小説 | ナノ



「ヤス子が居ねぇ」

荒木のおじさんがそう騒いで里中の家の門を叩いたのは、まだ朝方の事であった。

鬼狩り様へ持っていくお重の用意を終え、そろそろ向かうか、と風呂敷に包み終えた頃。
門の前で「ヤス子は来てねぇか!」と血相を変えた荒木のおじさんは、私の肩を掴み、ガクガクと揺さぶった。

「え?え?……だって、昨日夕刻よりずっと前に、山菜採りに行くって、ヤス子さん、……私、それっきり……もしかして……!」
「そっからだ……!!」

荒木のおじさんは口元をパタと手で覆い、わなわなと震えている。

「おじさん、大丈夫よ……!だって、鬼狩り様の屋敷がこんなに近いんだもの!……なにもないですよぅ!」
「あぁあ、そうかい?そうかいなぁ?名前ちゃん、あぁ、どうしよう、」

普段の豪気な話し口調も今ばかりはなりを潜めている。
すっかりと一晩で窶れたかのようにも見える荒木のおじさんに、鬼狩り様のお重へと入り切らなかったおかずを持たせ、「奥様にも伝えるし、私も探すね」と約束をしてからお重を抱えた。

できる限りの早足で鬼狩り様の屋敷へと急いだ。
鬼狩り様の屋敷へとお重を置き、今日ばかりは前回のお重の回収もせず、掃除やらなんやらもほっぽり出して、早々にお屋敷を後にする。一秒でも早く、ヤス子さんを見つけて、荒木のおじさんを安心させて上げたかったのだ。

朝方はまだひんやりとしているから、暖かくなり始める日中の温度差のためか、ぬかるみのある山肌を歩く。
時折、足の掛けどころを間違いそうにもなるが、なるだけ慎重にズリズリと音を立てて歩いた。
そうして山を歩いていくと、何処からともなく女性特有の明るい声がしていたものだから、私はキョロキョロと当たりを見渡す。

「……や、ヤス子さん?ヤス子さんなのぉ?!」

口元へと手を当てて声をかけると、日の出ているのとは反対側から、小さな人影がブンブンと腕を振っているのが見えた。
段々と大きくなるその人影は、どうやら誰かに負ぶられて居るらしく、平素よりずっと大きく見える。__ヤス子さんだった。

「名前ちゃぁん!ごめんねぇ!!」
「や、ヤス子さん!!」

私は慌てて駆け寄ろうとして、足を止めた。
ヤス子さんが無事であったことはとても喜ばしく、胸をなでおろすほどの気持ちではあったのだが、ヤス子さんを背負うその人が、鬼狩り様であったからだ。
鬼狩り様は、たいそう不器用ではあるが、悪い人では決して無い。そう思う。
そんなことは解っているし、今回の事も、きっと荒木のおじさんも感謝するのであろう。奥様だって、ありがとうと言いなさる。
私だって嬉しいのだ。
そうではなく、鬼狩り様が苦手だったはずなのだ。ヤス子さんは。

今こうして鬼狩り様の肩口をバシバシと叩き上げながら「なんだい、優しいお人じゃないか」と笑い声をあげるヤス子さんの姿を、私は想像などしてこなかった。
だって、鬼狩り様歓迎の宴を催したいと言った奥様の言葉に渋い顔を見せる集落の人間は多かったし、ヤス子さんもその一人であったのだ。
結局「もう暫くして、私たちも鬼狩り様も慣れてからにしましょうか、」と奥様が言いなさったことでその話しは立ち消えたけれど、ヤス子さんはその時、ほッとした顔をしていたと私は記憶している。
そんな事を鬼狩り様の居る今この瞬間に言うつもりは毛頭ない。私はなんだか嬉しかった。
けれどそれと一緒に、ほんの少しばかり、寂しくなっていた。
どこか、秘密基地を知られてしまったような、そんな喪失感すらあったかもしれない。

「鬼狩り様、ありがとうございます。……荒木のおじさんがヤス子さんが居ないと心配していたから、凄く喜びます!」

私の言葉に頷くようにヤス子さんも「悪かったねぇ」と言葉を重ねた。

「いや」

鬼狩り様が返してくださったのはそのたった一言であったが、またほんの少しだけ、鬼狩り様の事を知る事が出来たような気がしていた。

「鬼狩り様、私荒木のおじさんを呼んできますね!」
「足を捻っているようだ、……このまま家まで送っていく」

今にも走り出そうとしていた私の腕を掴み、そう言ってから直ぐに私から腕を離した鬼狩り様は、また歩き始める。

「悪いねぇ、重いだろうに」と、ヤス子さん。
「……このくらいなら、重いうちに入りません」と、あっけらかんと鬼狩り様は返した。
「良いね、ヤス子さん」
「からかって!」

私の笑って言った言葉に、ヤス子さんはキャンと吠える。
そのうち鬼狩り様の屋敷を超えて、集落の中ほどまでやってきた。
畦道で走り回る童たちが脇をすり抜けていき、この集落で一番歳を食ったクニ子おばあちゃんが「ヤス子さん、見つかったんだねぇ」と家の庭あたりで割烹着に身を包み、土をいじりながら何度か頷いている姿が見える。
うんうんと私も何度も頷いて「鬼狩り様が、見つけて下さったんですよぅ!」と口元へと手を当てて伝えた。


ヤス子さんが家に着くと、直ぐに鬼狩り様は引き返そうとしたけれど、走って戻ってきた荒木のおじさんに引き留められ、終始赤べこのようになった荒木のおじさんに何度もお礼を言われ、結果、足止めを食っていた。
「いえ」と言ったきり困惑した表情を作っておられた鬼狩り様は、そのうち口角をほんの少しだけ、上げていたかのように、私には見えた。
やはり、胸の奥底のほうがちく、と傷んだ気がしていた。

漸く荒木のおじさんたちから解放された鬼狩り様は、またご自身の屋敷へと向けて歩き始めている。
私も鬼狩り様のお屋敷に重箱を置いたきりなのだと伝えたところ、私に一瞥を下さった後に、何も言わずに少し前を歩いていく。

「鬼狩り様が、本当は、……みんな、恐ろしかったんです。多分」

そう口を開いた私に、鬼狩り様はチラッと視線を寄越し、聞こえたのが不思議だと思えるほどの音で「そうかィ」と呟いた。

「鬼狩り様は、だって、……ずっと、……その、あんまりにも凛々しくして居られるから、……私も最初は怖かったんですよ。水も、かけるし……」

苦々し気な顔を作った鬼狩り様はガリガリと後頭部を引っ掻いて立ち止まり、振り返ってその鋭い目で私を捉えた。
何かを言おうと、鬼狩り様が口を開くのよりも早くに私は口を開いた。

「でも、カクシ様が『風柱様は優しい人です』って仰られていたんです。カクシ様は優しい人です。そんな優しい人が、鬼狩り様を優しい人だと言うんだから、鬼狩り様は、優しい人なんですよ。
だから、きっと理由があったんだろうな、と思ったんです。
もちろん理由を知りたい、だなんて思っていません。……それに、鬼狩り様が怖くない方だっていうのはきっと言われなくても気付けましたよぅ、私。
だから、みんなも気付けます!」
「そんなんじゃねェ」
「きっと今日ね、みんな鬼狩り様がほんとは優しい人だってわかりましたねぇ、きっと」

私の顔をぽかんとした顔で見た鬼狩り様は、そのうち目を窄めていって、拳をキツく握りしめた。

「んなこと、誰も望んじゃいねぇ」
「望んでますよぅ。とくに、カクシ様が」
「……勝手言ってんじゃねぇよ」

呟くように言った鬼狩り様は、それから何度呼びかけようとも、私の方を見てはくださらなかった。

一体何が気に食わなかったのか、私にはわかりそうにもなかったけれど、何か気に触ったのだろう、と謝罪の言葉を口にした。
彼は一度軽く口を開いて、何かを言いかけはしたものの、結果としては何も言葉を下さることはなく、三歩ほど前をすたすたと歩いていってしまった。

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