小説 | ナノ

普段通り、日が昇り始めるころに私の朝は始まる。
いつもの通りの仕事を熟し、暇な時間には先日拾った、いがのついた栗を下駄で踏み割った。
もうそれは、踏み割った。先日のいら立ちも込めて、踏み割った。
矢張り、先日の折檻は理不尽だと思うのだ。あんなに空恐ろしい風貌を、奥様も見てみると良いと思う。
決して私だけの問題ではないと思うのだ。
あんなにも恐ろしい風貌を称えているのにも関わらず、更に不愛想な然る方にも問題はある。もう、あれは「恐れおののいてくれ」と言っているようなものではないか。
そうおもうのだ。
奥様も、私をそんなに叱るのなら、一度会ってみてくださればいい。そう、怒りを込めていがぐりを踏みつけると、ぺきょ、と音がして殻が顔を見せた。

「名前ちゃあん!」

屋敷の奥から奥様が私を呼ぶ声が響いている。
私は唇をぷぅ、と膨らませたままに「はぁい」と大きく返事をした。

奥様の元へと向かうと「着替えておいで」とおっしゃられたものだから、何かあるんだろうか。と考えを巡らせながら、奥様に頂いた少しばかり上等な着物へと身を包んだ。


奥様から風呂敷へと包まれた荷物を受け取り、また件の屋敷へと向かう道を歩いていた。
少しばかり前に「嫌です」としきりに首を横へふったが、「失態を失態のままにしてはなりません!」とぴしゃりと叩かれるような言葉で叱られてしまうと、もうそれ以上は何も言えない。
奥様のしかつめらしい背中を睨むように見ていたのも、初めのうちだけで、奥様が時折俯いて息を吐き出す姿を見ていると、どうにも申し訳のない気持ちが勝っていった。

「奥様、……私、きちんと謝りとうございます」

私の言葉に振り向いた奥様は、きょとんとした顔を見せた後、綻ぶように笑い「そうなさい」とおっしゃった。

昨日と同じ、仰々しいまでの塀を眺めながらざりざりと砂を踏み鳴らし、件の門戸の前へと立った。
奥様の背中が一つあるだけである、というのに、私の足は確かに確りと砂利を踏みしめ、昨日の道を昨日よりも速い速度で辿っていった。
奥様とてため息を吐き捨てるほどであるのに、凛とした真っ直ぐに伸びた背中を見ると、私も背伸びをするように背を伸ばすほかない。

「御免ください」

楚々とした仕草でお袖を伸ばされた奥様は、帯飾りを撫でるように手を当て、声を張った。
門の向こうからは特に大きな音もない。けれど「待っていた」とでも言うように、門は扉を開いていく。
私は思わず風呂敷をぎゅうぎゅうと握りしめた。

「はい、どなた様でしょうか」

そう顔を出したのは、先の男ではなかった。
奥様は、背筋をそのままに、軽く頭を下げ、私と奥様の名前を告げた。それから先日は非礼があった事、今日は謝罪に来た事、それから何か役に立てる事はないだろうか、と言い募っていく。
私は目元のみを見せる、逞しい黒装束のひとを、ただぼぅ、と見ていた。
恐らく、恐らくだ。この方ではない。

「風柱様は、大層怖かったでしょう」

そう低い声が言ったことで、この方はやはりあの人とは違う。そう確信した。
それほどに、顔も全ても隠していた。

「……す、すこし」
「これ」
「申し訳ありません」

奥様がぴしゃりと叱ったことで、私はまた肩を窄め、伺い見るようにその黒装束の、少しばかり肩を揺らして笑う男の方を見る。

「いえ、私どものなかにも、情けないことにあの方を怖がる人間も居りますので、無理もありません。あまり叱らないでやっては下さいませんか」
「そう言っていただけると……なにぶん、ここいらはそうそう顔見知り以外が立ち寄る事も珍しいくらいでして」
「長閑でいいところですね」
「私の夫が、この集落で長をしておりますの。とはいっても、この麓のまちへと下りましたらそちらの村長様も居りますから、そうそう何かがあるとも思えないのですが、何かあればとご挨拶に参りましたの」

ほほほと笑う奥様は、すっかりいつもの調子になって来られていた。
奥様の身振り手振りに促され、私は風呂敷包みを男の方へと渡す。

「こちら、もしよければお召し上がりになってくださいな」
「ああ、かたじけない。風柱様もお喜びになると思います」

奥様はそのまま黒尽くめの男の方とまた何言かを話しておられて、鬼がどう、だとか、謝辞を述べておられたり、だとか。そのうちに、「私たちに何かできる事はありませんか」と言い始める。
藤の家紋を掲げるほどに物資は用意できないが、殿方一人分くらいの食事や家の面倒を見る事くらいは手伝えるのだとか、どう、だとか。
そのうちに、あれやこれやと話は丸まっていく。

「では、週に2度ほど。名前を寄越しますね」
「いやあ、助かります」

なんてことが奥様と黒装束の方との間で纏まっていた。

「お、奥様!!!!?」
「ああ、でも本当に無理はしないでもらって」
「いいえ、そんな、言う程何もしておりませんのよ」

なんて奥様は私を小突き「じゃあ、今日は失礼しましょうか」なんて話をまとめ上げてしまう。
だから、奥様も一度、鬼狩り様に会えばいいのに!!と恨みがましい気持ちでいっぱいになりながら自分のやたらとキレイな余所行きの足袋を纏う足元を睨みつけた。
歩き始めた奥様の背中へと、とぼとぼと付き従いながら歩いていると、ふっと思い出したものだから、ぐる、と後ろを振り返る。
そうしたら、やっぱり優し気な目だけを覗かせた黒装束がこちらを見ている。
奥様に「少し」とだけ言って、私はその涼しげな目元の男の方の方へと走った。

「あ、あの!」
「はい?」
「あのかた、……あの日、……追いかけてきて、居られたんです、私を」
「おや、そうなんです?」
「あの、もしかすると、私に用事があったのか……。と、言うよりも、ええと、あの、もしかすると、ここを、汚したままでした。御免なさい。きっと、お掃除も大変だったでしょう……、それと、ご挨拶にと拵えたもの……じゃない、……あの、と、兎も角!あの方に、……失礼をして、御免なさいと」

そこまで言うと、その方はにこ、と目元を崩してから首を奥に向け「ですってぇ、風柱様ぁ」と声を飛ばす。
その黒装束の男の方の視線を辿る。そうすると、屋敷の玄関が見え、すぐ傍の柱に体を立てかけたあの男の方が、そこに居た。

「勝手してんじゃねェよ」

そうとだけ残して、私たちに背を向けて奥へと入っていった後姿は、昨日程は恐ろしくはないかも、しれない。
ただそれはもしかすると、すぐ傍に奥様がおられるからかもしれないし、この方が居られるから、かもしれない。もしかすると、とてもとても距離があるから、なのかもしれない。
ただいずれにしても、今朝までに比べれば「行きたくない」そういった気持ちは和らいだかもしれない。

「優しい方ですよ、彼は」

そう目元を緩める黒装束の男の方に、私はのろのろと頷いた。

□□□□□

カクシと名乗られたあの男の方の言っておられたように、とんととと、とん、と子気味良く鳴る扉を決まった数だけ叩いた。
叩きはするけれど、何か返事が返ってくることが無いのはここ数か月で嫌と言う程にわかっている。
私は無言で門をくぐり、玄関を開き、三和土に並べ設えてあるお勝手の上。いつものように包みを開け、置いてある土産物のまんじゅうの包みを閉じながら、すぐ隣りへと、今朝拵えたお煮しめの入ったお重を置く。
きっと、あの「風柱様」そう呼ばれた鬼狩り様は、そう悪いお方でも、怖いお方でもないのだろう。
もう然る方の顔も思い出せそうには無いけれど、そんな風に考えながら、私はいつものごとく積み上げられた洗濯物へと手をかけた。

雨が降り続けるものだから、と洗濯ものを泣く泣く部屋へと干していた日々も終わりを迎え、水がそろそろ冷えてくるころ。
かじかんだ手をこすり合わせながら、パンと開いた手ぬぐいやら詰襟やらを、外の洗濯竿へと干していく。
かねてより疑問があるとすれば、私は彼の下着と言うものを触ったことがない。
一体全体、どうしているのだろうか。洗わなくても良いのかしら。そんな事をぼう、と考えながら、今しがた干したばかりの、冷たい風の中に揺れる手ぬぐいを眺める。
とは言え、こうも広い屋敷である。
そうこうしていると、時間はアッという間に過ぎてしまう、と言う事はここ数か月で早々に理解をしていた。
出来るだけ要領よく熟さなければ、瞬く間に日が暮れてしまうのだ。
箒で畳をはじきながら掃き、廊下を雑巾で拭い上げる。彼は日ごろから、それなりに丁寧に家を扱っているらしく、傷と言う傷も見当たらない。
引っかかることなく布巾が滑る。

「さむ……」

縁側から吹き抜ける風が、肌を通り過ぎていく。
あんまりの冷気に、汗をかいた体を私はぶる、と一つ震わせた。
ほんの出来心であった。
あまりにも寒かったせいだろうが、ひどくお腹がすいていたのだ。
普段であれば、お重の隣の包みは里中の家へと帰る道中に、ヤマさんの娘さんとともに舌鼓を打ったりだとか、猫じゃらしなんかを振り回す童たちと食べたりだとか。そうしていただいていた。__とはいえ、頂くようになったのは、つい最近の事だ。
初めてこの包みを目にしたときは、何ら気にも留めずに見過ごしていた。──彼の食べ損じか何かと思っていたことすらあったのだ。
そのうち、包みの封が開いたままで置かれるようになり、そこで初めて「これは何か、あの方からの意図的な贈り物なのかしら」と気が傾いた。
それでも確信が持てなかったものだから、その日は包みを閉じて置いて帰ったのだ。
そうすると、次にこの屋敷へとお邪魔した時には、普段であれば、茶の間に返すために用意してくださっている、お重の中にその土産物の包みが、開かれた状態で放り込まれてあったのだ。
おいしそうなお饅頭が、「食べて」と私に訴えかけていた。
それが実のところ、つい先週の事である__。
それ以後は、受け取るようになったその包みは、矢張り今日も、お重の中へと押し込まれてあったのだ。

今一度、私は本来空っぽであるはずの、持ち帰るためのお重の蓋を開けた。
先程見たのと同じように、今日も包みはやはりある。
包みのままにも関わらず「食べて」と訴えかけてくるそれに、ぐぅ、と腹が鳴った。
私はおもむろに包みを持ち上げ、とうとう中を改めてしまった。
もう駄目だった。
おいしそうだ。
粒の揃った饅頭たちが、今にも匂い立ちそうにひしめいてある。
ひとつ、つまみあげれば、軟すぎず硬すぎず。
なんとも言い難い、指先に吸い付くような質感が余計に唾をもたらした。

「……いただきます」

一口、頬張ったところであった。
表から、ガタガタと何やら音がし、思わず振り向いた。
けれど、一度、音はそこで止んだものだから「気のせいか」と私がもう一口頬張ったところで、ガラッと玄関扉が低い音で鳴きながら開く。

「あ?」

地を這うような音であった。
有り体に言えばそうだろう。ひねくれた言い方をするのであれば、地響きのようであったと伝えようと思う。
そんな唸り声とともに姿を現したのは、この屋敷の主でもある、鬼狩り様、その人であった。

「ひ……!」

ぎょろ、とした血管の透ける大きな丸い双眸に穿たれ、情けの無い声を上げてしまう。
手に持っていたまんじゅうを落としかけ、思わず強く握り上げてしまった。

「……まだ居たのかァ」
「す、……え、と!ご、ごめ、もうし……!!」
「……」

私の言葉をさして気にも留めていないのであろう。
鬼狩り様は框へと勢いよく腰を下ろし、ややこしそうな脚絆をカチャカチャと音を立てて解いていく。

「もう来なくても良いぞォ」

白のベルトのようなそれを取り外した鬼狩り様は、なんてことの無いような声音でただそう告げる。

「な、にか……なにか粗相がありましたでしょうか……!あ、あの、……あ、お饅頭、お饅頭は、普段は、その、帰ってから!帰りながら!頂いております!!きょ、うだけ、たまたま……!」

戸惑いも隠せず、びくつく体を抑えながらもそう、尋ねた。
鬼狩り様は、ため息でもってして返事を返し、矢張りその空恐ろしい目で私を見た。

「何もねェ。来てほしくねェ、そんだけだァ」
「……あ、でも、……そ、その、カクシの方や、お、奥様に……私、……ですから、その、不都合があれば、その、仰ってくださいましたら……」
「そもそも、居られるのが不都合だァ」

なんの感情も見せず、ただただ淡々とそう告げられると、私は何も返すことが出来なくなる。意地が悪い。そう思った。
この屋敷はこの方のものであるのだ。
そもそも、鬼狩り様が嫌がるのであれば、こうしてやってきているのはただの嫌がらせに過ぎなくなるではないか。
けれど、私の周りの人間も、彼の身内も「彼の世話をしてくれ」と言うのだ。
思わず下唇を歯の内側へと巻き込み、歯を立てた。

「ソレは飯の礼だ、好きに食って良い。受け取ったらとっとと出ていけ」
「……あ、の、……でしたら、でしたら!……今後、お洗濯は持ち帰って洗います。そ、それから、お食事だけはこうして、」
「要らねぇ」

けんもほろろな鬼狩り様に、思わず閉口する。
取り付く島もない、とはまさしくこのことであった。

「あの、で、でしたら、……その、お食事、だけ……こうして、持ち寄るだけでも、やらせては下さいませんか……」

私の言葉を最後まで聞くでもなく、立ち上がった鬼狩り様は奥間へと歩いて行かれてしまい、とうとう姿が見えなくなった。
私は握りつぶしてしまい、落としてしまってあったお饅頭のかけらを拾い集めながら、「勝手にしろ」と、そう聞こえてきていた低い声を、許可ととれば良いのか拒否ととれば良いのか、もうわからずに唇を突き出し、大きくため息を捨て置いた。

みんな、随分な人だ。
なんとも自分の置かれた理不尽な状況に、やはり今一度、ため息が漏れていった。

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