小説 | ナノ

配送の係りの人間から布団を受け取り、あらかた部屋も片付いた。
そうすると気になってくるのは今日明日の風呂だ。
飯は最悪何とでもなるが、風呂くらいは名前も入りたいだろう。
サッと時計を見ると、時刻は17時を回ろうとしていた。
あまり遅くなっても面倒くせぇな。
そう思うと、この後の段取りくらいはサクッと決めてしまいたい。

「なァ、銭湯、行くかァ?」
「……良いの?!」

わ!と声を出さんとするほどの勢いで俺を振り返りながら鞄を片付けた名前は、俺の方へととてとてやって来た。

「……だからよォ、お前は俺をなんだと思ってんだ」
「…………さ、実君は……実君」
「……」
「……」

よくわからない言葉を返した名前は、罰が悪そうに下から俺を見上げる。
そういう顔してりゃ許されるとでも思ってんのか?
自然とそう言いたげな顔にでもなっていたらしい。しまった、とでも言うような顔を作った名前は誤魔化すように腕をパタパタと振り始める。わざとらしいことこの上ない。

「行きたい!銭湯行きたい!!」
「わかったァ」
「わぁい!行きたい!」
「今調べてっからァ」

そのうち本当にテンションが上がってきたらしい。
「えい!」と、俺の背中へと飛びついた。

「……乗んじゃねぇよ」
「ここ?」

後ろから、俺の見ていたスマホを覗く名前の髪が、はらはらと顔にかかる。

「まぁまぁすんなァ」
「今回と次は私出すよ、……私が悪いし」
「あ?お前に全部任してた俺にも責任あんだろ」

する、というのも別段「高い」という意味ではない。
今後、何かあったとして通い続けるには「する」と思ったくらいのものだ。
一人470円。
清掃作業やら、ガス代、水道代。諸々を考えれば「そんなモン」とは思う程度の金額でもある。
更に言ってしまえば、この金額で両手両足を伸ばしても寛げるサイズ。それを思えば決して高くはないのかも知れない。
名前は出す、と言うが、別にそんな事を望んでもいない。
そもそも女に払わすのもどうなのだ。とも思う。

「……そんな事ないと思うんだけどなぁ。信用ない?」

俺の首周りに腕を引っ掛けながら、こっちを覗き込む名前の危機感の無さのほうが信用ねぇわ。

「じゃねぇよ、初めての事なんだから、知らねェことも、わからねぇ事もあるだろ。確認くらい一緒にしてりゃあ良かった、っつってんだ」
「……今回はその言葉に甘えとこう」

納得したらしい名前は、やっと俺の背中から離れていく。
途端に背中は冷えたが、最後まで残っていたやたらと柔らかい塊の存在に、俺は首の裏を掻いた。
溜め息を漏らしてから、名前の顔を見た。

「晩飯食ってから行くかァ」
「うん!」
「ここ、行っときてェ」

スマホの画面を切り替えて見せると、またさっきと同じような嬉しそうな顔を見せて笑う。

「あ、さっき通ったスーパー!コンビニより絶対安くつくよね!」
「多分なァ」

「用意しなきゃ!」と、さっきしまった鞄をまた取り出して、ご機嫌に財布やらを用意し始めた名前の背中を、俺はまたぼうっと眺める。
ルールもう一つ増やすか?
そんな悩みが頭の中でぐぅるぐぅると回り始めるが、相手は名前だぞ、と思うとどうでも良くなってくるのだから、不思議なものだ。
溜まってたっけなァ。
そういや、そういうタイミングも考えなければならないのか。
そう思うと、少しばかり面倒になる。

「一回帰ってくるよね」
「帰って飯にしてから行こうぜェ」
「うん」

そんなくだらない事を考えていると、名前の背中でも勃ちそうな気にもなってくるというもの。不思議なものだ。
いや、アホか。ねぇわ。

「行くかァ」
「ん」

今日だけでも何度も突っ込み直しているスニーカーに足をねじ込んで、真新しいキーで鍵を締めた。
それなりに日の長くなり始めた、それでも薄暗くなった空の下、歩を進める。

「こっちだった?」
「こっちのが近ぇんだと」
「そうなんだ」
「お前一人のときはあっち使えェ」

比較的人通りの多い表通りを指差した上で、路地を進む。
後ろで跳ねるように、時折体を俺にわざとぶつけながら歩く名前に「落ち着けよ」と笑ってしまう。

「なんか、楽しいね!新鮮」
「はぁ?」
「だってなんか、へへ!二人でお買い物って、お使い行ったとき以来じゃない?!」

名前の言う「お使い」は、それこそ小学校に入ってすぐの頃だろうか。確か玄弥と、寿美のオムツを買いに行った時だった気がする。
行きは「るんるん、るーん!たぁのしいねぇ!」などと、俺の手を引いて調子よく歩いていたが、帰りはどうだったろうか。
確か、名前の方が少しだけ背が高くて、名前の方が数ヶ月先に産まれてた。だからお姉さんぶって「私が大きな方持ったげるよ!」等と譲らず、少しばかり疲れた色を額に滲ませながら、俺よりも大きな方のオムツを持っていた気がする。
しまいには涙をにじませて「きゅうけいしよ」等とぐずっていたと思う。
公園で、足をブランブランと揺らしながら、「帰ったら志津さんに褒めてもらいなね、さねくん」なんて言っていたが、本当のところは名前がおばさんに褒めてもらいたかったんだろう。
「行くぞ」
「うん」
行きよりも、少しだけ元気の無くなった名前が持とうとしたオムツを引っ手繰り、俺は両手にオムツを持って、息を切らして帰った気がする。
「ごめんね」「ありがと」「ごめん」なんて泣きながら後ろをついて歩いていた名前は、なぜ泣いていたのか、そんなことはわからなかったし、今でも正答が出せるのかは不明だが、俺の家に戻ったら、おばさんとおふくろが居て、名前は「おかあさぁん!」って走り出したから、「元気じゃねぇか!」って少しイラッとしてたかも知れない。
その日はおふくろとおばさんの手作りのクッキーが出てきて、名前は頬をパンパンにしながら「さねくんが頑張ってくれたから、お礼ね」なんて、俺の皿に自分のを一枚寄こしてきていたのを思い出す。

「あん時」
「うん?」

コテン、と隣で首を傾ける名前は、やはりいつかのように口元を緩めていた。

「お前結局俺に二袋とも持たせたよなァ」
「……へへ、覚えてた!」
「そんなに記憶力悪かねぇからなァ」
「自慢だ!」

そうこうしていると、目的のスーパーにたどり着いていた。
店の看板をデカデカと青と赤で掲げ、程々の価格帯で有名なチェーン店の文字を象っている。

「この時間、お客さんすごいんだね……」
「……ン」

適当にかごを持って、一先ずは。

「あ!あった!おべんと……わ!」

名前と、恐らく同じ反応をした。
時間帯も相まってか、半額シールの貼られた惣菜やら弁当のコーナーに群がる主婦や仕事終わりのサラリーマンの群れ。

「……」
「え、行くの?!」
「行ってくらァ」

かごを名前に持たせ、俺は一歩を踏み出した。
ここからは、戦争だ。



「……」
「……」

ぽかん、とした顔をつくった名前から目をそらす。
横目でチラッと名前を見ると、俺と弁当を交互に見てから、少しだけ笑う。

「……一個はあんだろォ!!!」
「おおう」



「ありがとうございましたぁー次の方どうぞぉ」

やる気のないようにすら聞こえるレジの人間の声を背中に受けながら、名前と店を後にした。

「……時間帯の問題だよね」
「多分なァ」

もう一つ別の何かを買っても良かったが、負けた気がする。
更に言うと、なんだか悔しい。そんな気がするのだ。
それは名前も同じだったらしく、特に「あれも買っとこう」のような言葉は終ぞ出なかった。
家に帰ると、まだローテーブルも何も無いことを思い出し、粗末なキッチンで二人で一つの半額シールのつけられた幕の内弁当を突く。

「足りる?」
「……足らすゥ」
「……やぱ何か買っとけば良かったね、なんか、こう、おにぎりとか」
「……」

今言うのかよ。
とかなんとか思ったのは今はもういいだろう。
俺もこっそりそう思っていた。なんなら、今も思っている。
こんなとこで意地は張るもんじゃねぇな。なんてことを学んだ。

一先ずは腹を程々に満たし、当初の予定通り、昼前に買っておいたシャンプーやらを鞄に詰める名前に倣い、俺も適当にスーパーの袋に必要なモノを入れていった。

□□□□■

昼間は程々に暖かくなっては来たが、夜になると一気に冷え込む。
それを実感したのは湯上がりに銭湯の外で名前を待っている、今である。

「……寒ィな、……まだかよォ」

中で待っていても良かったが、何故かやたらと歳を食った爺に話しかけられるのだ。
それも、下の話しばかりを。
俺がここに入る際に、名前と居たのを見たらしい老人の一言から始まったのだ。
若いのがここに来るのは珍しい、夫婦か?だのと。
「まだ学生です」と言ってやると、目をこれでもかと撓らせながら、「もう済んどる距離だったのぅ」等と笑うのだ。
「済んでねェ」そう、口が悪くなったのは許されるはずだ。
「待っとるぞぉ?あの目は!」
「待ってないです」
「いーや!待っとる!!」
そんなやり取りにどっと疲れた俺は、早々に上がることにして、外で待つことにしたというわけだ。

「ごめん!待ってた?!」

どこか慌てたように、暖簾を潜り、外へと出てきた名前からはホクホクと湯気が上がっている。
ずっと待ってたァ、バァカ。
とは言わない。

「っひん!もう!!」
「やべぇ……あったけェ」

べしべしと叩かれるが、気にしてはいられなかった。
バカみたいに暖かい名前の頬に冷えてしまった指先を押し付けて暖を取る。

「暖かかったね!」
「気持ちかったなァ」

やっと歩き始めた俺の体に、やはりまた自分の体をぶつけながら名前は手を差し出してくる。

「月一くらいで行きたいねぇ」
「……悪くねェよなァ」

俺はそれを敢えて握らずに、名前の反対の手に握られている、風呂のセットを持ってやることにする。
どうせまた「指先冷えちゃった」だのと言いかねない。
ただそれだけだ。

「……お腹、すくねぇ……」
「…………」

なんでもないことのように、そう言ってのけた名前に、とうとう俺は頷いた。
バカみたいに腹が減っている。
もう、多分眠れない。
そのくらいには、減っている。
なんだかんだと、昼もあの牛丼並盛のみ。夜も弁当を半分ほど。
なんなら、いつもの三分の一程度しか食って無いんじゃねぇの。と言う程しか食べてない。
無言ですぐそこのコンビニを指差した名前に、俺も無言で視線をやった。

「……」
「……行くかァ」

決めた。
飯はちゃんと食う。
俺は飯を減らすのは苦手だ。と、認識。

「うん……行く」

素直に頷いた名前も、恐らく苦手だ。

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