小説 | ナノ



「鬼狩り様ぁ!!」

ぶんぶんと音の立ちそうなほどに私は右手を振り回す。
左側にずしっとした重箱の重みを感じながら、鬼狩り様のお屋敷までの道のりを歩いているさなかであった。
ひと仕事終えたばかりであったらしい鬼狩り様は、背中に朝日を背負い、億劫そうに首をぐりぐりと回し歩いているところであり、腕を振り回すように振った私を見てから、「うげ」とでも言うように顔を顰めなさった。

「おはようございます、鬼狩り様!」
「……」

砂利を草履の裏で踏みしめ、鬼狩り様は視線も寄越さずに小さな音で「オウ」とだけ返した。

「今日は晴れましたね!昨夜は酷い雨だったので、鬼狩り様もすごく濡れてしまわれたんじゃないかと心配していたんですけれど、……でも、しっとりはしておられますね」

じ、と鬼狩り様の姿を見ると、真っ白な上着は薄く詰め襟を透けさせており、髪も心なしか大人しくその身を落ち着けている。暫く前にはじっとりと濡れたのであろうと理解するのは容易であった。
私が鬼狩り様を眺めているのを一瞥した後に、光の透ける白い睫毛をばさっと下ろし、鬼狩り様は息を吐き捨てる。

「そりゃァ、降れば濡れんだろォ」
「そうですね。……傘、は……持っておられなかったんですねぇ」

少し歩調を速めた鬼狩り様は、私の左前側へと体を滑り込ませながら「邪魔なだけだろが」と呟くように言った。
水溜りを避けるためであろうが、少しだけ大きく足を開いた鬼狩り様の通った後は、私が通ることになるはずであった場所だ。

私は、斜め前で揺れる真っ白な髪へと視線を滑らせる。
鬼狩り様は、何も語らない。
私へ向けて、何かを語ることもなければ、聞いてくるようなこともない。
言葉は冷たいものが多い上に、会話も続ける気が無いと態度で示されている。
けれどこうして、息をするように優しさを私へと向ける。
誰にでもこうなのだろう。想像せずとも、判りきっている。
わかっている。そんなことは。
わかっているのに、ざわざわとする。

関わりたくないとでも言うように、煩わしいのだと態度では示すくせに、そんなように言うのに、鬼狩り様は皆をよく見ている。
鬼狩り様を「好かない」と言っていたヤス子さんがどこの誰であるのか、鬼狩り様は知っておられた。
迷いなく、荒木のおじさんの家まで辿り着いていたもの。
私へのお礼にと、空の重箱のそばへ置いてある土産物は、いつからかキャラメルやチョコレイトへと姿を変えた。
私が「皆と一緒に頂いています」だのと言ってからだ。

ざわざわ、する。

一度きつく目を瞑ってから、私はまた一歩を踏み出した。

何も話さない鬼狩り様の顔をそっと見上げると、視線が絡んで、そのうちにゆっくりと解ける。
私から逸らしたのか、鬼狩り様からか。
私にはわからなかった。
お重を抱え直し、私はこっそりとまた鬼狩り様を盗み見た。
もう視線は絡まなかった。
けれど、それで良かったのであろう。
多分、もう私からは逸らせなかったであろうから。
熱を持ってヒリつく頬を、私はパタパタと静かに仰いだ。

暫く歩くと、集落の丁度真ん中辺り。そこから神社の方角へと向けていくつも設えられている藤棚が見えてくる。
まだ色付きこそないけれど、もう少しすると、ここは美しい藤の色へと姿を変えるのだ。
気不味さがあったというわけではないが、突如として思いついた話題に飛びつくように私は口を開いた。

「今度、あそこらにある藤棚がここ辺りから一斉に提灯で照らされるんです。なにぶん、藤の花は鬼を寄せ付けないそうで、『今年もここいらを守ってください』と願いを込めて祀るんですって。
それと同じに、鬼狩り様への感謝を込めて、そんなに大きなものでもないんですけれど、お祭りをするんです。本当に鬼狩り様が来られているのは、私は見たこともないんですけれどね」
「……」
「ここまでに、……そこの、鬼狩り様の屋敷よりももう少し手前の脇道があるでしょう?あそこを下にそれて暫く行くと、階段があるんです。その向こうの神社への道のり沿いに提灯をあげていくんです。とてもきれいなんですよぅ!!」

私の指差す先へと鬼狩り様は腕を組みあげながら視線を滑らせ、また私へと視線を戻す。
鬼狩り様と視線が絡まないように、私はサッとお重を包む風呂敷の結び目を見た。
先程から、ずっとおかしい。
口を開くのに緊張すらするのに、たくさんお話ししたい。
目を見たいのに、見たくない。
傍に居たいのに、駆け出して今すぐにでも、逃げ出したい。
あつい。

「そうかィ」
「その、……その時だけはね、下の町からも人が来るんです。藤の家紋と、刀の紋を掲げた神輿を担いで、そこの神社へ奉納するんですよぅ。」
「へェ」

鬼狩り様は静かに頷き、藤棚の終わりにほど近い神社の方へと視線を滑らせていく。
そのままぐる、と視線を彷徨わせていくのを私は見ていた。つもりであった。
気が付いた頃には、鬼狩り様のまるで猫のような吊られた双眸が私を捉えており、__視線が絡んでいる。__そう、私が理解した頃に、漸く鬼狩り様の長い睫毛がばさりと、すべてを断ち切るように下ろされた。
やっぱり息が、止まってしまいそうであった。
何度も何度も視線を風呂敷の結び目へと向けているというのに、気が付くと、私は鬼狩り様を追っている。
鬼狩り様が側にいれば、見てしまう。
鬼狩り様のお屋敷では、帰りを待つかのように、とろとろと、だらしなく家事をして時間をかけてしまう。
姿を探してしまう。
視線があうと、息が止まる。
それなのに、やっぱり私は、鬼狩り様をもっと知りたい、もっと側に居たいだなんて、願っている。
おかしいだろうか。
変だろうか。

「一緒に、見てくださいませんか?……とても、……綺麗なんですよぅ、……きっと、皆喜びます、」
「……」

きらきらと、朝露が落ちたばかりの瑞々しい草葉の影から、羽虫が光を照り返して飛んでいる。
藤棚が、雨の名残りで照っている。
びゅう、と少し大きな風が吹き、遠くの子供の声を連れてくる。
あまりにも眩い全部を誤魔化すように、私は一度瞬いた。

「行かねェ」
「……そ、ぅですか、……そう、ですよねぇ、へへ」

予想された通りの答えであったにもかかわらず、力んでいたらしい。
歯で押しつぶしていた下唇を開放する頃には、じんと鈍い痛みを伴っている。

「なら、お土産を置いておきますね」
「要らねぇ」
「……あ、と言うよりも、奥様方が黙っていないかもしれません!だって、ほら、本物の鬼狩り様が居られるんだから、祀るなら鬼狩り様を!とか、言い出しかねませんもんね!」

極力明るく努め、私は止めていた足を動かした。
つま先を睨めつけるようにじとっとした視線を足先へと送り続け、ぱたぱたと音を立てて歩く。
そのうち鬼狩り様が歩き出したのも、私は音で感じていた。

「勘弁しろォ」
「……あは、やだ、本当に嫌そうじゃないですかぁ!」

すぐさま降ってきた鬼狩り様のあんまりにも嫌そうな声に今度は本当に笑ってしまい、思わず鬼狩り様を見やると、いつか、荒木のおじさんの家の前で見たのと同じ顔がそこにはあった。
もしかすると、もっと柔らかいものかもしれない。
いつもの角が、削れたかのような鬼狩り様のお顔に、私の心の臓がぎゅうっと痛くなる。
もう、どうにかなってしまいそうだ。

「ず、……ずるい……」
「はァ?」
「……鬼狩り様は、ずるいです」

私の言葉に鬼狩り様は足を止め、静かに体を私へと向けてくださる。
また、あぁ、ひどい。
と、思った。
鬼狩り様は、酷い。
何がずるいのか、酷いのか。自分にだってわからない。
それでも私は重箱を抱え直し、出来るだけ早く走った。
胸のずきずきとした痛みも、喉のしまりも、心臓の逸りも、全部は走ったせいだ、と。
ただそう自分へと言い聞かせるためだけに走っていた。

□□□□■

今日は鬼狩り様に会いませんように
会えますように
今日鬼狩り様とお話し出来ますように
話すことがありませんように

そんな相反する靄を抱えたままに、ぎっしりと詰め込まれたお重を風呂敷で包み上げた。
奥間で書物をする奥様へと「そろそろ行ってきますね」とだけ声をかけてから表へと出る。
今日は霧のような小粒の雨が降っていた。
薄く膜が張ったかのような不明瞭な視界が少し煩わしい。
今日も鬼狩り様のお洗濯は室内で干さなくてはならないから、囲炉裏に火をつけて、あのお部屋で干してしまおう。
それなら先に掃除をしてしまったほうが良いだろうか。
今日の予定を立てていけば、鬼狩り様への思慕から家事の支度へと思考は移ろいでいった。

まだ鬼狩り様の帰って来られた形跡の無い、鬼狩り様のお屋敷で荷物を置き、帰ってこられるまでにはできる限りを終わらせてしまおう、と襷をかけたと殆ど同時。
表からガタガタと物音がしたと思うと、ガラリと音を立てて玄関扉が開いた。

「まだ居ンのかァ」

気怠そうに降ってきた声に、私は慌てて顔を上げた。
きっと、こんな天気だ。水桶を用意しなければ、足元が汚れているだろう。
急ぎ袖元の襷を蝶々結びをしながら振り返る。
鬼狩り様の姿を見た瞬間、私のすでにじんと痺れかけていた頭が一気に冷えた。

「……お、帰りなさ……!わ!!……怪我!!!」

鬼狩り様の羽織物のあちらこちらは裂け、赤いものが滲んでいる。
まるで細かい刃物で刻まれたような傷跡に、卒倒してしまいそうだ。
「おい」と私を呼び止める声を聞き入れることも出来ずに、以前のカクシ様のしておられたのと同じに水やら湯の準備を始め、私は声を張り上げた。

「洗ってください!はやく!……なんだっけ!お酒!!?違う、……お湯を沸かして、それから……!ちょっと!鬼狩り様っ!!はやく!!!」
「……」
「あ、あそこに清潔な手ぬぐいあったはず!」
「……」
「もう!鬼狩り様!!はやく!こっちですよぅ!!」
「おいっ、」

無言でこちらを睨めつけるように見る鬼狩り様の腕をグイと引き、私はお勝手の手押しポンプを何度も下げ、そのうち出てきた水へと鬼狩り様の腕をねじ込んだ。ざぶざぶと出てくる冷たい水を浴びせていく。
けれど、見れば見るほどあちらこちらで擦れたり切れた傷があり、洗いきれそうにもない。

「や、やだ!……どこまで傷が……湯浴み?どうしよ……、あ!て、手ぬぐい……!」

そのうち鬼狩り様は一人でぶつぶつと呟きながら鬼狩り様の腕を擦っている私の手から腕を抜き去り、パッと水を振り払った。

「これくらいなんともねぇ」

そう、まるで凄むように言われるも、私の頭の中ではあの、真っ白な雪に浮かぶ赤の斑点と、冷え切り、生きているのかすらわからなくなっていた鬼狩り様の姿。あの日の全部が蘇ってくるから、もう、わからなくなってしまいそうだった。
今も、生きているのだろうか。だなんて。

「だって……血が、……血がでてる……」

私の押し出した声が、あんまりにも震えていたからであろうか。鬼狩り様はそれ以上何も言わなかった。
ただ、手負いの母熊のように、私が傷に触れそうになると鋭い視線を私へと向け、言外に「触れるな」とでも言っているようであった。
だから、できる限り傷口へは触れないようにと傷の周りを洗っていった。粗方洗える部分は洗い終えた。
今度は肩口やら腹回りをなんとかしたく、手ぬぐいを絞ると、とうとう観念したらしい鬼狩り様は大きなため息とともにどかっと框へと腰を下ろし、サッと詰め襟までもを脱ぎ去る。
そうして「はやくしろ」とでも言うように視線だけを私へと寄越した。

絞った手ぬぐいが傷口のそばを掠めてもピクリとも動かない鬼狩り様に、怖くなった私は、度々鬼狩り様の顔を覗き込み、睫毛が静かに下りていくのやら、胸が上下するのやらを確認していた。

「痛いですか、」
「痛ぇならそう言う」
「そうですか」

出来るだけ傷口には触れないように血やら何やらを拭い、カクシ様がしていたように酒をかけようと、あちらこちらと探すものの見当たらない。
「終いかァ」と立ち上がろうとした鬼狩り様へ「待って!」と半ば叫ぶように告げると、きょとんとした目で私を捉え、そのうち大きくため息を吐いた。

「とっととしろォ」
「な、なにも無いんです……!せめて軟膏か何かあればいいのに……!」
「……アレだ」
「!!……あ!ありがとうございます!」

鬼狩り様は静かに玄関直ぐに置いてある棚を指差し、静かに告げる。
鬼狩り様の指差す先、小さな小物入れを掻き回すと、私の掌よりももう少しある丸い薬瓶を見つけた。
適当に手に取り、筋の張り、筋肉の隆起したこの集落の恐らく誰よりもガッシリとした腕や肩へと軟膏を滑らせる。

「痛くないですか?」
「……」
「痛いですよねぇ。……もう、こっちは済みますから、」

そんな風に言うと、鬼狩り様の長い睫毛がばさっと持ち上がり、視線が絡む。
何かを言われるのだろうか。
少し、身構えたと思う。
けれど鬼狩り様は何を言うこともなく、反対の腕を私へと差し向けて下さった。

あちらこちらに点在する切り傷に、出来るだけ力をかけないようにと、私は指にたっぷりととった軟膏を鬼狩り様の肌へと滑らせていった。

□□□□■

鬼狩り様は、どうやら生傷の絶えないお方であるらしい。
あれからも何度も何度も、見かける度に傷を拵えておられる気がするのだ。
実際にそうなのかはわかりはしないが、そろそろ帰ろうか、と鬼狩り様のお屋敷での家事も終え、襷を解いた頃であった。
サッと静かに玄関扉が開き、鬼狩り様は帰って来られた。
重い雲が漸く過ぎ去った日のことであったと思う。
私から視線を逸した鬼狩り様は、前日に洗って置いて下さっていたらしい重箱の直ぐ側に、金平糖の山と入った小瓶を置いた。

「お帰りなさいませ」
「……」

私を一瞥してから「おう」と静かに応え、框へと腰を下ろして脚絆を解き始めた鬼狩り様。その直ぐ側へと水の入った桶を運び、足を洗おうか、と屈もうとしたところだ。
ツンとした、鉄のような匂いがした。
きっと、また隠しておられる。そう思うと、私は唇をぷぅ!と突き出していた。

「きちんと手当しなきゃダメじゃないですかぁ!!!」
「めんどくせぇなァ!終わったんなら帰れェ!」
「だ、……!!か、帰りますよぅ!」

ぎゃん!と吠えるように叱られたものの、私は「でも!手当を終えてからです!」と胸を反らせて仁王立ちになる。
鬼狩り様は「ケッ」と吐き捨てた後に、静かに羽織物を脱ぎ去り、怪我の幹部をずい、と私へと突き出していた。

「ここだけですか」
「ん」

軽めに絞り上げた手拭いで、側に付着した血の塊を拭うところからその日の処置を始めた。

***

「また来ますねぇ!」
「来んなァ」

いつからか、言葉の棘をそのままに、鬼狩り様の紡ぐ言葉は温度を変えている。
本当に嫌がられておられる。いつかはありありとそう、わかっていた。
けれど今は、「しょうがねぇなァ」とでも言うかのように、鬼狩り様は言葉を紡ぐ。
まるで、側に居ることを許されているかのような心地に、私はいつからか頭がじんと、痺れていた。

「ずるい」

そう、いつか鬼狩り様へと吐いた言葉は、やはり未だ、私の胸でことあるごとに燻り、煙をくゆらせる。
そのうち煙に満ち満ちて、私はきっと告げてしまう。
鬼狩り様へと、言ってしまう。
鬼狩り様の肩口へと軟膏を取り、滑らせた指を、__例えば私が、そのまま首筋へと絡め、鬼狩り様へと抱き着いてしまえば、どうにかなるのだろうか。
いつの間にか芽生え、育っていってしまった、このしょうのない思いを告げてしまえば、何か応えて下さるだろうか__。

そぅ、と視線を上げると、矢張り、とでも言ってしまおうか。
鋭く淡い薄紫が私を静かに捉えていた。

あぁ、ずるい__。
私はきつく、自分の下唇を内へと引き込むことしか出来なかった。

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