小説 | ナノ

「いけ!男なら!!」

錆兎君の怒声のような大きな声が、開店前の居酒屋の厨房で響き渡っていた。

「私は女だよ……?」

カウンタテーブルを拭きながら、私は眉をひそめることしかできない。

「錆兎、……頭が無いのか」

義勇君も、困惑の眼差しを向けながら錆兎君へと苦言を漏らした。
エプロンを腰に巻きながら出勤してきたらしい。

「……義勇、流石に俺でも怒るぞ」
「あらあら、全然話しが進まないわぁ……だから言ってるじゃない、首にリボンでも巻いてしまえばいいのよ、ねぇ?」

直ぐ側で、レジの釣り銭を準備するカナエちゃんがふふふと笑う。

「……すまない、俺はそれには答えられない……!」
「……毒だ」

言葉を濁し、私から目を逸らした錆兎君はまだしも、厨房の仕込みを手伝いながら顔を青くし、首を横にぶんぶんと振った義勇君。
彼には張り手を食らわせても、きっと誰も文句を言わないのでは無いだろうか。
溜息を噛み殺す気にもなれなかった。

「義勇君には悪意があるとしか思えないんだけど……」
「………………すまない」義勇君はペコッと頭を下げた。
「肯定しないでよ……」

きゅっと眉をひそめた義勇君の背中には、きっと吹き出しでも出ていて「ならどうすれば?」とでも書き込まれているのでは無いだろうか。

まぁ、そんなことは一度置いておく。

□□□■◆

実君の誕生日に、結局何を渡せば良いのか、私は決めることが出来ずにいた。

カナエちゃんに言われたことを反芻し、これはどうだろう、あれはどうだろうと悩みに悩んだ。
考えても考えてもピンとくるものは浮かばず、段々と実君の誕生日という、いわゆる決戦の日は迫って来るのみだった。

まるで馬鹿みたいに高い雪山のクレバスの底に落ちた針の穴へと糸を通すくらい、プレゼントを選ぶと言う単純な事が果てしなく不可能なことにすら思えてきた頃。
つまり、今日。
バイト先のオープン準備をしながら、とうとうカナエちゃんに「まだ決まらない」と愚痴を溢したのだ。

カナエちゃんはパチンと手を叩き「せっかく男の子が居るんだし、意見を聞いて参考にしてみるのも良いんじゃなぁい?」とのほほんと笑った。

錆兎君に「誕生日には何が欲しい?」と尋ねると「遠慮しておく」と言われたものだから、

「誕生日プレゼントを渡したいの。その、友達……みたいな人に。
うんと……とにかく、今貰うなら、何がいい?」

と尋ねてみたのだ。
そうすると、錆兎君は困った顔で首を横へ静かに振った。

「みたい、ではなんとも……それこそ、相手との関係性によっても変わるだろう。まぁ、俺は何を貰っても嬉しいんだが」
「えっと……幼なじみ…………かな?」
「なら名前さんの方が俺よりも相手の好みを理解しているんじゃないか?」
「えー……と、そうなんだけど、……だから、その、」

錆兎君の言う通りで、別に例年ならこんなことには困らなかった。
何をそんなに悩んでいるんだろう?なんて、自分でも不思議なくらいだ。
何を選んでも、「迷惑かな?」「要らないものでも、一緒に暮らしてるなら気を使わせてしまうんじゃないかな」とか「引かれたらどうしよ」とか。

考え始めるともやもやとするのだ。
結局、錆兎君に、こんな関係だ、と一口には説明できずに、カナエちゃんの顔を伺い見た。

「うんと気になっているオトコノコよ」

指をピンと立てたカナエちゃんは言う。

「待ってくれ、幼なじみと言わなかったか?」
「あ、えっとね!本当昔っからずっと一緒に居るんだ。
その、最近……ちょっと、……なんだろ、かっこよく見えたりしてしまったり、とかしてて……」
「悪いが、ハッキリと言ってくれないか」
「そうだよね、ごめん……!私、今まで実君を男と意識してなくて、……だから、実君も私を意識してないと思う。女として!
だから、その、そういう……"女"を感じさせられるようなプレゼントを、……その、探してるの!」

カウンタ席の向こう側。
厨房で焼き鳥用に、鶏肉を串に刺していた手を止め、錆兎君は、ふむと一つ頷いた。
その視線は私とは絡んでいない。
視線のさす先を辿れば、力強く頷いたカナエちゃんが居た。

「名前ちゃんをプレゼントすればいいわ、と言ったのよ」
「……喜ばない男は、そう居ないだろう」

だが、と錆兎君はまた手を動かしながら言う。

「それは飽くまでも名前さんにその気があり、相手にもそれなりに好意を抱かれて無ければならないと思うがな」
「大丈夫よぅ!名前ちゃんたち、とっっても近い間柄なのよ!」

ね?とカナエちゃんは首をこてん、と傾ける。
錆兎君の鋭い視線に耐えられず、私はこの上なく小さな声で呟くように言った。

「実はね……一緒に、住んでたり……する」
「いけ」
「でしょう?!」
「え?!ちょ、……だからね、?」

カナエちゃんはぱちぱちと手を叩き、錆兎君は声を大にしたのだ。
そうして冒頭へと至った。


悶々とする中、座敷席を掃除してくれるカナエちゃんの落としたゴミを私はモップで絡め取り、床を拭いていく。
厨房から遠く離れたここまで、錆兎君の声は響いていた。

「そもそも!好意を全く抱いていない異性と同棲などするハズがない!!その時点で、ある程度は相手も好意を持っていると見做すべきだ!!」
「ルームシェアなの!!」
「同棲だな!!にもかかわらず!意識をされない、されていないというのなら!こちらにはその気があるのだと知らしめる他ない!!
つまり、だ!ぶつかりに行くしか無いだろう!!」
「ルームシェアね!!」
「砕けたなら!皆で激励会でもしよう!!!行くんだ!!」
「すごい声量よねぇ」

のほほん、と笑うカナエちゃんが座敷の掃除も終える頃、義勇君の「時間だ」と言う声が凛と響く。

掃除道具を片付けた私は、気持ちを切り替えるためにも、私はぱちんと一度、頬を弾き、真っ黒なバンダナをきゅっと絞めた。

□□■■◆

日付も変わり、店もラストオーダーを終えていく。
ホールでは、お客さんも疎らになり、スタッフがあぶれる始末だ。
そうすると、ジャンケンで負けたスタッフがいつもなら皿を洗う為に厨房へと向かうのだが、今日は私が買って出た。
お皿をざぶざぶと軽く洗いながら食洗機用のケースへとパズルピースのごとく嵌めていく。
作るものも無くなった錆兎君は、食洗機からあがったお皿を拭き上げていた。

「今日、ありがとう」
「ん?」
「あの、……頑張って、みようかな、とか。思ったし」
「自信を持て。名前さんは愛らしいんだ、相手も受け止めてくれるさ」
「……だといいなぁ」
「次のテーブル分でラストか?」
「あともう一組いたと思う」

錆兎君はテキパキと明日の仕込みやら、皿の片付けやら、義勇君と自分の賄いの準備やらを熟していく。

かっこいいなぁ、と思わないでもない。
嘘だ。
イケメンだし、頼りになるし、かっこいい。
優しいし、引っ張ってってくれると思うし、実君よりも口調は柔らかい。
それに、見た目も物騒じゃない。

じ、と錆兎君を見た。
けれど、実君に感じるような、胸騒ぎも無ければ、胸が引きつるようなキュンとした感覚もやってこない。

多分、何かが違うんだろう。
それはわかるけれど、どうして実君なんだろう。と、それだけが胸に一滴の不安を落としていた。

***

とうとう朝はやってきた。
11月29日土曜日。
晴れ。
清々しいまでの朝日が、それはそれはカーテンを貫通して差し込んでいる。
つまり、それなりには遅い時間。
むく、と体を起こし、右隣の布団を見る。
そこはもう、もぬけの殻で、洗面所の方から電子音が響いていた。
多分、髭を剃っている。

私も起き上がり、洗面所のドアを叩いた。

「おはよー」
「んー」
「開けていー?」
「んー」

扉を開き、大きくあくびを噛み殺しながらも、鏡越しに目を合わせた実君は、きゅっと目元を細めて笑う。
髭を剃る実君、とかいう字面だけでもケタケタと笑えたのは遥か昔。

たったそれだけの事なのに、目を合わせてもいられなくて、歯ブラシを引っ掴んだ私は、早々に実君から背を向けた。

「今日、バイト?」
「いんや、お前が休めつってたろォ」
「うん、ありがと。……あのさ、」
「んー?」

じじじ、ザリザリみたいな。
硬いものを削っていくような音が、時折響いている。

ちら、と後ろを見ると、また鏡の中の実君の透き通るような淡い紫と視線が絡む。

「……も、もうっ!!なんで見てるの!」
「ッハ、お前もなァ」
「えっちー!」

誤魔化すように、お尻をどん、と実君にぶつけたけれど、その筋肉質な肉感に、ただただ悶える事になった。
こうした、ふとした時にを感じてしまうのだ。
その度に私は頭を抱えたくなった。
どう接すればいいのか、わからなくなっていく。
ずっとじゃれあってきたのに、実君はどんどん大きく逞しくなって、私が何をしようと、敵わなくなっていく。
そのうち、実君の大きな体に、すっぽりと収まってしまうんじゃないだろうか。とか。
そうしたら、逃げられないな、とか。
そんな、ありもしないようなことを考えていたら

「うぜェ絡み方すんなァ」

って、半目で鏡越しに睨まれるけれど、それどころじゃなかったりする。
だって、こんなにがっしりなんてしてなかったじゃん。
ついこの間まで、スクールバッグぶつけ合ってたでしょ。
その時はお互いに弾き飛ばされあってたじゃない。
実君、よろけてたじゃん。
そう思うと、もう、なんじゃん。って。
いつの間にか、男の子、ではなくなっている幼なじみに、私はほんの少しだけの戸惑いと、半端じゃない動悸を抱いてしまったりする。

「えきちっ」
「…………え?」

髭も剃り終えたらしい実君は、歯ブラシを口へとねじ込んだ。
そうすると、唐突に甲高い音が、洗面所、つまりは浴室一帯に響いた。

「……えきちッ……ア゛ぁー、」
「ぇ、ちょ、待って待って……くしゃみ?ねぇ、それくしゃみのつもり?」
「あ?つもりも何も、くしゃみだろがァ」

モンクあんのかァ、と実君はわざわざ振り返って凄むけれど、私は吹き出すのを堪えることに神経を尖らせるほかない。
こんなに厳つい顔をしているのに。

「可愛すぎでしょ……」
「……可愛いもクソもねぇだろ、ンなもん」
「いやいや、……んふふっ、」
「……」
「いやいやいやいや、……ぅふっ」
「笑ってんじゃねぇぞォ!!」

とうとうギャン!と吠え始めた実君を押し退け、私は口をすすぎ、顔をサッと洗ってからタオルで拭い、そのままの勢いで顔を上げた。
そうすると、真っ赤になった実君が鏡の向こう側に居るものだから、ついに私は吹き出してしまう。

「やだ、実君、かぁーわいいー!!」
「っだァア!!うぜェ!!」
「退散しまぁす!」

真っ赤になった実君が、誤魔化すように私の頭をかき混ぜ、ぷりぷりとしながらすごい音を立てて顔をざぶざぶと洗い始める。
それを尻目に私は部屋へと戻った。


窓を大きく開いてやると、ぶわっと風が部屋に入り込む。

「どうしよ」

まるで熱でも出たみたいだった。
鏡越しに合った目が、ずっとずっと焼きついてる。
久しぶりに、触れられてしまった。
こんな、戯れみたいなものなのに。

「……どきどきする」

実君から触れられる事なんて、越してきてから殆ど無かったのに。
実君は、あんなに柔らかく笑う人だったっけな。

ぽつ、と呟いた音は誰にも拾われる事もなく、風に乗ってまた何処かへと行ってしまった。

「……やだなぁ……」

知らなかった、って事が、増えている。
知らないことが、増えていく。
だんだんと男の人へと変わっていく実君が、酷くもどかしい。

このままで居てくれるなら、良いのに。
これ以上男の人になんてなられたら、私はもう、どうすれば良いのかわからない。

好き、って気持よりも、戸惑いばっかりが先にやってくる。
このままがいい。
進みたい。
一緒に居られるなら、なんだっていい。

もう、自分の気持ちすら何が正解なのかもわからなくなっていた。


心地よく冷めた風が、頬の熱を冷ましてくれますように。
なんて祈りながら、私は体を引っ掛けた窓枠へと頭を預けた。

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