……」
「ん」
「藤が、……きれい、です、よ」
「……そうかィ」

鬼狩り様の声が小さな振動となり、私の頬へと、胸の中へと入ってきていた。

「見ましたか」
「……今なァ」
「綺麗でしょう」
「見事なモンだなァ」

鬼狩り様の声は、ついこの間よりもずっと柔らかで、丸みを帯びている。そんなように感じた。

私は薄ぼんやりとした意識の中、瞼の裏に薄明かりを感じながら、鬼狩り様のもたらす小さな振動を、ただただ全身で受け取っていた。

***

丁度、瞼の裏が暗くなったものだから、あぁ、家に着いたのね、とどこか意識の遠くの方で思っていた。

「オイ」と鬼狩り様が私を呼ぶような声がしたものだから、私は返事をしなくちゃ、と何度か瞬いたのだけれど、いまいち頭がしゃんとしてはくれない。

「はい、……だいじょうぶ、です。いま、お茶を……煎れ、ましょうね、」
「そうじゃねぇ、このまま座れるか?」

鬼狩り様は、框あたりで私を下ろしてくださったらしく、今度は正面から私にそう問うてくる。

「ええ、大丈、夫……だい、……ええ、大丈夫です」
「ならそのまま座ってろォ。いいか?このまま帯を解く」

「良いな?」と告げながら、私の顔を覗き込むためにか、三和土へとしゃがみ込み、首を傾げる鬼狩り様に、私は静かに頷いた。
解くぞ、と一声を添えられてから、鬼狩り様の手によって私の帯が解かれていく。
パタパタと帯の落ちる音と一緒に、腹回りの圧迫感が一気に薄れ、大きく息を吐くと、それだけで胸の下あたりが、ずきんずきんと熱を持って痛んだ。

「ん゛、ぅ、」
「痛ぇか」
「いたい……です、」

思わず、脇に添えられている鬼狩り様の腕を掴んでしまったけれど、鬼狩り様はそれにも何も言わず、ただサッと帯を解き切り、今度は私の膝裏やら肩へと腕を差し込み、抱きかかえた。
そうして少しばかり歩を進めると表れた、障子襖に仕切られた一室。
そこに敷かれた布団の上へと、まるで壊れ物を扱うかのような繊細な手つきで私を下ろした。

「お布団、が、駄目になっ、ちゃう、ん、です、よ……私、きっと、汚れて……」
「良い、気にすんな。そのまま寝ちまえ」
「……ま、て……あの、わたし、よもぎ……」
「起きたらなァ」

私のおでこの形を確認しているかのように、柔らかな手つきで、鬼狩り様の手が幾度も私の瞼を下ろしていく。
そのうち、鬼狩り様のがさがさとした手のひらに点在する硬いものが顔に触れるのを、私は幾度も感じながらも、ゆらゆらと揺れるあやふやなままの意識の奥へと沈んでいった。

***

あまりにはっきりとしない、不明瞭な頭と視界の中、どこか遠くに鬼狩り様の声を聞いた。
なにやら人と話しておられるようで、落ち着いた、けれど女性特有の高い音が、同じように響いていた。
ゆっくりと頭を声の方へと傾けると、枕の膨らみの向こう側。
鬼狩り様の、真っ白な羽織の背中が小刻みに揺れていた。
きっと、お話しをされているからなんだろう。
けれどどうしてここに鬼狩り様が居るのだろうか。
どうしてここに、彼を訪ねやってくる方がおられるのだろうか。
ここは、里中のお家ではなかったかしら。
ぼう、とした靄に遮られた頭の中では、碌な事も考えられそうには無かった。

「あら、起きたんですか?」

鬼狩り様の向こう側からやってきた朗らかな声は、奥様のそれよりも、もう幾分か柔く、静かなものである。

「お、くさま……」
「おや、……まだ意識は虚ろですね、とにかく安静にさせてあげて下さいね、いいですね、不死川さん」
「何もさせやしねェよ」
「まぁ、そうでしょうけど。では私はこれで」
「世話ぁかけたな」

だんだんと遠くなっていく会話はそのうち途切れていった。


次に目を開いた時には、見覚えのある淡色に菖蒲の入った小袖が目に飛び込んできており、そのうち嗅ぎなれた香の香りが鼻の奥へとやってくる。

「……おくさま」

囁くような、吐息のような音が出た。
けれど、奥様らしき影は、それに気がついてくださったらしく、私の顔を覗き込んだ。
やはり、奥様であった。

「ええ、名前……調子はどう?」
「すみませ、……わたし、どんくさく、て」
「良いのよ、無事ならそれで良いの」

そう、柔らかく笑って下さる奥様に、私は頷こうとしてまた顔をしかめる羽目になった。

「ん゛んぅっ、……ぁ、……とても、あちらこちらが……痛、いんです」
「ええ、鬼狩り様がね、お医者様に診せて下すったからね、もう暫く熱が出るんですって。しっかり熱出して、さっさと治してちょうだいね」
「はい、……奥様」
「明日はヤス子さん来てくれるそうだから、こちらにもう少し御厄介になって、治したらまたお礼に来ましょうね」
「……やっかい、」
「ええ、もう気にせずもう一度眠っておきなさい」
「……ん、はい……」
「あ、そうそう。お水でも飲む、……あら」

眠っちゃったわね、とつぶやく音を、私はまた意識の端の方で聞いた気がしていた。

***

「起きてますか」

そうかけられた声とともに、額の上に乗せられた濡れ手ぬぐいの重みが消える。
あんまりにも喉が痛み、「……のど、が……」と、呟いていた気がする。
ゆっくりとあまりにも重すぎる瞼を持ち上げると、その向こうには、優しく目元をしならせた、カクシ様がいた。
言いたいことは、たくさんあったのだ。
ここはどこですか、だとか。
鬼狩り様はお疲れではなかったですか、だとか。
カクシ様はお仕事ございませんか、ご迷惑おかけしてしまってごめんなさい、だとか。
けれど「よぅく眠っておいででしたから。さ、お水でもどうぞ」と、優しく水差しを傾けて下さる、私の背中へと手を当て、支えてくださるカクシ様に甘え、水差しから水をすすった。

「ん、……あり、が……」
「いいえ、さ、ほら、横へ」
「ん、……」
「お食事を用意しますのでね」

そう囁くように私へと声をかけた後に、さっさと部屋を出たカクシ様の背中を視界から追い出してしまうかのように私は瞼を下ろした。

一体それからどれ程経ったかはわからないけれど、そのうち陶器同士のぶつかる、カチャカチャとした音に目を覚ます。

「……おや、起こしましたか」なんて言いながら、土鍋から茶碗へと、粥を移したカクシ様は、また目元を寛げた。

「よもぎ……」私は呟いた。
「ええ、風柱様が、よもぎを持ってきてくださったので、拵えてみました。ささ、起きられますか」
「ん、ん゛ぅ、」

また、カクシ様の手を借り、そぅ、と体を起こすと、カクシ様が私へと湯気の立つ茶碗を差し出してくださった。
茶碗へとなみなみと注がれた粥の中には、やはり、刻まれたよもぎが入っている。

「あばらも折れているようです。暫くは痛みますよ」
「あ、ばら……」

繰り返すように呟いく私へと向け、カクシ様はこく、と一度頷いた。

「ええ。早く治して風柱様に元気な姿を見せてあげましょうね」
「……は、い」
「さ、どうぞ」
「ん、」

ほかほかとした粥を、出来得る限りの小さな動作で口へと運んだ。
青々とした香りが鼻を抜けていき、そのうち米の甘みが口いっぱいへと広がった。
ただでさえ熱い身体が、さらにカッカと熱を持っていくのをたしかに感じる。
丸々一杯、茶碗の中を平らげると、今度は気持ちが悪くなってきた。
鬼狩り様が持ってきてくださった、というよもぎ。
それを残してしまうのは心残りであるが、無理に食したところで戻してしまいそうだ。今、一体何時であろうか。
昼時なのであれば、夕飯に残りを貰いたい。
私は恐る恐る口を開いた。

「カクシ様。どうもありがとう」
「いいえ、さ、お休みください」
「ん、……あの、残りを、また、後で貰っても、……」
「ええ、そうしましょうね」

また、優しく微笑んで下さっているのを感じられるほどに目元を細めたカクシ様は、私の額を撫でつけ、絞り直して下さった手ぬぐいをそぅ、と置いてくださった。


額に冷たいものが触れ、その心地よさに、思わず額の上に乗せられたものへと手を添えた。
ゴツゴツとしたそれが、手だと気がつく頃には私の手は布団の中へとしまい直されている。
額の上からその心地よさが無くなり、あまりにも心寂しく感じたものだから、目を開けた。
不満でも言おうとしたのか、はたまた一体誰であったかを確認したかったのか。

丁度、薄ぼんやりとした日が室内へと入ってきており、その手の持ち主を判別できるほどにはほの明るさを取り入れていた。

「……おに、がりさま、」

私の呟くような声をかき消すように、ぺし、と額に絞り直された濡れ手ぬぐいが乗る。

「寝ちまえ」
「ん、で、も……も、たいない、」
「何がだァ」
「せ、かく……おにがりさま……も、たいない」

私の拙い呟きに「治したらな」と、応えた鬼狩り様は「また飯持ってきてやらァ」と、立ち上がり、さっさと部屋を出ていってしまった。

寝たふりをしていれば、狸寝入りでもしていれば、もう少し居てくださっただろうか。
勿体ないことをしてしまった。
あぁ、でも、これ以上迷惑をかけるだなんて出来ない。
それにしても、随分と不思議。
どうしてここに鬼狩り様もカクシ様も居られたのかしら。
奥様の声も、旦那様の声もない。
もしかすると、病院なのかしら。
ともすると、これは夢なんだろうか。
それなら、やっぱり勿体ないことをしてしまった。
もっと、もっともっと、鬼狩り様の手を感じていたかった。
額に感じた、ガサガサとした手のひらが、少しばかりひんやりとしていたから、水でも触った後なのかもしれない。
私の指先が触れた角張った男らしい手が、とても勇ましく、屈強さを感じさせるもので、鬼狩り様らしい・・・と思ったものだ。
本当に触れられたら、どんななのだろう。
同じように、勇ましいのだろうか。
少しばかり、ひんやりとしているのだろうか。


「……ぅ、」

掠れた音とともに目が覚めると、直ぐ側に木製の盆に乗せられ、置いてあるのは、カクシ様が夢の中で持ってきてくださった小さな土鍋と同じものであった。
私は恐る恐る、まるで蛞蝓が這うほどの速度でもって体を起こし、盆をずるりと手繰り寄せる。
土鍋の蓋を開けると、冷めてしまったらしいが、よもぎや、菜の花、ふきのとうやら。山菜がたくさん入ったお雑炊が入っている。
丁寧にも、添えてくださっていた散蓮華に、お椀。

先と同じように、亀が歩くほどの勢いでもってお椀へと装い、ぱくりと食べた。

「……おいひ、ぃ」

ひとくち、ふたくち、と口へ運び入れ、ふと辺りを見渡した。

「……里中のお家じゃない……」

そうして、見覚えのあるこの一室は、私のものではない。
まして、奥様のものでも、旦那様のものでもない。
にもかかわらず、なぜ見覚えがあるのか。
どうして、見覚えがあるのか。
訪れたことがあるからだ。
幾度も訪れているからだ。
思わず私は手元から散蓮華を取り落とす。

「鬼狩り様の、……」

そうして視線を落としていくと、そのうち布団も、鬼狩り様のものだと気が付く。
何度か、干したものなのだ。
私が。

「……ッ、」

思わず息を呑み、サッと、先程までとは遥か、比較にならないほどの速さでお椀をお盆へと押し付けた。
恐る恐る布団から這い出し、全容を確認しようとからだを捻ったところで、私の上にイカヅチが落ちたのだと、思った。
びりびりとした、あまりにも鋭い痛みに、呼吸が引き攣るほどの衝撃が走ったのだ。

「い、いッだぁあい!!!」

ぎゃんと叫び声を上げた私の元へとドタドタとやってきてくれたのは、「名前ちゃん!?どないしたの!!?」と叫び、障子襖をすぱぁンと開け放ったヤス子さんであった。

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